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2024年10月13日日曜日

さらばベルリン:トルコの「He111」爆撃機


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年11月24日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 タイトルとヘッダー画像を見ると、この記事で私たちが機種を間違えたと容易に結論付けられてしまうかもしれません。誰もが知っているハインケル「He111」が備える特徴的な全面ガラス張りのコックピットはどこにあるのか、と問いたい人もいるでしょう。*

 それでも、画像の機体は正真正銘のドイツ製ハインケル「He111」であり、これは1937年後半から1938年前半にかけてトルコ空軍 (Türk Hava Kuvvetleri) に引き渡された24機のうちの1機なのです。

 「He111」の最大の特徴がない理由については、トルコが購入した機体が初期の「J」シリーズであったことや、機首の全面がガラスで覆われた風防のデザインが、より一般的なタイプである「P」シリーズから導入されたことで説明できます。

 以上で話を進めるための厄介な障害が取り除かれましたので、そもそもトルコがなぜ「He111」を入手したのかの経緯を解説しなければなりません。

 1930年代のトルコは、新たに出現した脅威(特に地中海におけるファシスト・イタリアの台頭)に立ち向うための軍事的手段を欠いていました。

 自国軍の荒廃に直面したため、トルコは海外から大量の軍備を発注し始め、その中のに同国初となる本格的な爆撃機:アメリカのマーチン「139WT」も含まれていました。[1]

 性能は依然としてこの国の対地攻撃機の大部分を占めていた1920年代の「ブレゲー19」複葉機から大幅に向上したものの、僅か20機の爆撃機の入手はトルコのような大国が防衛上のニーズを満たすには到底十分とは言えないものだったことは間違いありません。

 こうした理由から、1937年3月に数多くの航空機メーカーが最新の製品を披露するためにトルコに招かれたのです。

 トルコとのビジネスに意欲的なハインケル社が展示した最新の「He111 F-0」は、この買収劇を主催したトルコから賞賛を得たようで、展示飛行が実施された後の1937年3月には、24機の「He111 J-1」が発注されました。[2]

 このうちの18機はすでに同年10月に到着しており、残る6機も1938年初頭に到着したことが記録に残っています。

 トルコがドルニエ「Do17」を2機入手したとも言われていますが、これは最終的にハインケルが受注した入札向けとして1937年にトルコで展示飛行した機体と混同している可能性があるかもしれません。[3]

トルコのラウンデルが施された「Do 17 M」または「Do 17 P」:実際にトルコがこの機種を入手したのか、あるいは1937年の展示飛行の際にドルニエ社がトルコのラウンデルを施したのかは、いまだに謎に包まれている

 「He111」が発注から僅か7か月で納入されたことが、トルコ空軍を大いに喜ばせたことは間違いないでしょう。また、1932年にフランスから中古で購入した旧式の複葉爆撃機である「ブレゲ19」の退役も可能にさせたようです。

 納入後の「He111」については、北西部のエスキシェヒルを拠点とする第1航空連隊第1大隊の第1及び第2飛行隊に配備され、各飛行隊はそれぞれ8機の「He 111 J-1」を運用し、さらにもう6機が予備機として用いられました。[4][5]

 トルコ軍の「He111」のパイロットは、1937年に同じくドイツから入手した6機のフォッケウルフ「Fw58 "ヴァイエ"」多用途機で訓練を受けました。[4]

 しかし、まもなくしてトルコ空軍は予期しない苦境に立たされることになりました。1941年6月にベルリンからアンカラに「旧式化のために、これ以上は「He111」のスペアパーツの供給できる見込みがない」旨が通告されたからです。[5]

 このお粗末な言い訳をした理由については、その数日後にナチス・ドイツがソ連に侵攻したことで明らかとなりました。つまり、ドイツは自国の「He111」用にその全スペアパーツを必要としたわけです。

 「He111」を手放して処分場送りにすることを望まなかったトルコはイギリスに目を向け、「1940年のバトル・オブ・ブリテンで不時着した "He111" からスペアパーツを集めて供給することは可能か」という不思議な依頼をしたところ、ロンドンはこの要請に応じ、8基のエンジンとその予備部品、機体部品やコックピットの計器類を供給するという結果をもたらしました。[5]

 その一方で運用可能な「He111」の減少は、イギリスから約50機のブリストル 「ブレナム」「ボーフォート」といった爆撃機の安定的な供給を受けることでカバーすることができたようです。

 残存している「He111 J-1」については、1944年に(トルコから返還されずにいた)元アメリカ軍機の「B-24D "リベレーター"」重爆撃機5機と共に「戦略爆撃機」部隊に配備されました。これらの「B-24D」は1942年と1944年にトルコに不時着した11機から成る2個編隊の一部で、トルコ空軍によって運用されていた機体です。

 この新部隊に配備されてから1年後の1945年末に「He111 J-1」が退役したとき、入手した24機のうちの8機が依然として稼働状態にあったことは同機の頑丈な設計を実証したと言えるでしょう。

「He 111 J」の尾翼:納入飛行時に施されていたハーケンクロイツからトルコ国旗へ変更中の様子

 トルコが入手した「He111」のバージョンが「F」か「J」シリーズなのか、まだ若干の誤解がされているようです。

 「He 111 J」は「He 111 F」とほぼ同様ですが、前者はダイムラー・ベンツ製「DB 600G」エンジン2基(大型ラジエーター付き)と後縁を持つ(やや直線的な)新設計の主翼を備えるという特徴があります。

 もともと「He 111 J」はドイツ海軍向けの雷撃機として開発されたタイプですが、海軍がこのタイプに関心を失ったため、結局はドイツ空軍だけが運用することになったという経緯があります。最大120機が製造されたこのタイプは、1941年に「Ju 88」に更新されるまで主に洋上偵察で活用されました。「J」型は最終的に1944年まで訓練学校で使われました。

 結局、トルコが「海軍化」された「He 111 J-1」を入手することになった理由は、納期が約7か月強と短かったからだと思われます。

 「F型」と「J型」の運用上のスペックはほぼ同一であり、最高速度は305km/h、防御機銃は機首・胴体上部に加えて下部の「ダストビン(ゴミ箱)」引き込み式銃塔に 「MG-15」7.92mm機銃が各1門、つまり合計で3門が装備されていました。

 爆弾倉については、マーチン「139WT」が僅か1,025kgしか搭載できないのと比較すると、「F型」及び「J型」は2,000kgものペイロードを誇っていました。

主翼にあるトルコのラウンデルが無ければ、"イギリス上空を飛ぶ2機のハインケル「He 111」"と容易に(誤って)信じられてしまいそうな1枚

 ほとんどの「He111」と異なって、トルコ軍の機体は一度も怒りに任せて爆撃することはなかったものの、戦争で用いた国々の機体よりもはるかに長く(約8年間)運用されたのでした。

 連合国が望んでたようにトルコが(1945年2月にしたよりも)早くナチス・ドイツに宣戦布告していれば、自身の祖国に対する「He 111」の使用は興味深い歴史の一章となったかもしれません。

 いずれにしても、トルコ航空史の草創期に関する物語と常に独特な機体の入手方法は人々の心を必ず捉え、今では遠い昔の記憶と化しつつあるこの激動の時代に対する驚異の念を呼び起こすものと言っても過言ではないでしょう。
 

* 読者からの意見があるにもかかわらず、著者は「He 111」の有名なガラス張りの機首は常識と考えられるべきものと思っています。












2024年3月20日水曜日

デス・フロム・アバヴ: 「コノコ地区の戦い」で失われた装備(一覧)


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2023年6月13日に「Oryx」本国版(英語)で公開された記事を日本語にしたものです。

 "ハシャムの戦い"としても知られる「コノコ地区の戦い」は、アメリカ軍と(名目上は傭兵の)ロシア軍が一対一で戦った極めて稀な出来事だったと言えるでしょう。

 この戦いは、機甲・砲兵戦力に支援された約500人のシリア軍兵士とロシアのPMC「ワグネル」戦闘員が、デリゾール市近郊のコノコ・ガス田にあるシリア民主軍(SDF)とアメリカ軍特殊部隊の合同基地を攻撃したことで幕を開けました。

 ワグネル率いる部隊が進撃を進める中で、アメリカ軍は空爆と地上戦で反撃しました。アメリカ軍は交戦中にデリゾール駐在のロシア軍連絡将校と常に連絡を取り合っており、正規のロシア軍部隊が存在しないとの確証を得た後に初めて射撃を開始したと報じられています。[1]

 戦闘は3時間以上続き、結果的に約10人のワグネル戦闘員を含む最大100人のシリア政府系部隊の死者を出した一方で、アメリカ軍とSDFに損害は生じませんでした。

 2023年5月、ワグネル代表のエフゲニー・プリゴジン(故人)は、この戦闘で何が起こったかについて自身の見解を詳細に述べましたが、 これが「冷戦以降にロシアとアメリカの国民の間で発生した最初の死傷者を出した武力衝突」に関する興味深い洞察を示したことは間違いありません。[2]

  1. この一覧は、写真や映像によって証明可能な撃破または鹵獲された兵器類だけを掲載しています。したがって、実際に喪失した兵器類は、ここに記録されている数よりも多いことは間違いないでしょう。
  2. 各兵器類の名称に続く数字をクリックすると、破壊や鹵獲された当該兵器類の画像を見ることができます。

ワグネル / シリア軍 (11, このうち撃破: 11)

戦車 (3, このうち撃破: 3)

装甲戦闘車両 (2, このうち撃破: 2)

ガン・トラック(1, このうち撃破: 1)
  • 1 ウラル-4320(「AZP S-60」57mm対空機関砲搭載型): (1, 撃破)

牽引砲 (1, このうち撃破: 1)

車両 (4, このうち撃破: 4)


アメリカ合衆国 / シリア民主軍 (損失なし)

[1] Имена и фамилии погибших бойцов "ЧВК Вагнера" https://www.svoboda.org/a/29038004.html
[2] https://twitter.com/RonnieAdkins_/status/1668290978237808640



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2024年1月13日土曜日

南アジアの稲妻:パキスタンのUAV飛行隊(一覧)


著:ファルーク・バヒー in collaboration with シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 パキスタンは1990年代後半から豊富なUAVの運用国であり続けています。

 2004年、パキスタン空軍(PAF)は「SATUMA( 偵察及び標的用無人航空機)」社「ジャスース(スパイ)Ⅱ"ブラボー+"」 を導入したことで、空軍がパキスタン軍内で最初にUAVの運用をした軍種となりました。

 PAFに続いて、パキスタン陸軍(PA)はすぐに「グローバル・インダストリアル&ディフェンス・ソリューションズ(GIDS)」社によって設計・開発された「ウカブ(鷲)P1」UAVを導入し、2007年には運用試験を始め、翌2008年に正式な運用に入りました。

 「GIDS」社は「ウカブP2」として知られている「ウカブP1」のさらなる能力向上型を開発し、同機は2010年にパキスタン海軍(PN)に採用されました。

 情報が極めて少ないパキスタンにおけるドイツ製「ルナ」UAVの物語は、2000年代にPAが主要戦術UAVとして「EMT(現ラインメタル)」社製「ルナX-2000」を調達した時点から始まりました。

 PNもこの機種に好印象を持ったようで、2010年ごろから独自の「ルナX-2000」採用計画に着手しましたが、この計画は(おそらく資金不足が原因で)先送りされたようで、その代わりに臨時の措置として国産の「ウカブP2」が採用されました。

 「ウカブP2」が現役から退いた2017年に、PNはついに「X-2000」より長い航続距離と能力が向上した高性能型である「ルナNG」を導入しました。

 まだ「ウカブP2」がPNで現役にあった2016年、長い滑走路なしで離陸可能な戦術UAVの需要は結果としてPNにアメリカから「スキャンイーグル」を導入するに至らせました。

 なぜならば、PNは2008年にオーストリアの「シーベル」社製「カムコプター S-100」のトライアルを実施したことがあったものの制式採用せず、海上での運用に適した無人機システムを長く探し求めていたからです。

 「ボーイング・インシツ」社製「スキャンイーグル」はカタパルトで射出され、スカイフック・システムで回収される仕組みとなっています。これらのシステムのコンパクトなサイズは、「スキャンイーグル」を海軍艦艇のヘリ甲板から運用させることを容易なものにさせていることを意味しています。


 パキスタンは国内に配備されたアメリカ軍の「MQ-1 "プレデター"」無人戦闘航空機(UCAV)によって、武装ドローンの破壊的な能力をダイレクトに目の当たりにしました。

 このUCAVの配備とその後の実戦投入は、PAに強烈な印象を与えたに違いなく、すぐにアメリカから武装ドローンの購入を試みました。特に意外なことでもないでしょうが、この努力が無駄に終わったことは今では周知のとおりです。

 アメリカからUCAVの導入を断られたPAは東の隣国に目を向け、中国製「CH-3A」UCAVの生産ライセンスを取得し、国内で生産された同機種は「ブラク(稲妻)」と呼称されるようになりました。より高性能な無人プラットフォームが登場しているにもかかわらず、「ブラク」は現在でもPAとPAFで現役の座に残り続けています。

 「ブラク」の設計からインスピレーションを受けて、「GIDS」社が設計した改良型が「シャパル-1」です。この無人機システムは情報収集・警戒監視・偵察(ISR)用として、2021年にPAFに採用されました。

 ただし、「シャパル-1」は2021年の共和制記念日における軍事パレードで初めて一般公開された、「シャパル-2」ISR用UAVに取って代わられることになるでしょう。

 この新型機については、その後の2021年半ばに実施されたPAFの演習に参加する姿が目撃されため、すでに運用段階に入ったことが確認されています。「シャパル-2」は主にISRの用途で使用されるものの、最近に発表された武装型はPAFで運用されている「ブラク」を補完したり、その後継機となる可能性が高いと思われます。

武装型「シャパル-2」は2発の誘導爆弾などが搭載可能

中国からの買い物

 2021年、PAは「ブラク」飛行隊を中国製の「CH-4B」UCAVで補完しました。

 その一方、PAFは2016年に「翼竜Ⅰ」UCAVの運用試験を行っていたことが知られていますが、その1機が墜落したことでメディアの注目を集めました。[2]

 しかし、PAFはさらなる「翼竜Ⅰ」を発注することはせずに代わりとして、より優れた打撃能力をもたらす、より重い「翼竜Ⅱ」UCAVを選択しました。その後、2021年にPAFの基地で最初の同型機が目撃されました。[1]

 PNは陸軍の先例に倣って「CH-4B」の採用に落ち着いたようで、大量の同型機が2021年後半にPNに引き渡されました。[1]

 PAFは、自軍で装備するための高高度長時間滞空(HALE)型UAV計画を推めていることが判明しています。

 PAFの傘下にある「パキスタン航空工業複合体(PAC)」は、「CH-4」や「翼竜Ⅰ」級の国産軽量中高度・長時間滞空(MALE)型UAVを開発していることが知られており、2021年に政府やPAFの関係者がPACを訪問した際にその1機が目撃されています。[3]

 国立工学科学委員会(NESCOM)は、2021年にトルコ航空宇宙産業(TAI)と国内で「アンカ-S」UCAVの部品を製造する契約に調印しました。[4]

 また、国境警備で運用している既存の僅かなUAV飛行隊を補完するために、パキスタン内務省(MOI)も新しいUAVを購入することを望んでいますが、現時点ではどうなるか不透明です。

パキスタン陸軍 (PA)の保有機

無人偵察機

無人戦闘航空機
  • CASC「CH-4B」 [2021] (少なくとも5機を導入しているが、追加発注がある模様)


パキスタン空軍(PAF)の保有機

無人偵察機

無人戦闘航空機


パキスタン海軍(PN)の保有機

無人偵察機

無人戦闘航空機

  • CASC「CH-4B」 [2021] (少なくとも4機が導入されたが、未確認)


[1] SIPRI Trade Registers https://armstrade.sipri.org/armstrade/page/trade_register.php
[2] https://twitter.com/KhalilDewan/status/1465475715567169538
[3] Lifting The Veil - Pakistan’s Chinese UCAVs https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/lifting-veil-pakistans-chinese-ucavs.html

※  この翻訳元の記事は、2022年1月5日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。



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2024年1月7日日曜日

クルドの機甲戦力:シリア北部におけるYPGの重装備(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 シリア北部でトルコ軍のパトロール部隊に対する多数の攻撃が発生し、トルコとYPG軍は戦争の瀬戸際に直面しています。(この記事の執筆時点における2021年10月に発生した)トルコ兵1名が死亡した最近の攻撃を受け、エルドアン大統領はシリア北部からYPGを一掃することを宣言しました。[1] 

 これに対して、シリア民主軍(SDF)を構成する主要な勢力でもあるYPG(Yekîneyên Parastina Gel:人民防衛隊)軍が取るべき選択肢は、自主的に国境地帯から離れるか、あるいは武器を取って自由シリア軍やトルコ軍と戦うの二択しかありません。後者の場合、YPGが有する機甲戦力は彼らの主要な火力支援プラットフォームとしての役割を担うことになるのは間違いないでしょう。

 当記事では、YPGが保有する戦車や重火器のリスト化し、機甲部隊がどのようにして形成されたのかを解説します。
 
 シリア内戦に関わるほかの主要な勢力と比べると、YPGは機甲戦力に最も恵まれていないのが特徴です。その結果として生じた戦力差を補うため、 YPGは(通常は)ブルドーザーや大型トラックをベースとしたDIY装甲車の製造に非常に積極的になりました。[2] 

 軽装甲車とDIYではない真の装甲戦闘車両(AFV)について、YPGは従来からイスラム国(IS)から鹵獲した車両、シリア軍(SyAA)が遺棄したAFVや彼らが身の安全と引き換えに引き渡した装備(例えば2014年にあったメナグ空軍基地からの撤退時)、アメリカから供与された装甲車に頼ってきました。
 
 ISのようなシリア内戦に関わった他勢力がシリア軍から鹵獲した数百台もの戦車やその他のAFVを含む兵器群を蓄えることができた一方で、YPGはシリア軍との戦闘を頻繁に避けていたため、大抵はスクラップで何とかするしかなかったのです。

 このような方法で、YPGは前所有者がシリア軍の基地に遺棄した「BTR-60」や「BRDM-2」といった数種類のAFVを手に入れてきました。

 文字通り代替手段がないため、これらの遺棄された(廃車と化した)AFVでさえもYPGによって別車両を製造するために活用されています。エンジンが修理ができなかった場合でも、「BTR-60」の車体をトラックの荷台と一体化させて即席のAFVとして使用したケースさえあるのです。
 
 YPGはこれと言った装甲戦力や重火器を全く保有していないため、ISの車両や陣地を撃破することについては、ほぼ有志連合軍の航空戦力だけに依存していました。これはISが運用するAFVがYPG部隊に深刻な損害を与える前に撃破されることが一般的だったことを意味していますが、有志連合軍機が投下した爆弾によってAFVの大部分が完全に消し去られていまい、結果的にYPGによる鹵獲や再使用が阻害されてしまったことも意味しています。


 シリア北部におけるISとの戦いでSDFを支援する一環で、YPGはアメリカから大量の歩兵機動車(IMV)と耐地雷・伏撃防護車両(MRAP)の供与を受け、滑稽なYPGの自家製AFVの一部をそれらに置き換えたように思われます。

 興味深いことに、ISが従来型の軍事力という面で敗北した後でもYPGは供与された車両の保有を許され続けています。しかし、供与された時点でさえも、それらが将来的にNATO加盟国(トルコ)に対して使用される可能性が極めて高いことは誰の目から見ても明らかだったことは言うまでもありません。

 「ハンヴィー」や「M1224 "マックスプロ"」、IAG「ガーディアン」の大規模な装甲車両群に加えて、アメリカが多数の「M2 "ブラッドレー"」歩兵戦闘車(IFV)をYPGに譲渡したという報告もなされています。

 これらの報告はSDFの旗を掲げた「M2」IFVが目撃されたことやYPGの戦闘員が同IFVと共に訓練している映像に端を発していると思われますが、現時点でそのような供与が実際に行われたことを示すエビデンスはありません。


 YPGの機甲戦力にとって最大の脅威となるのは、トルコ軍の「M60T」「レオパルト2A4」戦車よりも上空を飛ぶ「バイラクタルTB2」無人戦闘航空機(UCAV)や「T129 "ATAK"」攻撃ヘリコプター、そして自由シリア軍が運用する対戦車ミサイル(ATGM)であることは間違いないでしょう。特に後者の3つの兵器は、2018年の「オリーブの枝作戦」アフリンにおけるYPGによる全機甲戦を迅速に終結させる要因となった前例があります。

 2020年2月の「春の盾作戦」でシリア軍所属の重機甲部隊が全滅したことは、頭上を飛び回る天敵が存在しないトルコの無人機の前では、もはや大規模な機甲戦が通用する戦い方ではなくなったことを証明しました。[3] 

 その代わり、YPGが前線に沿ってAFVを分散させ、戦闘しないときは頭上に潜む目を避けるために建物の中に隠しておくことが予想されます。YPGはドローンの脅威を抑えるためにこのような戦術を用いることに十分に慣れており、AFVが安全なガレージに隠れている様子が頻繁に確認されているので、この予想は当然なされるべき行動の範疇にあります。

 興味深いことに、おそらく故障したか、単に操縦手が間に合わなかったかために出発し損なったAFVが隠れ家で鹵獲されたケースが散見されました。[4] 

 仮にYPGのAFVが何とかしてアフリンの隠れ家から出てきたとしても、自身を撃破するために送られた複数の航空アセットに直面するため、彼らの運用期間は非常に短くなる傾向にあります。

 ほかの事例では、TB2が間に合わせの砲兵戦力として用いられた無反動砲搭載型イラン製「サフィール」ジープをガレージと化した隠れ家まで追跡し、その後に建物自体を攻撃してそこに隠されていたかもしれない別のAFVとその弾薬全体を破壊したことがありました。[5] 

アフリンでうまく隠されたYPGの「T-72」戦車。しかし、この戦車や別の戦車が隠れ家を離れると、ほとんど即座にドローンや攻撃ヘリ、そしてATGMで撃破されてしまう運命に見舞われました。

 トルコ軍にとって最も脅威となるのは、ほぼ間違いなくYPGが保有する大量のATGMでしょう。

 YPGはシリア軍からATGMをごく僅かしか鹵獲していないにもかかわらず、シリアの闇市場で入手したATGMの安定した供給を確保することに成功しました。これらには「9M113 "コンクールス2」や「9M115 "メチス-M"」のようなタイプだけでなく、「9M133 "コルネット"」やアメリカの「TOW」 といった高度なATGMも含まれています。

 ATGMは自由シリア軍やトルコ軍に対して頻繁に使用されていますが、YPGは将来的にトルコ軍のAFVや兵士の集結地点に対して使用するために相当な数のミサイルをストックしているものと思われます。

YPGの戦闘員によって操作されるアメリカ製「TOW」ATGM。本来、これらは自由シリア軍のとある部隊によって使用されるはずでしたが、野放しで拡散されたために一部がYPGやISの手に渡ってしまったのです。

  1. YPGによって運用されていることが確認されたAFVや重火器の詳細な一覧を以下で観ることができます。
  2. この一覧は、写真や映像によって証明可能なAFVと重火器だけを掲載しています。したがって、実際にYPGが運用するAFVなどは、ここに記録されている数よりも多いことは間違いないでしょう。 
  3. この一覧は、現在のYPGで運用されている装備全体を網羅することを目的としているため、すでに失われたAFVは掲載されていません。
  4. リスト化にあたっては、すでに破壊された車両や重複しての掲載を避けるために細心の注意が払われました。
  5. 迫撃砲や装甲化されたフロントローダー及びトラックはこの一覧には含まれません
  6. 各兵器類の名称に続く数字をクリックすると、当該兵器類の画像を見ることができます。


戦車 (11)


シュトゥルムパンツァー こと 自家製AFV (10)


牽引砲 (少数)
多連装ロケット砲 (少数)


(自走式を含む) 火力支援用対空砲 (大量)


対戦車ミサイル (少数)


無人機(少数と思われる)


[1] Turkey vows to clear N Syria from YPG terrorists https://www.hurriyetdailynews.com/turkey-vows-to-clear-n-syria-from-ypg-terrorists-168602
[2] Monsters Of Desperation: The YPG’s Sturmpanzers https://www.oryxspioenkop.com/2020/08/belly-of-beast-ypg-monsters.html
[3] The Idlib Turkey Shoot: The Destruction and Capture of Vehicles and Equipment by Turkish and Rebel Forces https://www.oryxspioenkop.com/2020/02/the-idlib-turkey-shoot-destruction-and.html
[4] https://twitter.com/worldonalert/status/1183399659085144072
[5] How a Drone Hunted Three Kurdish Fighters in Syria | NYT Investigates https://youtu.be/V9z8FbJ589s

 より詳しくYPGの機甲戦力について詳しく知りたい方には、Ed Nash氏による素晴らしい本、 「Kurdish Armour Against ISIS YPG/SDF tanks, technicals and AFVs in the Syrian Civil War, 2014–19」をおすすめします。

この記事の作成にあたり、Calibre Obscura氏に感謝を申し上げます。

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所 
 があります。