著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ 編訳:Tarao Goo)
この記事は、2016年5月11日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とBellingcatで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
モスル北部にあるペシュメルガの陣地を襲撃するイスラム国(ISIL)戦闘員が戦い、敗北し、そして殺害される様子を記録した、今や悪名高い映像が公開されてから僅か6日後、2016年5月3日、彼らは(アラビア語でテルスクフ、テル・エスコフ、テル・アスコフ、テル・アスカフとも呼ばれる)アッシリア人の町テスコパ付近で、再びペシュメルガの陣地を制圧しようと試みました。
結果として、この攻勢は世界的な注目を集めました。この戦闘で、この地域をISILのさらなる攻撃から守るために展開していた海軍特殊部隊(Navy SEALs)のアメリカ兵が死亡したためです。
2015年12月16日にナヴァラン近郊で発生した攻撃と同様に、ISILは攻撃前と攻撃中に自身を撮影した画像をリリースしました。しかし、これは再び奇妙な事態を招いています。まず、防衛側のペシュメルガ部隊が殺害されたISIL戦闘員の画像を公開すると、その直後にISIL側が全く同じ戦闘員たちが(まだ生きていて)準備を整えている様子を捉えた画像を公開しているのです。
結果的にISIL部隊の大半が壊滅した事実から、この攻勢を扱った彼らの映像が公開される可能性は低いと思われます。
ISILがモスル北部で展開した同様の攻勢:戦闘員が大規模に改造された装甲戦闘車両(AFV)と連携して行動するケースが多かったこととは対照的に、テルスクフ攻勢の初期段階は実際に成功を収めました。彼らは複数の戦線で防御陣地を突破しただけでなく、戦闘員が町の大部分に侵入し掌握することに成功したのです。
ところが、彼らの成功物語はここで終わりを迎えました。アメリカ軍の強力な航空支援を受けたペシュメルガ部隊とSEALsによる反撃のおかげでISILのAFV群と部隊集結地点が壊滅させられ、ペシュメルガ部隊は失ったのと同じ速さで町を奪還したからです。この町に潜伏していたISIL残党の拠点は、この日遅くまでに掃討されたと伝えられています。
テルスクフへの攻撃を主導したのは「襲撃大隊」の「アブ・レイス・アル・アンサリ隊」であり、「自殺大隊」から抽出された少なくとも10台のVBIED(車両運搬式即席爆発装置)が支援しました。
興味深いのは、「襲撃大隊」がこの部隊を「セクター」と呼称していることでしょう。「セクター」とは割り当てられたの区域での作戦を担っている部隊のことです。テルスクフへの攻撃を主導した部隊は、2014年11月にアメリカ軍の空爆で殺害された元ISILモスル州知事(ワーリー)のアブ・ライス・アル・アンサリにちなんで命名されました。 ちなみに、アブ・ライース・アル・アンサリ旅団を含む複数の部隊も彼の名前を冠しています。
「襲撃大隊」は、アブ・リドワーンのチーム、つまり今や悪名高く知られるアブ・ハジャールも参加したナヴァラン近郊での失敗に終わった攻勢にも関与していました。ただし、この攻撃を担当した「セクター」がどこであったかは、依然として不明のままです。
2015年12月のナヴァラン近郊での攻勢以降、このような大規模な攻撃は発生していないとみられています。つまり、「襲撃大隊」には戦略を見直すための十分な時間が与えられたことになるわけです。
過去にモスル北部で展開された彼らの攻撃で直面した大きな問題は、そもそもいかなる勢力にとっても同様の攻撃を行うことを躊躇させるのに十分深刻なものでした。ところが、装甲車両や戦闘員を十二分に有しているISILは、こうした攻撃を妥当なものと見なしているようです。
「襲撃大隊」が最も頻繁に直面する主要な障害は、制圧対象であるペシュメルガの堅固な陣地です。これらの陣地が往々にして高台に位置しているため、彼らの装甲車両はペシュメルガからのRPGや対戦車ミサイル、そして戦車からの砲火に完全に晒されたまま、開けた平野を走行せざるを得なくなってしまいます。陣地へ到着する頃にはすでに大部分の車両が撃破されており、生き残った車両も陣地を取り囲む巨大な塹壕によって進路を阻まれてしまうのです。この塹壕を越えるには、架橋用の車両を使うか、土で埋め戻すしかありません。こうした状況が展開される中で、アメリカ主導の有志連合軍がすでに戦場に展開している場合が多く、その時点で航空機や無人機(UAV)を用いてISIL部隊を攻撃しているわけです。
ISILの州(ウィラヤット)の中で、ニーナワー州(モスル)は防空面で最も優れているものの、彼らが運用する対空砲でさえ、低空飛行するヘリコプターや低速で飛行する航空機にしか効果がありません。高速で飛行するジェット機の速度と高度を考慮すると、イラクやシリア上空で撃墜される可能性は極めて低いでしょう。
注目すべきは、ISILがニーナワー州において防空任務を担う独立大隊を編成したことです。「ウィラヤット防空大隊」は、2015年3月に初めてモスル市内を行進し、その後、モスル上空で情報収集や電子戦に従事していたアメリカ海軍の「(E)P-3」電子偵察機を「D-30」122mm榴弾砲で撃墜しようとしている様子が公開された際にも姿を見せました。
しかし、「ウィラヤット防空大隊」の部隊が(任務に出る)「突撃大隊」に配属されることはありません。と言うのも、「突撃大隊」自身の防空は自分で対応することになっているからです。テルスクフ攻勢を含めた今までの攻撃作戦における彼らの防空戦力は、ピックアップトラックに搭載された14.5mm重機関銃や単砲身の23mm機関砲に過ぎませんでした。
「ウィラヤット防空大隊」の対空砲がジェット機を撃墜できる可能性は低いものの、より強力な37mmや57mm機関砲、そして122mm対空砲を装備しているため、少なくとも有志連合軍機に対して一定の抑止力が機能するのではないでしょうか。
テルスクフ攻勢における「襲撃大隊」の戦力は、数十台もの防御力強化型装甲戦闘車両(AFV)やピックアップトラックに支援された300名以上の戦闘員で構成されていたと伝えられています。
2016年5月6日時点で、少なくとも154人のISIL戦闘員の遺体と25台のAFV及びピックアップトラックが撃破あるいは鹵獲されたことが確認されています。一方のペシュメルガ側は(実際にはそれ以上と思われるが)少なくとも10人の戦闘員を失いました。また、アメリカ海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)の隊員1名も、乗っていた装甲SUVがRPGの直撃を受けた際に戦死したとのことです。戦闘の際には、10人から15人のネイビーシールズ隊員が陣地付近にいたとみられており、その映像はこちらで確認できます。ちなみに、ナヴァランを防衛していたアッシリア系民兵の死傷者数は不明です。
いつもの手法どおり、攻撃に先立って、町周辺の陣地にロケット弾と迫撃砲の集中砲火が浴びせられました。その約1時間後、「自殺大隊」によるVBIEDの第一波が襲来し、その直後に到着した「強襲大隊」の尖兵部隊のための道が切り開かれたのです。この攻勢は、少なくとも3方向、おそらく4方向から行われたようで、合計で10台以上のVBIEDが投入されています。
「襲撃大隊」は(車両が通過できるよう)塹壕を埋めるためのブルドーザーのみならず、専用の架橋用車両も投入するようになりました。ただし、この車両はどの映像にも映っていなかったことから、モスルで押収された本物の架橋戦車(AVLB)が使用されたのか、それともDIY式の独自装備が用いられたのかは判然としていません。
陣地周辺に構築された塹壕の規模を把握しやすくするために、下にナヴァラン周辺の主要な塹壕の画像を紹介します。画像の右側にいるのは、「襲撃大隊」の装甲強化型ブルドーザーです。このブルドーザーは、近くのペシュメルガの陣地からの激しい砲火を浴びながら巨大な塹壕を埋める任務に就いていましたが、当然のことながら、任務を完了する前に撃破されてしまいました。
数的に優勢な敵に直面した守備隊は、最後の一発まで陣地を死守するより撤退という選択をしました。組織的な撤退はテルスクフ外縁で部隊の再編を可能にさせ、アメリカ軍の地上と空からの支援を受けて反撃に転じることを成功させたのです。
撤退という決断は絶大な効果をもたらし、ペシュメルガ側の犠牲者を最小限に抑えることに繋がりました。もし守備隊が町に残っていたならば、数で勝る「襲撃大隊」によって間違いなく蹂躙されていたことでしょう。そして、後に続く戦闘もテルスクフの市街地で展開されたはずであり、その結果、同市はアメリカ軍の空爆によって徹底的に破壊されていたに違いありません。
その代わり、「襲撃大隊」は町の大部分を占領した後、ペシュメルガが支配する地域へとさらに進撃し、開けた場所でアメリカ軍の空爆に晒されることとなり、結果として甚大な被害を被りました。下の画像に見えるのは、「M1114」1台と複数のピックアップトラックから構成されるISIL部隊の車列の残骸です。
「襲撃大隊」のAFVは、2015年12月16日のナヴァラン攻勢で使用されたものと外観が酷似しています。ISILがリリースしたフォトレポートには、この攻勢に参加した他の部隊よりも装備が充実していた主力強襲部隊の様子が収められていました。
主力襲撃部隊のAFVの構成は、ナヴァランを攻撃した部隊とほぼ同様です。今回は装甲強化型「MT-LB」1台、装甲強化型「M1114」が少なくとも5台、「バジャー」ILAVが数台、そして武装ピックアップトラックで構成されていました。
以前の強化型「M1114」と比較してみると、いくつかの改良点が確認できます。まず、どの車両にも大口径機関銃やRPGからの攻撃に対し、車体前面をより効果的に防御できるよう、傾斜装甲が採用されました。
次に、エンジンへのアクセスを容易にするため、ボンネット上部にハッチが設けられました。そして、少なくとも2台には(乗員が使用するアサルトライフルや軽機関銃用の)ガンポートが設けられています。ちなみに、ナヴァランへの攻撃では、こうしたガンポートが備わっていないことが戦闘で「不利」を招いたことが判明しました。右前方の窓にあるガンポートが残されたおかげで、前席に追加のガンナーが配置可能となっています。
さらに、「M1114」のドアについて、少なくとも1台が自作の装甲ドアに交換されていました。
以前のバージョンと同様に、装甲強化型「M1114」の全てが車体上部に最大3名の戦闘員を乗せることができるキャビンを備えています。少なくとも1台は中国製「W85」12.7mm 重機関銃を装備していました。ナヴァラン攻撃の際にも、「襲撃大隊」の車両2台に同様の装備が確認されています。
典型的なDIYスタイルらしく、どの車両も全く同じではありません。紛らわしいことに、一部の車両は黒く塗装されています。なぜならば、この色は基本的に「防御大隊」が運用するAFVに見られる色だからです。しかし、テルスクフ攻勢に参加した黒いAFVについては、その全てが(通常ならば車両に現地の地形に溶け込むような迷彩塗装を施している)「襲撃大隊」の所属車両であったと考えられています。
下の画像(1枚目)では、テルスクフ攻勢に参加した装甲強化型「M1114」のうち2台が見えます。2枚目は、ナヴァランへの攻撃で使用された「M1114」です(比較検討用)。
別の写真でも同じ車列が写っていますが、こちら(下の1枚目)は反対側から撮影されたものです。最前列のISIL戦闘員4人の隣に見える車両は、装甲強化型「MT-LB」で、後にペシュメルガによって無傷のまま鹵獲される運命を迎えることになります。
2台の「M1114」には、いずれも車体上部のキャビン内に梯子が装備されており、乗員が高台にあるペシュメルガの陣地へ突入できるようになっています。手前の2台は「自殺大隊」のVBIEDです。これらの車両はたいてい黒く塗装されているほか、個別の番号も割り振られています。例えば、一番手前の車両は「502」です(編訳者注:左側面の文字がそれである)。
2枚目には別のVBIEDが3台写っており、手前の車両には「1004」の番号が付与されています。このうち1台は積載された爆薬が起爆せず、後に無傷で鹵獲されました。
イラク軍がモスルから撤退する際に残していった大量の装備や武器を入手できた「襲撃大隊」の隊員たちは、ISILの中でも最も装備の整った戦闘員です。
それでも、彼らが携行する比較的高度な兵器や大量の弾薬も訓練や実戦経験の不足を補うことはできませんでした。アブ・ハジャールやアブ・アブドゥッラーたちが参加したナヴァラン攻撃の際に、そのことが驚くほど露呈したのです。
こうして「襲撃大隊」は当初の目標を達成することに成功したものの、すぐにアメリカ空軍の「F-15E」や「A-10」、そして同陸軍の「AH-64 「アパッチ」の無慈悲な攻撃に直面することになったのは言うまでもありません。また、戦死したネイビーシールズの隊員を収容するため、「UH-60 "ブラックホーク"」2機も投入されました。
結局、航空攻撃に対する自衛手段を欠いていた「襲撃大隊」の部隊は開けた平原で全滅し、一部の車両の乗員が車両を放棄して戦場から逃げ出すという形でこの攻勢は頓挫したのでした。
下の画像は、「KPV」14.5mm重機関銃を装備したピックアップトラックがアメリカ軍機に向けて射撃している様子です。「KPV」を車載した場合、機銃手は一度に1発しか発射できなくなるため、この武器は地上目標以外に対しては事実上役に立ちません(編訳者注:「ZPU-2」やAFVから取り外した「KPV」が構造上単発射撃しかできないか、射撃時の反動が連射を不可能にしているのだろう。要は連射では照準射撃ができないわけだ)。
なお、このピックアップトラックは、テルスクフの主要道路を走行中に空爆を受けて壊滅した車列に含まれていました。
下の画像はペシュメルガによって鹵獲された「襲撃大隊」のピックアップトラックです。モスルを拠点とする装甲部隊の車両のほとんどに見られるこのマークには、「ウィラヤット・ニーナワー―戦士襲撃大隊―アブ・ライス・アル・アンサリ セクター」と記されています。2枚目の車両は、カラフルな塗装が施されたISILの装甲強化型「M1114」です(これもペシュメルガの鹵獲品)。
戦闘後、攻撃に参加した車両の一部を含む主要な戦利品は町で展示されました。別の装甲強化型「M1114」の隣には、装甲強化型「MT-LB」が見えます(一番右側)。
2枚目には、自家製の小銃擲弾を発射できるように改造された「タブク(ザスタヴァM70)」自動小銃が写っています。この武器はVICEが公開した動画でアブ・リドワーンが使用したものと同型ですが、照準をより正確にするためか、画像の個体にはグリップが取り付けられているようです。
次に紹介するのは、攻勢失敗後に残骸と化した「襲撃大隊」の装甲強化型「M1114」の一台です。この画像では、前面に2つのガンポートと側面に視察窓を備えた本格的な装甲キャビンがはっきりと見えます。
2枚目には、助手席に座るガンナー用のガンポートが見えます。この車両は1枚目のものと非常によく似ていますが、細部に若干の違いがあることに注意してください。
これまでの攻撃は度重なる敗北に終わっていましたが、今回の攻勢は初期段階で成功を収めた初の事例であると考えられています。ISILが保有する車両群に施したDIY式改修や、それらの車両が用いた戦術からは、過去の失敗から少なくともある程度の教訓が得られていたことが示唆されています。
とは言え、イラクの平原上空に有志連合軍の航空戦力が展開しているため、ISILはAFVを最大限に活用することができませんでした。この攻勢の初期段階は成功だったと言える一方で、アメリカ軍の空爆によって最終的に壊滅したことから、結局のところ、この攻勢は人的・物的資源の浪費に他なりません。
過去2年間の状況は、モスル北部の現状の支配地域を越えて進撃することは不可能であることを示しています。仮にペシュメルガの陣地を制圧できたとしても、イラクのこの地域においては、有志連合軍の航空戦力が常に決定的な役割を果たすことになるでしょう。
ISILは持てる戦力の全てを投入し、これまでに見られなかった戦術や、さらに高度なDIY式AFVを運用することはできるかもしれませんが、彼らに向けて発射される誘導爆弾やミサイルに対抗できないだろうことは言うまでもありません。
モスルのISIL軍事指導部が今なおこの事実を認識してこなかった結果、再び約150人もの戦闘員が死亡し、さらに相当規模の装備も失われるという大惨事に繋がりました。そして、イラク西部の情勢が当面変わる気配が全くないことから、今後もさらなる攻勢と大量の人的被害が予想されます。
2枚目と22枚目の画像:Operation Valhalla.
モスルのISIL軍事指導部が今なおこの事実を認識してこなかった結果、再び約150人もの戦闘員が死亡し、さらに相当規模の装備も失われるという大惨事に繋がりました。そして、イラク西部の情勢が当面変わる気配が全くないことから、今後もさらなる攻勢と大量の人的被害が予想されます。
2枚目と22枚目の画像:Operation Valhalla.
お知らせ:2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。
お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました。
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