2017年2月24日金曜日

シリアにおける北朝鮮の「HT-16PGJ」携帯式対空ミサイル


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo


 ほぼ10年にわたる厳しい制裁の下で国際武器市場における北朝鮮の従来型兵器の拡散はたびたび過小に報告されており、過去の多くの武器取引は完全に記録されていません。それにもかかわらず、これらの取引の跡は未だに世界の紛争地域の多くで目立っており、時折新しい映像などが国際的な武器取引への北朝鮮の関与を窺わせています。

 今日の紛争のホットスポットで既に存在している、北朝鮮によって改修された主力戦車, 様々な種類の砲, 対戦車ミサイル (ATGM) 軽機関銃 (LMG)のほか、シリア内戦で使用されている武器の画像を分析すると、バッシャール・アル=アサド大統領の政権と対立する様々な勢力の間で、北朝鮮の携帯型防空ミサイルシステム(MANPADS) の存在が明らかとなりました。

 このミサイルの目撃はアサド政権への初期供与の規模がかなり大きいと暗示させるほど十分一般的になりましたが、常にシリアでも使用されている同様のソ連製9K310(SA-16)「イグラ-1E」として識別されていたという事実は、今までこれらが北朝鮮製であると気づかれなかったことを意味しています。

 2014年8月、同年の夏にイスラーム軍から奪取したKshesh(注:ジラー空軍基地)においてイスラム国の戦闘員の手でこの一つの例が最初に特定されましたが、さらなる追跡調査で、 2013年2月のアレッポにおけるシリア軍第80旅団の基地で自由シリア軍と(もとはアルカーイダ系グループ)カテバ・アル=カウサールによって捕獲された少なくとも18発の発射機とそれに付随するシステムの一群の存在も明らかとなりました

 航空機やヘリコプターがこれらのミサイルで撃墜されたことは明確に知られていませんが、戦場における彼ら(北朝鮮製MANPADS)の継続した存在は最近(注:執筆当時)厳しく包囲されたラタキア県では未だに機能していることを示唆しています。

先端キャップが取り外された北朝鮮の「HT-16PGJ」MANPADS:ジラー空軍基地で2014年8月撮影




2013年2月にアレッポで鹵獲された「HT-16PGJ」

 これらのMANPADSは北朝鮮では一般的に「Hwaseong-Chong(火縄銃)」と呼ばれているようですが、シリアに輸出されたタイプは3番目か4番目に北朝鮮で独自に開発されたものと考えられています。
 
 ソ連の9K32(SA-7)「ストレラ-2」MANPADSからコピーされた(PGLMまたはCSA-3Aという名称を付与されたかもしれない)初期のタイプは1980年代に開発された可能性が高いですが、9K34(SA-14)「ストレラ-3」の独自の派生型と思われるものは早い時期であれば、すでに1992年の時点で目撃されています。

 北におけるMANPADSの開発は、最終的にここ近年でしか認識されていないロシアの9K38(SA-18)「イグラ」に由来と思われるシステムをもたらしました。

 シリアで現在見られるMANPADSは古い9K310「イグラ-1」(SA-16)と最も類似点が共通しているものの、特徴的な先端の三角状のエアロスパイクは9K38(SA-18)「イグラ」や9K338(SA-24)「イグラ-S」で見られるより近代的な針状のエアロスパイクに置き換えられており、性能が向上している可能性が高いと思われます。

 北朝鮮のシステムがソ連/ロシア製との識別を可能にする最も重要な相違点は、MANPADSの電源である熱電池をより前に配置している点です(注:北朝鮮製はオリジナルのSA-16と異なり、熱電池が(キャップを除く)ミサイル・チューブ先端より僅かに前へ突き出るような配置をしています)。

 また、この熱電池はシステムがまだ使用可能かどうかを判断する材料となっています。熱電池の枯渇はMANPADSが役に立たなくなったことを意味し、対空装備を入手を熱望する武装勢力が自ら代用電池を作り、使用を試みたいくつかのケースに至ることがあります。

ラタキアにおける北朝鮮の「HT-16PGJ」MANPADS(2015年11月26日撮影)、右:北朝鮮の閲兵式における同型と思われるMANPADS

 さらなる画像分析によると、シリアで発見された北朝鮮のシステムには「HT-16PGJ(ミサイル単体ではHG-16)」と表記されており、第80旅団で捕獲されたものは2004年1月1日付けの契約日が記載されたシステムの一部であり、これは熱電池の有効保存期間がまだ切れそうにもないことを意味しています。

 2003年にとある(ベラルーシといわれている)未知のサプライヤーが引き渡した約300基の「イグラ」について、西側の情報に基づくレポートは、特にシリアでは同MANPADSが未だに目撃されていないため実際には北朝鮮のシステムをめぐる取引に言及している可能性があります。

 仮にもしそうであるならば配送が2004年の初めの時点で継続していたことから、報告よりもさらに多くのMANPADSが調達された可能性が高いと思われます。実際、ミサイルの箱に対する徹底した調査は合計600基のHT-16PGJで1箱に各2発ずつミサイルが入っていたことから、少なくとも300箱がシリアに引き渡されたことを明らかにしています。

 シリア内戦ではかなりのMANPADSの派生型が見られたにもかかわらず、ソ連の伝統的な「ストレラ-2M」、「ストレラ-3」と「イグラ-1」から中国の「FN-6」に至るまでスーダンを通じてカタールによって供給されたほか、ロシアの「イグラ-S」が紛争開始の数年前に引き渡されましたが、今日、シリアの空を飛び回る多数の勢力(注:シリア空軍やロシア空軍など)に対抗する防空戦力は未だに不足したままとなっています。

 これによっていくらかの武装勢力は極端な射程の、見かけだけの間に合わせでしかない防空戦力で戦うことを強いられ、あらゆるMANPADSは貴重な資産とみなされるようになりました。

 これらのシステムの能力のために、ミサイルが国外へ密輸されて民間航空機が撃墜されることを恐れたことから、西側諸国は内戦初期に穏健なシリアの反政府勢力へMANPADSを供給することに消極的でした。通常、このような航空機はMANPADSの有効高度よりも高い高度で巡航していますが、離陸直後や着陸前に発射されたミサイルは過去に本当の脅威となったことがあります。

 ロシアの「イグラ-S」に類似するものがシリアの戦場で見つけられる最も能力の高いMANPADSシステムであるとは思われませんが、古い「ストレラ-2」や「ストレラ-3」、「イグラ-1」、そしておそらく中国の「FN-6」よりも確実に有効であり、後者(FN-6)はそれを使用した反政府勢力によって信頼できないことが明らかとなっています。

 ロシア空軍はラタキア県を含むシリア全土でアサドの対抗勢力との空爆作戦の最前線にとどまり続けるため、いかなる種類の防空システムもその出所を問わず反政府勢力に快く受け入れられることでしょう。

 将来的にこれらのシステムのより多くが出現するかどうかについては、当然ながらまだ分かりませんが、世界中の国に対する北朝鮮の武器輸出の全容の解明がやっと始まったばかりであるとはいえ、結局はいつか違法な武器取引市場に行き着く可能性がある北朝鮮におけるMANPADSを含む新しい武器の開発は未だに進行中です。

朝鮮人民軍で使用されるMANPADS:左から3人目まで使用しているものが、同側から順に「イグラ-1」、シリアでも使用されている「HT-16PGJ」、「ストレラ-3」








特別協力:'BM-21 Grad'(注:元記事への協力であり、本件編訳とは無関係です)。

 ※ この翻訳元の記事は、2016年3月に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
 ※ 最終更新日:2021年10月8日    


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2017年2月22日水曜日

備蓄品からの補充:ロシアから供与されたT-62MとBMP-1がシリアに到着した


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2017年2月18日に本国版「Oryxブログ」(英語)に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 シリア軍への新しいAFVの供与に関する多くの噂に続いて、シリアから流出したいくらかの画像はそのような引渡しが実際に行われたことを明らかにしました。これらの新しく引き渡されたAFVは、 現在、T4空軍基地~タドムル(パルミラ)間でIS(イスラミック・ステート)との厳しい戦闘に従事しているシリア陸軍第5軍団へ配備されることになっています。
事実、現在ここで行われている戦闘を報じる画像やビデオで、既にこれらの車輌がISへの反撃の役割を果たしている状況が確認されているのです。

 多くの人々は2015年後半にシリア軍部隊にこれらの車輌の小数の引き渡しに続いて、より多くのT-72やT-90でさえ供与されることを期待していましたが、現時点における第5軍団の中核はT-62MやBMP-1(P)といった戦闘で実績のあるAFVで占められているように見えます。
確かに、他のシリアの戦場で用いられているT-72やBMP-2の派生型よりは旧式であるものの、これらのAFVの供与はひどく枯渇したシリア軍の車廠への追加としては依然として歓迎されているようです。

 実際、T-62MはT-90戦車シリーズに見られる「シュトーラ」のようなアクティブ防護システムには恵まれていませんが、シリアにおいて今も疲弊した機甲部隊の大半を占め続けるT-55やT-62の初期派生型よりは大幅に改善されています。

 引き渡されたBMP-1及びBMP-1Pは僅かな攻撃力と防御力しか提供しないものの、特にこれらの車輌を運用した経験がある乗員にとっては習得と維持が容易という事実があることから、第5軍団では十分に役立つ可能性があります。 


 第5軍団はシリア・アラブ陸軍(以下、SyAAと記載)に新しく設立された部隊であり、過去数年間にSyAAの役割を大規模に引き継いだ、勢力を増す様々な民兵組織に対するカウンターウェイトとしての役割を果たすものです。シリアの体制を存続させるためには SyAAの部分的な解体とそれに続く民兵組織の増加が必要でしたが、それが将来的に手に負えない状況に陥る可能性があるという幾多の大きな問題を引き起こしました。第5軍団の設立は、これらの問題の少なくとも一部を解決することをねらいとしているようです。

 ロシアは民兵をシリアの最高司令部の指揮下で独立した部隊として存続させるのではなく、政権に圧力をかけて多くの民兵の指揮及び統制をSyAAに戻すことによって、同軍の事実上の再建を図るけん引役であるように思われます。自身の影響範囲内でシリアを維持するというイランの目標はいくつかの民兵組織の設立で成立しましたが、その多くは結局のところ外国の組織であり、ロシアはそのかわりに統一された軍の創設によって現政権の存続を可能にさせる安定した状況を作り出そうと試みています。

 このような統一された軍の欠如が、タブカへの攻勢の失敗と2度目のタドムル(注意:パルミラ)の喪失を最近の例として、過去数年に渡る政権側の敗北の大半で苦痛を伴いながら明確にされてきました。

 ロシアがシリアに介入した直後に、第5軍団の創設と同様のプロジェクトが開始され、NDF(注:アサド政権の民兵組織)の一部を含むいくつかの民兵組織が第4軍団に合併するように求められました。 かつてNDFが政権の主要な部隊としてSyAAの大部分と置き換えられたとき、NDFは近隣の警戒から、他の場所への攻勢の引き受けとシリアの至る所にある町やガス田、戦略的な軍用施設の警戒にまで任務を拡大しました。したがって、上記の構想はNDFが地方の防衛専用の戦力に残って、これらの任務がSyAAに戻されることを要求したのです。しかしながら、今までのところ、このプロセスは全く成功していないように思われます。

 ほとんど独占的に徴兵された人員から構成されるシリア軍の他の部隊とは対照的に、第5軍団は以前はスクーア・アル・サハラ(砂漠の鷹)のような民兵組織にしか見られなかった給与と手当を提供することによって、多数の男性を引き付けることを期待しています(注:第5軍団は志願制) 。さらに兵士の数の増強を図るため、以前に徴兵を免除されていたり対象とならなかったシリア人男性達は、軍役から除外される厳しい規則があるために第5軍団に入る可能性が高いでしょう。


 現在、ほぼ6年にわたる長い内戦が、かつてシリアの機甲部隊に大きな被害をもたらし、特にロケット推進擲弾(RPG)と対戦車ミサイル(ATGM)の広範囲への拡散による多大な損失に苦しんでいます。その上、戦車を脆弱な固定のトーチカとして役目を担わせるという、ほとんどの政権側の部隊によって採用された貧弱な戦術のために、その価値を効果的に退化させられてしまいました。

 利用可能なAFVの量が今日の作戦に対してはまだ十分あるように思われるが、その数は完全に新しい戦闘団(第5軍団)に装備させるにはあまりにも不足しすぎています。第5軍団の新設というロシアの役割に合わせて、この新しい軍団の装備を担当するのも同じロシアです。これによって、新しい軍団には広範囲にわたる近代的なロシア製兵器が装備されるという見方もありますが、ロシアはこれまでのところ、ロシア軍自身でもはや運用されていない旧式兵器を供与することを約束してきたのです。

 それにもかかわらず、供与された兵器と車輌はSyAAと第5軍団にとって理想的に適していました。小型の武器や大量のウラル、GAZ、カマズ、UAZのトラックとジープの引渡しに加えて、第5軍団への供与品には今までのところT-62M、BMP-1P、BMP-1、M-1938(M-30)122mm榴弾砲が含まれていました。
 
 T-62Mは既にシリアで使用されているものよりも現代的なモデルで、ロシアが提供したものは1970年代の間に近代化されたバッチであり、オンロード及びオフロードにおける機動性の向上を考慮してオリジナルのゴム縁付き転輪を交換しています。

 これらがシリアで出現する前に、既にシリアへの輸送のために港へ向かう少数のT-62Mがロシア国内で目撃されています。これらの戦車はその後、大多数の車輌や装備が既に到着しているタルトゥス港行きの 「シリア急行」に搭載されて出荷されました。そして、T-62MとBMP-1はシリア中央部のISに対する戦闘に加わっている第5軍団の一部を含む新しい部隊への配分をタルトゥスで待つ姿が目撃されました。


 T-62は1980年代初頭にはより近代的な西側の戦車に性能を大きく上回られていたことを受け、いくつかの同戦車の派生型をアップグレードすることを目的とした近代化プログラムの産物がT-62Mです。このプログラムは、 火力、防御、機動性の分野におけるT-62の欠点を対処することを目的とし、それまで期待されていた値より低かった能力を大幅に向上させました。また、この改修は同時期に実施されたT-55及びT-55AをT-55Mに近代化する改修と並行して行われました。

 装甲の強化は、 BDD「ブローヴィ」増加装甲を砲塔前面と車体上部及び底部の避弾経始上に装着すること、ゴム製のサイドスカートや砲塔への対放射線防護用の内張り、それに対戦車地雷に対する底面の装甲強化によって達成されました。結果として増加した重量については、新型のV-55Uディーゼルエンジンによって補われました。

 強力な115mm砲の全潜在能力を活用するために、KTDレーザー測距器と関連機器から構成される 「ヴォルナ」射撃管制装置が搭載されました。この戦車もまた、シリアの T-55(A)MVで使用されている9M117 (9K116-1)「バスチオン」ATGMとほとんど同一の砲発射式ATGM9M117 (9K116-2)「シェクスナ」を発射する能力を得ました。このために、砲手と戦車長の両方が新たな照準システムを得たことから、夜間戦闘時の有効性を大幅に向上しました。この全てに加えて、この戦車には新しいスタビライザー、115mm砲用のサーマルスリーブ、新型の無線機が搭載され、砲塔の右側面には発煙弾発射機が装備されました。

 その年式にもかかわらず、T-62Mは、ソ連のアフガニスタン侵攻中に同国の山岳地で大いに使用され、コーカサスにおける数十年間の対テロ作戦の後、ロシア軍からやっと退役したばかりであす。T-62Mは現在でも他のいくつかの国、特にキューバで運用され続けており、皮肉なことに「キューバ革命軍」の最も現代的な戦車としその任務を果たしています。


 T-62の1967年型及び1972年型のようないくつかの派生型は統一的にT-62Mへ改修されましたが、 1967年式がDShK12.7mm重機関銃を装備していないことにより、双方とも未だ容易に識別することができます。興味深いことに、シリアは1967年式及び1972年式をT-62Mに改修したものを受取ったようです。後者(1970年式改修型)は今までシリア中央部から出てきている映像でより大々的に取り上げられており、 死傷者は報告されていないものの、ISが放つATGMの初めての餌食となってしまいました。

 供与されたほとんどの戦車には、シリアへの出荷前にロシアで描かれた「H22-0-0」という鉄道輸送用マーカーをまだ見ることができます。これらの表示を消さないことは今回の状況には全く重要性を持たない一方で、ウクライナに配備された戦車にも同様のマーカーが残っているため、ウクライナ東部における戦争へのロシアの関与を確認するために再度用いられるでしょう。


 たとえ旧式だとしても、これらのAFVの大量供与はシリアの戦闘車両群を壊滅させた蔓延する消耗の趨勢を逆転する可能性があります。おそらく最も重要なことは、自身の経済的苦境やシリアが破綻している事実にもかかわらず、ロシアが大量の軍用装備で同盟国を支援する能力があり、それを全くいとわないままであることを示している点でしょう。

 今回の新構想(注:大量供与)は本質的に組織化された形でのSyAAの再建を意味しており、シリア内戦の将来の展開に大規模な影響を及ぼすことは確実です。

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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2017年1月17日火曜日

フォトレポート:シリア・アラブ陸軍(1)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo) 
 
 当記事は、2016年11月6日に本国版「Oryxブログ」(英語)に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
 
 今回紹介する画像については、シリア全軍が参加した2012年の大規模演習を含む、過去数年間に実施されたシリア陸軍の演習を撮影したものです。2012年の演習は治安情勢の悪化がますます深刻化している最中に実施されました。この時期は国際社会からリビアに対するような介入の呼びかけにまで至っていたわけですが、シリアはこれに反応して軍に数日間の演習を実施させ、「外の世界」に自国軍の強さを見せつけて牽制したのでした。

 下の画像は、ダマスカス郊外県での演習中に撮影された(シリアでは「T-82」としても知られている)「T-72AV」です。

 シリアでは「T-82」群が対戦車ロケット(RPG)や対戦車ミサイル(ATGM)の大規模な拡散により大きく苦戦しているものの、いまだに相当の量が運用され続けています。下の画像に見られるような、爆発反応装甲(ERA)ブロックの全てを装着した完全無傷の「T-72AV」は今ではますます珍しい光景となりました。




 下の画像は、「T-72AV」と共に運用されている「T-72 "ウラル"」が走っている様子です。同戦車は内戦の開始前にシリアが入手した最初かつ最も量が少ない「T-72」であり、画像の個体には主砲の上に訓練用のレーザー交戦装置が装備されています。

 「T-72 "ウラル"」は「TPD-2-49」ステレオ式測遠機が砲塔から突き出ているほか、サイドスカートも後の派生型がゴム製のサイドスカートであるのに対してヒレ型の装甲パネルを装備しているため、容易に識別可能です。
 


 下の画像は、2012年の演習にて標的を狙う「M-46」130mm野砲の砲列です。

 異なる形式の牽引砲が外国から届けられたり、内戦の間に保管状態から引き出されたとはいえ、「M-46」130mm野砲と「D-30」122mm榴弾砲はシリア軍の主要な牽引砲のままです。

 一部の「M-46」はその機動性と有効性の向上を目的としたプログラムの下で、メルセデス・ベンツのトラックに搭載されています。そして、中国の「BEE4」130mmロケット補助推進弾(RAP)がこのプラットフォームで使用するために特別に調達され、この野砲の運用能力を大幅に向上させたのです。

 このトラック搭載型については、多数の砲の改修が計画されていたにもかかわらず、内戦の開始が本格的な生産の開始を妨げてしまいました。それに従って、この車載型は比較的珍しい派生型のままにとどまっています。
 



下の画像は、2010年の演習における3台の「T-55(A)MV」と1台の「BMP-1」の車列です。

 シリア軍の膨大な戦車及びBMP群はかつてはイスラエルが占領していたゴラン高原上において共同で運用される予定ではあったものの、今ではその多くがシリアを平定すべく戦うさまざまな部隊や民兵に付随した運用をされています。

 第4機甲師団及び共和国防衛隊の部隊だけが組織化されたやり方と、(時には)歩兵の支援を受けながらAFVを運用し続けているのが現状です。
 


 シリア軍の「T-55(A)MV」群は伝統的にゴラン高原沿いに集中して配置されていており、現在使用されているイスラエルの戦車と比べて旧式ではありますが、戦闘効率は「T-72 "ウラル"」及び「T-72M1」を上回ると言っても過言ではありません。

 「T-55(A)MV」は「コンタークト-1」爆発反応装甲(ERA)、「KTD-2」レーザーレンジファインダー、発煙弾発射機、アップグレードされたエンジン、そして「9M117M "バスチオン"」対戦車ミサイルを発射する能力を備えています。

 (種類によっては)砲発車式対戦車ミサイルは「T-55」自体の価格より高いため、内戦での使用例はシリアのクネイトラ県での作戦中でしか見られていません。



 下の画像では、間違いなく現在の戦場で最も恐れられている対戦車兵器である「RPG-29」で兵士が照準を合わせています。

 このRPGの「PG-29V」105mmタンデム弾頭はこれまでにシリア陸軍の戦車群、特に「T-72」に対して莫大な損失をもたらしています。

 「T-55(A)MV」及び「T-72AV」の両方は、戦車自身の生存性を向上することを目的としたERAを装備していますが、このタンデム弾頭はそのような装甲に対抗するように特別に設計されているため、ERAの防御力を何ら支障なく突破してしまうのです。


 現用の「AK(M)」と他の(外国の)派生型を大量の「AK-74M」の調達で更新する計画でしたが、内戦がこの大規模な再装備プログラムを中止に至らせました。

 伝えられるところによれば、「AK-74M」はトライアルでイランの「KH-2002」を含むいくつかの他の競争相手と競合して勝利を収めたとのことです。後者はトライアルで用いられた10挺のうちの8挺が故障したという話があります。

 更新計画が頓挫した後、内戦が推移する間にシリアは(他の現代的なロシア製兵器とともに)一定数の「AK-74M」の供給を受けたようです。

 それでもなお、「AK(M)-47」や「PKM」といった武器はアサドの軍隊の中では最も一般的な小火器であり続けています。



下の画像では、「BMP-1」歩兵戦闘車が作戦区域内を隊列を組んで進んでいます。

 内戦中に大きな損失を被っている「BMP-1」は、シリアの至る所に広がる各派閥で運用されている姿を見ることができます。この車両は多くのDIY改造のベースとして活用されており、最近になって第4機甲師団で「BMP-1」をベースにした多連装ロケット発射機が運用されている姿が目撃されました。



 今日の戦場で「T-34/85」の実戦への再投入が期待されていましたが、この伝説的な戦車のシリアにおける最近の目撃はわずか5件に限られたままとなっています。そのうち2件は「T-34/85」を「D-30」122mm榴弾砲で武装した「T-34」122mm自走榴弾砲に改修されたものですが、いずれも内戦のはるか以前に退役したものでした。

 他の2両の「T-34/85」は、シリアのクネイトラ県にて(オリジナルの姿で)イスラエルに直面するトーチカとして配置・使用されている状態が見られました。様子からすると、これらの戦車はつい最近まで運用可能だったと思われます。

 下の画像は、内戦の勃発直前に演習中に見られた「T-34/85の様子です。「T-34/85」または「T-34/76」について言えば、全世界にわたりその優れた作戦能力で使用され続けてはいますが、今日までに現存しているのはイエメンと北朝鮮に留まっています。



 下の画像は、2012年の演習における「M-160」160mm迫撃砲です。

 こうした迫撃砲は内戦初期の段階で大量に使用されました。人びとの抗議と武装蜂起がまだ都市に限定されていた時点で、これらと他の重迫撃砲は反乱を起こした地域を砲撃するため、たびたび都市郊外の周囲に配備されたのです。

 近年になって、シリア陸軍は「M-160」のほかにロケット弾発射体を搭載した追加の「M-240」240mm迫撃砲が補充されたと考えられています。





 下の画像では、最近の演習で、2台の「BMP-1」が歩兵と協同した敵陣地への襲撃を想定した訓練を実施している様子が映し出されています。これは素晴らしい宣伝映像としては役立つでしょうが、このように調整された襲撃は、今日の内戦では僅かな数の親アサドの部隊だけによって(正確に)実行されているのが実情です。

 その反対陣営では、(最近になってタハリール・アル=シャームまたはレバント征服戦線と改名された)アル=ヌスラ戦線が、アレッポのアサド政権が維持する地域を襲撃する際に「T-72」と「BMP-1」での協同運用を多用しています。



 下の画像では、シリア陸軍の兵士達が演習中に「BMP-1」の兵員区画の出入口に向かって駆け込んでいます。画像の兵士たちは、現在のごちゃ混ぜした軍服や装備をした同軍兵士と比較すると相対的に良好な装備をしているように見えます。

 シリア陸軍は内戦の勃発直前にヘルメットや防弾ベストを含む中国で生産された戦闘装備を大量に入手しましたが、戦場での優位を獲得するためにますます多くの新兵が集まり始めると簡単に在庫が尽きてしまいました。



 下の画像では、「BM-21」が40連装の122mmロケット弾のうちの1発を目標に向けて発射しています。

 「BM-21」はシリア軍で最も多く運用されている多連装ロケット砲(MRL)です。以前にシリアが保管していた「T-54」及び古い「T-55」と共にレバノンへ供与されるまで、このMRLは相当数の北朝鮮製「BM-11」122mmMRLと一緒に運用されていました。

 シリア軍は保有する「ボルケーノ(DIYロケット弾)」及び220mm、300mm、302mmといった口径の多連装ロケット砲の数を増加させ、質的な火力を相当に増加させることによって「BM-21」の多数の損失をいくらかカバーしているようです。

 最近になってシリア北部で行動している反政府勢力が某湾岸諸国によって東欧から調達した「BM-21」を入手するなど、シリアにおける同MRLの拡散が敵対陣営にも普及が進んでいます。


2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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2017年1月16日月曜日

フォトレポート:シリア・アラブ防空軍


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo) 
 
 当記事は、2016年8月16日に本国版「Oryxブログ」(英語)に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。 

 シリア・アラブ防空軍はかつてはシリア軍の誇り高い独立軍種でしたが、5年にわたる長い内戦で甚大な被害に遭ってしまいました。

 シリア防空軍が保有する多くの地対空ミサイル及びレーダー基地が(シリアを支配すべく戦うさまざまな勢力のために)失われたおかげで防空軍はすでに深刻な打撃を受けていたものの、貧しい財政状況と陸軍及び国防軍(NDF:政権の民兵組織)への人員の転換は致命傷を与えたのです。

 今回紹介する画像は、シリア全軍が参加した2012年の大規模演習の際に撮影されたものです。この演習は治安情勢の悪化がますます深刻化している最中に実施されました。この時期は国際社会からリビアに対するような介入の呼びかけにまで至っていたわけですが、シリアはこれに反応して軍に数日間の演習を実施させ、「外の世界」に自国軍の強さを見せつけて牽制したのでした。

 「パーンツィリ-S1」と共に運用されている「9K317E "ブーク-M2E"」は、かつてはシリア防空軍の誇りそのものでした。下の画像に見える「9A317」輸送車兼用起立式レーダ装備発射機(TELAR)は、「9S36」目標追跡・ミサイル誘導レーダーを装備しているおけげで独立した運用が可能となっています。

 これらの防空システムのいくつかは、ダマスカス周辺及びシリアの沿岸地域に配備されています。

 2007年にデリゾールにある原子炉と疑われる建造物へのイスラエルによる爆撃後、ロシアから最新の防空装備が到着したことは大いに期待されたものの、新しく到着した「ブーク-M2E」や「パーンツィリ-S1」、そして「ペチョーラ-2M」はイスラエル機を撃墜できないとして置き換えられた旧式の防空システムと大差ないと思われているようです(注:新装備の割には戦果がゼロということ)。


 下の画像では、「9M317」ミサイルが「9A316」輸送起立発射機(TEL)から射出され、勢いよく飛行を開始された状況が映し出されています。

 「9A316」にはレーダーの代わりに4発の再装填用ミサイルが搭載されているため、独立して運用することができません。

 通常の状況下では「ブーク」大隊は6両のTELARと3両のTEL、つまり3個中隊(各中隊に2両のTELARと1両のTEL)で構成されています。各大隊には標的獲得レーダー、指揮車両及びより多くの再装填用ミサイルを運ぶトラックも含まれています。


 下の画像は、「パーンツィリ-S1」が12発も搭載する「57E6」地対空ミサイルの1発を発射した瞬間です(写真)。 

 このシステム
は「ブーク-M2E」や「ペチョーラ-2M」と同様に、主にダマスカス周辺及びシリアの沿岸地域に集中して配備されています。海岸沿いの環境により溶け込むために、多くの「パーンツィリ-S1」には沙漠の環境向けに仕上げられた迷彩パターンが導入されました。


 2012年の演習では、シリアが「9K35 "ストレラ-10"」を運用していることが初めて確認されました。

 他の多くの「ストレラ-10」運用国とは対照的に、シリアは機動地対空ミサイル(SAM)システムとして陸軍へ配備せずに空軍基地の周囲に配置しました。旧式の「9K31 "ストレラ-1"」の大部分が保管状態に置かれていますが、シリアにおける全「ストレラ-10」は未だに現役で運用中と思われています。
 


 シリアは今までにSAMシステムを全く退役させていません。「S-125」用の2連装・4連装発射機も運用し続けています。

 同システムの発射機については4装の派生型が一般的で、シリアの至る所で見つけることができます。2連装発射機は主にダマスカス周辺に集中して配置され、このうち1基のミサイル陣地が2012年にイスラーム軍によって制圧されました。 



 上述した「S-125」用発射機の運用に加えて、シリアは約10年ぶりにロシアから数個中隊分の「ペチョーラ-2M」を受領しました。

 このシステムはベラルーシの「MZKT-8022」に2連装の「S-125」発射機ランチャーを組み合わたものであり、敵の航空機や巡航ミサイルに対して大幅に生存性を向上させたものです。「ペチョーラ」-2Mを配備しているいくつかの陣地はダマスカス周辺及びシリアの沿岸地域で確認されていますが、敵に与える心理的効果(抑止)を維持するために異なる場所へ頻繁に転換しています。
 

 下の画像では、「9K33 "オーサ"」SAMシステムから2発の「9M33」ミサイルが煙を上げて発射されています(写真)。

 シリアはすでに80年代にレバノンで「9K33」を運用していたが、注目を浴びたのは2012年にイスラーム軍が東グータで数台を鹵獲した後のことでした。敵の手に落ちた「9K33」については、後にイスラーム軍の支配領域の上空を飛行するシリア空軍ヘリコプターと交戦するために使用されており、未だに運用が続いています(注:2018年4月の時点で全てを喪失したことが確認されました)。



 「2K12 "クーブ"」SAMシステムは1973年の10月戦争(ヨム・キプル戦争)の際にエジプトがイスラエル空軍に対して使用して大成功を収め、伝説の地位を得ました。

 実際、このシステムはすぐに「死の三本指」というニックネームを得て非常に恐れられたのです。ただし、シリア軍での運用では成功例は極めて限られています。それよりも、1982年のレバノンのベッカー高原における「モール・クリケット19」作戦と過去数年間のシリアへのイスラエル空軍の襲撃の際に、(防空軍と空軍と一緒に)イスラエル軍機に完全に敗北してしまったことの方が知られています。
 



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