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2024年10月20日日曜日

サバンナの「ゴア」:マリ軍の「S-125」地対空ミサイルシステム




 この記事は2022年2月19日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所がある場合があります。

 「S-125」は、1967年と1973年の中東戦争で発揮した性能によって各国から好評を得た地対空ミサイル(SAM)システムです。

 当初、「S-125(NATO呼称:SA-3 "ゴア" )」は東欧・中東・北アフリカの国々に引き渡されたものの、やがてサハラ以南におけるアフリカ諸国へも大量に行き渡るようになりました。

 その一国がマリで、同国は1980年代前半から半ばの間に「S-125」を受領しましたが、同国における「S-125」の運用史や画像については、ほかのマリ軍装備と同様に見つけることが困難です。

 入手できた資料には、1980年代にソ連が6基の4連装発射機(合計で2つのSAM陣地用)を引き渡したことが記録されていました。[1] 

 アフリカにおけるソ連の従属国に配備された大部分の高度な兵器システムと同様に、マリにおける「S-125」のデリケートなコンポーネントは1980年代後半までソ連の軍事顧問によって、そのほとんどが維持されていたようです。[2] 
 
 マリ軍の「S-125」2セットについて、当初はガオモプティにある空軍基地に配備されたと考えられています。[3] 

 この2つの基地は、共に1985年末に短期間ながらも激しい国境紛争を繰り広たブルキナファソとの国境近くに位置しています。と言っても、ブルキナファソ空軍は1980年代に「MiG-17」戦闘機を1機だけしか運用していない上、その短い航続距離はブルキナファソに存在する2つの空軍基地から出撃させてもガオやモプティに到達できない不十分なものでした。
 
 1980年代後半から1990年代前半のある時点で「S-125」陣地はバマコ・セヌー空港に移され、そこで1つの陣地用のSAM一式が保管状態に置かれましたが、その各装備は後に運用が続けられたSAMの部品取り用として使われるようになってしまいました。

 生き残った「S-125」は空港の敷地内に配備されました。なぜならば、この空港は「第101空軍基地(Base Aérienne 101:BA101)」と呼ばれる軍事的な性格を併せ持っていたからです。

 ちなみに、BA101は昔も今もマリ空軍の主要な空軍基地として知られています。

マリの「S-125」発射機から1発のミサイルが発射態勢にある状況を捉えた貴重な画像

バマコ空港にある「S-125」陣地はすでに放棄されました。画像ではミサイルがまだ発射機に搭載されています。

 1990年代初頭にマリからソ連の軍事顧問が撤収した後、マリ空軍はまもなく「S-125」と「MiG-21」戦闘機を自ら維持管理するという難題に直面することとなりました。

 唯一残った「S-125」SAM陣地の運用は1990年代後半から2000年代前半の間に終えたようで、(ほかのサハラ以南のアフリカの「S-125」運用国の大半がそうであったように)システムのオーバーホールや新しい装備の調達は試みられませんでした。

 2010年代初頭における軍事パレードで「S-125」用「PR-14」弾薬輸送車兼装填車が何度か登場したことを考慮すると、マリはパレードの観衆を喜ばせるという怪しげな任務のために、少なくとも「S-125」のコンポーネントの一部を依然として維持(またはリファビッシュ)していると見られます。

「S-125」用ミサイルキャニスター2本を搭載した「ジル-131」トラック(1991年の軍事パレードにて)

バマコでのパレードに登場した「PR-14」弾薬輸送車兼装填車(2010年1月)

「S-125」用ミサイルキャニスター吊り上げ用の「ウラル-4320」クレーン車(2011年の軍事パレードにて)

 2012年のマリ北部紛争の勃発以降、マリ共和国軍が優先とする事項は一変しました。パレードで披露するためだけに車両や装備を維持する余裕はもはや存在せず、「PR-14」は最終的に放棄されてしまったのです。

 2022年時点で、退役した発射機や関連するレーダー、弾薬輸送車兼装填車などは、首都バマコのBA101で今も錆び続けています。

退役した「Mi-24D」攻撃ヘリの直近で、いくつかの「PR-14」弾薬輸送車兼装填車が放棄されている状況

 「S-125」用「V-601」地対空ミサイルは適切なメンテナンスなしでは長期間にわたって保管が不可能であることから、2013年末にマリ国防省はBA101に保管されたままの同ミサイル84発を安全に処分するため、UNMAS(国連地雷対策サービス部)に支援を求めました。 [4] [5] 

 2014年3月28日、UNMASの要員はマリ軍と協力してミサイルをバマコの南東約80kmに位置するクリコロ郊外の解体現場へ向けた移送を開始しました。



 約2か月の間に84発の「V-601」ミサイルが(ロケットブースターの撤去を含む)解体を受け、遠隔操作によって爆破処分されました。[4] [5] 

 こうして、マリにおけるSAMの運用は確実に終わりを告げたのです。



[1] THE SOVIET RESPONSE TO INSTABILITY IN WEST AFRICA https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp86t00591r000300440002-2
[2] SUB-SAHARAN AFRICA: A GROWING SOVIET MILITARY PRESENCE https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp91t01115r000100390002-1
[3] WEST AFRICA: THE SOCIALIST HARDCORE LOOKS WESTWARD https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp86t00589r000200200005-9
[4] Stockpile Destruction of Obsolete Surface-to-Air Missiles in Mali - Issuu
[5] Work in Mali a success – The Development Initiative https://thedevelopmentinitiative.com/work-in-mali-success/

2023年9月24日日曜日

資金不足と工夫の果てに:アルメニアの「S-125(SA-3)」地対空ミサイル改修計画

トレーラーに搭載されたアルメニアの「S-125」用発射機

著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ

 2010年代、拡大するアゼルバイジャンの無人機戦力に遅れをとることなく、既存の地対空ミサイル(SAM)とレーダーシステムの老朽化に対処するため、アルメニアは防空戦力の広範囲にわたる近代化計画に着手しました。

 「トール-M2KM」「ブーク-M1-2」、ロシア製の電子妨害装置である「レペレント-1」「アフトバザ-M」といった新型装備の導入が最も注目を集めるでしょうが、旧式システムのオーバーホールやアップグレードも実施されました。その中には、「2K11/SA-4"クルーグ"」「2K12/SA-6 "クーブ"」「S-125/SA-3 "ペチョーラ "」といった1960年代に開発されたSAMシステムも含まれていたのです。

 アゼルバイジャンへの抑止力としてロシアから最大12機の「Su-30SM」戦闘機を購入することにより多くのメリットを見出した政府と慢性的な資金不足に直面した結果、旧式SAMのアップグレードについては、結局は使い古された部品の交換や一部のアナログ部品のデジタル化、そのほかの段階的な変更に限られてしまいました。[1]

 これらのアップグレードは確かに戦闘力をいくらかは向上させたものの、最終的に2020年のナゴルノ・カラバフ戦争において、「2K11」や「2K12」、そして「S-125」などの旧式化したシステムに戦闘で勝利する見込みをもたらすには完全に不十分なものでした。

 2010年代初頭の時点では、アルメニアは依然として現役の「S-125」陣地を5つも維持していました。当時、「S-125」はまだアルメニアが保有するものでは高性能なSAMの1つであり、「ブーク-M1-2」や「トール-M2KM」の導入はまだ数年先のことだったのです。

 2015年以前に、アルメニアの公共株式会社(OJSC)であるチャレンツァヴァン工作機械工場は、トレーラーに「S-125」の4連装発射機を搭載するという、控えめなアップグレード計画を立ち上げました。[2]

 この改修で搭載できるミサイルの数は4発から2発に減少したものの、発射機をトレーラーに搭載することで、SAMシステムの機動性は大幅に向上しました(注:トレーラーの車幅上、発射機の装填部分を2発分に減らさざるをえなかったものと思われます)。つまり、この改修は部隊の展開時間を大幅に短縮させ、「S-125」をSAMサイトに配備する固定式のシステムから半移動式として使用することを可能にしたわけです。

 発射機と同様に、「S-125」システムを構成する「SNR-125 "ロー・ブロー"」火器管制レーダーも牽引式トレーラーに搭載された可能性があります。

 通常、この2つのコンポーネントは改修された対空砲の車体に載せられていますが、展開するのに長い時間を要するというデメリットがありました。また、アルメニアはミサイル輸送車両の機動性の向上も求め、老朽化した「ZiL-131」トラックをより近代的なカマズ製トラックに更新しようと試みました。

 アルメニア軍が「S-125」システムをより柔軟に展開できるようにするための非常に経済的なアップグレード計画であったことにはほぼ間違いありませんでしたが、結果的により多くの発射機が改修されることはなかったようです。

エレバンでの軍事パレードに登場した、2発の「5V27D」ミサイルを搭載したカマズ製トラック(2016年9月)

 2020年には、4つの「S-125」サイトが稼働していました。れらのサイトは、アルメニアのエレバン、マルトゥニ、ヴァルデニス、そしてナゴルノ・カラバフのステパナケルトの周辺に設けられていました。

 2020年のナゴルノ・カラバフ戦争で、理論上は戦闘に参加するには十分な場所に位置していたアルメニアの「S-125」サイトが1つだけありました。そのサイトはステパナケルト空港に隣接しており、2019年末に設けられたばかりのものでした。

 「SNR-125 "ロー・ブロー"」火器管制レーダー1基とミサイル発射機2基で構成されていたこのサイトの運用については、2020年10月17日、IAI「ハロップ」が「SNR-125」に直撃してミサイルを誘導するレーダーを喪失したことでサイトが無用の長物となったため、突如として終わりを迎えました。[3] [4]

 どうやらレーダーがステパナケルト上空の徘徊兵器を追跡できなかったため、直撃を受ける前に同サイトからミサイルは発射されなかったようです。[5]

 一方で、アゼルバイジャンはこのサイトの破壊については全く優先していなかったようで、ナゴルノ・カラバフ戦争が始まってから約3週間が経過してようやく破壊を完了させました。

 ちなみに、アゼルバイジャン自身は依然として10基の「S-125」を運用していると推定されていますが、その大部分はベラルーシによって「S-125TM "ペチョーラ-2TM" 」規格にアップグレードされたと考えられています。[6]

 このうち8つのサイトはナゴルノ・カラバフの周囲に環状に設けられていますが、戦争が終わった今、その全てがカラバフかアゼルバイジャンの別の地域に移転させられる可能性が高いと思われます。

徘徊兵器「ハロップ」が直撃する寸前のステパナケルト空港付近に配備された「SNR-125」

 試作段階で暗礁に乗り上げた「S-125」を動員しようと試みた一方で、ベラルーシの「Alevkurp」社が同様のシステムの設計を成功裏に完了させています。「S-125–2BM(別名:PF50 " アレバルダ ")」と命名されたこのアップグレード型も、「S-125」の限界を大幅に改善し、低空飛行する航空機やUAVをより効果的に照準できるようにしたものです。[7]

 また、「S-125」の機動性を向上させた別の改良型としては、ベネズエラ、モンゴル、タジキスタン、トルクメニスタン、シリア、ミャンマー軍で商業的成功を収めたロシアの「ペチョーラ-2M」があります。

 これらとは別に、北朝鮮、キューバやポーランドを含むほかの国々も自国が保有する「S-125」の機動性を向上させようとしてきました。後者の2国の場合、「S-125」の発射機は「T-55」戦車の車体に搭載されました(注:北朝鮮の場合はアルメニアと同様に2連装発射機をトラックに搭載したもの。また、詳細不明ながらも戦車に発射機を搭載する試みはエチオピアでも行われています)。[8] [9]

トルクメニスタン軍の「S-125–2BM」はアルメニアの改修型とは異なって、4発のミサイルが搭載可能

 現在のアルメニアは(将来再発するかもしれない)アゼルバイジャンとの紛争で旧式化した装備が役に立ちそうもないと知りながら、それらの大半を運用し続けるか、それとも退役させるかというジレンマに直面しています。

 「S-125」のようなシステムの退役は、書面上では戦闘能力の大幅な低下をもたらしますが、結果的にアルメニアの戦時能力にはほとんど問題を及ぼすことはないと言うこともできます(旧式で役に立たなかったため、あっても無くても変わりないということ)。

 この見通しが最終的に「S-125」の発射機をトレーラーに搭載して機動性を高めるというアルメニアの計画を葬り去ったかどうかは不明ですが、(仮に実用化に成功したとしても)役に立たなかったことは間違いないでしょう。


[1] Вклад ВПК Армении в развитие ПВО и военной авиации https://vpk-armenii.livejournal.com/71391.html
[2] ОАО «Чаренцаванский станкостроительный завод» https://vpk-armenii.livejournal.com/3852.html
[3] Azerbaijan`s Defense Ministry: Armenia`s S-125 anti-aircraft missile system disabled https://azertag.az/en/xeber/Azerbaijans_Defense_Ministry_Armenias_S_125_anti_aircraft_missile_system_disabled-1617041
[4] https://twitter.com/azyakancokkacan/status/1319186262968991744
[5] The current state of the air defense system of Azerbaijan https://en.topwar.ru/137819-sovremennoe-sostoyanie-sistemy-pvo-azerbaydzhana.html
[6] https://defence-blog.com/turkmenistan-parades-s-125-2bm-air-defense-missile-system/
[7] https://i.postimg.cc/6p94x0pY/s-125-t55-image02.jpg
[8] Polish S-125 M Surface-to-Air Missile Shoots Down Drone During Exercise https://youtu.be/fQ2tyO0NtYw

※  当記事は、2021年12月19日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したも 
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります。



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2021年12月22日水曜日

悲劇の懸念:衛星画像が示唆するティグレ防衛軍によるSAMの継続的な運用



著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 2021年10月19日に撮影された衛星画像は、ティグレ州の州都メケレ市の北東に位置するS-125(NATOコード:SA-3「ゴア」)地対空ミサイル(SAM)サイトが運用状態に戻ったことを示しています。[1]

  このSAMサイトの再稼働は、エチオピア空軍(ETAF)が新たに導入した「翼竜Ⅰ」無人戦闘航空機(UCAV)メケレ上空に展開させ、Su-27に地上攻撃目標を指示したものの、投下した爆弾が目標を外れて民間人の居住地域に着弾し、多くの民間人の死傷者をもたらした結果が原因である可能性があります。[2] [3]

 ある事例では、1機のSu-27による危険な飛行(高高度からの無誘導爆弾の投下)と投下した爆弾から立ち上る煙のために、メケレ空港に着陸することになっていた国連の飛行機がその中止を余儀なくされたことがありました。[4]

 この事例は非国家主体がの保有兵器にSAMが存在することの危険性も浮き彫りにしており、論理的には、彼らは自身の支配下にある領土に爆撃を行う敵機に対してSAMの使用を試みるでしょう。もしティグレ軍がSu-27を撃墜しようとした場合、同機に向けて発射されたミサイルが誤って近くを飛行していた国連機に命中していたかもしれません。

 メケレ上空を飛行する戦闘機やドローンを撃墜できるSAMをティグレ軍が今や再び運用するようになったことは、憂慮すべき動向です。 ティグレとその周辺の空域は依然として旅客機や(国連などの)民間機によって頻繁に使用されているため、誤認やミサイルが目標を外して民間機に当たるという脅威が常に存在しています。

 国連機着陸中止の事件を受けて、ティグレ防衛軍(TDF)のスポークスマンは「我々の防空部隊は国連機が着陸する予定だったことを知っており、部隊員の自制心のおかげで国連機が十字砲火を浴びることを避けられたのです。」と述べました。[5]

紛争地域における「誤射」と聞いて、2014年7月に発生したロシア軍がウクライナ東部の上空を飛行するマレーシア航空17便「MH17」を撃墜した事件を思い出す方もいるかもしれません。「ブーク」SAMのオペレーターはボーイング777型旅客機(乗客・乗員計298人)をウクライナ空軍のAn-26輸送機と誤認して攻撃・撃墜し、搭乗していた全員が亡くなるという悲惨な結果をもたらしました。

 MH17の大惨事は激しい紛争地帯の上空を飛行し続けることの危険性を浮き彫りにしましたが、このような事件を再び発生させないようにするための具体的な対策はほとんど講じられていません。

 さらに状況を悪化させているのは、ティグレ戦争は多くの人にとってドンバス戦争よりもはるかに世に知られていないままであり、それがすぐに本格的な予防措置が講じられる可能性を低くしているという事実です。

左:未装填の発射機(2021年9月17日)、右:各4発のミサイルが装填済みの2基の発射機(同年10月19日)

 9月にティグレ軍が公開した映像は同軍がいくらかのS-125用ミサイルコンテナを回収した様子が映し出されていました(下の画像)。このことは、彼らがもともと2020年11月に鹵獲した3つのS-125のSAMサイトについて、少なくともその1つを再稼働させようと試みていたことを最初に暗示した動きでした。

 同じ頃、36D6「ティン・シールド」対空レーダーがティグレの支配下にある村を通過する様子が撮影されました。このシステムはエチオピアで最も高性能なレーダーであり、S-125サイトとリンクして敵機の探知と照準を支援することが可能です。[5]

 これまでのところ、最低でも2基の36D6がティグレ防衛軍に鹵獲されたことが確認されています。 [6]

ティグレ軍によって回収されるS-125用ミサイルコンテナ。このコンテナに保管されていたミサイルがメケレ北部にあるSAMサイトの再稼働に使用されたかもしれません。

 2020年11月にティグレ軍がこの地域の制圧を開始した際、彼らは多数のレーダー基地に加えて、3つのS-125と1つのS-75(NATOコード:SA-2「ガイドライン」)のSAMサイトを即座に掌握しました。[6] 

 その後、彼らはティグレ側に離反した(運用が可能となる)十分な人員を工面して集め、S-75とS-125の双方を元の所有者:エチオピア政府軍(ENDF)に対して即座に使用することに成功したのです。[7] [8] 

 その後の数週間で、この地域を飛行中のエチオピア空軍機に対していくらかのミサイルが発射されました。しかし、双方から撃墜に関する報告がなされていないことから、ミサイルはどうやら全く命中しなかったようです。 [9]

 興味深いことに、エチオピア空軍(ETAF)は報復としてSAMサイトの破壊を少しも試みようとはしませんでした。このことは、おそらく空軍はTDFが将来的な使用に備えてSAMサイトを稼働状態に戻すどころか戻せる可能性が低いと考えていたことを示しています。

 ティグレ軍がSAMを使用した際、エチオピア軍は依然としてその脅威を無視してこの地域の上空に輸送機を飛ばしていました。輸送機の飛行は旧式のS-75やS-125にとっても格好の標的を提示したことを意味しましたが、純然たる幸運だけによって結果的に一機も撃墜されなかったと主張することができます。

 TDFは携帯式地対空ミサイル(MANPADS)の使用によってより多くの成功を収めたと考えられており、2020年11月の武力衝突の勃発以来、5機のETAF機・ヘリコプターをMANPADSで撃墜した可能性があります。[10]

ティグレ側の手に落ちたS-125用のSNR-125「ロー・ブロー」火器管制レーダー

 反政府勢力による地対空ミサイルの使用は、いつの日かエチオピアの戦闘機や、断じてあってはならないが民間の旅客機を撃墜する結果をもたらすことになるかもしれないという脅威を象徴しています。

 2014年のウクライナ上空で発生した事件や、2020年にイランで起きたもう1つの多くの人命が失われた大惨事:イラン・イスラム革命防衛隊(IRGC)の9K331「トール-M1」が旅客機を巡航ミサイルと誤認して撃墜、乗客乗員の176人全員が犠牲となった事件などは、まるで紛争時に生じる人命軽視につきもの出来事のように見えます。

 エチオピア空軍機が出撃するのと同時に、民間旅客機の定期便が依然として紛争地域であるティグレ州の上空を飛行しているため、このような大惨事が繰り返される全ての発生要因が存在しており、無意識のうちに別の悲劇を生む機会が残り続けています(注:11月にティグレ州の上空が飛行禁止区域に設定されました)。

 その結果として起こる大惨事は、終わりの見えないまま絶え間なく犠牲者をむさぼり続けているティグレ戦争自体よりも、国際的なメディアの注目を集めることは間違いないでしょう。



特別協力: The Fijian Armadillo(敬称略)

[1] https://twitter.com/FijianArmadillo/status/1460395498934870020
[2] Deadly Ineffective: Chinese-Made Wing Loong UAVs Designate Targets For Ethiopian Su-27 Bombers https://www.oryxspioenkop.com/2021/11/deadly-ineffective-chinese-made-wing.html
[3] Su-27 Fighters Deployed As Bombers In Tigray War https://www.oryxspioenkop.com/2021/11/su-27-fighters-deployed-as-bombers-in.html[4] https://twitter.com/MapEthiopia/status/1451520179758899209
[5] UN suspends all flights to Tigray amid Ethiopian air raids https://www.aljazeera.com/news/2021/10/22/ethiopia-hits-tigray-in-fourth-day-of-air-strikes
[5] https://youtu.be/XVYKYLmqN8w
[6] The Tigray Defence Forces - Documenting Its Heavy Weaponry https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/the-tigray-defence-forces-documenting.html
[7] https://twitter.com/MapEthiopia/status/1435607803427688453
[8] https://twitter.com/TheIntelLab/status/1326531558652702720
[9] https://twitter.com/TheIntelLab/status/1328242316339974144
[10] List Of Aircraft Losses Of The Tigray War (2020-2021) https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/list-of-aircraft-losses-of-tigray-war.html

※  当記事は、2021年11月21日に本家Oryxブログ(英語版)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。



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2021年12月21日火曜日

ティグレ戦争:ティグレ防衛軍が地対空ミサイルを披露した(短編記事)



著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 今年9月上旬に公開されたミュージックビデオには、ティグレ防衛軍(TDF)がエチオピア政府軍から鹵獲したS-75(NATOコード:SA-2「ガイドライン」)及びS-125(NATOコード:SA-3「ゴア」)地対空ミサイル(SAM)の輸送作業をしているカットが収められていました。

 これらは早くも2020年11月の時点には鹵獲されていましたが、その後のティグレ軍による使用についてはほとんど知られていません。鹵獲された時点でまだ稼働状態にあり、その運用要員の多くがティグレ側に離反したことで、エチオピア空軍(ETAF)に対するSAMの使用が可能となったのかおそれがあります。

 (今回の)SAMに関する最新の映像にはミサイル用の発射システムは含まれていませんでしたが、ティグレ軍が依然としてシステムのいくつかのコンポーネントを掌握していることが確認することができました。

 ティグレ軍がこの地域の制圧を開始した際、彼らは多数のレーダーステーションに加えて、1つのS-75サイトと3つのS-125サイトを即座に掌握しました。[1]

 おそらく、ティグレ軍は各サイトから十分な人員を工面して集め、S-75とS-125の双方を元の所有者:エチオピア政府軍に対してすぐに使用としたと思われます。[2] [3]

 しかし、いずれからの発射も撃墜に成功したとはみられておらず、TDFは携帯式地対空ミサイル(MANPADS)の使用によってより多くの成功を収めたと考えられています。2020年11月の武力衝突の勃発以来、おそらく3機ものエチオピア空軍の航空機やヘリコプターがMANPADSによって撃墜された可能性が指摘されています。

 興味深いことに、エチオピア空軍は敵SAMサイトの破壊を少しも試みようとはしませんでした。このことは、おそらく空軍はTDFが将来的な使用に備えてSAMサイトを稼働状態に戻せる可能性が低いと考えていたことを示しています。

 ティグレ軍がSAMを使用した際、エチオピア軍は依然としてその脅威を無視してこの地域の上空に輸送機を飛ばしていました。輸送機の飛行は旧式のS-75やS-125にとっても格好の標的を提示したことを意味しましたが、純然たる幸運だけによって結果的に一機も撃墜されなかったと主張することができます。




 2020年11月15日に撮影された衛星画像は、(ティグレ州の州都である)メケレの北に位置するS-125サイトがティグレ軍に鹵獲された後、ほぼ即座に使用されたことを示しています。[4]

 この地域を飛行中のエチオピア空軍機に対して、少なくとも4発のミサイルが発射されましたが、双方から撃墜に関する報告がなされていないことから、どうやら全く命中しなかったようです。

 エチオピア空軍機を撃墜しようとする試みは完全に成功していないようですが、ティグレ防衛軍による地対空ミサイルの使用は、いつの日か撃墜に成功するかもしれないという深刻な脅威を表しています。

 紛争が予測不可能な形で展開し続けているため、きっとティグレではさらなるサプライズが待ち受けているに違いありません。



[1] The Tigray Defence Forces - Documenting Its Heavy Weaponry https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/the-tigray-defence-forces-documenting.html
[2] https://twitter.com/MapEthiopia/status/1435607803427688453
[3] https://twitter.com/TheIntelLab/status/1326531558652702720
[4] https://twitter.com/TheIntelLab/status/1328242316339974144

※  当記事は、2021年9月14日に本家Oryxブログ(英語版)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所 
 があります。また、今の情勢が執筆時より大きく変化しているため、現状にそぐわない可
 能性もあります




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ティグレ戦争で失われた航空機一覧 (2020-2021) ※英語(日本語版は後日公開)
ティグレ防衛軍:重装備の記録(一覧)

2021年4月16日金曜日

アル・ワティーヤ:リビアの巨大な基地からトルコの空軍基地へ



著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 アル・ワティーヤ - 国際的に承認されたリビア政府(Government of National Accord:国民合意政府)とそれを打倒しようとするハリファ・ハフタル将軍率いるリビア国民軍(LNA)との戦いのシンボルとなるまでは、あまり知られていなかった空軍基地です。

 2020年5月18日にこの基地が占領されたことで、ひどく過小報告されているリビア内戦に何とか一時的にスポットライトが当てられましたが、UAEによって提供されたロシアのパーンツィリS1防空システム2基が破壊・捕獲されたこともあり、ワティーヤの占領がもたらす影響についてはその大部分が見過ごされてきました(注:パーンツィリの話題だけが注目を集め、ほかの話題が影に隠れてしまったということ)

 国民合意政府(GNA)にとって、この占領は単なる一地方での勝利ではありませんでした。なぜならば、ワティーヤは彼らの首都であるトリポリ周辺をねらう、LNA(の実働部隊)の主要な拠点となっていたからです。ワティーヤはトリポリへの攻勢の西側面を防御・支援する役割を担っていましたが、リビアの首都を占領するというハフタル将軍の見通しはこの重要な空軍基地の喪失で崩壊してしまいました。

 ワティーヤ占領の結果としてGNA軍が完全に身動きが自由となり、それに続いてトリポリ周辺における他の戦線での圧力が高まったことで、この地域におけるLNAとワグネル(PMC)は自己の拠点を維持できなくなってしまいました。そして、これがLNAらのリビア西部からの混乱した撤退をもたらし、トリポリを占領して自称リビア大統領に就任するというハフタル将軍の長年の夢が絶たれたのです。

 この新たな現実に直面したLNAの国外支援者(エジプト、UAE、ヨルダン、フランス、ロシア)はGNAによるLNA支配地域へのさらなる前進を阻止するために奔走し、これまで以上に多くの傭兵を展開させ、さらにはロシアのSu-24やMiG-29戦闘機を付随させたワグネルの派遣部隊さえも増強しました。

 ハフタル将軍をリビアの唯一の統治者として就任させることを追い求めて、その実現に躍起になっているUAEはリビアにおける戦略的目標を達成するためにどんなことでもしてきました。しかし、イエメンにおけるUAEのまとまりのない戦略を反映するように対リビア政策でもほとんど成果を上げていません。

 リビア内戦での勝利のために6年以上にわたって数十億ドルを投資してきたため、UAEはこの紛争に賭けたものが大きすぎるために(今になって)手を引くことはできないと考えているのかもしれませんが、それどころか実現しそうにない勝利を得るために倍賭けさえもする可能性を否定することができません。
 

 トルコにとってリビアでの無人機の非常に効果的な使用は、全く新しい外交政策である「バイラクタル外交」を形づくるために、彼らの増大する外交発言力を押し上げています。
低い経済的・人道的なコストで政治的・軍事的な影響の最大化を追求した、規模が小さい介入を基本とするバイラクタル外交は、現代の紛争の特徴に比類なく適した新しいタイプの戦いを本質的に構成します。
 
 それを担う無人機(TB2)は比較的安価なものですが、バイラクタル外交は実際には国家の運命を決めたと言えるほど効果的でした:バイラクタルTB2がなければ GNAはリビアで全滅していた可能性が十分にあり得たからです(この文章が意味すること:仮にバイラクタル外交がリビアやナゴルノ・カラバフのように国家の運命を左右したとしても、この外交で使われるTB2は安価で発展性がある無人機であり、決して驚異的な武器ではありません)。」

 現場では、トルコはトリポリのGNA部隊を再編して同市の郊外を効果的に防衛できるようにし、最終的にはLNAに戦いを仕掛けることを可能にしました。UAEができなかったことですが、トルコは単に武器や装備を提供するだけでなく現地部隊の訓練も開始しました。この方法はかなりの効果をもたらし、今では対戦車ミサイル(ATGM)や対物ライフルで武装し、支援射撃や無人機の支援を受けたGNA軍は、今や通り道を敢然とLNAのキルゾーンに変えることができるようになりました。

 長期的に見れば、ワティーヤ基地の占領はトルコに国際的に承認された政府への支援を即座に強化する絶好の機会を与えたことになります。この意味では、ワティーヤはGNAの存続を保証する役割を果たしています。この基地はGNAを迅速に増強したり、戦闘が再燃した際にトルコ軍の派遣部隊を展開するために使用することが可能だからです。

 実際、すでにワティーヤ基地でF-16配備の準備をしているという事実はトルコのGNAへの深い関与がすぐに弱まることはないことを示しています(2023年現在でその兆候はありませんが、どこかの空軍基地で現リビア政府軍のバイラクタル・アクンジュがすでに配備されているようです)。


 最近の一連の展開を紹介する前に、この空軍基地の歴史を熟考することは私たちに富んだ洞察力を与えてくれます。

 ワティーヤ基地はもとは1970年代にフランスの業者によって建設された基地であり、(1990年代にスペアパーツの不足から徐々に撤退するまでは)リビア空軍のミラージュの大部分がここで格納されていました。

 その後、ワティーヤ基地のレイアウトはリビア各地にいくつかの同様の空軍基地を建設する際に利用されました。その中でも注目すべきなのはトブルク近郊のブンバ空軍基地であり、その規模に勝るのは頑丈な80もの強化シェルター(HAS)を持ち、今でもアフリカ最大の空軍基地であるシルテ近郊の巨大なガルダビーヤ空軍基地だけです。

 ただし、HASの数はそれを入れる航空機がなければ全く意味がありません。冷戦時代にはワティーヤの大きさを正当化するものが十分にありましたが、政治的な孤立と怠慢がリビア空軍に非情な損害を与えました。2003年に武器の禁輸が解除されたにもかかわらず、カダフィ大佐は自身の空軍の再建しようと少しも尽力しませんでした。結果として、2011年のワティーヤには僅か6機程度の作戦機(3機のミラージュF1と少なくとも3機のSu-22)だけが存在する有様となってしまいました。

 1980年代から1990年代にかけてリビアが運用していた数百機の軍用機とは大違いですが、それでもワティーヤに配備されていた6機の作戦機は、皮肉なことに当時のリビア空軍の戦力の約3分の1を占めていたのです。


 2011年の革命の主要な出来事から比較的遠く離れた場所にあったにもかかわらず、ワティーヤ基地のミラージュはすぐに政権に抗議している群衆に対して行動を起こすように命じられました。しかし、2011年2月21日にこの任務を負ってワティーヤを離陸した2機のミラージュF1は、路上の民間人に兵装を投下することなく、すぐにマルタへ亡命しました。
亡命事件以降は空軍の忠誠心が疑われるようになったため、ワティーヤ基地は数週間後のNATOの介入までは本格的な役割を果たすことはありませんでした。

 NATOの標的リストの上位に位置していたため、ワティーヤ基地に残存していた作戦機は精密誘導弾によって迅速に無力化されました。同基地では、中に機体が入ったままのHAS4基と外に駐機していた1機のSu-22と2機のヘリコプターが標的となりました。また、いくつかの弾薬庫も命中弾を受けて深刻な爆発を引き起こし、直径40メートルもの大きさのクレーターを残しました。

 ワティーヤ基地を防御する任務を負っていたのはS-75(SA-2)サイト2基とS-125(SA-3)サイト3基から構成された5基のSAM(地対空ミサイル)陣地です。2011年の時点ではまだ3基が稼働していましたが、そのレーダーシステムがNATOによる精密爆撃を受けた後は、すぐに役に立たなくなってしまいました。

 その後の2011年6月には反政府軍によってSAM陣地の発射機が撤去されたため、ワティーヤ基地は空からの襲撃に対して無防備になってしまいました。
 

 2012年2月にはマルタへ逃れた2機のミラージュがようやくリビアに戻ってきましたが、ワティーヤ基地に割り当てられた航空機が存在しないまま、彼らはトリポリにあるミティガ空港(空軍基地)で運用が開始されました。

 しかし、ワティーヤ基地は芽生えたばかりの民主主義にとって、いくらかの重要性を持ち続けていました。それは、この基地が戦略的に重要な位置を占めているということだけではなく、基地内にある45基の頑丈な強化シェルターに保管されている多くのミラージュF1があったからです。これらの機体は依然として外国の援助を受けてオーバーホールされる可能性があるため、リビアが少ない費用でゆっくりと空軍を再建する余地が残されていました。


 もともとワティーヤ基地は「(2016年1月にGNAに政権を譲った)リビアの夜明け(以降、ドーンと記載)」の支配下にありましたが、2014年にリビアが2つに事実上分割された後の同年8月9日にリビア国民軍(LNA)によって即座に占領されました。

 すぐに、LNAはワティーヤ基地に残されていたいくつかの航空機を運用可能な状態に戻す修復作業に着手しましたが、そもそもこの基地に保管されている航空機のすべてがスペアパーツが不足していたために放棄されたものであったため、この作業は決して軽視できるものではありませんでした(注:簡単ではないということ)。

 LNAが(ドーンの中心地である)トリポリのすぐ近くで何機もの航空機を運用可能な状態に戻そうと試みていることは、このプロセスを妨げるためにあらゆる努力をしたドーンにとって目の上のこぶであったに違いありません。

 残念なことに、ドーンは航空機のシェルターを正確かつ効果的に狙い、その中で行われている作業を粉砕できるような武器を保有していませんでした。LNAに妨害されないように、ドーンはワティーヤ基地の情報を収集や(可能であれば)航空機の修復作業をしている場所を確認するため、基地の近くで偵察飛行を開始しました。2015年1月に1機のシーベル製カムコプターS-100 UAVが基地の近くに墜落しましたが、これらの飛行がドーンに何らかの有益な情報を提供したかどうかは不明です。[1]

 (おそらく先にような手段で得た情報に促されて)LNAによる航空機をオーバーホールして使用可能にするのを阻止するためのより実践的なやり方として、2015年初頭にドーンは即席の爆撃機に改造したMiG-25PU復座練習機を使用しました。

 オーバーホールされたばかりの機体にはパイロンが左右の主要にたった1個ずつしかありませんでした。そこにはFAB-500Tを1発ずつ、つまり計2発の500kg汎用爆弾を搭載していたことにより、機体の運用能力が制限されていました。しかし、爆撃の過程で直面したであろうより重要な問題は、この役割(注:対地攻撃機)のために設計されていない機体と爆弾の酷い命中精度から発生しました。そのため、MiG-25PUから投下された最大2発の爆弾のいずれかが(空軍基地は言うまでもなく)本来の標的としていた堅固な強化シェルターにも命中していたとするならば、それ自体がすでに奇跡でした。

 ところが、それ自体は実際に問題とはなりませんでした。というのも、MiG-25PUはすでに2015年5月の初作戦飛行でジンタン(空軍基地の近くに位置する都市)付近に墜落してしまったからです。

 それから約4年後の2019年4月には、GNAが唯一保有していたミラージュF1EDがワティーヤ近郊で同様の状況下で墜落しました。このパイロットはこの不幸な機体からなんとかして脱出し、(彼を狙った)LNA部隊による捜索を奇跡的にかわすことができました。彼は自分を匿ってくれる羊飼いと隠れ家を見つけ、救出のために派遣されたGNA部隊によって回収される前に、そこで数日間は潜伏していました。[2]


 LNAによるワティーヤの支配に挑戦するべく、短期間で頻繁ながらも非常に効果の薄い試みがなされた後、ドーン(とその後身のGNA)は周辺での散発的な衝突を除いて、LNAによる空軍基地の所有をめぐる争いをほぼ断念しました。

 それから約4年間、LNAはワティーヤで邪魔されずに活動することができました。そして、彼らはこの時間を有効に活用して、その間に3機のSu-22と2機のミラージュF1(1機はF1ED迎撃機型、もう1機はF1AD戦闘爆撃機型)を現役に復帰させました。この間、同基地ではこの地域でのLNAの攻勢を支援するためにMiGやヘリコプターが頻繁に配備され、同様の理由で貨物機も定期的に援軍や物資を輸送していました。


 しかし、2019年夏にトルコが国際的に承認された政府を支持して介入したときに、この状況のすべてが変化しました。

 GNAに小規模なバイラクタルTB2飛行隊を供給したことで、GNA軍は今やMAM-L(サーモバリック弾頭搭載型)やMAM-C(炸薬弾頭搭載型)誘導爆弾を使用して、ワティーヤ基地のあらゆる構造物をピンポイント攻撃できるようになりました。

 基地周辺に基本的な防空戦力さえ配備しなかったため、LNAとUAEがこの進展を予想していなかったというのはあまりにも控えめ言い方です(注:防空面でひどく怠慢していたといくこと)。

 ますます多くのUAEのパーンツィリ-S1がリビアに到着し始めた時でさえも、その大部分がトリポリの南東に配置されたため、結局のところは上空を飛ぶ無人機の脅威に対処することができませんでした。やっと配備されたこのハンターはすぐに狩られる側となり、最低でも6台がバイラクタルTB2によって破壊されました。

 これと言った防空システムの脅威がないため、TB2はワティーヤ上空でも何ら損害を受けることなく飛行することができました。2019年6月19日、誘導路に駐機中の(1機の)Su-22が狙われたときにLNAはこの新しい現実に気づきました。[3]

 以前にはドーンがワティーヤ基地における動きを少しでも妨害することに苦労していましたが、GNAは今や地上で動くあらゆるものを完全に気づかれずに発見して標的にすることができるようになりました。

 その結果、ワティーヤでの作戦の継続は事実上不可能となり、基地の動きは急停止してしまいました。1基のHASの近くであらゆる活動の兆候があれば、上空を飛んでいるTB2に警戒されてHASとその中でオーバーホール中の機体が狙われる可能性があったため、依然として空軍基地で立ち往生していたオーバーホール作業に終止符が打たれたようです。事実上、ワティーヤは2019年の夏からバイラクタルTB2によってロックダウンされていたのです。


 このような絶えず続く空からの脅威に直面しながらも、LNAもUAEもワグネル(ロシアのPMC)も防空システムで現地の守備隊の増強を試みようとはしませんでした。結局、この状況はLNAがやっと2台のパーンツィリ-S1をワティーヤに配備した2020年5月16日まで続きました。配備自体は賢明な判断でしたが、それはこの基地の攻略を試みるGNAの攻勢の真っただ中で行われたようです。
 
 この攻勢はバイラクタルTB2によって支援されており、同機はすぐにワティーヤ基地に入ってきた(レーダーの電源をオンにしている)パーンツィリを発見したに違いありません。

 もちろん、ワティーヤ基地への移動中に車列を護衛していた兵士がパーンツィリ-S1を撮影していたことも、作戦上の安全性に有益だったはずがなかったことが容易に想像できます。LNAが上空を飛ぶ無人機に気づかないままパーンツィリ-S1を2つのHASへ動かす様子を、TB2のオペレーターも仰天して見ていたに違いありません。

 この2基の防空システムのうちの1基はHASに入った直後に空爆の標的にされましたが、誘導爆弾はそれが入ったHAS自体ではなく、ドアが開いたその出入り口を狙ったようです。おそらく、これはTB2のオペレーターが誘導爆弾で(コンクリートで補強された)HASを貫通できるか確信が持てなかったためでしょう。

 直撃弾からの回避はこのパーンツィリ-S1の唯一の救いとなりましたが、後にGNAがこの高度な装備をほぼ無傷で捕獲する結果に終わったたので、LNAはこの生存の成果を得ることはできませんでした(注:この攻撃からの教訓や残存した装備を有効に使用できなかったということ)。

 別の同システムはMAM-Lが強化シェルターのドアに命中した翌日に無力化されました。この攻撃で、パーンツィリ-S1はどうやらシェルター内に閉じ込められたようです。その後、シェルターは再び命中弾を受け、壊滅的な大爆発によってその強化構造物の半分が吹き飛ばされました。

 その翌日の5月18日にワティーヤ基地はGNA側に陥落しました。GNAの戦闘員たちはすぐに空爆の標的となったシェルターに向かい、中に駐車されていた大部分が無傷である1台のパーンツィリ-S1を見つけました。

 この貴重なパーンツィリ-S1を敵による攻勢の最中に展開することはリスクを伴う動きでしたが、もしかするとLNAはドローン戦によって引き起こされた猛攻撃で自暴自棄になっていたのかもしれません。それが計算されていたものかどうかに関係なく、このリスクを取ったことが最後に報われなかったのは確実と言えます。

 いくらかのバイラクタルTB2が追尾している中、LNA部隊がワティーヤ基地から撤退する際に、一緒に損傷したパーンツィリ-S1を回収する意欲が湧かなかったことには完全に理解できます。

 それにもかかわらず、彼らが敵の手に落ちることを防ぐためにシステムを破壊しなかったことには弁解の余地がありません。この痛ましい損失は、自分たちが運用しているシステムの重要性や、無意識のうちに加わっている政治ゲームの裏側についてほとんど知らない部隊にこのような高度な兵器を渡すことの内在的なリスクを浮き彫りにしています。
 

 これを知って驚くかもしれませんが、UAE軍は厳しいオペレーション・セキュリティ(OPSEC)のルールをうまく厳守していたため、同国のパーンツィリ-S1のリビア駐留が以前はきちんと秘匿されていた機密でした。

 しかし、これはUAEがLNAの兵士にこのシステムの訓練を開始した時点で変化しました。なぜならば、彼らがパーンツィリ-S1で訓練中の自分自身を撮影してしまったからです。このインシデントはおそらくこの先に起こることを暗示したものであり、これらのシステムの乗員が残したさらなるデジタル的な痕跡は、(一度のみならず複数回も)GNAがパーンツィリ-S1の位置を突き止めて攻撃した結果をもたらしたのかもしれません。

 これに加えて、そもそもパーンツィリ-S1がLNAに引き継がれたという事実は、バイラクタルTB2がこの戦域に登場したことによって生じた直接的な結果だと考えられています。UAEは自国の兵士の命を危険にさらしたくなかったし、今ではパーンツィリ-S1の欠陥に十二分に気づいていたので、自らの代わりとしてLNAにこのシステムに関する運用の責任を押しつけたというわけです。

 下の画像では、LNAの兵士が真新しいパーンツィリ-S1の前で誇らしげにポースをとっています。
 

 ワティーヤ基地を占領した後、無傷のパーンツィリ-S1(運用マニュアル付き)はすぐに持ち去られてトリポリの街をパレードしました。(基地の占領が)リビア内戦の転換点を象徴するようになったこともあり、その首都への到着は盛大に祝福されました。

 当初、この捕獲されたパーンツィリ-S1は程なくして内部構造を分析するためにトルコへ移送されたと信じられていました(この分析から得られたデータは将来の紛争でこのシステムに対抗するために活用されるはずです)。しかし、2021年2月には、このシステムの所有権を巡るアメリカとの一週間にわたる国際的な争いの後で、パーンツィリがトルコに引き渡されたというニュース出てきました。[4]

 ほとんどの人に知られていないことですが、前述のとおりGNAは実際に戦場に遺棄された数台のパーンツィリ-S1を回収しました。それらのいくつかはMAM-L誘導爆弾が命中して大きな被害を受けましたが、管制キャビンやレーダーの損傷が比較的軽微なもので済んだものもありました。

 いずれにせよ、現時点でパーンツィリ-S1は欧米の情報機関や軍にその情報が完全に漏洩しています。皮肉なことに、これはUAEが奮闘したおかげでもたらされました。UAEがシステムを気前よく配備や供与したりすることで、かつては恐れられていたこの装備を(運用マニュアルとともに)入手する機会をアメリカやNATOに与えてしまったからです。


 ほかの装備に関する損失はよりうまく軽減され、すべての作戦機はワティーヤ基地が陥落するかなり前の時点ですでに飛び立っていました。しかし、この基地には技術的な不具合のために退避できずに立ち往生していた数機の航空機が残されており、その中には、地上の物体と衝突したと思われるSu-22も含まれていました。

 下の画像のSu-22UM3K「16」は2016年2月に飛行可能な状態に戻され、稼働状態から退くことになった事故の前に約2年間は飛行していたようです。事故のために新しい機首が必要になりそうなこともあり、この機体の損傷レベルはLNAにとてつもなく高い費用がかかる修理をするためにあらゆる努力を払わせた可能性があります。

 (ワティーヤ陥落でもたらされた直接的な結果によって)スペアパーツが不足していることから、現在ではベンガジのベニーナ空軍基地で保管されている2機の単座型Su-22の運命はこの復座型より決して良いものにはならないでしょう。


 古いSu-22の派生型も残存していた41基のHASの一部で保管されている姿が発見されました。1990年代に退役して以来、そのまま放置されていたと思われる機体が厚い埃の層で覆われている状況に注目してください。驚くことではありませんが、LNAはこれらの機体を修復しようとはしませんでした。機体の老朽化と部品不足のため、そもそも修復すること自体が不可能に近かったのでしょう。


 ワティーヤ基地で遭遇したSu-22以外の航空機の中で、かなりの数が確認された機種はミラージュF1だけでした。

 もともと、リビアは70年代後半にミラージュF1AD戦闘爆撃機を16機、ミラージュF1ED迎撃機16機、ミラージュF1BD練習機6機から成る計38機のミラージュF1を導入しました。[5]
これらの機体はワティーヤ基地に拠点を置く第1011及び1012飛行隊で運用され、チャドやシドラ湾上空で集中的に使用されました。後者では、カダフィ大佐が1973年にリビアの領海と主張したシドラ湾上空で、ミラージュはリビアの領有権主張に異議を唱えようとした米海軍のF-14トムキャットにドッグファイトで対抗しました。

 運用可能な機体は90年代後半から21世紀初頭にかけて次々と減少し、(ミラージュF1ADを装備している)第1011飛行隊は最終的には解隊を余儀なくされ、装備していた機体はすでに保管されているミラージュの群れに加えられました。

 2003年に武器禁輸措置が解除された後、リビアはミラージュ飛行隊の一部を運用可能な状態にすることに関心を持ち、実際にオーバーホールの計画が立てられましたが、結果としてその実現には至りませんでした。カダフィが自らの軍隊へ適切な資金を出すことを渋った結果として、2011年の革命勃発時にリビア空軍に残されていたのは、たった2機のミラージュF1ED迎撃機と1機のミラージュF1BD練習機だけでした。

 2機のミラージュF1EDはベンガジの群衆を攻撃するために即座に送り出されました。この記事の前半で言及したとおり、これらのパイロットは大虐殺を引き起こすことに興味が無かったため、マルタ島へ進路を向け、そこで政治亡命を申し出ました。その後、この2機のミラージュは2012年2月にリビアに戻りました。そして、再びミラージュF1飛行隊の復活が計画され、保管されていた機体の多くがミティガ空軍基地でオーバーホールされることになりました。

 実際にいくつかの機体がそこへ移されましたが、リビアの混乱状態がこの計画に終止符を打ったようです。


 リビアが2つの地域に分割された後、ドーンは残存している運用可能な2機のミラージュF1ED、トリポリのミティガ空軍基地にあるオーバーホール施設、ワティーヤ基地にある最大21機の運用不能なミラージュF1を受け継ぎました。

 しかし、ワティーヤ基地がLNAの手に落ちた後、ドーンはオーバーホール施設を持っていたものの、共食い整備をさせる機体を入手することができませんでした。その一方で、LNAは約2ダースのミラージュF1を保有していましたが、オーバーホール施設を利用することができませんでした(注:つまり、お互いに必要なものが欠けていたということ)。

 この状況にもかかわらず、ドーンとLNAは互いにこの状況を最大限に活用しようと試み、まもなくしてここ10年間で最も多くのミラージュが空を飛ぶようになりました。

 慢性的なパイロット不足に直面していたたGNAは、ミラージュF1を飛ばすために4人の外国パイロット(傭兵)を雇い入れました。皮肉なことに、実際にジェット戦闘機を操縦した経験があるのは1人だけで、ほかの3人(民間航空機のパイロット、農薬散布機のパイロット、元アメリカ空軍の整備士)は単に危険な冒険をする機会を得ただけでした。

 当然のことながら、彼らのうち2人はすぐに機体を墜落させ、農薬散布機のパイロットは死亡し、元アメリカ空軍の整備士は敵に捕らえられてしまいました。GNAが完全に不適格な3人の志望者を採用した背景にある理由を知りたい方へ:採用のプロセスは取引で得られるお金以外のことをまったく気にしていない仲介業者を通じて管理されました。

 一方、ワティーヤではLNAがミラージュF1EDとミラージュF1ADの1機ずつを何とかして運用可能な状態に戻すことに成功し、実際にそれを飛ばすリビア人パイロットも見つけました。しかしながら、これらの機体は新しい所有者の下ではほとんど使われず、ワティーヤの支配権を失った直接の結果としてスペアパーツが入手不可能になってしまいました。その結果として、2機のミラージュはSu-22とともにベニナ(ベンガジ)で保管されるようになりました。

 ワティーヤ基地の占領で、GNAはLNAの空軍の作戦能力をほぼ半減させました。占領する過程で、彼らはLNAによって(まだ救えると思しき別の機体へ活用するために)レーダー、アビオニクスやエンジンを剥ぎ取られた数機のミラージュF1に遭遇しました。


 ワティーヤ基地では、少なくとも2機のMiG-23(正確に表現すると2機のMiG-23の一部分)を含む他の数種類の航空機も発見されています。下の画像の奥にある、一見して放棄されたと思しきMiG-23の正体は不明ですが、手前にある尾部はLNAで運用された中で最も活躍したMiG-23のものです:MiG-23UB「8008」。この機体はLNAが戦っていたほぼ全ての前線で使用されており、ベンガジを拠点に運用されていましたが、後にLNAがリビア中央部で一連の攻勢を開始した際にはタマンヒント(セブハ空港)やブラークからでも飛ばされていました。

 また、「8008」はGNA支配地域の上空を飛行するリビア航空のCRJ900を迎撃しました。同機は実際に航空機を撃墜する武装を装備していないにもかかわらず、CRJ900をLNAが掌握している空軍基地に着陸させました。

 同機が最後に目撃されたのは2019年4月にワティーヤからの出撃時であり、その後に新しい尾部が装着されました。交換された古い尾部はこのHASに廃棄され、その状態のままでGNA部隊に発見されました。

 スペアパーツの不足だけではなく、MiG-23の内部機構の複雑さと機体の老朽化のため、LNAはこれらの航空機を(安全に)飛行させることについて非常に大きな困難に直面しています。当初は他の機体を分解してスペアパーツの安定供給を確保していましたが、LNAはすぐに、まだ共食い整備が可能なはずの機体を使い果たしてしまいました。

 これに対して、ロシアは少なくとも1機のMiG-23をスペアパーツの供給源として引き渡しましたが、一時的に状況を緩和することしかできませんでした。その後、LNAは異なる機体の中から取り外した最も状態の良いパーツを組み合わせ始め、結果的には1機のMiG-23が実際には3機の異なる機体の部品で構成されているという状況になりました。

 リビアで使用されているMiG-23が非常に高い損耗率に悩まされており、これまでに無数のパイロットに死がもたらされたことは特に驚くべきことではないのかもしれません。


 ほぼ間違いなくスホーイ、ミラージュやミグよりも人目を引かないのは、GNA部隊がHASの一つで遭遇したSF.260軽攻撃機(練習機)でしょう(注:下の画像)。

 分厚い埃に覆われており、胴体にはカダフィ時代の国籍マークが残っていることから、この機体は2011年以前にここに放置されていたものと思われます。その後方には破壊されたMi-24Pがあり、その尾部が部分的に崩壊させられている姿が明確に映し出されています。


 つい最近まで使用されていたと思われるMi-24V「852」は、2011年の革命以前からリビアで運用されていた機体です。LNAの戦闘能力を強化するための努力の一環として、UAEは2015年に(LNAのために)ベラルーシから数機のMi-35Pを入手しました。[6]

 少なくとも1機のMi-24Vも同様の方法でLNAに供給されたようですが、その供給源は不明です(おそらくベラルーシでしょう)。

 「852」は捕獲時には修理中でしたが、パンクしたタイヤやコックピットの窓に埃が積もっている姿は、ワティーヤ基地が陥落する以前にその作業が中断されていた可能性を示しています。この機体については、その尾部に空いた弾痕(穴)にも注目するべきでしょう。


 この心細いMi-24Vたちは、かつてワティーヤ基地で行われていたヘリコプターの運用を悲しげに思い出させてくれます:この基地は、かつてはリビアのMi-25攻撃ヘリコプター(注:Mi-24Dの輸出型)飛行隊の主要拠点でした。

 1980年代後半には、ソ連から入手したより最新のMi-35(Mi-24Vの輸出型)が後継機となったために、これらの大部分は退役してワティーヤ基地で保管されていたのです。

 退役するまでの間、Mi-25は(リビアが航空機とヘリコプターをほぼ継続的に派遣していた)隣国チャドにおける軍事作戦で徹底的に使用されました。チャド人がリビア人に(最終的にリビア軍を国外への追放に至らせることに至らせた)一連の軍事的な敗北を負わせた際、彼らは膨大な量の装備品のみならず航空機やヘリコプターでさえも捕獲しました。この中には少なくとも2機のMi-25(1機は無傷でもう1機は損傷状態)が含まれており、1988年にそれぞれがアメリカとフランスへ運び去られてしまいました。[7]


 ほぼ間違いなく、最も興味深くも全く役に立たない戦利品はMi-24A攻撃ヘリコプターであり、基地内に多く存在する保管庫の一つから少なくとも6機(とMi-24U練習型が1機)、HASからも1機が発見されました(注:つまり、最低でも8機のMi-24初期型が捕獲されました)。

 Mi-25と同様に、旧式のMi-24A/Uも1970年代後半にリビアで就役してMi-25とともに運用されましたが、そのうちに高等練習機へと格下げされ、最終的には運用から外されてワティーヤ基地で保管されました。

 Mi-24AはMi-24Dとそれ以降の派生型の導入によってほとんど忘れ去られてしまいましたが、どうやらリビアはこの初期型にとても満足していたようです。その度合いは砂やほこり、異物による損傷(FOD)からエンジンを保護する箱型のフィルターをA型に追加していたことから知ることができます。2枚目の画像では、保管庫内の至る所にミラージュF1用の増槽が大量に横たわっていることにも注意してください。


 また、ワティーヤでは、LNAが実際にこの基地で運用されていた(1機の単座型Su-22と1機のMi-24Pを含む)数少ない機体の残骸も発見されました。

 このMi-24Pの喪失に関する詳細な情報はありませんが、Su-22は2019年6月19日にバイラクタルTB2無人機によって破壊されたことが判明しています。(攻撃で)Su-22が特別に狙われたのか、それとも偶然に狙われたのかは不明ですが、この喪失はLNAにワティーヤ基地からの航空作戦の実行がほぼ不可能になったことを痛感させました。


 ほかのいくつかの残骸は、2011年のリビア内戦でNATOが主導した空爆で生じてそのまま残ったものと思われます。それらの残骸には、(精密誘導爆弾によって破壊される前に)国連安保理が承認したリビアの飛行禁止区域に挑戦した可能性がある数機のSu-22も含まれています。


 さらにひどく損傷した2機のSu-22が明らかに焼け焦げたHASの中で発見されました。状況からすると、これはおそらく2020年3月にバイラクタルB2から投下されたMAM-L誘導爆弾が命中した結果によるものと思われます。[8]

 (カダフィ時代の国籍マーク:ジャマーヒリーヤ・グリーンが残っているため)この両機は破壊された時点では稼働状態にはなかったようですが、GNAは両機がLNAによってオーバーホールされるか、スペアパーツのために共食い整備に使用されることを示す情報に基づいて行動していた可能性があります。いずれにせよ、この空爆は明らかにそれを阻止することに成功したようです。


 筆者の予想どおりですが、かつて航空機やヘリコプターを運用するために使用された資機材も多く捕獲されました。(捕獲されたものは)使い込みによる傷みが深刻である状態を示していますが、 GNAが将来的に航空戦力の一部をワティーヤに展開するのであれば、これらのいくつかはこの基地からの航空作戦を再開するために有効活用されることは確実でしょう。


 Su-22やMiG-23、ミラージュF1に搭載されることはなかったソ連やフランス起源の数種類に及ぶ無誘導ロケット弾や汎用爆弾、クラスター爆弾を含む膨大な数の航空兵装備もワティーヤ基地の周辺に散乱している光景が見られました。
 
 GNAの空軍はこれらの爆弾を搭載できる航空機を数機しか運用していないため、大部分は錆びついたまま放置され続けるか、安全上の理由から基地の片隅で爆破処分される可能性が推測されます。
 



 膨大な数の(遺棄された)航空機やヘリコプターに加えて、 陥落したワティーヤ基地は、「RM-70」122mm多連装ロケット砲(MRL)を少なくとも3門、 「63式」107mmMRLを1門、T-55戦車を1台、UAEが供与した(損傷した)テリア LT-79歩兵機動車(IMV)を1台とストレイト・グループ製スパルタンIMVを1台、それに(損傷した)同グループ製の武装型TLC-79を1台、そして多数のテクニカルをGNAにもたらしました。

 パーンツィリ-S1を捕獲したものの、今回の占領で捕獲した装備の量はリビア国内の他の場所での捕獲と比較すると確かに迫力に欠けるものでした。この状況は、(簡単に移動できる装備をすべて持って)ワティーヤ基地からの退却を迅速に達成したというLNAの主張に信憑性を与えます。[9]


 圧倒的な量の木箱の映像は、LNAによって残された弾薬の備蓄の規模を示す良い指標となります。リビアの戦場での弾薬に飢えた環境では、これらの新たな物資は間違いなくGNAに非常に歓迎されるでしょう。

 捕獲された弾薬の大部分は、すぐに少なくとも30台のピックアップトラックに満載されて持ち去られました。おそらく、GNAが戦っている各戦線に分配するためか、あるいはブラックマーケットで売却するためだと思われます。

 確かにこれらは前述した飛行機やヘリコプターと比較すると華やかさはありませんが、より効果的に捕獲者の役に立つことは間違いありません。


 ロシアから引き渡された弾薬箱も、少なくとも1個が保管庫の一つで発見されました。
この木箱のステンシルマークは、ロシアのKBP機器設計局から発送された40個の木箱のうちの一つであることを示しています(注:箱には24/40のマークが施されています)。

 KBP社はロシアの軍需メーカーであり、 数種類の大砲や対戦車ミサイル(ATGM)、おそらくより重要なのはクラスノポール・レーザー誘導砲弾やパーンツィリ-S1に搭載されている9M311系の地対空ミサイルを含む幅広い兵器システムを製造しています。

 リビアにおけるパーンツィリ-S1の存在はかなり前に確認されていましたが、クラスノポール誘導砲弾がリビアで使用されていた証拠はごく最近になって明らかになりました。[10]


 ワティーヤ基地が占領された直後の時点で、すでにトルコ軍の車列が基地の方向に向かっているのが確認されています。

 この基地はまもなくリビアにおけるトルコの一大拠点となるでしょうが、ワティーヤであらゆる活動が開始される前に、まずはこのエリアから地雷や不発弾(UXO)を除去する必要がありました。基地の桁外れの大きさを考慮すると、それらが骨の折れる作業であることは確実でしょう。


 その後、トルコ軍は(基地内の)多数の強化シェルターや格納庫で発見された大量の航空機やヘリコプターを片付けるという困難な作業を開始しました。これらの大部分は基地内の使われていない場所に廃棄されるか、スクラップにされる可能性が高いですが、一部の機体はGNAが将来使用するために残されるかもしれません。

 しかし、L-39を除くすべての航空機の場合はすでにスペアパーツが枯渇しており、新しいものを購入する機会もほとんどありません。たとえ数機のミラージュF1を修復しても、「リビア空軍」にもたらされるのは最大で2年の運用期間だけでしょう(注:現状ではそれ以上の運用が困難であると言うこと)。

 (現在では)空対空の用途ではほとんど役に立たず、命中精度の低い無誘導爆弾やロケット弾の運用しかできない状態になっているため、これらの機体を運用可能な状態に戻すために努力する価値はなさそうです。

コルクート自走対空砲とおもわれる影

 リビア人が管理していた時代よりも相当に高い安全基準での飛行や地上作業を可能にするため、滑走路や各強化シェルター間を繋ぐ、いくつかの通路が(再)舗装されました。何年も(ときには何十年も)使用されなかった後のほとんどのリビアの空軍基地では、誘導路や滑走路から茂みどころか小さな木すらも生えています。現在のワティーヤ基地で任務に従事している人員にとって幸運なことに、(LNAによる)数機のミラージュF1とSu-22の継続的な運用が誘導路上の植物の生育を小さな茂みに「限定」させました。

 また、トルコはHASの多くに新たな用途を見出しました。今ではこれらの大半は、高射機関砲や弾薬、そして基地での日常的な運用に使用される装備などの物資を保管している可能性があります。一旦この基地の安全な運用体制が確保されると、これまでミスラタに着陸していたC-130やA400M輸送機が、今ではGNAのための物資や装備を運ぶためにワティーヤに着陸できるようになりました。

 リビアで戦闘が再び激化した場合に備えて、この基地にトルコのF-16を駐留させる準備も整っていました。このような戦闘機を配備する準備は間違いなく以前から行われていたものですが、最初の兆候が現れたのは滑走路の両側にあるエプロンに戦闘機6機分のマーキングが施された2020年後半になってからでした。

 もちろん、F-16が作戦に使用されていない場合には、それらを無傷で残存している僅か30基以下の強化シェルターに収容することができます。


 UAEが運用する翼龍UCAVや単機のミグを用いたLNAの無差別空爆から基地を守るために、トルコは基地の敷地内に2基のMIM-23ホークXXI 中距離地対空ミサイル、コルクート自走対空砲GDF-003 35mm高射機関砲を含む広範囲にわたる防空システムを配備しました。

 2020年7月4日夜、正体不明の航空機が新たに配備されたホークSAM陣地の一つに奇襲をかけたことで、その防空体制が早くも真価を問われました。[11]

 この空爆はホークの射程外で実施されたようであり、基地の被害についてはほとんど無かったように見えます。それでもなお、この攻撃の目的は単にトルコに対して、その活動地域が依然としてLNAを支援している国の標的範囲内であるというメッセージを送ることにあったのかもしれません。

 攻撃に使用された機体の国籍や機種についてはまだ議論の余地がありますが、エジプトとの国境を越えてすぐの場所にあるシディ・バラニ空軍基地に展開していたエジプトかUAEのミラージュ2000によって空爆が実行された可能性が高いと考えられます。

 偶然の一致とは考えにくいことに、この空軍基地に配備されている数機のミラージュ2000は国籍マークを塗り潰して運用されています。この事実は、それらのミラージュを今回の攻撃に関与した機体として浮上させます。


 ときどき、ワティーヤ基地がトルコのS-400の潜在的な配備拠点だと憶測されることがありますが、少なくともトルコが自国内で必要としている数の長距離地対空ミサイルシステムを得るまでは(当分の間は)、そのような配備が行われることはないでしょう。それが実現するまでワティーヤを守るのは何層にもわたって展開された短・中距離の防空システムであり、その規模は射程内に入ってきた航空機に致命的なダメージを与えることを示します。

 UAEやエジプト、ロシアがトルコの防空圏外でスタンドオフ兵器を用いて別の攻撃を試みる可能性がありますが、そのような動きは報復攻撃やワティーヤへのF-16機の配備ですら誘発するおそれがあります。そのため、リビアでトルコに対抗する国々が自ら進んでリスクを冒す可能性は低いと思われます。


 パーンツィリ-S1の鹵獲はワティーヤ基地の占領よりも大きな勝利として称賛され、確かにメディアの注目を集めましたが、戦略的には、ハフタル将軍の率いるLNAが主要な作戦拠点とトリポリ攻略の唯一のチャンスを失った結果の方がはるかに重要です。

 それでもなお、パーンツィリは6年以上に及ぶリビア内戦の大きな転換点を象徴していました:転機のほぼ全てをもたらしたのは、バイラクタル外交の功労によるものです。

 同時に、国外のLNA支援者はLNAへの深い関与を再考せざるを得なくなるでしょう。今や好結果を得られるか疑わしくなったため、紛争に多額の投資を続けることは論理的ではなくなるかもしれず、その潜在性はLNAや支援国をリビア紛争を終結させるための交渉の席に着かせる可能性を秘めています。

 それがどのような結果になったとしても、この決定的な時期がトルコにリビアでの存在感をさらに強化することに利用されるのは間違いないと思われます。

[1] Austrian-made Schiebel camcopter over al-Watya airbase by Libyan Army https://asian-defence-news.blogspot.com/2015/01/austrian-made-schiebel-camcopter-over.html
[2] Haha like we're going to reveal our source ;)
[3] https://lostarmour.info/libya/item.php?id=20786
[4] Libya: How the US and Turkey agreed to share a captured Russian defence system https://www.theafricareport.com/68186/libya-how-the-us-and-turkey-agreed-to-share-a-captured-russian-defence-system/
[5] Libyan Air Wars Part 1 1973-1985 https://www.helion.co.uk/military-history-books/libyan-air-wars-part-1-1973-1985.php
[6] https://twitter.com/Arn_Del/status/1115729494973853696
[7] Libyan Air Wars Part 3 1986-1989 https://www.helion.co.uk/military-history-books/libyan-air-wars-part-3-1986-1989.php?sid=7beacb5b560fb39b5053085e8e18abdc
[8] LNA Su-22 destroyed? https://www.itamilradar.com/2020/04/01/lna-su-22-destroyed/
[9] https://twitter.com/amelgasir/status/1262388899328020481
[10] https://twitter.com/LostWeapons/status/1243787785724542976
[11] https://twitter.com/ahmedabdo1806/status/1282372082463059973

※  当記事は、2021年2月21日に本家Oryxブログ(英語版)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。

 
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