2017年7月14日金曜日
DIYに走るリビア・ドーン: S-125地対空ミサイルが地対地ミサイルとして使用された
著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)
リビアにおける高性能な兵器のスペアパーツの不足は、他の勢力から優位を得ようとしているリビア軍(LNA)とリビア・ドーン(「リビアの夜明け」運動)によって多くの興味深い改造をもたらした。
このような改造に関する最近の例には、リビア・ドーンによるエリコンGDF艦載用機関砲をトラックに搭載したことと、LNAによるAK-230艦載用機関砲をトラックに搭載した件が含まれる。
現在(注:2015年)、リビアの首都であるトリポリとミスラタのような他の大都市を支配しているリビア・ドーンは、支配下にあるリビア西部の広大な面積の土地で見つけられた大量の地対空ミサイル(SAM)を受け継いだ。
リビア・ドーンは、SAMを本来想定されていた役割で使用する必要が少しも無かったため、SAMのいくつかを地対地ミサイルへ転用する実現可能性について調査に着手した。
この武装グループは、かつてリビアのSu-24に装備されていた幾つかのKh-29空対地ミサイルを無誘導ロケットとしてトリポリ近郊で使用していたことから、そのような改造の経験を既に獲得していた。
実に驚くべき動きとして、リビア・ドーンは2014年12月初めと2015年3月初めに、少なくとも2つの完全なS-125 SAM旅団のミサイルと関連する装備品を一緒にトリポリへ移送した。[1] [2]
これらの移送の陰にある最初の動きは不明のままだったが、画像は現在、リビア・ドーンがS-125を地対地ミサイルとして使用し始めたことを明らかにしている。
(画像では)彼らのオリジナル発射機(移動式)に取り付けられているミサイルは、無誘導の地対地ロケットとして、より安定した飛行の軌道を得るために前部のフィンが取り外された。
より興味深いことに、ミサイルのノーズ部分が延長されており、もしかすると弾頭のサイズが増加した可能性がある。
元のミサイルでは、60kgの弾頭しか搭載されていない。
その量は飛行目標に大きなダメージを与えたり、撃墜するには充分だが、地対地の用途で使用された場合に目標に対して大きな損害を与えるにしてはあまりにも軽すぎる。
弾頭は、航空機を破壊するために設計された本来の爆発性破片弾頭よりも、効果的な通常の高性能爆薬に置き換えられたかもしれない。
最後に、通常はこのシステムに付随している近接信管は、地上の目標に使用するためにより適切な信管に置き換えられているようだ。
リビア・ドーンによるSAMを地対地ミサイルとして機能するように改造した例は、実際には世界初ではない。
かつて1988年には、イラクが数百Kmの射程距離の弾道ミサイルにするために、幾つかのS-125を改造した。
アル・バーク(Al-Barq)と呼ばれるこのミサイルは、S-125を操作可能なミサイルとして使用できるようにする特徴を取り除くなどして地対地ミサイルの用途に合うように改修された:ミサイルのカナード翼と弾頭の近接信管が取り除かれ、ミサイルの自爆装置が動作しないようにした。
この改造についてはS-125の弾頭が機体の一部であり、改修するのが困難であったために決して簡単ではなかったことが証明された。
ミサイルの作業は徐々に進行し、実際に幾つかの飛行試験が実施されたが、達成された飛行距離は117kmしかなく、CEP(半数必中界)は数kmに達した。
満足のいかない結果となったため、その後にこのプロジェクトは1990年に終了した。
リビア・ドーンが残された埃まみれのミサイルから、失敗したアル・バークの射程距離や精度を何とか達成しようと、やっつけ仕事で仕上げることが出来たかは明らかに信じ難く、この分野の改造ではとてつもない短距離と壊滅的な不正確さ(命中率)の両方に悩まされることを意味している。
しかし、十分過ぎる量のS-125とこの内戦がどうにもならないように見える限り、これらのような改造は間違いなく続くだろう。
※ この翻訳元の記事は、2015年4月25日に投稿されたものです。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
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2017年7月7日金曜日
あの世からの復活:スーダンの「MiG-23」がオーバーホールを受けた
著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
スーダン空軍(SuAF)は1956年に創設されて以来、複数の供給国から入手したいくつかの種類の軍用機を運用してきました。「MiG-29SEh」、「Su-25」、「Su-24」といった現代的な機種は、スーダン内戦とディサイシブ・ストーム作戦に参加したことでよく知られていがますが、「F-5E」や「MiG-23MS」といったより旧式のものは1980年代の導入以来、SuAFの間では十分に記録化されていません。
SuAFにとってソ連製の戦闘機は見知らぬ存在ではないものの、実際にはスーダンが「MiG-23」をソ連から発注した事実はありません。実際のところ、SuAFは80年代後半にリビア空軍(LAAF)がスーダンに配備した最大12機の「MiG-23」をリビアから譲り受けたのです。この国への配備には、機体の運用を担当する多数のリビア人パイロットと技術者を伴いました。
リビアの分遣隊が配備から約2年後にスーダンから撤収したとき、SuAFには本当に飛行も維持もできない航空機が残されていました。
結果として、残存した機体は数年にわたって運用された後にスーダン最大の航空基地であるワディ・セイドナの保管庫に収容され、ここで「MiG-23」はスペアパーツの不足のために保管庫に入れられた大量の「MiG-21M」、「J-6」と「F-5E」の仲間入りを果たすという運命を迎えました。
ところが、それから20年後になって「MiG-23」が再び姿を現したのです。
着手するプロジェクトの数が増加したおかげでサファットはやがてスペースが不足する事態に直面し、 「MiG-23」を収容するハンガーで他の航空機を点検や修理をしなければならなくなったときに、技術者は同機を外に移動させることを強いられたというわけです。
こうした状況が、ワディ・セイドナにおいてSuAFで運用している「MiG-29」、「Su-25」、「Su-24」の飛行隊を支援する多くのベラルーシ人やロシア人パイロットや技術者のうちの1人に、残存している3機の「MiG-23MS」のうちの1機の前でポーズを取ることを許しました(注:下の画像)。
こうした状況が、ワディ・セイドナにおいてSuAFで運用している「MiG-29」、「Su-25」、「Su-24」の飛行隊を支援する多くのベラルーシ人やロシア人パイロットや技術者のうちの1人に、残存している3機の「MiG-23MS」のうちの1機の前でポーズを取ることを許しました(注:下の画像)。
この機体は長期間にわたって保管された鮮明な痕跡を残しており、同機にマーキングされたラウンデル(国章)と国旗が徐々に薄まったせいか本来あったリビアのマークをはっきりと見せています。シリアルナンバー 「09055」はもともとリビア空軍によってこの機に割り当てられたものであり、単にスーダンでもそのままに残されたのでしょう。
スーダン最大の都市であるオムドゥルマンを「Tu-22」で爆撃し、同国北部と南部でスーダン軍と戦っている反乱軍に財政的・物的支援を行い、「両国」間の併合の可能性について話し合ったことがありました(注:これはチャド・リビア紛争での話)。この併合は決して実現することはなかったものの、スーダンとリビアの新たな築いた関係はスーダン、とりわけSuAFにとって非常に有益な流れとなったようです。
1987年から、リビアはスーダンに大量の軍用装備の供与を開始しました。これには主に、その時点までに作戦能力の激減の結果として最期を迎えつつあったSuAFに是が非でも必要とされた増援が含まれていたのです。
1987年から、リビアはスーダンに大量の軍用装備の供与を開始しました。これには主に、その時点までに作戦能力の激減の結果として最期を迎えつつあったSuAFに是が非でも必要とされた増援が含まれていたのです。
SuAFは1年以内に、最大12機の「MiG-23MS」と少なくとも1機の「MiG-23UB」、数機の「Mi-25」攻撃ヘリコプターおよび2機の「MiG-25R(B)」の追加によって増強されました。先述のとおり、これらの機体はリビア人パイロットによって飛ばされ、同様にリビア人技術者から整備を受けていました。
この分遣隊はSuAFの中核を組織し、1987年と1988年にスーダン人民解放軍(SPLA)が一連の攻勢を開始した際に早急にその真価が問われました。この攻勢に対応して、SuAFはスーダン南部への偵察任務に投入した「MiG-25R(B)」によって集められた情報に基づいて空爆で報復したのです。これらのソーティに続き、「MiG-23MS」と「Mi-25」によるSPLAが支配する村やキャンプへの空爆が続いた。
スーダン南部の上空は「MiG-23MS」にとって特に危険ということが判明し、運用から1年後にはたった6機だけが稼働状態にあったと今でも考えられています。
1989年か1990年にリビアの分遣隊が引き揚げた後、残存する4機の「MiG-23MS」はまもなく保管されて決して再び飛行することはありませんでした。
2機の「MiG-25R(B)」はスーダンに駐留中は所属がリビア軍機のままで、結局スーダンに供与されることなく母国へ帰還してしまいました。
ただし、残存した「Mi-25」は1990年代後半と2000年代初めに東ヨーロッパから供給されたより新しい「Mi-24」と「Mi-35」に置き換えられるまで運用が続けられ、ハルツーム国際空港(IAP)の軍用スペース(注:軍民共用空港)でそのキャリアを終えたようです。
リビアの分遣隊は、長期的にはSuAFの作戦能力を向上させるのに特に成功したとは証明しなかったものの、それはリビアがアフリカ各地のいくつかの空軍に行ったさらなる支援の前例を示したと言えるでしょう。
下の画像は、現在は南スーダンとして知られているジョングレイ州に墜落した元リビアの「MiG-23MS(06918番機)」の残骸です。みすぼらしいスーダンの国章はスーダンの太陽の下ですぐに色褪せ、その結果として本来のリビアの国章を浮かび上がらせています。
「MiG-23MS」は、ソ連が中東およびアフリカの友好国にダウングレードした兵器を売却した、いわゆる「モンキーモデル」の典型的なものです。これらの「モンキーモデル」には戦車から海軍艦艇や航空機に至るまでの何もかもが含まれており、ソ連の同等品と比較すると、機密となっている装備が取り除かれていたり、近代的な装備を欠いていたり、装甲が劣っていました。
下の画像は、現在は南スーダンとして知られているジョングレイ州に墜落した元リビアの「MiG-23MS(06918番機)」の残骸です。みすぼらしいスーダンの国章はスーダンの太陽の下ですぐに色褪せ、その結果として本来のリビアの国章を浮かび上がらせています。
「MiG-23MS」は、ソ連が中東およびアフリカの友好国にダウングレードした兵器を売却した、いわゆる「モンキーモデル」の典型的なものです。これらの「モンキーモデル」には戦車から海軍艦艇や航空機に至るまでの何もかもが含まれており、ソ連の同等品と比較すると、機密となっている装備が取り除かれていたり、近代的な装備を欠いていたり、装甲が劣っていました。
ソ連は性能をダウングレードした輸出型を多く開発しましたが、「MiG-23M」の輸出型を開発する目的のため、同様の方法によって今までに生み出された中でも最悪と思われる戦闘機(「MiG-23MS」)を多く作り出してしまいました。基本的には強力なエンジンを備えているものの(注:それでも最新型ではない)を、レーダーなどの電子装備はダウングレードしたもの(旧式)を搭載したわけです。
何年にもわたる中東における紛争の後に既に役に立たないと考えられていた電子装備を搭載し、無能で悪名高い「R-3S」空対空ミサイルで武装したこの飛行機は、飛行と維持の両面で悪夢のような能力を証明しました。
エジプト、イラク、シリアの空軍はイスラエルの「F-4E "ファントムII" 」への対応ができない状態であり、F-4Eの性能に対抗できる新しい戦闘機を入手しようと熱望していたが、彼らはその新しい機体(「MiG-23MS」)に決して感銘を受けることは無かったようです。
1970年代にリビアが大量の兵器を探し求めたとき、ソ連はすぐにリビアへ「MiG-23MS」を提供した。しかし、ソ連が「MiG-23MS」の引渡しとイラク人パイロットへ訓練したときとは逆に、リビアでは同型機を極度に飛行させる代わりに大部分の時間を地上で過ごすことになり、結果的にソ連は「F-4 "ファントム"」だけではなく「F-14 "トムキャット"」の的として同機を販売したことになった(注:MiG-23MSが単なる良い的となったということ)。
LAAF(リビア空軍)は約束された能力と現実との間のギャップに怒り、「MiG-23MS」を運用している飛行隊の戦闘能力を向上させるためにかなりの時間と資源を投入しました。
「MiG-23MS」の供与はリビアがソ連との関係を断った理由の1つでした。それほどの酷い記録があるにもかかわらず、同型機をスーダン空軍に再導入するための論争が依然として続いています。
スーダンは南部に存在する大規模な石油備蓄の産物を享受していたために、2011年に南スーダンの分離独立後に主要な収入手段を失った。これは、スーダンが軍隊に資金を費やすことがより少なくなったことを意味するだけではなく、スーダンが現時点で石油と引き換えに武器を購入することができないことも意味しています。
目に見える財政面での大幅な増加はありませんが、SuAFは近い将来に今より現代的な戦闘機を入手するための十分な資金を蓄えることはできないだろうことから、既に入手したもので頑張り続けなければなりません。
こうした状況もあって、スーダンは(より一般的には「サファット・アヴィエーション グループ」の一部である「サファット・アヴィエーション・コンプレックス」と呼ばれる)「サファット・メンテナンスセンター」の設立によって、航空機やヘリコプターの整備を現地で行うことができるようになりました。
こうした状況もあって、スーダンは(より一般的には「サファット・アヴィエーション グループ」の一部である「サファット・アヴィエーション・コンプレックス」と呼ばれる)「サファット・メンテナンスセンター」の設立によって、航空機やヘリコプターの整備を現地で行うことができるようになりました。
これらのプロジェクトのほとんどが外国人技術者と支援を受けて行われており、オーバーホールのためにこれらの航空機をウクライナやベラルーシまたはロシアに移送するよりもかなり安価に済むメリットがあります。
このことは、スーダンが国外のメンテナンスセンターと往復させるための輸送にかかる費用のために苦労する価値が無いと思われる航空機を自身でオーバーホールすることができることを意味しているとも言えるかもしれません。
この点を考慮に入れ、SuAFは以前に保管状態にあった数種類の航空機のオーバーホールを検討し始めました。
かつて残りの生涯を地上で過ごすものと思われていた「MiG-23」は、何十年もの保管状態にあった後に広範囲に及ぶ大規模整備を受けました。
(先述のとおりリビアが運用を担当していたおかげで)スーダンが真に「MiG-23MS」を運用・維持したことが皆無であったことから、サファットは同型機を自身でオーバーホールする技術的専門知識が不足していたため、海外からの支援を探すことを余儀なくされました。
幸いなことに、そのパートナーは隣接するエチオピアで見つかった。同国の「デジェン航空産業」は必要なメンテナンスを実行できることが実証されていたからです。
(以前はDAVEC、デジェン・アヴィエーション・エンジニアリング・コンプレックスとして知られていた)デジェンは、エチオピア空軍で運用されている幅広い種類の航空機のオーバーホールを担当しており、「Su-27」をオーバーホールする十分な能力がある数少ないメンテナンスセンターの1つとして知られています。
(以前はDAVEC、デジェン・アヴィエーション・エンジニアリング・コンプレックスとして知られていた)デジェンは、エチオピア空軍で運用されている幅広い種類の航空機のオーバーホールを担当しており、「Su-27」をオーバーホールする十分な能力がある数少ないメンテナンスセンターの1つとして知られています。
いまだにDAVECとも呼ばれるデジェンは、もともとエチオピアがソ連製航空機(主に「MiG-23BN」/ML/UB)を現地で維持することを目的に設立されたため、この種の航空機のオーバーホールに関して豊富な経験を持っています。
4機の「MiG-23」のうちの1機のツマンスキー 「R-29」エンジンがサファットで整備されており、これは下の画像で見ることができます。
航空機のオーバーホールを目的としてデジェンから少なくとも10人のエチオピア人がサファットに派遣され、エチオピアは新しく再生された機体の飛行試験のためにパイロットも提供したようです。
エチオピアの存在は「MiG-23MS」を稼動状態に戻す際に大きな役割を果たしたことを強調しました。さらに、現時点においてスーダンは「MiG-23」の飛行訓練をしていないと考えられていることから、エチオピアは予備部品(既に搭載されている新しい操縦席のキャノピーなど)の提供のみならず訓練も支援する可能性が高いと思われます。
スーダンにおける「MiG-23MS」の兵装は、数種類の無誘導爆弾と57mmロケット弾用の「UB-16」および「UB-32」ロケット弾ポッドに限られています。
かつてのSuAFは「MiG-21M」用の「R-3S」空対空ミサイルを保有していましたが、これらのミサイルがまだ残存している可能性は低いでしょう。理論的に考えるならば、リビアがスーダンへ航空機を供与した際にリビアのストックから「R-3S」空対空ミサイルも引き渡されたかもしれませんが、同ミサイルの保存期限は既に数十年前に切れているのです。
したがって、スーダンの「MiG-23MS」の役割は戦闘爆撃機(注:事実上の攻撃機)に限られています。同型機による爆弾やロケット弾の投射については、(無誘導のために)遠方の標的に対しては命中精度が無限りなく低いものの、数十年にわたる紛争の間に精度の欠如がSuAFに問題を問題を引き起こしたことはありませんでした。
不幸なことに、SuAFのためにオーバーホールされた「MiG-23」の4機のうちの1機が試験飛行の直後、ワディ・セイドナに不時着したことが確認されました。この機体は炎上し、後に基地の隅に放棄されたことが衛星画像でもはっきりと視認できます。つまり、再就役に入る以前にSuAFは既に「MiG-23」を1機失っていたわけです
不幸なことに、SuAFのためにオーバーホールされた「MiG-23」の4機のうちの1機が試験飛行の直後、ワディ・セイドナに不時着したことが確認されました。この機体は炎上し、後に基地の隅に放棄されたことが衛星画像でもはっきりと視認できます。つまり、再就役に入る以前にSuAFは既に「MiG-23」を1機失っていたわけです
この損失機がUBかMSかどうかは不明のままですが、唯一の「MiG-23UB」を失ったとなると、SuAFは海外から別の機体を購入することを余儀なくされ、このプロジェクトは大幅に高額なものになってしまうでしょう(注:訓練機を失ったため)。
すでに事故で1機が失われており、この非常に面倒な航空機を飛行する際により多くの機体が失われる可能性が高いため、「MiG-23MS」のスーダンにおける2回目の生涯は短期間で終わるかもしれません。
編訳者追記:この後、(後で緊張は緩和したとはいえ)スーダンとエチオピア間の関係悪化に伴いオーバーホールの結果については2023年2月28日時点でも判明していません。衛星画像や各種オープンソースをチェックしても「MiG-23MS」がワディ・セイドナを含むスーダン空軍の基地に登場した様子ま全く確認されていないため、このオーバーホール自体が失敗に終わったか、成功しても軍で運用する方針になかったか変更された可能性が示唆されています(実際、「MiG-23MS」のオーバーホールより相当前に中国から「K-8」訓練機を導入しただけでなく、この記事が執筆された2016年11月には「FTC-2000S」も発注・納入済みであるため)。
※ この翻訳元の記事は、2016年9月26日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事
を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる
箇所があります。
2017年6月30日金曜日
再武装が進むシリア軍:ロシアが供与したBMP-2と2S9が到着した
著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
今年初めにT-62MとBMP-1をシリア軍に初めて引き渡した後にシリアから出てきた新たな画像は、より多くの種類のAFVが最近になってロシアの「シリア急行」に積載されてシリアへ送られたことを明らかにしました。今ではこれらの新たな供与は、ホムス東部でシリア軍のイスラミック・ステート(IS)に対する大躍進をもたらしています。新たに引き渡されたAFVはISへの反撃のために最終的に同地に配備される可能性が高いでしょう。
大量の武器や車両の引渡しは、現在シリア各地で活動している多くの民兵組織のいくつかを編入した統一軍を創設する計画を含むシリア軍(SAA:Syrian Arab Army)の事実上の再建の一環です。このプロセスを背後で支える原動力は新たに設立された第5軍団であり、同軍団は過去6年の間にSAAの役割を奪ってきた、前述の民兵組織の増大する力に対抗する役割を果たします。
SAAの復権におけるロシアの役割に従って、この新生の軍隊への訓練と装備を担当するのもまたロシアです。これによって、シリアはすぐに追加のT-72やT-90、さらにはBMP-3でさえ受け取るものと思わせましたが(これらの全てが現時点におけるSAAの機甲戦力を構成するAFVより高度なものです)、今までの供与ではそのほとんどがロシア軍で既に運用されていない、もはや必要とされていない旧式の兵器でした。
それにもかかわらず、これらの供与された車両と兵器の多くは、シリアの一部を支配するべく戦う多数の勢力に対する今日の作戦行動においてSAAにとって理想的に適合しています。小火器や大量のウラル、GAZ、KamAZ、UAZのトラックとジープの供与に加えて、今までのところ、T-62MとBMP-1(P)、 M-1938(M-30)122mm榴弾砲がもたらされており、現在ではBMP-2歩兵戦闘車と2S9 120mm自走迫撃砲も加わりました。
第5軍団に対する以前の供与では、BMP-1や第二次世界大戦時のM-30 122mm榴弾砲のような高度ではない装備だったことから、BMP-2と2S9といった装備の供与は関心を引きます。より高度な装備がシリアに到着しているという最近の事実は、ロシアが再軍備計画を成功と判断している証拠かもしれません。また、内戦がシリア政府に有利に展開し続けるにつれて、より高度な装備の供与を潜在的に強化する可能性もあるでしょう。
1980年代から既に運用中のBMP-2に加え、タドムル近郊の作戦に参加するため、2015年に少数のBMP-2がT-72BとBMP-1と共にロシアから供与されました。これらのBMP-2のうち少なくとも1台、おそらくは2台がその後にタドムル付近で破壊されたようです。
現在供与されている車両は、ダークグリーンの迷彩塗装によって既にシリアで運用されているBMP-2(注:デザートイエロー色)と簡単に識別することができますが、何よりもBMP-2 1984年型とそれ以降の派生型のみに存在する、砲塔に装備された対放射線防護用装甲がある点で可能です。シリアが80年代後半に受領したBMP-2は旧式の1980年型であり、そのような対放射線防護用装甲および他の漸進的な改良が欠けています。
BMP-2は、1970年代に導入されて以来、SAAの主力IFVとして役立ってきたBMP-1の能力を大幅に向上させたものです。本来、ヨーロッパの平野で使用するために設計されたBMP-1の武装は、歩兵を支援するためには不十分であることだけでなく、重装甲のAFVを相手にする能力がないことがすぐにわかりました。さらに、BMP-1の薄い装甲や主砲が仰角をとれない点と移動中に正確に発射できない点が、同車を今日の紛争での使用においては痛ましいほど時代遅れなものにしています。
BMP-1から学んだ教訓の多くを取り入れて、BMP-2はこれらの深刻な欠点のいくつかを取り除きました。最も明白なのは、2A28 73mm低圧砲を歩兵の支援と仰角を高くとることができるおかげで高所にある敵の位置を抑えることに非常に適した、速射可能な 2A42 30mm機関砲へ交換した点です。BMP-2には、BMP-1の扱いにくく、使用されることがほとんどなかった9M14 マリュートカとは対照的に、9M113コンクールス対戦車ミサイル(ATGM)の発射機が装備されています。
SAAは砲撃支援のために数種類の牽引式野戦砲に加えて、2S1 122mm自走榴弾砲とBM-21 122mmMRLを大量に運用し続けていますが、2S9は仰角を高くとることができるため、現時点で政権軍がホムス東部で直面している山や尾根で防備を固めるISの陣地への攻撃には最適です。
すぐに2S9が空中投下可能だということに気付く人もいるでしょうが、このような方法でデリゾールに送られる可能性はほとんどありません。2S9がSAAで運用に入るその種(自走迫撃砲)の最初のタイプであるため、おそらく乗員は最初にこの車両で訓練しなければならないでしょう。(注:完熟訓練)。もちろん、BMP-2も同様といえます(より少ない訓練で済むでしょうが)。結果として、彼らが最前線に姿を見せるまでにはある程度時間がかかるかもしれません。
現在、政府軍が主にISに対して大躍進しているため、ロシアはシリア政府への支援を熱心に維持し続けると思われ、これまでに果てしなく続くように思われた紛争の中で投資をさらに強化していくでしょう。シリアにとって、これらの車両が現実に供与されることはそれが意味する傾向よりもはるかに重要の度合いが低い可能性があります(注:たとえ何であろうとロシアがシリアを支援することを意味しているため、その「流れ」はこうしたAFVの供与自体よりもさらに重要ということ)。
現在、政府軍が主にISに対して大躍進しているため、ロシアはシリア政府への支援を熱心に維持し続けると思われ、これまでに果てしなく続くように思われた紛争の中で投資をさらに強化していくでしょう。シリアにとって、これらの車両が現実に供与されることはそれが意味する傾向よりもはるかに重要の度合いが低い可能性があります(注:たとえ何であろうとロシアがシリアを支援することを意味しているため、その「流れ」はこうしたAFVの供与自体よりもさらに重要ということ)。
基本的にSAAのストックを無限に補給することができ、経済的苦難にもかかわらず、SAAをまとまりのある軍隊としての回帰をもたらすため必要とされる金額を支払う意思がある同盟国のおかげで、SAAの最終的な勝利は将来の紛争の推移において全く予期しない紆余曲折をはばむものと思われます。
いかなる場合でも、現在の情勢の進展はシリアで争っている軍隊や勢力の間に戦略的均衡に作用することが確実であり、シリア内戦の最終的な結果に広範囲にわたって影響をもたらす可能性があるのです。
特別協力: Wael Al Hussaini(注:元記事への協力であり、本件編訳とは無関係です)。
※ この翻訳元の記事は、2017年6月15日に投稿されたものです。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
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特別協力: Wael Al Hussaini(注:元記事への協力であり、本件編訳とは無関係です)。
※ この翻訳元の記事は、2017年6月15日に投稿されたものです。
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正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
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2017年6月16日金曜日
プローブ アンド ドローグ:失敗したリビアの空中給油システム導入計画
著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
リビアの空中給油システム導入計画は80年代後半にスタートして以来(関連する動きが)ほとんど伝えられていませんが、最終的に計画の放棄に至らせた数多くの挫折に悩まされていたようです。
旧LAAF(リビア・アラブ空軍)は、5年以上前(注:2021年現在)から2つの空軍に分離して、それぞれがさまざまな種類の戦闘機やヘリコプターを運用しています。
統一政府がリビアの新政府として役割を果たすことになっていますが、国内の分裂はいくらかの勢力によって実質的に継続しています。ファイズ・サラージ(注:2021年現在はモハンマド・アル・メンフィ大統領)が率いる、トルコとカタールが支援している国際的に承認された国民合意政府(GNA)と、エジプト、ヨルダン、ロシア、アラブ首長国連邦から多大な支援を受けているハリーファ・ハフタル率いるリビア国民軍(LNA)がリビアでは最強の勢力です。
しかし、後にこの両方の場所がフランス空軍による空爆とチャド軍による地上からの襲撃に対して極端に脆弱だということが判明し、後者はチャド内のワディ・ドゥーン空軍基地を攻略したうえにリビア南部にあるメーテン・アル・スッラ基地を奇襲してリビア側に深刻な損失を与えました。
チャドで得た経験と世界的な流れへの関心が、リビアが空中給油機の導入を決定する決め手となった可能性があります(注:他国が空中給油機を使用し始めたことを見て、リビアも導入するという着想を得た可能性があるということ)。
1980年代半ばにはソ連のIL-78がすでに生産されていましたが、リビアはそれを導入する代わりに(イラクと同様に)空中給油計画の立ち上げに関する支援を受けるために欧米へ目を向けました。
この決定の理由は不明のままですが、単に当時のリビアにはIL-78の購入が(ソ連から)認められていなかったか、改修なしにこのソ連製空中給油機から給油を受けることができる航空機を運用していなかった可能性があります。
1987年、リビアは自身の空中給油システムの導入計画を立ち上げるために、西ドイツ「インテック・テクニカル・トレード・ウント・ロジスティック(ITTL)」社と契約しました。[1]
リビアは西側諸国の前に立ちはだかる宿敵であるにもかかわらず、軍事関連を含めたあらゆる種類の取引では西側の企業と契約することを問題にしませんでした。関連機器を送り出す西側の企業も、リビアの石油資源から利益を得ることに意欲的であったため、リビアのために働くことに問題はありませんでした。
興味深いことに、ITTLは独自の空中給油(IFR)用プローブの設計に引加えてフランスからIFR(空中給油)プローブを入手することを始め、後にそれらは少なくとも3機のMiG-23BNと1機のMiG-23UBに搭載されました。
MiG-23MSでの過酷な経験があったうえにMiG-23BNでまた同様の問題に直面しているにもかかわらず、MiG-23BNは頑丈さと兵装のペイロードのおかげでリビアでは貴重な戦力となりました。(注:MiG-23MSは質や能力が低くい上に飛行が難しかったため、結果として多くの機体やパイロットが失われました。LAAFにとってはこの事態はまさに悪夢そのものだったのです)。そのため、戦闘行動半径を拡大するためにIFR用のプローブを特別にMiG-23BN飛行隊に装備させるという決定がなされたことは当然のことでした。
MiG-23BNにIFR用プローブを追加することに加えて、LAAFはフランスから導入した16機のミラージュF.1AD(の残存機)も頼りにすることができました。このミラージュは間違いなくリビアが保有する戦闘機のなかで最も高性能な機体であり、既に空中給油能力が付与されていたのです。
同時に2機の航空機へ給油することを可能にするため、ITTLはLAAFが保有する1機のC-130の両翼の下に空中給油ポッドを搭載することによって、同機を空中給油機に改修する作業を進めたようです。
残念なことに、空中給油の際にMiG-23がC-130の比較的遅い飛行速度に適応することができなかったため、C-130がこの任務に不向きであることが判明しました。
ミラージュF.1ADはC-130からの空中給油が可能でしたが、この時点で、リビアはすでにより適した空中給油プラットフォームを自国で運用していることに気づきました...IL-76です。
そのため、(事実上LAAFの一部である)リビア・アラブ・エア・カーゴ(LIBAC)のIl-76TD「5A-DNP」はITTLの技術者によって空中給油機に改造されました。
彼らの尽力にもかかわらず、西側でこの件が公に知られた際に、ITTLはリビアでの作業の打ち切りを余儀なくされました。
ITTLがリビアの空中給油システム導入計画の作業を開始したのと同時期に、リビアはTu-22飛行隊を最大で36機のSu-24MKとそれを支援する6機のIL-78空中給油機へ更新するためにソ連と交渉に入りました。
このSu-24とIL-78の組み合わせはLAAFの長距離打撃能力としての機能を果たし、これまでこの任務で使用していたTu-22爆撃機を置き換えるものでした。
Tu-22はアル・ジュフラにある基地から長距離を飛行することができましたが、80年代後半には運用寿命が終わりに近づいたために、これらを更新する必要があったのです。
リビアにとって不幸だったのは、支払いに関する意見の不一致と1992年から発動された国連の武器禁輸措置がLAAFに希望する量の航空機を受け取ることを妨げ、最終的には6機のSu-24MKと1機のIL-78だけがリビアにたどり着いたことです。(注:Su-24MKの代金について、ソ連はリビアに事前に50%の支払いを求めていましたが、リビアはそれを拒否したために取引は合意に達しなかったのです)。
1989年か1990年の運用開始以来、この唯一のIL-78が空中給油の任務に使用されたのかは不明のままですが、生涯のほとんどを貨物機として過ごしてきたにもかかわらず、依然として3基のUPAZ空中給油ポッドが装備されていることは確実です。
その生涯を通してほんの僅かしか目撃されていないこの飛行機は、リビア革命の終結後にはさらに見つけることが困難となってしまいました。
アル・ジュフラ基地に駐機されたままだったリビア唯一のIl-78について、2015年後半にミスラタ空軍基地に再び姿を現した際にこの不運な機体がミスラタを拠点とする空軍に再就役したことが確認される前には、既に現役を退いたものと考えられていました。
リビア内戦で見える絶え間ない戦闘が続くにつれて、リビアとその資源を支配するべく争っている各勢力の武装を強化するために(今は使用されていない)軍事装備が運用可能な状態に戻されています。
[1] Libya’s Peculiar, Aerial-Refueling MiG-23s https://warisboring.com/libyas-peculiar-aerial-refueling-mig-23s/
[2] African MiGs Volume 2: Madagascar to Zimbabwe http://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM2/index.html
リビアの空中給油システム導入計画は80年代後半にスタートして以来(関連する動きが)ほとんど伝えられていませんが、最終的に計画の放棄に至らせた数多くの挫折に悩まされていたようです。
それにもかかわらず、この野心的な計画は確実にその痕跡をリビア空軍に残しており、かつてこの計画で重要な役割を果たしていた機体は、現在の国内における治安状況がますます悪化している状況の中でも依然として飛行を続けています。
旧LAAF(リビア・アラブ空軍)は、5年以上前(注:2021年現在)から2つの空軍に分離して、それぞれがさまざまな種類の戦闘機やヘリコプターを運用しています。
統一政府がリビアの新政府として役割を果たすことになっていますが、国内の分裂はいくらかの勢力によって実質的に継続しています。ファイズ・サラージ(注:2021年現在はモハンマド・アル・メンフィ大統領)が率いる、トルコとカタールが支援している国際的に承認された国民合意政府(GNA)と、エジプト、ヨルダン、ロシア、アラブ首長国連邦から多大な支援を受けているハリーファ・ハフタル率いるリビア国民軍(LNA)がリビアでは最強の勢力です。
両者は主に「イスラム国」などのイスラム過激派との戦いに目を向けていますが、双方の間での攻撃や空爆は増加し続けています。
これはムアンマル・カダフィ体制の崩壊後の混乱がもたらた不幸な結果です。これを引き起こした主な原因としては、リビアの各勢力の権力欲、リビアを不安定にしようとする国による外部からの影響...そして、カダフィ大佐の失脚には大きな役割を果たしたものの、リビアが機能する民主主義国家として発展を手助けするために不十分な支援しかしてこなかった国際的パートナーの役割不足が挙げられます。
限られた数の運用可能な機体を2つの空軍で分け合っているため、GNAとLNAの両方は比較的少ない労力で運用可能にできる機体や共食い整備に使用できる機体を分裂した国内で探し回りました。
以前に最後を迎える安息の地を見つけたと思われた航空機は、今では運用可能な状態に修復されて再利用されている場合が多く見受けられます。
リビアの大部分の空軍基地での機密装備の撮影に関する規則が緩いたためか、これらの機体の画像が定期的に流出しています。この特異な状況は、これまで多くの人に知られていなかったリビアの失敗した空中給油システムの導入計画を再検討するための理想的な映像をもたらしています。
リビアの広大な面積が、頻繁な着陸や目標に近い空軍基地に前進配備することなく、作戦機を長距離飛行させて目標に到達させることを可能にする空中給油機を貴重な資産にしました。カダフィ時代には、チャドやウガンダに展開しているリビア軍を支援するためか単なる報復として、リビア機がチャド、スーダン、さらにはタンザニアの目標を頻繁に攻撃していたため、その価値は特に真実性を帯びていたのです。
限られた数の運用可能な機体を2つの空軍で分け合っているため、GNAとLNAの両方は比較的少ない労力で運用可能にできる機体や共食い整備に使用できる機体を分裂した国内で探し回りました。
以前に最後を迎える安息の地を見つけたと思われた航空機は、今では運用可能な状態に修復されて再利用されている場合が多く見受けられます。
リビアの大部分の空軍基地での機密装備の撮影に関する規則が緩いたためか、これらの機体の画像が定期的に流出しています。この特異な状況は、これまで多くの人に知られていなかったリビアの失敗した空中給油システムの導入計画を再検討するための理想的な映像をもたらしています。
リビアの広大な面積が、頻繁な着陸や目標に近い空軍基地に前進配備することなく、作戦機を長距離飛行させて目標に到達させることを可能にする空中給油機を貴重な資産にしました。カダフィ時代には、チャドやウガンダに展開しているリビア軍を支援するためか単なる報復として、リビア機がチャド、スーダン、さらにはタンザニアの目標を頻繁に攻撃していたため、その価値は特に真実性を帯びていたのです。
チャドにおけるリビアの暗闘は、チャド軍のみならず同国内の代理勢力やリビアと戦うイッセン・ハブレを支援するために展開したフランス軍と対峙したリビア空軍にとって決定的な時期とみることができます。
リビアの空軍基地はその大多数が北部に位置していたため、LAAFはリビア南部の人里離れた場所やチャド北部にさえも作戦機を前進配置させていました。しかし、後にこの両方の場所がフランス空軍による空爆とチャド軍による地上からの襲撃に対して極端に脆弱だということが判明し、後者はチャド内のワディ・ドゥーン空軍基地を攻略したうえにリビア南部にあるメーテン・アル・スッラ基地を奇襲してリビア側に深刻な損失を与えました。
チャドで得た経験と世界的な流れへの関心が、リビアが空中給油機の導入を決定する決め手となった可能性があります(注:他国が空中給油機を使用し始めたことを見て、リビアも導入するという着想を得た可能性があるということ)。
1980年代半ばにはソ連のIL-78がすでに生産されていましたが、リビアはそれを導入する代わりに(イラクと同様に)空中給油計画の立ち上げに関する支援を受けるために欧米へ目を向けました。
この決定の理由は不明のままですが、単に当時のリビアにはIL-78の購入が(ソ連から)認められていなかったか、改修なしにこのソ連製空中給油機から給油を受けることができる航空機を運用していなかった可能性があります。
1987年、リビアは自身の空中給油システムの導入計画を立ち上げるために、西ドイツ「インテック・テクニカル・トレード・ウント・ロジスティック(ITTL)」社と契約しました。[1]
リビアは西側諸国の前に立ちはだかる宿敵であるにもかかわらず、軍事関連を含めたあらゆる種類の取引では西側の企業と契約することを問題にしませんでした。関連機器を送り出す西側の企業も、リビアの石油資源から利益を得ることに意欲的であったため、リビアのために働くことに問題はありませんでした。
興味深いことに、ITTLは独自の空中給油(IFR)用プローブの設計に引加えてフランスからIFR(空中給油)プローブを入手することを始め、後にそれらは少なくとも3機のMiG-23BNと1機のMiG-23UBに搭載されました。
MiG-23MSでの過酷な経験があったうえにMiG-23BNでまた同様の問題に直面しているにもかかわらず、MiG-23BNは頑丈さと兵装のペイロードのおかげでリビアでは貴重な戦力となりました。(注:MiG-23MSは質や能力が低くい上に飛行が難しかったため、結果として多くの機体やパイロットが失われました。LAAFにとってはこの事態はまさに悪夢そのものだったのです)。そのため、戦闘行動半径を拡大するためにIFR用のプローブを特別にMiG-23BN飛行隊に装備させるという決定がなされたことは当然のことでした。
MiG-23BNにIFR用プローブを追加することに加えて、LAAFはフランスから導入した16機のミラージュF.1AD(の残存機)も頼りにすることができました。このミラージュは間違いなくリビアが保有する戦闘機のなかで最も高性能な機体であり、既に空中給油能力が付与されていたのです。
同時に2機の航空機へ給油することを可能にするため、ITTLはLAAFが保有する1機のC-130の両翼の下に空中給油ポッドを搭載することによって、同機を空中給油機に改修する作業を進めたようです。
残念なことに、空中給油の際にMiG-23がC-130の比較的遅い飛行速度に適応することができなかったため、C-130がこの任務に不向きであることが判明しました。
ミラージュF.1ADはC-130からの空中給油が可能でしたが、この時点で、リビアはすでにより適した空中給油プラットフォームを自国で運用していることに気づきました...IL-76です。
そのため、(事実上LAAFの一部である)リビア・アラブ・エア・カーゴ(LIBAC)のIl-76TD「5A-DNP」はITTLの技術者によって空中給油機に改造されました。
彼らの尽力にもかかわらず、西側でこの件が公に知られた際に、ITTLはリビアでの作業の打ち切りを余儀なくされました。
彼らの撤退はこの野心的な計画の終わりを最終的に告げた一方で、リビアは自身でこの計画を数年間は継続させたようです。結局は1990年代半ばにこれに関する全ての取り組みが終了したと考えられています。
興味深いことに、この計画の様子はフィルムに記録されており、オンラインで視聴することができます。
このSu-24とIL-78の組み合わせはLAAFの長距離打撃能力としての機能を果たし、これまでこの任務で使用していたTu-22爆撃機を置き換えるものでした。
Tu-22はアル・ジュフラにある基地から長距離を飛行することができましたが、80年代後半には運用寿命が終わりに近づいたために、これらを更新する必要があったのです。
Su-24MKは、Tu-22に欠けていた精密打撃を可能にする多様な空対地ミサイルと誘導爆弾を装備することができました。
実際、リビアのTu-22がタンザニアの標的に対する爆撃ソーティを実施した際、乗員は標的を外しただけでなくそれがある国自体も外し、爆弾が国境を越えてブルンジに着弾したということがあったのです!(注:それくらい精密打撃能力などが欠如していたということ)[2]
1989年か1990年の運用開始以来、この唯一のIL-78が空中給油の任務に使用されたのかは不明のままですが、生涯のほとんどを貨物機として過ごしてきたにもかかわらず、依然として3基のUPAZ空中給油ポッドが装備されていることは確実です。
民間のジャマーヒリーヤ・エア・トランスポート(リビアン・エア・カーゴ)のロゴを付けたこのIL-78は2004年と2005年にかけてロシアのスタラヤ・ルーサの123ARZ修理工場で修理された後、2005年4月初めにモスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(IAP)に着陸する姿が初めて目撃されました。
その生涯を通してほんの僅かしか目撃されていないこの飛行機は、リビア革命の終結後にはさらに見つけることが困難となってしまいました。
アル・ジュフラ基地に駐機されたままだったリビア唯一のIl-78について、2015年後半にミスラタ空軍基地に再び姿を現した際にこの不運な機体がミスラタを拠点とする空軍に再就役したことが確認される前には、既に現役を退いたものと考えられていました。
IL-78はその存在理由である高度な能力を出さないまま、貨物機としてその残された短い生涯を送り続けています。
新しい運用者に従って、英語とアラビア語で描かれたカダフィ時代のジャマーヒリーヤの文字が塗りつぶされ、新しいリビアの国旗がジャマーヒリーヤ・グリーン(カダフィ時代のリビアを象徴する緑色)の上に描かれました。
機種の窓には酷使された跡がありますが、正面の風防は交換されているようです(注:機首側面や下部の航法士席窓が劣化や損傷により透明度を失っています)。
多国間にわたる作戦飛行を行う能力があるプロフェッショナルな空軍を支援することに特化した空中給油機部隊の夢は遠い昔に記憶から消えてしまっていますが、リビアの空にはまだこの機体のエンジンの残響がこだまし続いています。
この計画で重要な役割を果たした機体は、戦争の弱まることのない要求によって徐々に消耗されていくでしょう。
[1] Libya’s Peculiar, Aerial-Refueling MiG-23s https://warisboring.com/libyas-peculiar-aerial-refueling-mig-23s/
[2] African MiGs Volume 2: Madagascar to Zimbabwe http://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM2/index.html
特別協力:トム・クーパー from ACIG (注:翻訳記事では協力を受けていません)
リビア空軍の詳細については、Helion & Company社の素晴らしいLibyan Air Warsシリーズをぜひご覧ください。
※ この翻訳元の記事は、2017年6月3日に投稿されたものです。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
※ この翻訳元の記事は、2017年6月3日に投稿されたものです。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
2017年6月8日木曜日
希少なAFV:スーダンのAFV修理施設内部の光景
著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
1956年にイギリスから独立して以来、様々な供給元の影響のために軍隊で使用されている装備の種類に関して言えば、スーダンは間違いなく最も興味を引く国の一つでしょう。
そもそもスーダンはエジプトとイギリスによって訓練と装備を受けていましたが、それから大量のソ連製装備を受け取り始め、その後に中国の武器援助が続く道を選びました。近年はベラルーシ、ウクライナやロシアなどの国々から多数の兵器を購入しており、今やこれらの国々は中国やイランとともにスーダンに対する武器供給の主要国となっています。
スーダンは既に挙げられた国に加えて、ドイツ、リビア、チェコスロバキア、フランス、アメリカ、サウジアラビア、東欧諸国、そしてもちろん北朝鮮といった国からも兵器の供給を受けたことがあります。こうした多様なAFV群を運用することはまさに兵站面での悪夢にほかならず、スーダンに存在する先述した国々のうちの幾つかから派遣された専門家がこれらを維持するために支援しているのです。
スーダンは既に挙げられた国に加えて、ドイツ、リビア、チェコスロバキア、フランス、アメリカ、サウジアラビア、東欧諸国、そしてもちろん北朝鮮といった国からも兵器の供給を受けたことがあります。こうした多様なAFV群を運用することはまさに兵站面での悪夢にほかならず、スーダンに存在する先述した国々のうちの幾つかから派遣された専門家がこれらを維持するために支援しているのです。
この状況を改善するために、スーダンはAFV修理工場とエルシャヒード・イブラヒーム・シャムス・エル・ディーン複合体を設立しました(後者は幾つかの種類のAFVの製造にも関わっています)。このAFV修理工場は主力戦車、歩兵戦闘車(IFV)、装甲兵員輸送車(APC)の修理に特化しており、スーダン軍の管轄下にあります。これは、エルシャヒード・イブラヒーム・シャムス・エル・ディーン複合体がMIC(Military Industry Corporation)の一部である点とは反対です。
このAFV修理工場はハルツーム(首都)の中心に位置しており、そのような施設を設けるにしては間違いなく興味深い場所と言えます。
この記事にある画像のほとんどはそのようなアドバイザーからのものであり、その多くはスーダン滞在中に彼らの作業を撮影したものです。このある人物は以前にはウガンダとイエメンで勤務しており、ここでも同様に人材育成の支援をしていたようです。
著しく損傷した「T-72AV」はスーダンでは「アル・ズバイル-1(T-55-SH1)」としても知られており、破壊された「2A46」125mm砲の修理を待っているか、あるいは部品取り用として使用されているようです(下の画像)。
これまでにスーダンは「T-72AV」を世界中の国から入手しており、その大半はアフリカに供給していたウクライナから(同国が最後にストックしていたものを)調達しました。
スーダンの「T-72AV」購入は、南スーダンもその数年前に大量の「T-72AV」を購入していたために注目に値します。この取引はケニア経由で手配されたものであり、33台の「T-72AV」を積載した南スーダンへ向かう貨物船「ファイナ」が海賊によって乗っ取られたために、国際的な議論の原因となったからです。
ウクライナのインストラクターが南スーダンの兵士に「T-72AV」を運用させる訓練の担当になった一方で、残りの「T-72AV」をスーダンに売ることは問題にならなかったように思われます。
この取引は、スーダン軍と南スーダン軍との間で新たな戦闘が発生しそうな出来事の間に、両軍が互いに同一の迷彩が施された「T-72AV」を配備するという特異な状況をもたらしており、それは戦場での混乱や場合によっては誤射に至ることが不可避なことは言うまでもありません。
今でもなお新品状態にある非常に古いアルヴィス「サラディン」装輪装甲車は、施設のメンテナンスホールの外で再塗装を控えています(下の画像)。この装甲車がいかに旧式であるにしても、いくつかの国は運用し続けており、インドネシアでさえ残存している車両の改修を試みているほどです。
今でもなお新品状態にある非常に古いアルヴィス「サラディン」装輪装甲車は、施設のメンテナンスホールの外で再塗装を控えています(下の画像)。この装甲車がいかに旧式であるにしても、いくつかの国は運用し続けており、インドネシアでさえ残存している車両の改修を試みているほどです。
スーダン軍が「サラディン」を運用し続けるのか、この残存している車輌をゲートガードとして展示するつもりなのかは判然としていません。
結局、この「サラディン」装甲車は(変わった迷彩塗装を施されたおかげで)本来の無塗装の状態に対する被発見率を多少は低下させることができたようです(下の画像)。
少なくとも2台の「サラディン」が新しい塗装を施されており、2台目(画像の2段目)は前部に深刻な損傷を受けていますが、再塗装によって悲惨な姿から受ける印象がさらに増してしまいました。
「フェレット」装輪装甲車はスーダンで運用されてきたもう一つのイギリス製の主要な装備であり、スーダン軍の兵士たちによって運用されていた最初のAFVの一つです(下の画像)。これも再塗装されているものの、砲塔の「M1919」軽機関銃が失われてしまいました。
「フェレット」装輪装甲車はスーダンで運用されてきたもう一つのイギリス製の主要な装備であり、スーダン軍の兵士たちによって運用されていた最初のAFVの一つです(下の画像)。これも再塗装されているものの、砲塔の「M1919」軽機関銃が失われてしまいました。
前部タイヤの一つに深い亀裂が入っていることから、 再塗装はもはや戦闘での使用を目的にしたものではない可能性があります(注:同一個体ではないものの、ゲートガードで使用されている車両が存在しているため)。
下の2列の画像の上段には一見して退役したように見える中国製の「62式」軽戦車の列を見ることができますが、そのうちの少数は今でも現役に留まり続けています。
「BMP-1」歩兵戦闘車は30mm機関砲を搭載した一人用砲塔「2A42 コブラ」への換装の改修を受け、本来ならば同車に搭載されている既存の73mm低圧砲を装備した「2A28 グロム」砲塔を置き換えています(下の画像)。この新型砲塔はベラルーシとスロバキアの共同開発であり、スーダンは運用しているある程度の「BTR-70」もこの砲塔に換装しています。
画像の車両では、「PKT」7.62mm同軸機銃が欠落しているようです。
スーダンに僅かしかない「BMP-2」歩兵戦闘車の一台を背景に見ることができます。これも少数のイランが設計した、同車のコピーである「ボラーク」装甲歩兵戦闘車(AICV)と一緒に運用されています。
背景に「BMP-2」、中国製「WZ-551」装甲兵員輸送車(APC)、「59D式」戦車と2台のイラン製「サフィール74」・「タイプ-72z」・「T-72Z」または「シャブディズ」戦車といった他の車両が寄せ集められている中に、フランス製の「パナールM3」APCが見えます(下の画像)。
この「パナールM3」は20mm機関砲が取り外されており、いつか再び運用されることは見込めません。おそらくはフランス製「AML-90」も同じ運命に陥っているでしょう。
スーダンは非常に多様なBTRの派生型を運用しているおり、その中でも「BTR-70」、ベラルーシによる改修型「BTR-70」、ウクライナによる改修型「BTR-70/80A」と「BTR-3」が含まれています。それに加えてスーダン軍は中国の「WZ-551」と「WZ-523」 APCの大量のストックも有しており、70年代初めに引き渡されたチェコスロバキア製「OT-64A」の残存しているものもあります。
スーダンは非常に多様なBTRの派生型を運用しているおり、その中でも「BTR-70」、ベラルーシによる改修型「BTR-70」、ウクライナによる改修型「BTR-70/80A」と「BTR-3」が含まれています。それに加えてスーダン軍は中国の「WZ-551」と「WZ-523」 APCの大量のストックも有しており、70年代初めに引き渡されたチェコスロバキア製「OT-64A」の残存しているものもあります。
2番目の画像で、「BTR-80」の砲塔が車体に備え付ける状況を見ることができます。
MICが「アミール2」偵察車として売り出しているソビエトの「BRDM-2」は、まだ新品同様の状態です(下の画像)。「BRDM-2」自体の設計は60年代前半のものですが、スーダン軍は2000年代にベラルーシから追加の車両を受領し続けていたとみられており、それらは既に同軍で運用されている「BRDM-2」群に加わりました。
「アミール2」は近ごろUAEで開催された武器展示会「IDEX2017」でも展示されており、MICが国際市場向けに新造した「BRDM-2」を売り出すことを示唆しました。
「アミール2」は近ごろUAEで開催された武器展示会「IDEX2017」でも展示されており、MICが国際市場向けに新造した「BRDM-2」を売り出すことを示唆しました。
MICの分かりにくいマーケティング戦略にもかかわらず、「アミール2」は実際のところ「BRDM-2」の運用を続ける国に向けた同車のアップグレード案です。このアップグレードでは、「BRDM-2」本来の140hpを誇る「GAZ-41」エンジンを210hpのいすゞ製「6HH1」エンジンへの換装が見られ、機動性と燃費の向上を提案しています。
いくつかのアフリカ諸国が老朽化している「BRDM-2」の運用を続けていますが、これらの国のいずれかが同車のアップグレードに関心を持つということは考えにくいでしょう。
修理施設のメンテナンスホールに3台の「WZ-551」があります(下の画像)。このAPCは以前にMICによって「シャリーフ2」として売り出されていたものであり、MICが単に同車を輸出製品の一覧に記載していただけで実際に売り出していたのかは不明だが、画像の車両はスーダンでオーバーホールを受けている可能性を示唆しています。
修理施設のメンテナンスホールに3台の「WZ-551」があります(下の画像)。このAPCは以前にMICによって「シャリーフ2」として売り出されていたものであり、MICが単に同車を輸出製品の一覧に記載していただけで実際に売り出していたのかは不明だが、画像の車両はスーダンでオーバーホールを受けている可能性を示唆しています。
しかし、この件についてはMICが「WZ-551」と「WZ-523」の両方をオーバーホールできる可能性を意味しているかもしれません。
スーダン軍は主にベラルーシ、ウクライナやロシアからストックされている中古AFVを入手していますが、限られた数のウクライナの「BTR-3」に加えてロシアの「BTR-80A」も保有しており、そのうちの一台を下の画像で見ることができます。 また、その背景に一台の「BRDM-2(またはアミール2)」、「BMP-1」と「T-72AV」も見ることができる。
スーダン軍は主にベラルーシ、ウクライナやロシアからストックされている中古AFVを入手していますが、限られた数のウクライナの「BTR-3」に加えてロシアの「BTR-80A」も保有しており、そのうちの一台を下の画像で見ることができます。 また、その背景に一台の「BRDM-2(またはアミール2)」、「BMP-1」と「T-72AV」も見ることができる。
より興味深いことに、画像には退役したM60の列(注:画像左)が見えますが、そのうちのごく一部は依然としてスーダン軍で運用状態にあると考えられています。
下の画像で見える教場は、スーダン軍で運用されている様々なロシアのAPCとIFVの武装で満たされています。
下の画像で見える教場は、スーダン軍で運用されている様々なロシアのAPCとIFVの武装で満たされています。
左には「BRDM-2」、「BTR-70」と「BTR-80」用である「PKT」7.62mm同軸機銃付きの「KPV」14.5mm重機関銃2門があり、右には「BTR-80A」と「BMP-2」用の「2A42/2A72」30mm機関砲2門を見ることができます。また、「BTR-80A」の砲手の訓練用に設けられた完全な同IFVの砲塔モジュールが後ろに見えることにも注目するべきでしょう。
を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる
2017年6月1日木曜日
新たな脅威?:イスラミック・ステートが放つ自爆ドローン
著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
当記事は、2017年4月25日に「Oryx」ブログ本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります(注:本国版の記事はリンク切れで閲覧不可)。
モスルでの戦いは旧市街地での最も困難な争奪が依然として続いており、イスラミック・ステート(IS)支配下の最大都市を巡る激しい戦闘が7ヶ月目に突入しています。
イラク軍との戦闘で、ISは多くのAFVや特殊部隊と航空支援を備えたより強力な相手に直面すると、都市の狭い通りでのVBIED(車両運搬式即席爆発装置)の大規模な使用を含む、この組織にとって既に特徴となった戦術を採用しました。
モスルの戦いでは、(実績のある武器や戦術の使用とは別に)都市環境とISの戦い方に完全に適合した幾つかの「Made in Islamic State」の兵器システムが初公開されました。 ほぼ間違いなく最も適した好事例は新型の対戦車ロケット及び兵器化されたドローンの配備です。イラク軍が堅固に防備を固めたISから今までに都市の大部分を奪回したものの、この双方は使用が増加するにつれて広く公開されています。
モスルの戦いでは、(実績のある武器や戦術の使用とは別に)都市環境とISの戦い方に完全に適合した幾つかの「Made in Islamic State」の兵器システムが初公開されました。 ほぼ間違いなく最も適した好事例は新型の対戦車ロケット及び兵器化されたドローンの配備です。イラク軍が堅固に防備を固めたISから今までに都市の大部分を奪回したものの、この双方は使用が増加するにつれて広く公開されています。
モスルからリリースされたISの最新動画の公開は、武器製造と都市における無人航空機及び無人車両に関するISの成果をより細かく披露しています。クルアーンの第29章の第69節を参照して名づけられた動画「我ら自らその手を引いて正しい道を歩ませよう」では、以前には見られなかった幾つかの兵器システムの組み立てと配備を映し出されていました。RPG、無反動砲、自家製対戦車ロケットランチャーの生産はすでに著しい発展を遂げているものの、 自爆型UAVと思われるものの実戦デビューはなおさらそうであり、これは都市部におけるイラク軍に対する、「自殺ドローン(人命が関与していないという意味での、やや不適当な名前)」として一般的によく知られています。
この脅威は潜在力があるにもかかわらず、この動画では少ししか放送されていません。ただし、自殺ドローンの実戦デビューは、この新しいIS製武器の現時点における欠点を明らかにしています。
自爆型UAVは比較的新しいコンセプトであり、人間のオペレーターによるものか自律的に選択された目標を打撃する前に、この自爆機を標的空域へ飛行させることがです。この方法には事前に設定された標的に命中するようにプログラミングされた、従来の巡航ミサイルや誘導ロケットに比べていくつかの利点があります。
もし、自爆型UAVが適切な目標を発見できなかった場合、自爆させるか(場合によっては)基地に戻ることさえできるため、運用において一層の柔軟性をもたらすでしょう。
シリアにおいて、ISは自爆型UAVを主にデリゾールの包囲された市街地にいる政府軍に対して何度か投入したと以前に報告されています。しかし、問題になっているこのUAVが、単発のPG-7ロケット程のペイロードで政府側の地域に自ら突入することになっているのか、その代わりに実際にはこれらを投下するように設計されているのかは不明のままです。しかし、後者の方がより可能性が高いように思われます。
運用可能な自爆型UAVを配備したのは、ISが最初ではありません。事実、このような兵器は既にアゼルバイジャン、イエメン、イスラエル、米国が紛争で使用しており、後者はシリアにも配備しています。このような「カミカゼドローン」のもう一つの運用国は北朝鮮であり、現時点ではこの種の兵器に関して最大の運用者と推測されています。
運用可能な自爆型UAVを配備したのは、ISが最初ではありません。事実、このような兵器は既にアゼルバイジャン、イエメン、イスラエル、米国が紛争で使用しており、後者はシリアにも配備しています。このような「カミカゼドローン」のもう一つの運用国は北朝鮮であり、現時点ではこの種の兵器に関して最大の運用者と推測されています。
もちろん、ISによって使用されている粗雑に組み立てられた奇妙な機械は、プロ級の兵器を生産する国々で使用されている現代的な兵器にはほとんど匹敵せず、その脅威に対処するには比較的困難ですが、テロリストを都市の外へ排除しようとしているイラク軍への絶え間ない妨害を大幅に増大させる可能性を有しています。
ISによる「自殺ドローン」と思われる生産は、2017年3月にISからの文書のリークで初めて示唆されました。これらの文書は、 空対地ミサイルとして使用される20kgの爆薬を積載することが可能な多目的UAVの開発及び製造のための許可と財政支援を受けるため、チュニジアのドローン開発者であるアブ・ユスラ・アル・チュニジによる要求が詳細に記載されていました。
ISによる「自殺ドローン」と思われる生産は、2017年3月にISからの文書のリークで初めて示唆されました。これらの文書は、 空対地ミサイルとして使用される20kgの爆薬を積載することが可能な多目的UAVの開発及び製造のための許可と財政支援を受けるため、チュニジアのドローン開発者であるアブ・ユスラ・アル・チュニジによる要求が詳細に記載されていました。
ISの文書の要約(日本語訳)は以下のとおりです。
イスラミック・ステ-ト
ハラブ州
中央兵員局
(概要)
氏名: アブ・ユスラ・アル・チュニジ
年齢: 47
専門:飛行機及び航空学の分野で多少の知識を有し、動力用電気と電子工学を専攻。
関係者に対し、アバビル計画を提示する。
これは多目的UAVであり、以下の用途を含む。
1- 直径30kmにわたる地域の偵察
2- 20kg以上のペイロードを有する空対地ミサイルとして使用可能
3- 夜間または日中に1機以上のUAVを使用することで、敵の注意をそらすことに使用可能
4- 敵機の妨害
このプロジェクトには、以下の者から構成されるチームを必要とする:
- 電気機械の技術者
- ファイバーグラスの専門家
- CNCでの作業方法を知るAutoCADのエキスパート
- 金属工
このプロジェクトには約5,000USドルがかかり、完了に3ヶ月を要する。私が研究開発の部門で働いていたときに携わっていた試作機の写真を示す。
イスラミック・ステ-ト
ハラブ州
中央兵員局
(概要)
氏名: アブ・ユスラ・アル・チュニジ
年齢: 47
専門:飛行機及び航空学の分野で多少の知識を有し、動力用電気と電子工学を専攻。
関係者に対し、アバビル計画を提示する。
これは多目的UAVであり、以下の用途を含む。
1- 直径30kmにわたる地域の偵察
2- 20kg以上のペイロードを有する空対地ミサイルとして使用可能
3- 夜間または日中に1機以上のUAVを使用することで、敵の注意をそらすことに使用可能
4- 敵機の妨害
このプロジェクトには、以下の者から構成されるチームを必要とする:
- 電気機械の技術者
- ファイバーグラスの専門家
- CNCでの作業方法を知るAutoCADのエキスパート
- 金属工
このプロジェクトには約5,000USドルがかかり、完了に3ヶ月を要する。私が研究開発の部門で働いていたときに携わっていた試作機の写真を示す。
このプロジェクトは原因不明の理由でストップしたようです。アブ・ユスラ・アル・チュニジが、彼のアバビル計画を継続するために許可と財政支援を受けたのかは不明ですが、 ISが公開した最新の動画で見られるドローンが、実際にアバビルである可能性は低いと思われます。
彼はシリアのハラブ州(アレッポ県)におけるドローン開発の許可と財政支援だけではなく20kg以上の爆発物を想定したペイロードも要求したものの、これはモスルで見られたドローンに搭載するには重すぎたと見受けられます。
ISが公開した動画では、ドローンの飛行(動画の8分43秒付近) は僅かに映されているだけですが、操作に関する興味深い詳細な描写を見せています。(ところどころダクトテープで結合された)金属フレームをベースにしたこのドローンは、ISによって生産された最大のものです。
ISが公開した動画では、ドローンの飛行(動画の8分43秒付近) は僅かに映されているだけですが、操作に関する興味深い詳細な描写を見せています。(ところどころダクトテープで結合された)金属フレームをベースにしたこのドローンは、ISによって生産された最大のものです。
これまでに、ISは主にクアッドコプター、スカイウォーカーや様々な旧来のドローンが使用されてきました。彼らは何度か兵器化されたスカイウォーカーを披露しましたが、そのような改造型(自爆型)は作戦上使用されないと考えられます。
リリースされた映像では、コントローラーを手にしたドローンのオペレーターが左側に立っている状況が映し出されていました。ただし、彼はドローンの離陸担当だっただけで、後にこのラジコンが内蔵カメラによって同機の飛行経路の画面を見る別のオペレーターへ引き継がれた可能性に注意する必要があります。
この動画では、中身が半分ほど入った燃料タンク(注:機体中央部の透明なタンク)が見える、ドローンのはっきりとした姿が映し出されたにもかかわらず、搭載しているべき物体を見ることはできません。それが当時非武装であったのか、もしかすると搭載物がエンジンの付近に取り付けられていたことを意味するのかどうか、そのために発見するのが困難であるのかは不確かです。
ドローンからの画面は、同機がM1エイブラムス戦車を含むイラク陸軍の車両と兵士の集結ポイントに向かって降下する前に、時速約110kmの速度でそれまでに約10分飛行した旨を表示しています。
興味深いことに、この映像はドローンが突入する直前にカットされています。それは搭載された爆薬が起爆したことを暗示している一方で、実際には、もっぱら最後の瞬間に機体を急転換させたか、何も搭載しない状態で単純に墜落した可能性もあります。後者の場合、このドローンの目的は使用可能な兵器を実際に戦闘員に与えたというより、運用試験やプロパガンダでの使用を目的としてしていたのかもしれません。
(自作ドローンの)粗雑で明らかに急造である特徴は、ISのような勢力のための遠隔制御兵器がどんどん開発され易いこの時代において、このような非対称戦術から軍隊を防護することがますます困難になるだろうという事実を和らげることにはなりません。
自爆型UAVでイラク軍を攻撃するこの試みは成功する可能性が低いですが、その手法がいつか世界中における同様の紛争で幅広く効果的に使用される戦術となる可能性があるという脅威が増大しています。
自爆型UAVでイラク軍を攻撃するこの試みは成功する可能性が低いですが、その手法がいつか世界中における同様の紛争で幅広く効果的に使用される戦術となる可能性があるという脅威が増大しています。
イラクにおけるISの時代は徐々に終わりが近づいていますが、シリアではより多くの驚きが待ち受けているのは確実であり、この紛争は予測不可能な方法で展開を継続し、将来戦われる戦争の手法が彼らの強い影響を受けることは間違いないでしょう。
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