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2025年8月10日日曜日

「Nu.D.40」から「バイラクタル・アクンジュ」まで:デミラー氏のレガシー


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月19日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 Benden bu millet için bir șey istiyorsanız, en mükemmelini istemelisiniz. Madem ki bir millet tayyaresiz yaşayamaz, öyleyse bu yaşama vasıtasını başkalarının lütfundan beklememeliyiz. Ben bu uçakların fabrikasını yapmaya talibim. - この国のために私に何かして欲しいなら、最も素晴らしいものを求めるべきだ。飛行機なしでは国家は生きられないのだから、私たちはこの生きる術を他人の恩恵に期待すべきではない。私はこれらの飛行機の工場を建てることを熱望している:ヌリ・デミラー

 航空大国としてのトルコの台頭について、その規模と範囲、そしてスピードの面で、近代史において比類のないものです。この偉業は、彼らが防衛分野でのほぼ自給自足を達成させるという目標に向けた不断の努力と、外国のサプライヤーやトルコに何度も制裁を加えている国への依存度を軽減させてきたことが大いに影響しています。この政策の成果はすでにトルコ軍のほとんどの軍種で活躍していますが、自給自足を達成するための最も野心的な試みは、間違いなく新型ジェット練習機「ヒュルジェット」とステルス戦闘機「TF-X(カーン)」の開発でしょう。いずれもこの10年で初の試験飛行が予定されています。(注:前者は2023年4月25日、後者は2024年2月21日に初飛行を実施しました)

 しかしながら、トルコによる軍用機開発・生産への取り組みは有人システムだけに限定されるものではありません。トルコには現在、無人戦闘機の開発計画が少なくとも2つあります。そのうちの1つは、今年後半に就役する予定のバイカル・テクノロジーが開発した「バイラクタル・アクンジュ」です。「アクンジュ」は、巡航ミサイルや視界外射程空対空ミサイル(BVRAAM)発射能力を含む斬新な能力をこの分野にもたらし、自身がそれらを実行可能な世界初の無人プラットフォームとなります。このUCAVはトルコの無人機戦能力の範囲を飛躍的に拡大させることになるでしょう。というのも、100キロメートルも離れた敵機やUAV、ヘリコプターも標的にできるようになるからです。

 「アクンジュ」の生産が意欲的に進められている一方で、もう1つの無人戦闘機「MİUS(Muharip İnsansız Uçak Sistemi)」計画が進められています。2023年までに初飛行を予定しているこの超音速戦闘無人機は、戦闘空域で精密爆撃、近接航空支援(CAS)任務、敵防空圏制圧(SEAD)を遂行できるように設計されています。(この記事を執筆した2021年5月)現在のところ、MİUS計画はまだ設計段階にとどまっていますが、トルコの防衛産業が盛況していることを示すものです。 独自の解決策で困難を克服する素晴らしい能力のおかげで新しい計画が迅速に採用され、トルコは複数の防衛分野で技術革新の最前線に立っていると言っても過言ではありません注:「MİUS」は「クズルエルマ」と命名され、試作機が2022年12月に初飛行を記録しました

 しかし、多くの人に知られていないのは、「TF-X」も現在開発中の「MİUS」も、トルコが初めて国産戦闘機の設計に挑戦したものではないという事実です。このような航空機を実現させようと最初に挑戦したのは、実は1930年代まで遡ることができます。当時、トルコの航空機設計者であるヌリ・デミラー(1886~1957年)が型破りで革新的な双発単座戦闘機の設計に着手したのです。 残念なことに、ヌリ・デミラーの功績はトルコ国外ではほとんど注目されておらず、国内でも彼の斬新な飛行機が最近まで全く知られていませんでした。


 ヌリ・デミラーの功績と「Nu.D.40」そのものについて詳しく説明する前に、より富んだ洞察力を得るために第二次世界大戦勃発以前のトルコにおける航空産業史を簡単に説明します。1930年代にはヨーロッパの大部分の国が何らかの形で航空機産業を抱えていましたが、トルコでは武力衝突や(民間)輸送における航空機の役割が急速に拡大することを見越しており、すでに1925年2月にトルコ航空協会(Türk Hava Kurumu - THK)が設立されていました。そして、彼らは初期段階のサポートと専門知識を得るために外国のパートナーとの提携を求め、ドイツのユンカース社と契約を結び、1925年8月にTayyare and Motor Türk AnonimŞirketi(TOMTAŞ)が設立されるに至りました。[1]

 ユンカースとの契約では、小型機の生産とオーバーホールを行う工場をエスキシェヒルに、大型機の生産と整備を行うより大規模な施設をカイセリに設立することが定められました。当初はドイツが中心となって運営されていたものの、ドイツの関与は徐々に縮小して現地の部品や労働者による生産に置き換えられ、最終的には真の意味での国産化へと進んでいったのです。[1] 

 TOMTAŞで最初に生産されたのはユンカース「A20」偵察機と「F13」輸送機で、それぞれ30機と3機が生産されました。同社が最終的に年間約250機の航空機を生産することを計画していたことは、この設立が国産航空機産業を立ち上げるための形だけの試み以上のものであったことを示しています。

 ところが、設立直後からユンカース側の財政難を主因として、最終的にプロジェクト全体を崩壊に導くような問題が発生し始めました 。この時すでに倒産寸前であったユンカースに対するドイツ政府の支援が打ち切られた後、同社は1928年6月にトルコとの提携を正式に解消し、その数か月後にはTOMTAŞも閉鎖されてしまったのです。[1]

 工場についてはトルコ国防省へ移管後も整備・修理事業を継続し、1931年にカイセリ航空機工場と改称され、1942年まで航空機の組み立てを続けました。[2] 現在、カイセリにあるTOMTAŞの跡地にはトルコ空軍の主要な戦術輸送航空基地である(エルキレト空軍基地)があり、「A-400M」、「C-130」、「CN-235」輸送機が配備されています。

1930年代のカイセリ航空機工場で生産中のPZL「P.24」(ライセンス生産)

 トルコの国産航空機産業の役割が、いつの日か航空機を設計・製造するという当初の目標ではなく、組み立てに絞られるようになったことで、トルコの実業家ヌリ・デミラーは、この分野におけるトルコの取り組みを再始動させるという構想を抱き始めました。彼は技術革新や大規模な建設プロジェクトを全く知らなかったわけではありません。というのも、彼の会社が1920年代の時点でトルコ全土に約1.250kmの鉄道を敷設したことがあるからです。[3] 

 トルコ鉄道発展への貢献を称え、1934年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領は彼にデミラー(鉄の網)という姓を与えました。彼の次のプロジェクトはさらに野心的なスケールのもので、私財を投じて1936年にイスタンブールのベシクタシュ地区に航空機工場を設立したのです。すでに同年、デミラーと彼の技術チームが設計した最初の飛行機が形になり始めていました。「Nu.D.36」は2人乗りの初等練習機で、最終的に24機が生産されています。[3]

 まもなく、より野心的な設計の双発旅客機「Nu.D.38」が登場しました。試作機の製造は第二次世界大戦中も続き、1944年には初の試験飛行が行われたものの、試作で終わっています。成長と航空事業をより円滑に進めるため、デミラーはイスタンブールのイェシルキョイに土地を購入し、現在のアタテュルク空港がある場所に飛行場と飛行学校(1943年まで約290人のパイロットを養成)を設立しました。[3]

 彼の幅広い野心と分野を超えた多大な取り組みは、自身の目標が航空機の設計と製造だけにとどまらず、 トルコ全体の航空関連活動に対する大衆の参加と関心を高めるプロセスを立ちあげることも目指していたことを十分に証明していると言えるのではないでしょうか。

1942年、イェシルキョイ空港に並ぶ「Nu.D.36」




1940年代初頭、「Nu.D.38」の試作機が製造されている光景

 献身的な努力にもかかわらず、やがて彼は、自国の航空産業が繁栄するために必要な環境を提供できないばかりか、その存続そのものに積極的に反対する政府に直面することになります。THKは24機の「Nu.D.36」を発注していましたが、イスタンブールからエスキシェヒルへの試験飛行後に不時着した(パイロットのセラハッティン レシット・アランが死亡に至らせた)事故を受け、同機の発注をすべてキャンセルしたのです。[3]

 これに対し、デミラーは訴訟を開始しました。何年にもわたる長引いた裁判でしたが、航空機には何の欠陥もないことを証明する複数の専門家の報告にもかかわらず、裁判所は最終的にTHKを支持する判決を下しました。[3]

 同様に、待望の「Nu.D.38」は、(ターキッシュ エアラインズの前身である)トルコ国営航空やその他の政府機関からの注文を獲得することができませんでした。さらに追い打ちをかけるように、デミラーの飛行機を他国へ輸出することを禁止する法律が制定されたことで、スペインを含む「Nu.D.36」に関心を示していた数か国との交渉が打ち切られてしまったのです。[4]

 そして、トルコ空軍からの発注も得られなかったため、彼の工場は1943年に閉鎖を余儀なくされました。 この状況を覆すため、デミラーはイスメト・イノニュ大統領を含む政府高官に何度も陳情したものの、結局は効果が得られませんでした。[3]

 こうして、彼の多大な努力は実らず、国産航空産業の有望なスタートが途絶えてしまったのです。トルコ航空界への貢献を記念して、2010年にはスィヴァス空港に彼の名前が付けられました。彼の名前が認知されるのは遅くてもないよりはマシですが、トルコの歴史においてデミラーが十分に評価されていない人物であることは間違いないでしょう。

 ヌリ・デミラーと彼の航空機工場の物語はここで終わったと思われていました。数年前、研究者のエミール・オンギュネルがトルコとドイツの公式文書から、デミラーと彼の技術チームによる別のプロジェクト「Nu.D.40」の存在を発見するまでは。その型破りなデザインとドイツで風洞実験が行われた機体という事実を考えると、この飛行機の存在が長い間にわたって忘れ去られていたことは、実に驚くべきことと言えるでしょう。

 「Nu.D.40」に関する情報の多くは、1938年にドイツのゲッティンゲンにある空気力学研究所 (Aerodynamische Versuchsanstalt, AVAが実施した風洞試験に由来します。試験終了後、AVAはデミラーに、(試験で判明した事項を詳述した)110ページにも及ぶ包括的な報告書を送付しました。[5]

 ところが、度重なる連絡ミスにより、AVAは当初要求していた資金の一部しか集めることができず、1940年には「Nu.D.40」に関する機密報告書をドイツの航空会社2社に譲渡してしまったのでした。[6]

 「Nu.D.40」について、機体の構成やエンジンの種類、武装案等はほとんど知られていません。第二次世界大戦が勃発する前に設計されたため、国産化できない部品(特にエンジンと武装)は海外から調達する必要があったものの、ヨーロッパ全土で戦火が拡大する中での調達は不可能に近いものでした。この事実を無視して、仮に完成させた場合を考えてみますと、ドイツ製の航空機用エンジン2台と、機関砲または重機関銃2挺と軽機関銃2挺という武装の組み合わせが、もっとも妥当な機体の構成だったように思われます。


 やがて、エミール・オンギュネルは自分の発見をトルコ航空宇宙産業(TAI)のテメル・コティル会 長兼CEO(当時)に対し、興奮気味に『この飛行機を絶対に作るべきだ!』と伝えたとのことです。こうして、「Nu.D.40」復活チームが結成されたわけですが、まずは3Dのデジタルモデルが作成された後、1/24スケールの模型が製作されました。次のステップには、「Nu.D.40」のUAVモデル(1/8と1/5スケールが1機ずつ)の組み立てが含まれます。[7]

 最終的には、実物大の1/1レプリカモデルが製作され、デミラーの夢である「Nu.D.40」の飛行をついに実現させる予定です。


 計画されている1/1のレプリカモデルの機体構成の場合、「Nu.D.40」は同時代にフォッカーが設計したオランダの「D.23」単座戦闘機と驚くほどよく似た姿になるでしょう(実際のところ、ヘッダー画像は第二次世界大戦時のトルコ空軍の塗装が施された「Nu.D.40」に似せて修正された「D.23」なのです)。

 「D.23」計画は、最高速度約535km/h、13.2mm機関砲2挺と7.9mm機関砲2挺を装備する迎撃機として1937年に構想がスタートしたものです。実寸大のモックアップが1938年のパリ航空ショーで初公開され、翌年の1939年3月に試作機が完成しました。[8] 「D.23」はその2か月後に初飛行を実施しましたが、1940年4月の11回目の試験飛行中に機首車輪が損傷したため、分解して修理のために輸送しなければならない状態となりました。[8]

 1940年5月にドイツ軍がオランダに侵攻したとき、「D.23」はまだ機首の車輪を修理しておらず、格納庫に保管されたままだったため、ほとんど無傷で生き残ることができました。オランダ征服から僅か2週間後、ドイツ空軍がこの飛行機の視察と、ドイツへの輸送準備をしにやって来ました。有望なプロジェクトをそう簡単に敵に引き渡すわけにはいかなかったフォッカーは、ドイツの代表団に対し、「D.23」はオランダ空軍ではなくフォッカーの所有物であり、ドイツがこれを欲しいのであれば高額の買収費用を支払う必要があることを要求したことで、ドイツ側の関心が急速に失われていったのです。 [8] 

 結局、この機体は「記念品ハンター」によって次第に分解されていき、連合軍によるスキポール空襲で破壊されました。「D.23」が就役していれば、その時代で最も興味深い航空機の一つになっていたでしょう。しかしながら、第二次世界大戦の勃発によって、この飛行機は大きな期待に応えることができなかったのは言うまでもありません。






 長年にわたる綿密な調査を経て、エミール・オンギュネルは「Nu.D.40」に関する全ての知見を『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』という本にまとめました。この本は、ドイツとトルコの公文書館から収集した公文書を用いて、この航空機の設計史に焦点を当てています。現在はトルコ語版しかありませんが、将来的には英語版も出版されることを期待しています。『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』は、トルコの有名オンラインストアやトルコ科学技術研究会議(TÜBİTAK )で260トルコリラ(約943円)で注文可能です。


 トルコ初の(無人)国産戦闘攻撃機は、「Nu.D.40」の設計から約83年後の2021年に就役する予定です。「Nu.D.40」が当時革新的であったように、「アクンジュ」も革新的なものです。ヌリ・デミラーは今ではほとんど忘れ去られてしまいましたが、近代的な国産航空産業に対する彼のビジョンを受け継ぐ人々がいることは注目に値します。

 バイカル・テクノロジーのような企業は、非常に献身的な人々のチームが何を達成できるかを実証しています。 彼らはデミラーのようにリスクを恐れず、祖国と技術への愛を第一とし、多くの利益を得ることを二の次にしているのです。100年近く前にデミラーが知っていたように、これらの目標を達成するためには人々の関心を集めることが重要です。デネヤップテクノフェストといった技術ワークショップやイベントを通じて、バイカルは同社の工場や他のトルコの技術系企業に同じ志を持つ大勢の人々を引き寄せるに違いありません。未来を見据えるこれらの企業は、空における自国の運命のみならず、人々の心にも変革をもたらそうとしているのです。

 編訳者注:「アクンジュ」は2021年8月29日に就役し、対テロ作戦など実戦に投入されています。ムラドAESAレーダーの統合試験などが実施されています(この統合によって、BVRAAMなどの運用能力が付与され、本来想定していた能力が完全に発揮できることになります)。


[1] Turkey's First Aircraft Factory TOMTAŞ https://www.raillynews.com/2020/07/The-first-aircraft-factory-turkiyenin-tomtas/
[2] TOMTAS - Tayyare Otomobil ve Motor Türk Anonim Sirketi http://hugojunkers.bplaced.net/tomtas.html
[3] Aviation Facilities of Nuri Demirağ in Beşiktaş and Yeşilköy https://dergipark.org.tr/tr/download/article-file/404341
[4] The 24 Nu.D.36s that had been produced for the THK were donated by to the local flight school and later scrapped.
[5] Nuri Demirağ’ın Almanya’da kaybolan avcı uçağı: Nu.D.40 https://haber.aero/sivil-havacilik/nuri-demiragin-cok-az-bilinen-ucagi-nu-d-40/
[6] Nuri Demirağ’ın Bilinmeyen Uçağı: Nu.D.40 https://www.havayolu101.com/2019/01/10/nuri-demiragin-bilinmeyen-ucagi-nu-d-40/
[7] We’re very proud to realize Nuri Demirağ’s dream https://defensehere.com/eng/defense-industry/we-re-very-proud-to-realize-nuri-demirag-s-dream/75967
[8] Fokker D.23 https://geromybv.nl/home/fokker-d-23-willem-vredeling/



 2025年現在の情報にアップデートした改訂・分冊版が発売されました(英語のみ)

2025年7月26日土曜日

シュート&スクート: アルメニアの軽量型多連装ロケット砲


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年7月30日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 2020年ナゴルノ・カラバフ戦争において、アルメニア軍の砲兵部隊とロケット砲部隊ほど深刻な損失を被った兵科はなかったでしょう。彼らをカバーするはずだった防空網がドローンを無力化できなかったため、見渡しの良い陣地にある榴弾砲と多連装ロケット発射砲(MRL)が上空を飛行する「バイラクタルTB2」に完全に無防備な状態となり、(視覚的に確認できるものだけでも)152門の大砲と71基のMRLが破壊されてしまったからです。[1]

 アルメニア軍が放棄した後にアゼルバイジャン軍によって鹵獲された105門の大砲を加えると、アルメニアはこの戦争で砲兵戦力の大部分を喪失し、MRLに至っては保有数の約2/3に相当する損失を被りました。 [1]

 アルメニアの深刻な不足状態にあるMRLのストックについて、ロシアが代替品の供給を通じて部分的に補充した可能性はありますが、今後の紛争では2020年の戦争で発生した事態が繰り返されることは確実であり、とどまるところを知らないドローン戦の影響を少なくとも部分的に抑制させるためには、全く新しい戦術が必要不可欠です。

 このような戦術の転換を示す最初の兆候は、2021年6月下旬にアルメニアの道路で確認された新型MRLです。[2]

 トヨタ「ハイラックス」に搭載された8連装の122mm MRLから構成されるこの新型MRLシステムは、火力を犠牲とする代わりに機動性と小型化を重視したものであり、武装無人機に対する脆弱性を低減させる可能性があるでしょう。

 このようなMRL自体は特に目新しいものではありません。というのも、小型かつ機動性のある状態で遠方の目標を打撃する能力を持つMRLを自軍に装備させるために、他国も同様のシステムを採用しているからです。しかし、アルメニアがこのようなシステムへ関心を示したのは、大型MRLの弱点を実際に目撃した後だったようです。アルメニアのMRLの大半は、前線後方にある陣地から射撃任務中に標的とされました。これらの陣地は砲撃などに対しては十分な防護力を発揮しましたが、武装無人機に対しては完全に無防備でした。アルメニアの兵士が一部の「BM-21」を木の枝や葉で擬装し始めたものの、いざ隠れ家から出て射撃を開始すると目立ってしまい、最終的には逆に攻撃されてしまったのです。

アルメニア軍の「BM-21」:画像は「バイラクタルTB2」の「MAM-L」誘導爆弾が命中する直前の様子。

右側の茂みから出てきた擬装を施されたアルメニアの「BM-21」:木や茂みの下に退避していても、こうしたMRLが搭載する大型エンジンの熱放射は、上空を飛行する「バイラクタルTB2」に自身の位置を探知される可能性を大幅に上げた。

 2020年ナゴルノ・カラバフ戦争では「BM-21」が陣地に固定配置されていたのに対し、新型MRLはロケット弾を発射後、速やかに新たな射撃位置や再装填位置、あるいは上空を飛ぶドローンの探知から逃れるためのガレージや小さな建物に設けられた隠れ家に移動することができます。

 見通しの良い場所で発見された場合でも、そのコンパクトなサイズと熱放射量の少なさのおかげで、(特に発射装置を隠蔽する措置を講じれば)即座の探知を回避できる可能性があります。トヨタ「ハイラックス」の速度、優れたオフロード性能、コンパクトなサイズは、このような戦術に最適な存在と言えるでしょう。

 このような策は、敵がアルメニアの砲兵とMRLを無力化しようとする試みを著しく困難なものにさせるでしょう。各MRLが敵に発射できるロケット弾の数は「BM-21」に比べてはるかに少ないものの、トヨタ「ハイラックス」をベースにした新型MRLは無人機戦でもたらされる猛攻撃から生き残る個体が多いと見込めるため、より長く戦闘を継続できる可能性があります。こうした新戦術が、目標に対して大きな効果を発揮する可能性はあるものの、空中の脅威に対して極めて脆弱で非対称戦では間違いなく効果を失うだろう高コストな大規模な砲兵戦術の重要性を低下させるかもしれません。

 新型MRLと同様のシステムの評判の高さについては、リビア、シリア、イエメン、スーダンなどで大規模に使用されていることで既に証明されています。アルメニアに同種のシステムが登場したことは、この国が現時点で保有する限られた軍備を最大限活用しようとする過去の取り組みを考慮すれば予測可能だったかもしれません。

 しかしながら、この新型が実際に配備されるかどうかは依然として不明です。多くの他の有望な国産装備と同様に、新型MRLも資金不足に直面して試作段階で頓挫する可能性も否定できません。それでも、アルメニアが置かれた状況を考慮すれば、こうした兵器の生産は合理的な選択と言えます。こうした状況を踏まえると、MRLの探知と無力化という面での優位性を維持させるために、アゼルバイジャンが無人機技術への投資を拡大せざるを得なくなるという懸念が出てきますが、長い目で注視していく必要があることは言うまでもありません。

ArmHighTech-2022で展示された「SMLRS」

 編訳者による追記:2022年にエレバンで開催された武器展示会「ArmHighTech-2022」では、この新型MRLが「SMRLS(小型多連装ロケット砲)」という名で展示されました。掲示物には、「BM-21」で使用するロケット弾を使用するもので、自動射撃管制システムや車体安定システム、無線システムを搭載しているとの説明がありました。この展示会は2022年以降開催されておらず、その他を調べても「SMRLS」が試作段階なのか軍に採用されたのかは不明のままとなっています。

[1] The Fight For Nagorno-Karabakh: Documenting Losses On The Sides Of Armenia And Azerbaijan https://www.oryxspioenkop.com/2020/09/the-fight-for-nagorno-karabakh.html
[2] https://twitter.com/Caucasuswar/status/1408446699358543874
[3] https://missilery.info/gallery/variant-boevoy-mashiny-rszo-dlya-rs-kalibra-122-mm-armeniyaRecommended Articles:

2025年に改訂・分冊版が発売予定です(英語版)


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2025年5月16日金曜日

イスラム国の機甲戦力:モスルに出現した「戦闘トラム」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo


 この記事は、2020年1月15日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 2016年11月、モスルの北にあるバシジの町の木の下にトラムか装甲戦闘バスのような車両が置かれていました。以前の所有者によって放棄されたこの怪物は、かつてモスル北部のナヴァラン近郊で行われた今や悪名高いイスラム国(IS)の攻勢に登場したものです。その攻勢を撮影した動画は、参加した数人の戦闘員の滑稽な動きで急速にネット上で拡散されました。戦闘員アブ・ハジャールはインターネットのあらゆる場所でミームのネタとなりましたが、この攻勢でISが投入した装甲強化型トラックやその他の車両は、軍事的側面に注目する人々にとって特に興味深い存在でした。

 ISが手掛けたDIY式装甲戦闘車両(AFV)の多くは、車体に鉄板を貼り付けただけの非常に粗雑なものでした。ただし、彼らのニーズにより適合させるように車両を改造することを目的とした大規模な工廠が存在しており、そこからシリアやイラクの戦場で展開する戦闘に完璧に適したAFVが生み出されたのです。これらの兵器の改修を担当したAFV工廠はIS支配地域内にあり、最大のものはシリアのタブカイラクのモスル近郊にありました。

 モスル占領の直後、ISはイラク軍と警察がモスルからの撤退時に残した大量の車両と装備を運用するために複数の装甲部隊を創設しました。一部の車両は事実上全く手を加えられずにイラクとシリアの戦場に直ちに配備されたものの、他の車両は車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)として使用するために改造されたり、「襲撃大隊」向けとして、モスルの平原で使用するAFVに改造されたのです。

 インギマージ...生還を期することなく敵陣に突入することを任務とする突撃部隊...の作戦において、「襲撃大隊」は重くて遅い装軌式AFVではなく、より高速が出る装輪式車両を主に使用しました。実際のところ、イラクのISでは少数の戦車が積極的な戦闘行動(攻撃)で運用されていましたが、そのほとんどは「アル・ファルーク機甲旅団」と「防御大隊」の所属でした。したがって、即席かつ装甲が強化されたAFVを使用したのは、主に「襲撃大隊」です。


 「襲撃大隊」用に改造された車両の大半は基本的に装甲兵員輸送車(APC)であり、戦闘員が立って射撃するためのキャビンを備えているのが特徴です。モスル周辺におけるISの攻勢は実質的な自殺行為のため(詳細はこちらを参照)、「襲撃大隊」の攻勢については、その大部分が目的に到達する前に車両が撃破されて終わりを迎えました。

 しかし、改造できるトラックやその他の車両が豊富に残されていたため、「襲撃大隊」向け車両の「生産」は継続されました。これらは実質的に同じクラスの車両に僅かな違いが見られる程度であり、ある程度は規格化がなされていたことが見受けられます。今回取り上げる戦闘トラムは3台が確認されており、それぞれが「201」と「202」、そして(おそらく)「200」の番号が振られました。下の画像では、「202」(1枚目の右)と「200」(1枚目の左と2枚目)が見えます。ちなみに、後者は詳細不明な原因で失われています。



 戦闘トラムは重装甲が施されたキャビン前部が特徴であり、(少し想像力を働かせると)鳥のような顔や、バリエーションによっては「きかんしゃトーマス」のキャラクターを彷彿とさせます。これが「戦闘トラム」という名称の由来です。戦闘員を収容する区画には空間装甲が設けられており、8個あるホイールの外側には保護する鉄板のサイドスカートが装備されています。この戦闘トラムについては、(特徴を考えると)2014年にモスル周辺で鹵獲されたソ連製「BTR-80」APCの車体を改造したものであることはほぼ間違いないでしょう。

 事実上のトラックである車両を改造することは実に不思議な選択ではあるものの、このような大型APCを製造しようとした今までの取り組みでは、ダンプトラックをベースにした(見応えがあるが不格好な)車両が数多く作られました。こうした車両とは対照的に、戦闘トラムは比較的バランスの取れたデザインに見えます。



 戦闘トラムの武装は過去に登場した怪物のようなDIY車両から変わっておらず、重装甲のキューポラに軽機関銃や重機関銃が取り付けられるようになっています。興味深いことに、「202」は前面に4本のラムを装備しているように見えますが、そのうちの2本は車体構造を補強する機能を兼ねているのかもしれません。これらのラムはある程度の障害物を突破するのに効果的ですが、起伏のある地形を走行中にスタックしやすくなるリスクがあります。そして、突破した障害物の破片が兵員区画にいる戦闘員の頭上に落下するだろうことは言うまでもありません(編訳者注:無蓋式のオープントップのため)。

 ペシュメルガの陣地の前に立ちはだかる塹壕をよじ登るための梯子については、「200」と「201」には装備されていたにもかかわらず、「202」にはありませんでした。

 戦闘トラムのキャビンは、「襲撃大隊」が使用した他の車両とほぼ同様の構造です。高速移動を伴う作戦中にキャビン内の戦闘員を支えるため、小型車に見られるシートベルトの代わりに(キャビンの縁に)金属製の手すりが設置されました。 軽機関銃や重機関銃用のピントルマウントは装備されていないため、戦闘員は安定装置を欠いた状況で金属製の手すりの上から射撃することを余儀なくされました。このため、経験の浅い戦闘員が射撃した場合はほとんど命中弾を得られないことが明らかとなりました。

 「202」は「200」や「201」とはキャビンのレイアウトが若干異なっており、小さな出入口扉が後面に設けられています(注:「200」と「201」は側面に扉がある)。



 最初の戦闘トラムは、モスル北部のナヴァラン近郊で展開された、今では(悪)名高いISの攻勢に登場しました。この攻勢には、アブ・ハジャールとアブ・アブドゥッラー、そしてアブ・リドワーンたちの装甲強化型「M1114」以外にも、「襲撃大隊」の大幅に改造されたトラックやその他の車両も数台参加したことが知られています。前者には初代戦闘トラム「201」が含まれており、攻勢開始の直前と失敗した直後にその存在が確認されました。この姿は下の画像でも確認できます。



 この戦闘トラムは、ペシェルメルガ陣地前にある巨大な塹壕の埋め立てを担っていたブルドーザーが撃破されたことで、他の「襲撃大隊」の車両と一緒に事実上身動きが取れない状態となってしまいました。この直後、トラムは(アブ・ハジャ-ルの車両のように)命中弾を受けて放棄されました。

 車体側面に設けられた空間装甲の存在はここでもはっきりと確認できます。様子を見る限り、少なくとも1発の命中弾を阻止するのに効果を発揮したようです。


 上の画像: アブ・ハジャールの「M1114」から撮影されたナヴァラン近郊を走行中の戦闘トラム「201」:装甲キャビンに立って発射の機会をうかがうRPG砲手の姿が見えます。装甲を増強したことで重量が増加したにもかかわらず、このトラムは適度な速度で戦場を駆け抜けることにあまり問題はないようです。後方の装甲強化型「M1114」と比べると、車体の圧倒的な大きさは一目瞭然です。ただし、そのおかげでペシュメルガのATGMチームやRPG砲手にとっては格好の標的になりやすいというデメリットがあることは言うまでもありません。 

 実際、モスルの平原でこうした車両を使用した場合は、前述の理由で失敗に終わることは避けられないでしょう。戦闘トラムは平原より都市部での使用が適している可能性があります。


 数種類のAFVを自力で製造しようとするISの取り組みは、結果的にISの典型的な攻撃手法に適した(高度に発達した)車両を数多く生み出すことに至りました。ところが、ATGMの拡散とISの大規模な攻勢に有志連合軍の航空機やヘリコプターが登場したことで、これらのAFVがイラクの戦場で完全に場違いな存在となってしまったことは否めません。それでも、勝利という成功の可能性に賭ける彼らの信仰が挑戦に次ぐ挑戦に至らしめ、そのたびに同じ結果、つまり全滅という形で終焉を迎えたのです。

 設計と生産の分野におけるISの努力は確かに見事なものでしたが、そもそも最初から事実上絶望的な攻勢に投入する車両を大量生産することは彼らが他の地域で展開している作戦とは大違いであり、そう長くはできない贅沢と言えます。

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月28日月曜日

【復刻記事】イスラム国+マッドマックス:リビアでバトル・モンスターが登場した


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2016年3月20日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 これまで存在した中で最も洗練されたテロ組織と化した「イスラム国(IS)」の隆盛は、戦闘員に(形だけの)装甲防御力と重火力を装備させるべく無数のDIYプロジェクトを行うまでに至っています。こうしたプロジェクトの大半はシリアとイラクの戦場に限られる運命にあったものの、リビアのIS部隊が、映画「マッドマックス」からそのまま飛び出してきたかのようなワンオフの逸品を完成させることに成功しました。

 2016年3月に初めて目撃されたこのバトル・モンスターはリビアの北東部のデルナで建設され、リビア国民軍(LNA)やムジャヒディーン・シューラ評議会と戦闘しました。(敗北する前の)デルナにおけるIS戦闘員たちはリビア国内にある他のIS支配地から完全に切り離されていたため、リビアに存在する巨大な武器庫や敵対勢力から鹵獲した少数の装備だけで対処を強いられたという事情があります。

 今回取り上げるバトル・モンスターは、6x6トラックをベースにしたものであり、多種多様な装甲板とスラット装甲を備えているほか、「BMP-1」の砲塔のみならず車体自体を組み込んだものです。ただし、「2A28 "グロム"」73mm低圧砲と同軸の「PKT」7.62mm機関銃は撤去され、その代わりに「M40」106mm無反動砲(RCL)1門を備えるオープントップ式の砲塔が本来の砲塔の上に搭載されています。言うまでもありませんが、「M40」を旋回させるためには砲塔内に操作要員がいなければなりません。高い位置にあるRCLはバルコニーや屋上からの敵の射撃にさらされやすいという弱点があるものの、それでも(その高さゆえの)優位性を有しています。


 バトル・モンスターの装甲は控えめに言っても特別です。「BMP-1」の車体側面の装甲防御力は前面下部にも追加されたスラット装甲によって強化されていることに加え、「BMP-1」の車体とスラット装甲の間は土嚢によってさらに強化されています。スラット装甲以外でモンスターを覆っているのは、車体にボルト留めされた厚さと強度の異なる鉄板です。最も特徴的と言えるのは、露出したホイールとタイヤを保護しているのが再利用された「BMP-1」の履帯でしょう。

 モンスターの武装は、砲塔の「M40」RCL1門と「BMP-1」の車体に備えられた8個(車体後部のドアにあるものを含めると9個)の銃眼から発射される小銃や軽機関銃で構成されています。主砲の「2A28 "グロム"」が撤去された理由は不明ですが、損傷したか、あるいは過去に目撃されたテクニカル搭載用として撤去された可能性があるのではないでしょうか(編訳者注:リビアで「グロム」だけを装備したテクニカルを転用した事例が確認されているのはISではなくイスラーム系民兵組織「リビアの夜明け」であるが、こベースとなったBMPがISに鹵獲されたり、あるいは同様のテクニカルをISが使用している可能性は否定できない)。


 上の画像が示すように、この車両の役割は装甲兵員輸送車(APC)や歩兵戦闘車(IFV)に似ているものの、「BMP-1」の車体が高い位置にあるため、乗降が相当困難になっています。小型の梯子があればこのプロセスは大幅に楽となるはずですが、モンスターには装備されていないようです。

 特筆すべき点としては、このバトル・モンスターのドライバーが、デルナの狭い通りで運転するのに四苦八苦したに違いないということが挙げられます。もちろん、外を覗く窓が非常に小さかったため、後退時も進行方向を確認できないまま動くこと余儀なくされたであろうことは言うまでもありません。下の画像で、ドライバーが外に向けて「AK-103」7.62mmで狙いを定めていますが、これは単にカメラ用のカットでしょう(つまりプロパガンダ用)。


 リビアは間違いなく突飛なDIYプロジェクト発祥の地です。終わりの見えない長期にわたる内戦で勝利を確実なものとするため、各勢力が敵対陣営より優位に立つことを目的とした改造兵器が今後も数多く生み出されることでしょう。リビアへの武器禁輸措置を順守する意思のある国は少ないものの、各勢力に供給される(実用的な)重火器が不足しているということは、(実際に役立つかどうかは別として)今回のようなDIYプロジェクトを継続する必要があることを意味しています。


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月13日日曜日

イスラム国の機甲戦力:モスル周辺に登場した移動トーチカ


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 この記事は、2019年10月13日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 イラクにおける対イスラム国(IS)戦では、各勢力が敵より優位に立つために火力の向上を試みたことで、さまざまなDIY兵器が誕生しました。もちろん、ISもその例外ではありません。イラクでのIS部隊は、モスルで鹵獲した膨大な兵器群をイラクの絶えず変化する戦場で使用するための強力な武器に変えるにあたって、 数多くある兵器工廠の創意工夫に事実上依存していたからです。

 ウクライナの「BTS-5B」装甲回収車(ARV)の移動トーチカへの改造は、(ISにとって)そうでなければ役に立たない車両を、強力な兵器プラットフォームに変えた事例です。

 ソ連時代の「T-72」戦車群をさらに支援する取り組みの一環として、イラク軍は2006年に(それ自体も「T-72」をベースである)少数の「BTS-5B」を入手したものの、2014年のモスルでのイラク軍の崩壊で、下の画像に見られる「BTS-5B」やポーランドの「WZT-2」を含む複数のARVが稼働状態でISによって鹵獲されてしまいました。


 2015年1月、移動トーチカに改造された「BTS-5B」ARVが初めて登場したときは確かに人々を驚かせました。もちろん、すぐに溝にはまって撃破されてしまったからではありません。 こうして本来の用途では全く成功しなかったものの、その後継車両がイラクの平原に姿を現れるまで1年もかかりませんでした。2015年12月に初めて目撃されたこの二代目は、先代から学んだ教訓と、それまでISが広く使用していなかった技術を組み合わせたものです。

 しかしながら、この二代目の詳細を語る前に初代について考察することは有意義なことです。本来の役割ではISにとって少しも役に立たなかった「BTS-5B」は、オリジナルの車体の上に装甲キャビンを追加する形で大々的に改造されました。このために、クレーンやシュノーケル、そして工具の入った各種の木箱が取り外されました。ただし、ドーザーブレードとウインチは残されています。

 武装は装甲板で覆われた銃塔に装備された「DShK」12.7mm 重機関銃1門と複数の軽機関銃用の支持架で構成されています。この車両が最初で最後の戦場で使用された際、乗員は1門の「DShK」を補完するために「M16」と「AKM」も使用しました。


 おそらくサンドクリートで充填されたと思われる大きなブロックが新しく設けられたキャビンの装甲板として装備され、車体側面には大きなゴム製のサイド・スカートが取り付けられました。これらの組み合わせは、乗員を前方と側面からの射撃や爆発物の破片、そして場合によってはロケット推進擲弾(RPG)から保護することを可能にしました。

 装甲キャビンの支持梁で運転席のハッチがふさがれたため、操縦手はキャビンの床にあるハッチから車内に入る必要がありました。また、支持梁が視界を遮るために操縦手は運転中に頭を突き出すことを余儀なくされました。ただし、この弱点をカバーするためか防弾ガラスが装備されています。

 全体として、この改造AFVは見事なプロジェクトと言えます。これを完成させるためにISは多大な労力を費やしたに違いありません。それゆえに、このAFVの戦場における活躍が芳しくないのは、やや意外に感じられます。


 この移動トーチカは都市部で活躍できたはずです。そこでなら、前進する部隊に火力支援を提供できる重装甲の破城槌として重宝されたと思われます。装甲でほとんどの反撃を防ぐことができることを考えると、比較的軽度ながらも弾力性に富んだ武装はアパートの高層階など高所を狙うのに理想的だったでしょう。

 ところが、この移動トーチカは、2015年1月25日にISがペシュメルガに攻勢をかけたニネベ州シェハン近郊の平原で投入されたのです。失敗に終わった攻勢の映像はここで観ることができます

 この攻勢で、シェハンはIS戦闘員による度重なる攻撃の舞台となりました。この一連の攻撃の典型的なパターンには、1台の車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)の突入から始まり、続いて鹵獲したアメリカ軍の「M-1114」や「バジャー」ILAV、「M1117」ASVによる攻撃があります。 

 高地を守っていたペシュメルガは、数km離れたところからISの車両が近づいてくる状況を目視できていたため、(特に「ミラン」対戦車ミサイル(ATGM)がペシュメルガに供与された後では)ISがこうした攻撃手法を採用した正確な理由は依然としてわかっていません(編訳者注:この攻撃では敵陣地の到達前に簡単に撃破されてしまうため)。


 シェハンへの攻撃では、数台の(装甲強化型)「M-1114」、1台の装甲強化型「バジャー」ILAV、1台の「M1117」ASVと移動要塞がペシュメルガの陣地に向かって移動したものの、即座に高地から激しい機関銃や迫撃砲、さらには戦車砲の攻撃を受けました。ただし、ペシュメルガからの攻撃のほとんどが外れるか、各車両のDIY式追加装甲で跳ね返されたようです。その結果として、一部の車両は撃破される前に山の近くまで前進することができました。

 移動トーチカは溝に落ちてRPGと(おそらく)迫撃砲弾の直撃を受け、無防備な乗員が殺害されました。こうして、最初の移動トーチカはその生涯を終えたのです。


 二代目は、イラクのモスルにおけるウィラヤット・ニーナワー(ニネベ州)でのIS装甲部隊の演習を取り上げたISのプロパガンダ動画「ダビク・アポイントメント」に最初にして唯一登場しました。「ダビク・アポイントメント(約束の地:ダビク)」とは、シリア北部あるダビクという町を意味したものであり、ISによれば、同地で正義(イスラームの軍勢)と悪(背教徒:つまりIS以外の全て)の最終決戦が行われるというものです。

 大方の予想に反して、この町の近くに有志連合軍の部隊が大規模に展開して(その結果として)戦闘が起こることは、ISが心から望んでいたことでした。空爆やドローンによる攻撃を卑怯な行為と見なす彼らとしては、この戦闘こそが「十字軍(有志連合軍)」と決戦する手段としていたからです。それにもかかわらず、この小さな町は2016年10月、トルコの支援を受けた自由シリア軍によっておとなしく占領されてしまいました。敵にさらなる脅威を与えるためか、動画にはイタリアのローマにあるコロッセオに向かって行進するISの戦車のカットが含まれています。


 「ダビク・アポイントメント」に登場するのは、「防御大隊」と「襲撃大隊」を傘下に置く第3アル・ファルーク機甲旅団で、彼らはウィラヤット・ニーナワーにおける大部分の装甲戦闘車両(AFV)の運用を担っています。動画での第3アル・ファルーク機甲旅団はダビクでの「差し迫った」戦いに備えて訓練を行っており、2台の「T-55」と1台の「59式戦車」、2台の「MT-LB」汎用軽装甲牽引車、2台の「バジャー」ILAV、1台のMRAP、1台の移動トーチカ、1台の「BTR-80UP」装甲兵員輸送車を含む多数のAFVを使い、装備の整った戦闘員(歩兵)と共に標的を撃ち、陣地を襲撃している様子が映し出されていました。 

 下の車両は第3アル・ファルーク機甲旅団が使用しているもので、「 ولاية نينوى - الجند (?) لواء الفاروق المدرع الثالث - ウィラヤット・ニーナワー - 戦士 (?) - アル・ファルーク機甲旅団 - 第3」と書かれています。また、白い円の文章はシャハーダ(信仰告白)の「 محمد رسول الله - ムハンマドはアッラーの使徒である」です。これはISが運用する車両に見られるもので、単に装飾的な目的で施されていると考えられています。


 初代と同様に、この「BTS-5B」もAFVとしての新たな用途のために大幅に改造されました。オリジナルの状態では車両上部に搭載されているクレーンやシュノーケル、さまざまな種類の箱は撤去されています。使用されることはないでしょうが、ドーザー・ブレード(排土板)は残されました。スラット装甲によって光線が遮られるために撤去されたと思われる前照灯を補うため、前部マッドガード(またはフェンダー上)に2個の新しい前照灯が取り付けられています。

 初代では、新たに搭載されたキャビンの周囲にシンプルなブロックが装備されているだけだでしたが、二代目では、車体の周囲と高くなったキャビンの周囲にスラット装甲が取り付けられています。確かに見応えのある見た目ですが、スラット装甲とそれを支持する架台の強度はお世辞にも良いとは言えないものです。おまけに、操縦手の視界は前方に設置されたスラット装甲によって著しく阻害される可能性が高いと思われます。

 初代では特徴的だったゴム製のサイドスカートについては、この二代目には装備されていません。


 武装については、「DShK」12.7mm重機関銃1門を装備して軽機関銃用の支持架を複数備えていた初代から大幅に増強されました。二代目では同じ「DShK」を指揮官(車長)用キューポラに搭載したほか、「KPV」14.5mm機関砲が元イラク陸軍の「M-1114」から、高くなったキャビンの上に移設された装甲銃座に装備されています。

 「KPV」の銃座は敵にとって格好の標的となる一方、高い位置にあるために周囲の視界が良好であり、移動トーチカの見通し線(LOS)上のいかなる目標に対しても射撃が可能という利点があります。


 本物のAFVというよりは歩兵を輸送する重装甲の破城槌と言っても過言ではない初代とは異なり、二代目は正真正銘のAFVに近い存在と言ってもいいでしょう。車体上に搭載されたキャビンの圧倒的な大きさについては、ATGMやRPGの格好の標的にもなることを考慮すると二代目の長所にも短所にもなります。

 二代目移動トーチカの最終的な運命はまだ明らかになっていませんが、モスル周辺にあるペシェルメルガの陣地への攻撃に投入された可能性は十分に考えられます。この2台の移動トーチカの存在は、IS戦闘員がたいていの戦闘状況に頻繁かつ素早く適応できているものの、この地域における戦闘員たちがAFVの運用に関する適切な戦術を理解できないままだったということを証明するものかもしれません。

4枚目と5枚目の画像:Matt Cetti-Roberts via The Kurds Are Close to Mosul—And in No Hurry to Get There.


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

2025年4月6日日曜日

【復刻記事】イスラム国の戦い:アブ・ハジャールのバラード


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 この記事は、2016年4月28日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 ジェイク・ハンラハンが入手した後にVICEニュースによって2016年4月27日にアップロードされた動画には、 敵の激しい銃撃を受けながら、ナヴァラン近郊にあるペシュメルガの陣地に向かって戦友と進撃するイスラム国戦闘員の(彼のヘッドカムで撮影された)壮絶な映像が収められていました。

 モスル北部におけるこの戦いは、戦場で起こるパニックと混乱をはっきりと映し出しています。「よく訓練された士気の高い戦闘員たちが(自身の身を省みず)何の恐怖も感じることなく敵を打ち負かす姿ばかりが映し出される」というイスラム国のメディア部門が公開するプロパガンダ動画で誇示される光景とは完全に異なるものだったからです。この映像については、モスルがイスラム国(IS)に陥落して以降のペシュメルガ部隊が直面している攻勢を、ISの視点から垣間見ることができる貴重な資料と言えるでしょう。

 この映像は攻撃の全容を示しているわけではありませんが、この攻撃はISとペシュメルガの双方によって非常に綿密に記録されています。そこで、当記事では双方が公開した映像や画像を分析し、イスラム国によるこの攻撃の全貌を明らかにしていきます。

 VICEニュースはこの映像が2016年3月に撮影されたものだと誤って伝えていましたが、収録された攻撃は実際にはその数か月前、正確には2015年12月16日に起きました。

 問題の戦闘それ自体について詳しく触れる前に、 モスル周辺におけるISによる装甲戦闘車両(AFV)を使用した同様の攻勢の背景を理解することが重要です。ISに占領された最大の都市であるモスルは、彼らが呼ぶニーナワー州(ウィラヤット・ニーナワー)の州都でした。


 イスラム国に制圧された時点のモスルには、イラク軍と警察用の武器や車両が大量にありました。というのも、彼らが陥落前にそれらの大半を残して脱出してしまったからです。この膨大な装備の大部分はISが戦っていたシリアを含む各地の戦線に速やかに分配され、残されたAFVの一部については、後にIS初の機甲部隊の中核を形成することになります。

 機甲部隊が設立される以前は、イラクにおけるISによるAFVの使用は無秩序なものであり、鹵獲された戦車は運用されるどころか、電撃戦に役立たないと見なされただけで破壊されることも頻繁にありました。例えば、ISはアメリカ製「M1 「エイブラムス」」戦車を何台も無傷で鹵獲したものの、全てが使用されずに故意に破壊されたことがあります。

 これらの機甲戦力が構築される過程で、鹵獲された車両の多くはモスルの「工廠」に送られ、ISのニーズに合わせた兵器プラットフォームに改造されました。こうした車両の一部は、すでに今回触れる攻撃の前に目撃されています。その中には、彼らにとっては無用の長物である「BTS-5B」装甲回収車(ARV)をベースにした2台の改造車両も含まれていました。

 12月のペシュメルガへの攻撃で投入された車両は、おそらく同じ「工廠」で作られたものでしょう。このDIY装甲車は、確かに過去のIS製AFVに見られたような即席の雰囲気を漂わせています。


 詳細はまだ不明のままですが、モスルには少なくとも3個の機甲部隊が編成されていたと考えられており、(第1、第2、第3大隊、場合によってはさらに多くの大隊を持つ)「アル・ファルーク機甲旅団」、ほとんどの車両が黒く塗装された「防御大隊」、そして「襲撃大隊」で構成されています。

 これら3個の部隊に加え、「自殺大隊」と呼ばれる第4の部隊もVBIED(車両運搬式即席爆発装置)という形で多数のAFVを運用しています。ただし、ISが頻繁に使う一般のVBIED攻撃とは異なり、「自殺大隊」は3つの機甲部隊のいずれかに随伴して戦場に送られるのが常です。

 「自殺大隊」のVBIEDは、後続の機甲部隊に道を空けるためのもので、IS版の航空支援ともいえます。今回の攻撃では、「襲撃大隊」と「自殺大隊」の両方が参加しました。

 各大隊は独自の紋章を有しています。例えば、下のものは第3アル・ファルーク機甲旅団が使用しているもので、「 ولاية نينوى - الجند (?) لواء الفاروق المدرع الثالث - ウィラヤット・ニーナワー - 戦士 (?) - アル・ファルーク機甲旅団 - 第3」と書かれています。また、白い円の文章はシャハーダ(信仰告白)の「 محمد رسول الله - ムハンマドはアッラーの使徒である」です。これはISが運用する車両に見られるもので、単に装飾的な目的で施されていると考えられています。

 通常の場合、紋章はステッカーの形で車両に貼られますが、「襲撃大隊」が運用する装甲強化型の「M1114」のように、単に車両にペイントされることもありました。


 ISはシリアでのAFVを取扱う能力は十二分であることを証明した一方、イラクでの場合には不十分な点が残っています。AFVを適切に運用できていない原因の中核は、モスルを拠点に置く機甲部隊にあります。彼らはモスル制圧時に鹵獲した別の車両で損失を補えるという安心感を覚えているため、要塞と化したペシュメルガの陣地にAFVを送り続けていますが、ほとんど効果を上げていません。

 記録に残るこのような大規模攻撃の最初の事例は、2015年1月にシェハーン近郊で発生したものです。この時は数台の「M1114」と「バジャー」ILAV、「M1117」装甲警備車、そしてDIY式AFVが要塞化されたペシュメルガの陣地に突入し、全滅しました。

 しかし、この敗北はISが再挑戦することを躊躇させるものではありませんでした。というのも、前線に機甲部隊を送り込み続けて毎回同じ結果を招いたからです。

 ペシュメルガが高地を維持し、その陣地を増強するのに2年近くを費やしてきたため、十分に調整された攻撃であっても成功する可能性は僅かしかありません。特に、ペシュメルガがドイツから供与された「ミラン」対戦車ミサイル(ATGM)を手に入れた後では特にそうでしょう。

 これが、VICEニュースが公開した動画に収録されている攻撃に繋がるわけですが、この攻撃はISに大損害をもたらし(戦闘員だけでも70人が死亡したと言われている)、文字通り何の利益も得られませんでした。[1]

 攻勢は失敗に終わったものの、ISは攻撃前と攻撃中に撮影された画像を公開しました。皮肉なことに、これらの画像がアップロードされたのは、テレビ局「クルディスタン24」がISの車両がまだ炎上している様子など、失敗に終わった攻撃の惨状をすでに伝えた後でした。

 その翌日にISが公表したフォトリポートには、これらの車両とまったく同じ個体が、攻撃が開始される数時間前までまだ手つかずの状態で収められていました。タイミングが悪かったことは別にして、このリポートは攻撃の展開と、参加した数名の戦闘員の名前を明らかにするなど大きな見識を与えてくれます。

 VICEニュースが公開した映像は0:46から始まります。ここでは、カメラマン(アブ・リドワーン)が「自殺大隊」の自爆攻撃要員が出撃前に最後の言葉を述べる模様が記録されていました。彼は2人の若い戦闘員を連れていますが、攻撃中には姿が見られていないことから、2人は戦闘に参加していない可能性が高いと思われます。

 ビデオカメラの存在は、仮に攻撃が成功した場合に映像がニーナワー州のメディア部門によって公開される予定であったことを示唆していますが、自爆攻撃犯の隣に2人の子供がいることは(むしろ)気まずい印象を感じさせるため、最終的な公開版があっても収録されなかったでしょう。


 次のカットは1:11からで、自爆攻撃要員がVBIEDに乗り込んで目標に向かって出撃する様子が映し出されていました。ISのプロパガンダ映像では滅多に見られない仲間との異様な別れの場面で、彼はアブ・リドワーンに最後の言葉を告げ、母親によろしくと伝えるよう述べています。

 荷台のビニールシートの下に爆薬が積載された彼の装甲強化型車両には「502」というナンバーが付されていますが、これは「自殺大隊」のVBIEDでは一般的なものです。



 この攻撃で、「自殺大隊」は合計4台のVBIEDを投入したと見られており、そのうちの2台を下の画像で見ることができます。

 左の巨大なVBIEDは「自爆大隊」の車両と明記されており、「1000」というシリアルナンバーが施されています。このトラックは十分な装甲が施されているほかに、タイヤを保護するための厚いパネルが車両前部と側面に装着されていることが特徴です。車両の後部には、やはりビニールシートで覆われた爆薬が積載されており、複数の木の枝でカモフラージュされています。

 右の黒いVBIEDの前面にはスラット装甲が装着されており、他の部分にも装甲板が施されています。スラットアーマーの前には、4個のヘッドライトがやや雑に取り付けられている点に注目してください。実際、白昼に攻撃が実施されるとはいえ、ほとんど全ての車両でヘッドライトが確認できるのは、作戦区域への移動が夜間に行われるからでしょう。

 これらの後ろには装甲ブルドーザーが見えますが、これも攻撃に投入されます。


 次の1:31は、アブ・リドワーンの装甲強化型「M1114」の出撃を映し出しています。この車両は、車体の上に装甲キャビンを搭載するように改造されていることに注目してください。このキャビンは、3人の兵員と武器弾薬、そして銃架付きの機関銃を搭載するには十分な大きさです。このような2台の改造車両が攻撃に参加しました。

 もう1台の車両には中国製の「W85」12.7mm重機関銃が備えられている一方で、アブ・リドワーンの車両には重機関銃ではなく(下の画像の右にいる)アブ・ハジャールが射撃手を努めるドイツ製の「MG3」7.62mm汎用機関銃が装備されています。

 リドワーンの「M1114」には、以下の5名が搭乗していました: ハッターブ(運転手)、アブ・ハジャール(「MG3」の機関銃手)、アブ・アブドゥッラー(RPG射撃手)、アブ・リドワーン(指揮官、弾薬手、「RPK "アル・クッズ"」7.62mm機関銃手)、そして前部座席にいるワリード(AKM射撃手)です。

 装甲板が前席座席の視界を遮っているため、動画全体を通してハッターブとワーリドの顔は見えません。

 装甲キャビンに搭乗している3人の戦闘員のうち、戦闘経験があると思われるのはアブ・リドワーンだけです。アブ・ハジャールとアブ・アブドゥッラーの動きはかなりお粗末で、ある意味ではほとんど滑稽に見えるものでした。


 「M1114」の装甲キャビンは、スラット装甲と追加の装甲板によって、車両自身の装甲と組み合わせて十分に防御されています。戦場への移動で3人の乗員が座れるようにするためか、キャビンの内側は発泡体で覆われ、シートベルトが装着されていました。



 もう1台の「M1114」はアブ・リドワーンの車両とほぼ同一ですが、武装は中国製の「W85」12.7mm 重機関銃です。ただし、この車両はスラット装甲を装備しておらず、防御力を車体自身の装甲とやや特殊な追加の装甲版に依存しています。

 車両前部の装甲板にはアクセスパネルが設けられていますが、その目的は不明です(注:エンジンルームの整備用には小さすぎるため)。


 1:43、アブ・リドワーンのGoProが、攻撃に先立って発射される無誘導ロケット弾の一部を撮影しています。

 45発という目を見張る数の、どこにでもある中国製107mmロケット弾を模倣した(精度と破壊力が著しく劣る)無誘導ロケット弾と、少なくとも1門の120mm迫撃砲がペシュメルガの陣地を攻撃するために使用されました。



 1:52は、「襲撃大隊」が戦闘地域に向けて移動する場面から始まります。

 この時点で、4台のVBIEDはすでに目標に向かっていたと思われますが、そのうち少なくとも2台は目標に到達する前に撃破されてしまいました。下の2番目の画像で黒丸で囲まれているのがアブ・リドワーンの車両です。



 2台の改造型「M1114」とは別に、「襲撃大隊」はこの戦闘で複数のDIY式改造車両を投入しました。これらには、もう1台の「M1114」、1台の「M1117」ASV、重機関銃付きキューポラを装備した装甲強化ブルドーザー1台、装甲キャビンと重機関銃付きキューポラを装備した装甲強化大型車1台、そして多種多様な機関銃を装備したDIY装甲のテクニカル数台が含まれます。




 大隊が最初に攻撃を浴び始めたのは動画の2:00の時点のことで、RPGの弾頭が装甲強化型「M1114」の手前で地面に跳ね返る様子が見えます。その僅か数秒後、アブ・リドワーンは楽観的に、遠距離から「アル・クッズ」7.62mm軽機関銃でペシュメルガと交戦し始めました。

 彼が最初のマガジンを空にしてから(そして新しいマガジンを探すのに苦労してから)、アブ・ハジャールは「MG3」で敵と交戦し始めます。ここで乗員の間で最初の問題が発生しました。RPGは右手で操作するように設計されているため、アブ・アブドゥッラーは装甲キャビンの右側に、アブ・ハジャールは左側に、アブ・リドゥワンは後方に立っています。ハジャールの「MG3」は撃つたびに大量の薬莢を排出するわけですが、アブドゥッラーはキャビンから跳ね返ってくる高温の薬莢が当たると訴えたのです。

 彼はハジャールにこの状況を知らせたものの、これを止めるには「MG3」の射撃を止めるか、機関銃を横向きにしなければなりません。



 車両がペシュメルガの陣地に接近すると、アブ・リドワーンとアブ・ハジャールが左側にある陣地との戦闘を開始しました。

 アブ・ハジャールの「MG3」は銃身をキャビン前部の薄い装甲板と手すりに持たせ掛けており、その装甲板の上にバイポッドが置かれていないために「MG3」を全く支えていません。当然のことながら、支えの悪さとアブ・ハジャールの要領の悪さから、彼の「MG3」は手すりから落ちて下の装甲板に発砲し、銃弾がキャビンを飛び交う状況に陥りました。リドワーンとアブドゥッラーは、再び「アブ・ハジャール」と叫び始めたものの、その間にも彼は射撃を続ける有様でした。



 私たちがアブドゥッラーの「RPG-7」を初めて目にしたのもこの時で、彼は「PG-7V」85mm対戦車榴弾と「OG-7V」40mm破片榴弾の両方を対人用に使用していました。
 
 見たところ、全乗員が十分な武装と装備を持ち、それぞれが数本のマガジンと再装填用の銃弾を携帯しています。さらに、車内には大量の食料と水がストックされている状況も確認できました。


 次は2:30からのカットでは、装甲強化型の大型車と僅か1分前に被弾しかけたもう1台の装甲強化型「M1114」が映っていました。一人のRPG射撃手がトラックの装甲キャビンに立って次の獲物に照準を定めようとしている状況です。


 次はアブドゥッラーが最初の「OG-7V」を撃ち、戦友に再装填を頼んだものの、欲しいのが対戦車榴弾か破片榴弾かを言い忘れて再び敵の陣地を眺め始めたカットです。リドワーンは適当に弾頭を掴んでアブドゥッラーに渡しますが、彼は手渡されたことに気づいていなかったため、リドワーンのさらなる苛立ちを招きました。




 その後アブドゥッラーは再装填中にハジャールに援護を頼むという重大なミスを犯しました。当然のことながら、熱い薬莢が再びアブドゥッラーを直撃することになり、彼はハジャールが注意を払っていなかったことに怒りをあらわにします





 アブドゥッラーがRPGを発射する危険が今にも起こりそうなことを察知したリドワーンは彼に用心するよう忠告し、狭い兵員キャビンへのバックブラストの直撃を避けるために体勢を変えることも指示しました。そこでアブドゥッラーは姿勢を変えますが、その調整が十分ではなかったため、バックブラストでリドーワンのヘッドカムが損傷を受けてしまいました。





 次のカットでは、他の装甲強化型「M1114」が被弾して炎上する様子が見えます。ハジャールは敵陣地に向けて発砲を続けますが、ここで再びキャビンの壁に発砲してしまいました。



 ペシュメルガの陣地に近づくと、ライフル・グレネード用に改造されたザスタヴァ「M70」を敵陣に撃ち込みます

 最初の2発は粗雑なDIY品のために発射管に入らないとアブドゥッラーに判断されたようで、3発目の装填を試みます。こちらは簡単に入ったものの、導火線への着火に苦闘しました。結局、リドワーンは自分でもう一度着火しようと試みましたが、ライフル・グレネードが正しく機能しかどうかは疑問です。



 リドワーンがペシュメルガに向けて発射したライフル・グレネードに、ハジャールが当たりそうになる様子が見えます



 リドワーンとアブドゥッラーは、どのRPG用の弾頭を使うかについて意見が一致せず、後者は破片榴弾が必要だと主張しました。結局、リドワーンは彼に対戦車榴弾を渡しますが、(信管の)安全キャップが装着されたままの状態で発射しようとします(注意されてキャップを外す様子が見えます)。

 その間に車両は(おそらく運転手のハッターブが撃たれたせいか)走行を停止し、ペシュメルガにとって格好の標的となってしまいました。



 実際、アブドゥッラーがRPGを発射する前に車両は(おそらく)ペシュメルガのRPGに被弾しました。ハッターブがこの時点まで生きていたとしても、被弾後には確実に生きてません。

 車両後部から脱出する際、地面に横たわっている4人目の人物が見えますが、おそらくハッターブの隣に座っていたワリードでしょう。リドワーンは「アル・クッズ」軽機関銃でペシュメルガに対する射撃を続け、今や使用不能となった「M1114」の後ろに隠れました。





 以降は、混乱した撤退行動が続きます。

 アブドゥッラーとハジャールが低姿勢を維持するべく土の上を横転しながら広野を横切る間に、リドワーンは駆け出したものの、一瞬立ち止まった際に被弾してしまいました。逃げ場のない4人の戦闘員が一時的に応戦を試みた後、 この状況を何とか打開しようとして、自殺的な最後の手段として、無差別には射撃しながら「M1114」に駆け戻るアブドゥッラーの姿が見えます(下の2枚目)。

 リドワーンとハジャールは(先に仲間が用いた横転を採用して)退却を続けますが、最終的には射殺されて終わりました。



 クルディスタン24が撮影した映像には、破壊されたAFVの多くが装甲ブルドーザーによってペシュメルガの陣地近くまで牽引された光景を含む、攻撃の余波が映し出されていました。

 まず、VBIEDの1台ですが、爆弾を起爆前に無力化されています。


 しかし、もっと興味深いのは、このVBIEDの後ろにある車両でしょう。なぜならば、この装甲強化型「M1114」はアブ・ハジャールの車両だったからです。





 また、装甲ブルドーザーも再び目撃されました。一見すると、ISの車両がペシュメルガの陣地に到達できないようにするための対戦車壕の前で立ち往生したように見えます。装甲キャビンは被弾したように見えることから、車両が使用不能に陥ったか、単に運転手によって放棄されたようです。



 攻撃中には見られませんでしたが、アメリカ製の「M1117」装甲警備車(ASV)の残骸もありました。

 この車両には「Mk.19」40mm自動擲弾銃と「M2」ブローニング12.7mm重機関銃が装備されていましたが、ペシュメルガの銃撃か(有志連合軍による)空爆によって完全に破壊されたようです。装甲板はボロボロに引き裂かれ、今や残骸と呼ぶべき物しか残っていません。

 「M1117」のすぐ後ろには、別の詳細不明の車両の残骸も見えました。




 攻撃に投入された(VICEニュースの映像では2:31から映っている)トラックベースの大型車両には、「201」というシリアルナンバーと「襲撃大隊」のステッカーが貼られています。

 注目すべきは車体側面に備えられた梯子です。おそらくは塹壕をよじ登ったり、要塞化されたペシュメルガの陣地に登るためのものでしょう。





 結局のところ、この攻撃は、塹壕や陣地に潜んだ敵に対して稚拙な計画で攻勢をかけた場合、どのような結果をもたらすかを明確に示しています。

 どれだけDIYの大型車両やVBIEDを投入しても戦略的劣勢を補うことはできないし、不慣れなイスラム国戦闘員が必然的な死を迎える前によろめいて混乱する姿は、こうした戦術が少しも成果を上げられないことを明確に示しているはずです。

[1] ''Iraq Kurds repel major ISIS offensive'' http://english.alarabiya.net/en/News/middle-east/2015/12/17/Iraq-Kurds-repel-major-ISIS-offensive.html