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2024年2月12日月曜日

忘れ去られた原点:トルコの 「ジェマル・トゥラル」装甲兵員輸送車

撮影:アルペル・アカクラタ氏

著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ  in collaboration with アルペル・アカクラタ(編訳:Tarao Goo)

 近年のトルコの兵器産業は、さまざまな種類の装輪式や装軌式のAPC(装甲兵員輸送車)を国内外の顧客に売り込んでおり、その多くに遠隔操作式銃架(RWS)や電気式・ハイブリッド式を取り入れた駆動系などが備えられています。

 トルコ産のAPCがジョージア、バーレーン、フィリピン、オマーン、UAE、マレーシアで商業的成功を収めているのは、その高度な機能と実証済みの品質のおかげであることに疑う余地はありません。

 以前、私たちはこのブログでトルコ初(文字どおり国産)のAPCであり、ジョージアに採用された「ヌロル・マキナ」社「エジデル 6x6」を紹介しました。この「エジデル 6x6」自体は立派なAPCですが、厳密に言うと実際にはトルコで誕生した最初のAPCではありません。

 1960年代、トルコは少数の「M24 "チャーフィー"」軽戦車をAPCに改造することに着手しました。

 結果として完成した車両はその設計を命じたジェマル・トゥラル少将(後に大将に昇進)にちなんで命名され、「ジェネラル・ジェマル・トゥラル」APCと呼ばれました。数年以上にわたって運用されたとは考えにくい短命な運用歴の結果として、このAPCはトルコ国外ではほとんど知られていません。

 その捉えどころのなさはさておき、このAPCは何もせずにいれば単に旧式化していたであろう戦車を有益な新しい別種のAFVに転換するという興味深い試みそのものでしょう。

 トルコ軍は1950年代前半にアメリカから約250台の「M24 "チャーフィー"」軽戦車を購入したと伝えられています。[1]

 いくつかの国はさらに数十年にわたって現役の戦車として運用し続けましたが、トルコへのアメリカ製AFVの安定供給は「M24」を徐々に減らして長期保管状態にさせ、「M48 "パットン"」といった(少なくとも当時としては)最新の主力戦車に置き換えていくことを可能にさせました。

 その後、余剰となった一部の「M24」をAPCに転用することが決定されました。

 1960年代のトルコは大量のアメリカ製「M59」APCを運用しており、さらに多くの後継車両である「M113」APCの引き渡しさえも受けている過程にありました。[2]

 「第3のAPC」を導入するという決定は不思議に感じますが、より多くのAPCの確保という実際の運用上からの必要性があったというよりは、むしろ国産AFVの設計に関する経験を積む機会という動機づけられたのかもしれません。

 ちなみに、ノルウェーとチリによってアップグレードされた「M24」は1990年代まで現役を続け、ウルグアイはなんと2019年に最後の「M24」を退役させたばかりなのです! [3]

 APCに改造するために、「M24」から砲塔とその内部にある75mm砲が撤去され、車体後部に装甲キャビンが追加されました。結果として設けられた兵員用区画は、10人の兵員と2人の乗員の合計で12人が乗車するには十分な大きさだったと云われています。

 追加された箱型の装甲キャビンには、前方に「M2HB」12.7mm重機関銃をピントルマウントに装備した機関銃手用の席、そして後部に2つのハッチが設けられており、歩兵はそこから(1つか2つのハッチを通じて)降車する仕組みとなっていました。

 これらの改造によって本来の性能がどの程度変化したのかは不明ですが、M24本来の航続距離160km、速度56km/hについては、軽量化のおかげで向上したか、そうでなくとも維持されたと思われます。

 副武装として「M24」戦車時代から車体前方に装備されていた「M1919」7.62mm機関銃1丁はそのまま残されていたことから、「M2HB」重機関銃1門しかを装備していなかった「M113」よりも「ジェマル・トゥラル」の方が実は武装面で優れていたことになります。

 新たにサイドスカートや泥よけが装備されたことは、このAPCが本格的なAFVを製造するための真剣な取り組みでなかったとしても、それに劣らない設計がなされていたことを示しています。

 残念ながら、「ジェラル・トゥマル」APCの運用歴は極めて短いものであり、すでに70年代初頭には退役しています。もちろん、たくさんの使える「M113」があるので、この判断はむしろ当然なものでした。なぜならば、複数の同カテゴリーのAFVを同時に運用した場合、兵站、保守、運用が複雑になってしまうからです。

 幸いなことに、スクラップ処分から逃れた1台の「ジェラル・トゥマル」APCは今でもアンカラ近郊のエティメスグット戦車博物館に保存されています。


 このAPCの名前の由来となったジェマル・トゥラル少将は、1966年から1969年までトルコ軍の司令官を務めました。トルコ軍における機械化用兵の偉大な提唱者とも云われるジェラル・トゥマル少将は、トルコでのAFVの生産や改修に個人的な関心を寄せていたに違いありません。[4]

 トゥラル氏は政治でのキャリアを試みる前の1969年に退官しました。その後、1976年に駐韓国大使、1981年に駐パキスタン大使を務め、同年にイスタンブールでこの世を去りました。

複数の「M113」の前で行進している「ジェラル・トゥマル」APC。さらに後方の「M48 "パットン"」戦車と集合住宅に掲げられたムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像画にも注目。

 前述のとおり、1台の「ジェラル・トゥマル」APCがアンカラ近郊のエティメスグット戦車博物館で生き残っています。ここでは、訪問者にこれまでに大いに見落とされてきた過去に試みられたトルコの防衛プロジェクトを思い出させてくれますが、それらは今や非常に成功を収めているトルコの防衛産業が誕生する先駆けとなる存在でもあることを見落としてはならないでしょう。

 トルコのAPCやほかのAFVの設計がようやく軌道に乗るまでに、そこから数十年を要したことは周知のとおりです。これらのAFVは今やトルコのみならず多数の外国で運用されており、ジェマル・トゥラル氏が残念ながら夢にも思わなかったであろうキャリアを歩み始めています。

バーレーン陸軍で運用されているトルコの「オトカ」社製「アルマ 6x6」APC

[1] Based on data obtained by Alper Akkurt.
[2] SIPRI Trade Registers https://armstrade.sipri.org/armstrade/page/trade_register.php
[3] M24 Chaffee in Uruguayan service https://tanks-encyclopedia.com/m24ur/
[4] Turkish APC based on the M24 tank https://www.secretprojects.co.uk/threads/turkish-apc-based-on-the-m24-tank.4591/

この記事の作成にあたり、 Arda Mevlutoglu氏と Secret Projects氏に感謝を申し上げます。

2023年9月2日土曜日

エーゲ海のゲームチェンジャーへ?:「カラ・アトマジャ」地上発射型巡航ミサイル


著:シュタイン・ミッツアー 

 最近トルコが達成させようとしている非常に多くの軍事プロジェクトは、エーゲ海における軍事バランスを劇変させるほどであり、ギリシャがその質と量の差を縮めることを起こりえなくする可能性を秘めています。これらには、「バイラクタル・アクンジュ」「バイラクタル・クズルエルマ」無人戦闘機、「TF-2000」級駆逐艦、独自開発の武装無人水上艇(AUSV)群、非大気依存推進システムを備えた「214型TN "レイス"」級AIP潜水艦6隻が含まれており、そして小型潜水艦の導入も見込まれています。

 これらの兵器システムについてはその全てが、すでにエーゲ海上空を定期的に哨戒している約200機から成るトルコのUCAV飛行隊を強固にするためのものと考えて差し支えないでしょう。

 ギリシャはまだ武装ドローンの実戦配備をしておらず、保有している中高度・長時間滞空(MALE)型UAVはイスラエルのメーカーからリース中である僅か4機の「ヘロンTP」だけしかありません(注:2022年7月に3機の「MQ-9B "シーガーディアン"」を導入することが公表されました)。[1]

 ギリシャ空軍が保有する戦闘機は2020年代から2030年代初頭にかけてトルコより最新のものになりますが、「ギリシャがエーゲ地方の航空優勢を掌握することになる」と頻繁に言われる主張については、現実にはほとんど根拠がないと思われます(注:ギリシャはフランスから「ラファール」を18機発注しており、すでに2022年1月には6機が引き渡されています。また、2020年には「F-35」の導入も検討していると報じられており、仮にこれが実現した場合はギリシャが制空権を握る可能性は十分にあり得ることに注意する必要があります)。

 (決して起こりえない)全面戦争が勃発した場合、ギリシャ空軍が運用する作戦機の大部分は、UCAVの欠如や(トルコよりは)小規模な攻撃ヘリ飛行隊、射程の短い砲兵戦力を補うため、空対地任務に専念せざるを得なくなるでしょう。その一方で、陸軍と海軍への火力支援をするために約150機のUCAVと約70機の攻撃ヘリを投入可能であることから、トルコ空軍は保有する「F-16」の大部分を防空作戦に集中させることができるはずです。

 UCAVのうち、「バイラクタル・アクンジュ」と「クズルエルマ」は、有人戦闘機の任務を代替する能力がいっそう高まっており、実質的に世界初のマルチロール無人戦闘機であると言えます。これらの能力には国産の巡航ミサイルやスタンドオフ兵器といったさまざまな種類の対地兵装を搭載可能なだけではなく、100kmも離れた目標に目視外射程空対空ミサイル(BVRAAM)を発射できることも含まれています。[2] [3]

 このことは、ギリシャが完全に無防備のまま手をこまねいているというわけではありません。なぜならば、ギリシャは「MIM-104 "パトリオット"」、「S-300PMU-1/SA-10」、「MIM-23 "ホーク"」、「クロタール-NG」「スカイガード」「9K33/SA-8 "オーサ "」「9K330 "トール-M1"」 地対空ミサイル(SAM)システムなどの広範囲にわたる防空ネットワークにより、エーゲ海上空で展開されるであろう敵の航空作戦に悪夢をもたらす態勢を整えているからです。

 ギリシャにとって不幸なことに、トルコのUCAV、「F-16」、そして将来に配備される「カーン」ステルス戦闘機に搭載される予定の対地兵装の大部分は、事実上ほとんどのギリシャの防空システムをアウトレンジできる能力を有しています。

 仮にUCAV飛行隊を除外したとしても、トルコにはギリシャのSAM陣地とシステムを無力化するために用いることができる、さらに数種類の対地兵器を保有しているのです。これには、「コラル」及び「レデト-II」電子戦システム、「J-600T "ユルドゥルム"」「ボラ(カーン)」短距離弾道ミサイル(SRBM)、そしてまもなく登場する「KARA Atmaca(カラ・アトマジャ)」地上発射型巡航ミサイル(GLCM)が含まれています。

 「カラ・アトマジャ」は「アトマジャ」対艦ミサイル(AShM)の対地攻撃で、2021年8月に初公開されました。同ミサイルはトルコ陸軍が高精度のGLCMを要求したことに応えた「ロケットサン」社によって開発されたものであり、280km以上の射程距離を誇ります。

 したがって「カラ・アトマジャ」は世界で最も射程の短い地対地巡航ミサイルということになりますが、それでもトルコ沿岸の陣地から発射された場合、ギリシャの防空陣地の大部分を攻撃するには十分な距離です。

 このミサイルは対艦型と同様に技術的には潜水艦からの発射も可能ですが、すでにトルコは潜水艦用に特化した1000km以上の射程を持つ「ゲズギン」対地巡航ミサイル(LACM)を開発中です。[4]

トルコ沿岸から発射された場合の「カラ・アトマジャ」の射程距離を地図上の赤い円で示しています。

 「カラ・アトマジャ」は250kgのHE弾頭を搭載して少なくとも280kmの射程距離を有していることから、敵後方に位置する司令部やレーダー基地、SAMサイトを標的にするのに最適な巡航ミサイルと言うことができるでしょう。[5]

 慣性誘導だけではなく衛星誘導方式なども取り入れているため、このGLCMは誘導式ロケット弾やSRBMよりも高い精度や効果を誇っていますが、これは主に、ミサイルが終末段階で標的を正確に識別・変更し、高い精度で命中できるようにする赤外線画像誘導(IIR)シーカーの搭載によって実現される予定です。[5]

 また、地形に沿って飛行し、被観測性が低いという巡航ミサイル特有の特徴があることは、「カラ・アトマジャ」を迎撃を困難なミサイルにもさせています。

 「ボラ」のようなSRBMは、飛行軌道が高いために「MIM-104 "パトリオット"」といったSAMによる迎撃を受けやすいものとなっていることは湾岸戦争で十分に知られている一方で、「カラ・アトマジャ」は地形に沿って飛行するため、迎撃が極めて難しい標的となるでしょう。

 長距離に位置する目標に命中する以前の段階で探知を避けるため、山々の周囲や渓谷を飛行する特性を考慮すると、エーゲ海と周辺の地形もこのミサイルに有利に働くでしょう。

「カラ・アトマジャ」GLCM(左)と「アトマジャ」AShM(右)のモックアップ。この時点で前者のモックアップにIIRシーカーが装着されていないことに注意してください。

 2025年に「カラ・アトマジャ」が導入されることにより、トルコ陸軍は初の巡航ミサイルを保有することになるでしょう。[6] 

 この巡航ミサイルの自走式発射台(TEL)はモジュール式であり、同じTELから「TRLG-122」及び「TRLG-230」レーザー誘導式ロケット弾や「TRG-300」GPS/INS誘導式ロケット弾を発射することも可能となっています(注:「カラ・アトマジャ」は「ロケットサン」社のモジュラー式長距離砲兵システムに組み込まれているということ)。

 「TRG-300」は中国の「WS-1B」自走ロケット砲システムをベースにした誘導式ロケット弾であり、現在は2025年に「カラ・アトマジャ」が引き継ぐであろう任務の一部を担っています。

 「TRG-300」と比較した場合、「カラ・アトマジャ」は射程距離が大幅に長いものとなっていることに加えて(120+km:280+km)、弾頭もより重いものを搭載し(250kg:190kgまたは105kg)、IIRシーカーの搭載によってより高い命中精度を誇るという際立った特徴を有しています。

 「TRG-300」はすでにアゼルバイジャン、バングラデシュ、UAEで商業的成功を収めているため、「カラ・アトマジャ」が海外の市場で同様の成功を収める可能性についても起こりえないわけではないようです。

 この巡航ミサイルの280kmという射程距離は、トルコからすればミサイル技術管理レジーム(MTCR)などの軍備管理に関連する条約を尊重しつつ、同時に「カラ・アトマジャ」を売り込むには十分に短いものとなっています。

 潜在的な海外の顧客にはアゼルバイジャン、カタール、ウクライナ、モロッコ、UAE、インドネシアが含まれており、その全てがすでに誘導式ロケット弾システムを運用していたり、巡航ミサイルやSRBMで武装した隣国が存在している国々です。この点を考慮すると、「カラ・アトマジャ」は輸出に成功するトルコ初の巡航ミサイルとなるかもしれません。


 「カラ・アトマジャ」がトルコ軍で運用される最後の長距離ミサイルシステムになると考える人は、後でそれが大間違いと知ることになるかもしれません。なぜならば、国産の「ゲズギン」巡航ミサイルの導入により、トルコ軍の水上艦や潜水艦が長距離の戦略目標を打撃することが可能になるからです。

 「カラ・アトマジャ」GLCMと「ゲズギン」LACMの導入や「ボラ」SRBMのさらなる開発を通じて、トルコはやがてエーゲ海周辺とそれ以外の地域で使用するためのゲームチェンジャーとなるさまざまな兵器システムを保有することになるでしょう。

 トルコのUCAVの成功に盲点を突かれたことによって、エーゲ海の現状を激変させて地中海における軍事バランスをリセットすることになる、数多くの軍事プロジェクト群が無視されがちです。

 その度重なる新兵器の開発が続くトルコの動きは、現在のギリシャがトルコと比較すると軍事的な発展が著しく遅れているだけではなく、軍事力を増強するためのトルコによる取り組みはギリシャが追いつくことが考えられないほどに凌駕し続けていることを示しています。

「ゲズギン」SLCMによって、射程1000km圏内に存在するあらゆる地上目標がトルコ海軍の潜水艦や大型水上艦の照準に入ることになるでしょう。

[1] Israel will lease IAI Heron UAV's to Greece https://www.iai.co.il/israel-will-lease-iai-heron-to-greece
[2] Endless Possibilities - The Bayraktar Akıncı’s Multi-Role Weapons Loadout https://www.oryxspioenkop.com/2022/01/endless-possibilities-bayraktar-akncs.html
[3] Deadly Advanced: A Complete Overview Of Turkish Designed Air-Launched Munitions https://www.oryxspioenkop.com/2022/01/deadly-advanced-complete-overview-of.html
[4] Turkey one step closer to develop indigenous cruise missile https://navalpost.com/turkey-one-step-closer-to-develop-indigenous-cruise-missile/
[5] KARA ATMACA Surface-To-Surface Cruise Missile https://www.roketsan.com.tr/en/products/kara-atmaca-surface-surface-cruise-missile
[6] Karadan Karaya Seyir Füzesi Projesi’nde (Kara ATMACA) İmzalar Atıldı https://www.savunmasanayist.com/karadan-karaya-seyir-fuzesi-projesinde-kara-atmaca-imzalar-atildi/

※  この翻訳元の記事は、2022年1月27日にOryx本国版(英語)に投稿された記事を翻訳
  したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ
    ります。


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2023年6月2日金曜日

勝利を手にした後で:タリバン空軍の現況


著:ルーカス・ミュラー in collaboration with ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 この記事は、(西側諸国では一般的に「タリバン空軍」として知られている)アフガニスタン・イスラム首長国空軍(IEAF)の発展を要約し、「タリバン空軍のパイロットは誰なのか?」「タリバンはどのような航空機を運用しているのか?」「どのようにしてこれらの航空機を維持することができているのか?」といった頻繁に聞かれる質問に回答することを試みたものです。IEAFの保有戦力に関する評価については、こちらの記事をご覧ください。
 
 2021年は、アフガニスタンの歴史に大激変をもたらしました。

 タリバンと(当時の)アフガニスタン政府との間での和平と対話がなされることを条件にアメリカが駐留している軍部隊を撤退させることを約束したドーハ合意が結ばれた後、タリバンはアフガン軍(ANA)対して大規模な攻勢を開始したのです。

 数か月の間にかけて繰り広げられた戦闘の後に多くのANA部隊が降伏や逃亡し、残存する部隊が激しくも無駄な抵抗を続けましたが、 勝利を得たタリバンが首都カブールに突入した2021年8月15日にアフガニスタン・イスラム共和国の存在が突如として終焉を迎える結果となったことは皆さんの記憶に新しいことでしょう。

 多くの人が驚いたことに、これらの出来事の僅か数日後にはタリバンがアメリカ製の「UH-60 "ブラックホーク"」ヘリコプターを含む元アフガン空軍(AAF)機を飛ばしている姿が目撃されました。

 当初は実現する可能性が極めて低いと考えられていたことが、やがて現実となりました:タリバンは2021年夏に無傷で鹵獲した飛行機やヘリコプターの運用を開始しただけでなく、損傷したり保管状態にあった機体を修理することさえできたのです。

 2022年を通じて、タリバンが創設したイスラム首長国空軍(正式名称:IEAF)の運用機数は徐々に増加傾向にあるようにさえ見受けられます。

ヘラート市上空を飛行する「Mi-17V5 "733番機"」:側面のスライドドアから小さなタリバンの旗が突き出されている様子が見える(2021年8月)

 おそらく多くの人が抱いていた最も注目すべき質問は、「これまで主にシンプルな武器しか用いてこなかったタリバンという過激派運動(組織)が、どのようにして新たに鹵獲した航空戦力の操縦方法を学習したのか」ということではないでしょうか?

 意外にも、その答えは簡単なものでした: 過去のアフガニスタンで何度かあったように、(内乱や権力闘争で)政権交代が発生した時にアフガン空軍の一部が勝利した側に付くという単純なものだったわけです。今回はその勝者がタリバンだったということに過ぎません。

バグラム空軍基地でソ連で訓練を受けたアフガン空軍パイロットがアフマド・シャー・マスードのムジャヒディンと一緒に「Mi-25 "ハインド"」ヘリコプターを試験している際の一コマ(1992年):政権の崩壊後にバグラムの全駐留部隊がマスードに味方し、ムジャヒディンに数十機もの航空機を提供した。その29年後にAAF隊員の一部がタリバンに味方することで、この歴史は繰り返されたのである

ボロボロの空軍?

 アメリカがアフガニスタンからの撤退を開始してから数か月のうちに、アフガニスタン空軍は急速に衰退し始めました。空軍を維持するために本当に必要な防衛請負業者の多くもこの国から去り始め、今やアフガニスタンの軍人に頼らざるを得なくなった部隊が以前のような運用のペースを保てないことが早くも露呈してしまったのです。

 どうも2021年の最初の数か月ですでに稼働機数が減少し始めたらしく、2021年6月には空軍飛行隊の作戦即応性は以前の戦力のたった30%までに低下したと報じられています。[1]

 ただし、この時点でまだ創設されていなかった「タリバン空軍」にとって、AAF機の作戦即応性の低下は最も影響の低い問題にとどまるものであったことは間違いありません。

 IEAFの規模と作戦能力について、その設立初期から大幅な低下を余儀なくされた2つの出来事がありました。まずは、タリバン軍がカブール市内に突入してANA最後の残存部隊が瓦解していく中、有志連合軍の管理下にあったカブール国際空港に拠点を置くAAFのパイロットたちが「大脱走」を敢行し、国内に存在する航空機の数を大幅に減少させてしまったことが挙げられます。

 報道によれば、最低でも46機がウズベキスタンのテルメズ空港への脱出に成功し、さらに18機がタジキスタン領内に着陸したとのことです。これらの機体には500人以上のパイロットや空軍兵士らが搭乗していた一方で、その他の多くのパイロットや整備士たちは国内に潜伏し、陸路を通じてアフガニスタンから逃げ出しました。

 このようにして、アフガニスタンに残された航空機の数は60以上も低下した上にパイロットや整備士も数百人規模で減ってしまいました。

 二つ目の打撃は、撤退する直前のアメリカ軍による破壊工作です。約100人の兵士から構成されたチームが、カブール国際空港に残存している全てのAAF機を見つけ出して使用不能にする任務を負っていたのです。このチームは爆薬の使用が許可されなかったため、大槌やそれに準じた道具を使って任務を完遂することが求められました。

 その後の取材で、部隊長のフランク・ケスラー少佐は自身の部隊が73機のAAF機を見つけ出したと証言したものの、どの程度の機体を実際に使用不能にできたのかは詳細に語っていません。それでも、入手できた画像や映像といった資料の検証結果を踏まえると、こうした破壊工作で相当な数の作戦機を飛行不能に追い込んだことは確実と言えます。[2]

 それにもかかわらず、タリバンの高官たちは(勝利からそれ程時間が経たないうちに)この国の空軍を再建する予定であると表明しました。[3] 

 実際、有志連合軍が撤退した直後のカブール空港では国内に残った整備員たちが損傷を受けた機器を修理する姿が見られたほか、タリバン側に忠誠を誓ったパイロットたちが稼働状態にあった数少ない機体を操縦し続けていたのです。また、タリバンは元AAFの兵員に対する恩赦を宣言し、基地へ帰還するように働きかけました。

 2021年8月15日でアフガニスタンにおける軍用航空史が終わりを告げたわけではなく、ある種の空軍がこの国で活動を継続することは(すでに)明らかとなっていましたが、その規模がどの程度で、航空機をどれくらいの期間運用し続けることが可能なのかという疑問は残り続けています。

カブール空港でインドから供与された3機のHAL「チーター」ヘリコプターのうちの1機を修理する整備員たち(2021年11月):その努力の成果は、それから5か月後に運用へ復帰させることに成功するという結果で表れた

過去を振り返る

 2021年8月に発足した新生タリバン空軍は、この過激派運動が前体制から継承して維持することを決めた最初の軍事航空部門というわけではありません。

 タリバンは1994年のカンダハールでの活動開始から程なくして「Mi-8/17」輸送ヘリコプターを使用し始め、その1年後には「MiG-21」戦闘機の運用さえ開始するまでに至っています。

 内戦が激化し、タリバンが敵対勢力からより多くの飛行場を制圧するにつれて(実際、1990年代のアフガニスタンには8~10もの "空軍" や小規模な "航空隊" が乱立していた)、彼らは「Su-22」戦闘爆撃機、「L-39 "アルバトロス"」訓練機、「An-26」輸送機、「Mi-24 "ハインド"」攻撃ヘリコプターといった多岐にわたる種類の航空戦力を掌握し、最終的にアフガン内戦の全当事者内で最大の航空戦力を誇る運用者となりました。

 ここで重要なのは、入手可能なあらゆる情報源によると、1990年代から2000年代初頭にかけて存在した旧タリバン空軍が、前体制などから転向してこの過激派運動に参加した「アフガニスタン人」の兵員だけに依存していたという点でしょう。

 外国人の傭兵や義勇兵がタリバンのために飛行機を飛ばしているという憶測については、現時点でその全てが根拠のない噂であることが証明されています。それでも、少数の外国人パイロットや整備員の存在を完全に否定することはできません。

 しかしながら、そもそもタリバンがなぜ外国人の助けを必要とするのかが不明です。というのも、1970年代におけるアフガニスタン空軍の規模は1979年のソ連による侵攻開始後はさらに拡大し、共産主義政府(アフガニスタン人民民主党政権)がムジャヒディンと十分に戦える強力で実用的な対反乱軍を創設するべく、ソ連から届けられた数百機の航空機に何千人もの新人パイロットや整備員が配属されていたからです。

 したがって、1992年の共産主義政権の崩壊後にはパイロットや整備員、さらにレーダー操作員を含むあらゆる種類の軍事的なスペシャリストたちが比較的大規模に溢れていたことから、彼らが紛争当事者に簡単に活用されたことは特に驚くようなことではありません。

 現在のアフガニスタンも似たような状況です:つまり、多くの元軍人が海外へ逃れたり、身を隠したりしている一方で、首都にどのような政府が居座ろうと自身の任務を継続する者もいます。

2021年以降におけるタリバン空軍の戦闘序列
 
 アメリカの訓練指導支援コマンド-エア(TAAC-Air)は、2020年12月の時点でAAFが167機を保有し、そのうち136機が稼働状態にあると報告しています。

 AAFのパイロットとその愛機が「大脱走」した上にハンマーで叩き回るアメリカ軍によって生じた被害で、アフガニスタンの新たな支配者が使用できる航空機の数が著しく減少してしまったことは先述のとおりです。

 体制崩壊に伴う状況が落ち着いてから数か月後、タリバン政権は全国各地の空港に散らばっている航空機のリスト化するを任務とする委員会を創設しました。2022年1月にタリバンがリリースした報告によれば、IEAFは合計で81機の各種機体を保有しており、そのうち41機が稼働状態にあるとのことです。[4]

この塗装されたばかりのアントノフ「An-32 "350番機」"はまさに正真正銘の「生き残り」である:80年代後半から90年代前半にソ連からアフガニスタンの共産主義政権へ引き渡されたこの機体は、1992年にマスードの軍に鹵獲され、1996年にはタリバンの鹵獲から逃れるべく彼らのパイロットがウズベキスタンまで飛ばした...そしてウズベキスタン当局は同機を没収して(反タリバン勢力である)ドスタム将軍に寄贈し、それ以降の5年間は彼の空軍によって使用された。2001年の有志連合軍の侵攻とタリバンの敗北後、ドスタム将軍は本機を新設されたAAFに譲渡したが、最終的には2021年8月にタリバンに鹵獲されるに至った。つまり、この「An-32」は今までに5つの異なる空軍で運用されていることになるわけだ。

 外の世界から見てはっきりしなかったのは、「IEAFが残存する航空戦力をどの程度維持できるのか」ということでした。

 TAAC-Airのレポートによれば、航空機の整備に関するAAF部隊員の能力については、機体によって相当のばらつきがあったとのことです: これによると、アフガン人が「UH-60」と「C-130」を自力で整備する能力はゼロ(海外の防衛請負業者が100%整備)、「A-29」と「C-208」については中レベルの整備能力(自身で一定の整備が可能)であり、段階的に退役して完全に「UH-60」に置き換えられる予定だった「Mi-17」と「Mi-171」に関しては完全に自力で整備可能とのことでした。

 残念ながら、このレポートは「Mi-24」やその他の旧ソ連製の機体について言及していません。

 この評価を踏まえると、IEAFの部隊員が実際に航空機を修理や整備する能力は相当意外なものでした。なぜならば、(主に画像や映像によるエビデンスと複数のメディアによる報道といった)さまざまな情報源に基づくと、2021年8月から2022年8月の間にかけて実際に飛行している姿を目撃された個々のIEAF機の数が間違いなく減少していなかったからです。

 それどころか、IEAFの整備員たちはカブールでアメリカ軍によって損傷を被った機体の修理に成功しただけでなく、長い間保管状態にあって何年も飛行していなかった古いソ連製の機体を復活させることにも成功しています。

 2022年6月には、アフガニスタン国防省の報道官はIEAFが50機以上の運用可能な機体を保有していると延べました。[5] 

 ただし、アメリカ情報当局のレポートによると、アフガニスタンの整備員は稼働機の状態を維持させるために、非稼働の機体を共食い整備用として使用する必要があるとのことです。 

タリバンの部隊が「Mi-17」ヘリコプターに乗り込む様子: 「Mi-8MTV/Mi-17/Mi-17V5」はIEAFの主力機であり、全国の基地から作戦飛行を実施している

 依然として今でも不明なのは、IEAFの兵員数です。特にパイロットの数がはっきりとしていません。彼らの中にはタリバンがアフガニスタンを再征服した直後も決して退役せずに飛行を続けた者もいた一方、大半は潜伏や国外に逃亡するなどしたため、結局は僅かしか戻ってきていないようです。

 恩赦の布告を受けて33人のパイロットを含む少なくとも4,300人の元AAF部隊員がIEAFに加わったとタリバンの司令官が主張していますが、国外に脱出せずに残った者を含めた総兵力は不明のままとなっています。

この旧AAFパイロットは今ではタリバン空軍の一員として空を飛んでいる

 IEAFが発足してから1年間で確認された墜落事故は3件です(詳細は以下のとおり)。
  1. 2022年1月に「MD-530」のパイロットがカンダハール市付近で墜落・水没
  2. 同年6月に輸送ヘリコプター(おそらく「Mi-8MTV-1」または「Mi-17V5」)がジョウズジャーン州で墜落、
  3. 同年9月に「UH-60」1機がカブール近くで訓練飛行中に墜落[6] [7] 
 「MD-530F」が墜落した原因としてはパイロットのヒューマンエラーが最も可能性の高いと思われますが、国防省は残る2つの墜落の原因は技術的な問題であると声明を出しました (注:2023年5月にはマザーリシャリーフ近郊で電線に接触した1機の「MD-530F」が墜落して乗員が殉職した旨をアフガニスタン国防省が発表しています)。   

 これらの事故に加えて、1機の「Mi-8MTV-1」がパンジシール州で反タリバン組織の「民族抵抗戦線(NRF)」から銃撃を受けて緊急着陸を余儀なくされたケースもありました。[8]

タリバンは「C-130H "ハーキュリーズ" 」1機の修理に成功したと誇らしげに主張しているものの、同機が実際に飛行可能であることを実証する画像や映像を含めた証拠は一つも存在しない:この画像が示すように、少なくとも地上では訓練や式典用の道具としての役割を担っている

 いずれにせよ、タリバン当局が主張する運用機数は割引いて考える必要があるでしょう。
というのも、実際に飛行していない機体の一定数についても彼らがほぼ間違いなく「運用可能」または「飛行可能」としてカウントしているからです。

 特に、マザーリシャリーフを拠点とする「A-29 "スーパーツカノ"」のケースは私たちに疑問を投げかけています。

 知られている限りでは、2021年8月にそこから脱出を企てたAAFのパイロットたちはタリバンが基地のゲートに到着する前の文字通り「最後の瞬間」にそれをやってのけたおかげで残存機に対する破壊工作が不発に終わったことで、この基地の「A-29」は劇的な出来事から無傷で生き残ったようです。

 ただし、この基地に残された「A-29」については一度も飛行する様子が目撃されていません(注:2023年5月にアフガン国防省が同機のエンジンを始動させる映像を公開しましたが、飛行段階には進んでいないように見受けられます。)

 テレビカメラの前で自身の航空戦力を披露することに熱心で知られており、可能ならば間違いなく "ホット"な「A-29」を躊躇せずに取り上げるはずのIEAFがそうしない理由については、単にこの飛行機を操縦する資格があるパイロットが存在しないためなのかもしれません。 

マザーリシャーリフを拠点とする2機の「A-29」攻撃機(2021年11月):両機は無傷の状態であると思われるが、タリバンが所有して以降は飛行していないようだ

 タリバンが勝利を手にして以来、ある程度の当局者がウズベキスタンやタジキスタンに対して双方に逃れた機体の返還を要求しています。当然ながら、これらの要求は無駄であることが証明されました:この2か国がタリバンの要求を受け入れる代わりに、将来のある時点で自国に逃れてきた機体を自身の空軍に追加する可能性が高いでしょう。[9] [10]

 同様に、タリバンがカブールに入城した時点でまだアメリカ国内にあった「Mi-17V5」もアフガニスタンに戻されることはありませんでした。これについては、交渉の後にアメリカが戦火の最中にあるウクライナへ提供する膨大な軍事援助パッケージの一部として、これらのヘリコプターをウクライナ空軍に寄贈したことで広く知られています。[11]

IEAFの最高司令官であるマウラヴィ・アマヌディーン・マンスール:彼は1995年から2001年の時代に存在した「最初の」タリバン空軍の司令官を務めたアフタル・ムハンマド・マンスールの息子である

 2021年の戦勝以前に、すでにタリバンの特殊部隊は効果的な対人兵器であることを実証した軍事用途に改修された商用ドローンを数多く運用していたことは注目に値します。[12] 

 アフガニスタン・イスラム共和国の崩壊の結果として、タリバンは(数量不明ながらも)ANAが使用していたアメリカ製のボーイング・インシツ「スキャンイーグル2」無人偵察機を入手しました。

 2022年5月にオンライン上で公開された映像によると、クンドゥズの陸軍第217オマリ軍団は、実際に少なくとも1機の「スキャンイーグル2」を飛行状態へ戻すことに成功しています。[13] 

 ただし、鹵獲したこの無人機をタリバンが効果的かつ集中的に運用しているかは、依然として分かっていません。

クンドゥズで撮影された旧アフガン陸軍の「スキャンイーグル2」無人偵察機(2022年5月)

 IEAFが数多くの航空機とヘリコプターを運用しているものの、この国には有用な防空戦力が完全に欠け落ちたままです。

 過去20年間も航空機の脅威がもたらされる可能性が低いままだったおかげでアフガニスタン・イスラム共和国における防空戦力の復活は最も優先度が低いものとなり、この国の軍の再建に携わった有志連合諸国が対反乱作戦能力の構築を第一にリソースを集中させたことが原因にあることは言うまでもないでしょう。

 近年におけるアフガニスタンの対空兵装は、どこにでも見られるような「DShK」12.7mm重機関銃や「ZU-23-2」23mm対空機関砲や「ZPU-1/2」14.5mm対空機関砲、そして少数の「M-1939 (61-K)」37mm対空機関砲と「AZP S-60」57mm対空機関砲だけしかありません(注:2001年以降でもタリバンが携帯式地対空ミサイルシステム(MANPADS)を入手した画像が見られましたが、その殆どがソ連侵攻の際に海外から供与されたものと思われるために実際には使用不可であると考えられています)。

「M1152 "ハンヴィー"」に搭載された「ZU-23」23mm対空機関砲: アフガニスタンでは基本的に対地射撃用として使用されている

旧式の「M-1939 (61-K)」37mm対空機関砲:今でもガルデーズ駐屯地で維持されているようだ

絶え間なく動きがあった一年間
 
 IEAFの全体的な動きがAAFの能力よりも格段と低いものだったことは一目瞭然ですが、彼らが決して怠慢だったわけではありません:タリバンの固定翼機とヘリコプターが兵員や物資の輸送で日常的に使用されているほか、数多くの演習や軍事パレードに参加したり、少なくとも北部における反タリバン勢力の制圧作戦で限定的に投入されていることが入手可能なエビデンスによって示唆されています。

 特に勝利してからの最初の数週間、タリバンはより良い状態で生き残っている機体向けの予備部品の供給源として活用する目的のため、損傷した機体をかき集めることで多忙を極めていたのでした。

 例えば、2021年9月には少なくとも「UH-60」1機と損傷した「MD-530」1機がガズニからカンダハールへ陸送されたほか、タリバンが鹵獲した際に大きな損傷を受けた(NRFの)ヘリコプター数機がパンジシール渓谷からカブールまで輸送されています(この反タリバン勢力からの鹵獲は数少ない事例であり、タリバンの戦闘員は基本的に鹵獲した機体へ手を出さないように統制が取れていた模様です)。 

このカブールに拠点を置く「ブラックホーク」は警察特殊部隊総司令部の隊員たちの訓練に用いられている

バグラム空軍基地での軍事パレードでフライパスをする4機のIEAF 「Mi-24」のうちの1機 (2022年8月): 同機は2016年にアフガニスタンへ寄贈された旧インド空軍機である

 2022 年を通して、IEAF は何度も災害救援活動に投入されました。

 アフガニスタンの広範囲にわたる地域が洪水や地震で被災し、「Mi-8MTV-1」や「Mi-17V5」、そして「UH-60」が取り残された人々を救助したり、救援物資を空輸しました。[14]

  IEAFがこのような任務に「UH-60」すら用いているという事実は、人々にある疑問を提起させます。つまり、この機種の整備が見かけ上は問題とされていないのか – あるいは(運用に責任を持つ者たちが)単にいつの日か事故が発生することから逃れられないことを見込んで運用されているのか、ということです。

 入手可能なエビデンスは、IEAFによる最も活発なフライトがカブールとマザーリシャリーフ、それにカンダハール空港で実施されていることを示しています。なお、シーンダンド及びバグラム空軍基地、ヘラート空港の状況については、現在もはっきりとしていません。

カブール国際空港でのIEAFのパイロットたちとタリバンの指導者たち(2022年8月):背後にセスナ「C-208B/AC-208」 が見える

機体の塗装とマーキング
 
 IAEFの機体は数機の除いた全てが2021年以前の旧アフガン空軍の迷彩塗装を維持していますが、唯一の例外は輸送機の「An-32」3機と「An-26」1機であり、これらは2022年夏にカブール空港でオーバーホールされた際に再塗装されました。

 また、各機体はAAF時代のシリアルナンバーが残された状態で運用され続けています。

「An-26」の前部胴体:最近にこの機体は完全に再塗装されて運用に復帰した

 体制転換後、タリバンはアフガニスタンの国章を若干変更しました: これに伴ってIEAF機はタリバンのエンブレムや白いタリバンの旗(現在はアフガニスタン・イスラム首長国の国旗)が施されました。一部の機体は早くも1960年代に導入された(AAFの)伝統的な三角形のラウンデルを施されたままですが。


カブールを拠点としている「UH-60A+ "ブラックホーク"」の1機:タリバンの旗と今や古くなったAAF時代のラウンデルの双方が施されている

この「UH-60」はラウンデルとしてタリバンのエンブレムが施されている

まとめ

 2021年8月、タリバンは(著しく劣化したとはいえ)十分に機能している航空戦力をパイロット・整備員・後方支援システム・施設と共に引き継ぎました。

 アメリカから装備や財政支援を受けたアフガン空軍の要員たちはタリバンの支配下にあっても自国に奉仕し続ける意思があり、ほとんど平和的な環境の中でそれを実現できたと言っても過言ではありません。

 一般的な予想に反してIEAFの稼働機数は増加しているだけにように見えますが、その安全性や摩耗損失に対する長期的な復元力についての不確実性が残されたままです。

 IEAFが近隣諸国の航空戦力には及ばないことは確実ですが、国内各地へ物資を輸送したり兵員や高官を移動させる利便性の高いツールや、現在も続く(数少ない)反タリバン勢力との戦いにおける貴重なアセットとして重宝され続けることになるでしょう。


[1] 25% of Afghan Air Force Fled, Remainder in Disarray, Sources Say https://www.airforcemag.com/afghan-air-force-fled-remainder-in-disarray-sources-say/
[2] Special Report: Pilots detail chaotic collapse of the Afghan Air Force https://www.reuters.com/business/aerospace-defense/pilots-detail-chaotic-collapse-afghan-air-force-2021-12-29/
[3] Taliban express their intention to build their own Air Force in Afghanistan https://www.hindustantimes.com/world-news/taliban-express-their-intention-to-build-their-own-air-force-in-afghanistan-101636276230161.html
[4] Officials: 81 Military Aircraft of Ex-Govt Remain, 41 Operational https://tolonews.com/afghanistan-176177
[5] MoD Repairs Two Military Aircraft https://tolonews.com/afghanistan-178417
[6] Taliban helicopter crashed in Kandahar province Afghanistan سقوط یک هلیکوپتر طالبان در ولایت کندهار https://youtu.be/z8XMd3UDFB4
[7] Black Hawk Helicopter Crashes During Taliban Training Exercise, Killing 3 https://www.voanews.com/a/black-hawk-helicopter-crashes-during-taliban-training-exercise-killing-3/6739460.html
[8] https://twitter.com/TajudenSoroush/status/1537852178349555712
[9] Taliban Demand Uzbekistan, Tajikistan Return Dozens of Afghan Aircraft https://www.voanews.com/a/taliban-demand-uzbekistan-tajikistan-return-dozens-of-afghan-aircraft/6392629.html
[10] U.S. may let Tajikistan hold on to fleeing Afghan aircraft https://www.reuters.com/world/us-may-let-tajikistan-hold-fleeing-afghan-aircraft-2022-06-20/
[11] Transfer of US-Procured Afghan Helicopters to Ukraine Underway https://www.voanews.com/a/transfer-of-us-procured-afghan-helicopters-to-ukraine-underway-/6556878.html
[12] The Drone Unit that Helped the Taliban Win the War https://newlinesmag.com/reportage/the-drone-unit-that-helped-the-taliban-win-the-war/
[13] Scan Eagle servilance dron tested by Afghan Taliban (IEA) in kundoz province https://youtu.be/HsvEQMCYndo
[14] https://twitter.com/samimjan199/status/1563526795713949698

※  当記事は、2022年11月4日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります。



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2022年8月15日月曜日

壮大な運用史:アフガニスタンにおける「L-39C " アルバトロス" 」


著:ルーカス・ミュラー in collaboration with ステイン・ミッツアー(編訳:Tarao Goo

 当記事は、アジア・エアアームズ調査会ニュースレター2020年8月・9月号に掲載された記事を更新・増補したものです。また、著者の書籍「Wings over the Hindu Kush」に掲載されたアフガニスタンの「L-39」に関する情報もアップデートされています。 

 チェコスロバキア製のジェット練習機「L-39 "アルバトロス"」は広く輸出され、世界中の国々で長い間にわたって成功裏に活躍しています。 アフガニスタンは1977年に最初の「L-39」を受け取り、最後の2機は少なくとも30年間運用された後の2000年代後半か2010年代前半に退役しました。

 しかし、アフガニスタンの「L-39」の物語はまだ終わっていないかもしれません。2021年12月現在の時点で、タリバン政権の管轄下にあるカブール空港で整備員たちが長年にわたって放置されていたジェット機を稼働状態に戻すという明らかな野心を持って、残存する「L-39」のエンジンテストを開始したからです。[1]


運用初期

 1950年代後半まで、王立アフガニスタン空軍は主にイギリス起源の時代遅れと化したピストンエンジン機(注「ホーカー・ハインド」)に頼っていましたが、ザヒル・シャー国王がソ連に軍備を含む援助を要請した後にこの空軍は急速な近代化の時期を迎えました。

 アフガニスタンはソ連から「MiG-17」戦闘爆撃機のみならず、「Il-28」爆撃機やその他多くの比較的高度な航空機やヘリコプターの入手に成功し、訓練用として「Yak-11」や「Yak-18」初等練習機と「MiG-15UTI」ジェット練習機も採用されたのです。[2]

 しかし、1970年代半ばになるとアフガンに派遣されていたソ連軍の顧問がより高度な新型練習機の必要性を感じ、東欧諸国の標準的なジェット練習機となりつつあった「L-39 "アルバトロス"」の供与を本国に要請しました。
 
 1977年に第1陣の「L-39」12機がアフガニスタンに到着し、以後はマザリシャリフ郊外のデダディ空軍基地を拠点とするアフガン空軍第393訓練航空連隊で運用に就きました(注:1973年のクーデターによる王政廃止後に軍から「王立」の文字が削除されました)。[2] 

 第1陣として納入された機体には「001」から「0012」までの機体番号が割り振られ、塗装については上部が白で下部がライトグレーのツートンカラーで仕上げられており、緑と黒と赤の三角形で構成された国章が6箇所に施されました。

引き渡し前にチェコスロバキアを飛ぶアフガニスタンの「L-39」で、三角形のラウンデルが6カ所に施されている

1977年の納入直後にアフガニスタン北部を飛行する2機の「アルバトロス」

 それから僅か1年後の1978年4月に、アフガニスタン軍内部の共産主義者がクーデターに成功してアフガニスタン民主共和国(人民民主党政権)を樹立したものの、新政権樹立からほとんど間を置かずに、イスラム政党を筆頭とする反共産主義の暴動が全国各地で勃発しました。こうしてアフガニスタンの内戦が始まったわけですが、デダディ空軍基地にあるカデットでの訓練は深刻な影響を受けることはありませんでした。

 ソ連の教官に助けられながら、第393連隊は「L-39」だけでなく旧式の「MiG-15UTI」や「MiG-17」の運用も続けていました。

 政治・経済・社会生活における数えきれないほどの変化の中で、共産主義者によるクーデターは国章の変更も引き起こしました。伝統的なアフガンの三角形は、黄色のアフガンの紋章が入った赤いラウンデルに塗り替えられたのです。

並べられた「L-39」には、1978年のクーデター後に採用された赤いラウンデルが施されている


ソ連侵攻

 それから1年もせずに、共産主義体制が政権の維持に苦心していることが明らかとなりました。なぜならば、イスラムの戦闘員(ムジャヒディン)の影響力は絶大であり、政府軍は士気の低下と離反に悩まされていたからです。

 比較的友好的な現アフガニスタン政権の崩壊を危惧したモスクワの指導者たちは、紆余曲折を経てこの国への介入を決断しました。1979年末にソ連の特殊部隊がアフガニスタンのアミン大統領を殺害、ソ連軍が侵攻して、より穏健な共産主義派閥の長であるカルマル大統領を就任させて権力を掌握したのです。

 おそらく驚くようなことではないでしょうが、一連の政変に続いて「L-39」を含むアフガニスタン機は、赤い星が黒・赤・緑からなる円形の縁で囲まれた全く新しいデザインのラウンデルを施されました。 

 戦闘が激しく続くにつれ、ソ連から「MiG-21」や「Su-22」が大量に引き渡されてアフガニスタン空軍の戦力は増強された一方で、(当時の基準で)現代的なジェット戦闘機を取り扱うことが可能なさらなる飛行士の必要性がかつてないレベルにまで達しました。

 多くの意欲的なアフガニスタン軍飛行士はソ連の軍事アカデミーに留学しましたが、それ以外の者は国内で訓練を受け続けたようです。

 やがて、1977年に引き渡された12機の「L-39」では強化訓練プログラムの要件を満たすには数があまりにも少なすぎることが判明したため、1983年から翌1984年にかけて追加の「アルバトロス」がそれぞれ6機と8機の2回に分けてデダディ基地に到着しました。
 
 新たに引き渡された機体には、チェコスロバキアとソ連で運用されている「L-39」の大半と同様に、上部が明暗の緑褐色で下部がライトグレーで構成された標準塗装が施されていました。その後数年間で、(1977年の)第1陣からの全機が(おそらくチェコスロバキアと同様の標準塗装に)塗り直されました。

 第1陣の機体のうち、少なくとも1機は再塗装される前に使用不能な状態に陥ったか損傷したために、首都郊外にある巨大なスクラップヤードでその生涯を閉じました。

 第2陣、第3陣の機体番号は謎に包まれています。というのも、チェコのさまざまな資料では26機以上の「アルバトロス」が引き渡されたことはないと述べられているものの、写真で確認された中で最も数が大きな機体番号はアフガニスタンで運用された「L-39」の総数を踏まえるとより合理的である「0026」ではなく1つ多い「0027」だからです。

「L-39(機体番号0027)」

 さらに、2001年にマザリシャリフで撮影された遺棄された「L-39」の写真から、アフガニスタン空軍がソ連から中古の「L-39」をいくらか得た可能性を示しています。この機体は色あせた国章にソ連の赤い星が描かれているようですが、機体番号は「003x」で最後の桁が不鮮明で判読できませんでした。

 したがって、アフガニスタン空軍に運用されていた「L-39」の数が30機以上あったことはほぼ確実と断言できます。

 旧ソ連軍機は、1980年代にソ連の「L-39」が運用されていた(カブール北部に位置するソ連空軍の主要な拠点だった)バグラム空軍基地から、アフガニスタン空軍の第393訓練航空連隊に流れた可能性があります。このような機体は、1989年におけるソ連のアフガニスタン撤退後に国内に残置されたものと考えるのが妥当でしょう。

2001年のタリバン政権崩壊後に有志連合軍がマザリシャリフ空軍基地で発見した損傷の激しい「L-39」で、機体には「003x」の番号が記されている(最後の桁は「1」だった可能性がある)

バグラム空軍基地に配備されたソ連軍の「L-39C」(1986年)

 「L-39C」は2つのハードポイントに各種の軽量級の爆弾とロケット弾を搭載することができますが、この練習機が1980年代に戦闘に投入されたかどうかは現時点では不明です。

 ロケット弾や爆弾で武装したアフガニスタンの「L-39」が撮影された写真は非常に珍しく、この練習機が実戦に投入されたことを確実に否定できませんが、これらの武装はおそらく兵器訓練のために搭載されたものと考えられます。

 そのような結論に至った理由として、アフガニスタン空軍は数百機もの対地攻撃に適した戦闘機や攻撃ヘリコプターを保有していたため、「L-39」は高等練習機という本来の用途でしか用いられなかったと推測されるからです。

手前のアルバトロスには「UB-16-32」ロケット弾ポッドが、後ろの機体には「FAB-100」爆弾と思しきものが搭載されている(1980年代、デダディ空軍基地)


軍閥とタリバン

 ソ連とアメリカがアフガニスタンにおける全ての戦争当事者に対する軍事援助の停止に合意し、続く1991年末にソ連が崩壊した後にアフガニスタンの共産主義政権は崩壊し始め、1992年4月にはイスラム主義組織が首都で政権を掌握して「アフガニスタン・イスラム国」を発足させました。ただし、実際には国内はいくつかの主要な勢力と無数の現地司令官の間でバラバラになっており、国際的に承認された政府もカブールの一部といくつかの州を支配しているに過ぎない状態だったのは言うまでもないでしょう。

 内戦が続く中で、アフガニスタン空軍は今や自身が各軍閥の間で分断された状況に直面しました。
 
 マザリシャリフを含む北部地域と全ての飛行場はウズベクジン指導者アブドゥル=ラシード・ドスタム将軍の支配下に置かれ、彼の軍は第393訓練航空連隊の残存する全ての「L-39」の運用を継続しました。ドスタムの空軍は共産主義政権時代の赤い星のラウンデルを1978年以前に用いられた伝統的な三角形のものに変えたものの、機体番号や塗装はそのまま維持されました。

 彼の軍閥が飛行場を掌握した後も、デダディで新米パイロットの訓練が続けられた可能性はありますが、どの程度実施されたのかは分かっていません。
 
 アフガニスタン内戦における当事者の「私設」空軍はその全てがリソース不足に悩まされていました。しかし、 ドスタムの空軍は人員と装備が比較的充実していたため、新たなパイロットの訓練は優先されなかったかもしれません。とりわけ元共産体制下の空軍に仕えていた熟練パイロットが十分に活用できる場合は、なおさらそうだったでしょう。

 ドスタムがアフガニスタン北部を統治していた時代に撮影された画像は、彼の「L-39」はデダディだけでなく、主要なマザリシャリフ空港やシェベルガーン市郊外の小さな飛行場でも運用していたことを示唆しています。

北部のシェベルガーン飛行場で撮影されたドスタム将軍の「L-39C」の1機。機体番号の「005」は、1977年に納入された第1陣の機体であることを意味する

 アフガニスタンの情報筋によると、1990年代前半にドスタムはウズベキスタン共和国との間で数機の(彼の)「L-39」と少数の「Su-17」戦闘爆撃機と交換したとのことです。この取引について具体的なことは何も判明しておらず、それ自体が行われなかったという可能性すら考えられます。[3]
 
 ドスタムが統治する北部地方は比較的安定して平和でしたが、アフガニスタンのそれ以外の地方は激しい内戦に見舞われ続けていました。

 1994年秋、タリバンは南部の主要都市カンダハルを制圧し、続く1996年秋には国際的に承認された政府をカブールから追い出すに至りました。

 これらの出来事が発生した後、ドスタム将軍は打倒された政府と同盟を結んで反タリバン運動を開始し、これはドスタム軍の指揮官の一人であるアブドゥル・マリク・パフラワン大将がタリバンと協定を結び、ドスタムが国外脱出を余儀なくされた1997年5月まで続きました。 その結果として、基本的に空軍を含むドスタム軍全体がマリクの指揮下に入ることになったのです。

 混乱がシェベルガンの都市を包む中で、ドスタム軍のパイロットの一人であるユスフ・シャー将軍は「L-39」に乗ってカブールへ逃亡し、タリバンに参加するということがありました。
 
 ほどなくして、マリク将軍はタリバンに裏切られたと確信したようです。なぜならば、タリバンは彼に自身の政権内における高い地位に就かせることを約束したものの、結局それが実際に護られない言葉限りのものだったからです。

 ほんの数日のうちにマリクは束の間の盟友に反旗を翻し、アフガニスタン北部全域がイスラム原理主義勢力とマリク軍との幾重にも重なる戦闘に巻き込まれました。機体が鹵獲されることを避けるため、マリクは残存しているパイロットたちに飛行機を(国境を越えて)タジキスタンへ待避させるように命じました。

 入手できた報告によると、1998年夏にタリバンが北部地方を制圧した際に数機の「L-39」が実際にタジキスタンのクロブ基地に避難し、残存機はタリバンに鹵獲されてカンダハル郊外の主要な空軍基地に移送されたと伝えられています。
 
 おそらく2000年に密かに撮影された写真には、カンダハル空港のエプロンに駐機している4機の飛行可能な「L-39」が写っていました。これは、タリバンが新たなパイロットの訓練を再開したか、少なくとも、長い飛行中断を経てタリバンに合流した元共産体制空軍のパイロットの慣熟飛行に「L-39」を使ったかもしれないということを意味しています。

 タリバン軍の「L-39」もマザリシャリフやほかの前線に近い場所にある空港に配備されましたが、この点に関する詳細は情報は不明です。[3] 

 知られていることは、タリバンが自身による攻勢を何度も防いだ有名なアフマド・シャー・マスード将軍が率いる旧政府軍の残党がいるアフガニスタン北東部に「L-39」を投入したことだけです。

 タリバンが設立した「アフガニスタン・イスラム首長国空軍」が運用する「L-39」は「UB-16」ロケット弾ポッドや「FAB-100」無誘導爆弾を搭載し、練習機から攻撃機に一変した航空機に対処可能なジェット機を有していない敵の拠点を空爆していたものの、1999年にはタリバンが投入した「L-39」の1機が対空砲かMANPADSによって撃墜されました。搭乗していたパイロットの運命は今でも分かっていません。

1999年にクンドゥズ州イマームサヒブの町付近にて撃墜されたタリバン軍の「アルバトロス」(尾翼部分)

 タリバン運用されている間でも、「L-39」は前述の標準的な迷彩塗装を維持していましたた。いくつかの機体にはドスタム軍に所属していた時期に施された三角形の国章が残され続けた一方で、少なくとも1機はタリバンのラウンデルの未知の変種が垂直尾翼や(おそらく)主翼に明るい色で施されていたようです。

タリバンの国章の変種か、あるいは色褪せた三角形のラウンデルを垂直尾翼につけた「L-39」の不鮮明な写真のうちの1枚(2001年末、マザリシャリフ空港)

 ロシアの情報によると2000年8月にタリバンのパイロットが「L-39」と共にタジキスタンに亡命したとされていますが、この情報は未だに真偽が検証されていないままです。これに関する情報源の資料では亡命機の機体番号が「239」となっていますが、これは先に解説したアフガニスタンの「アルバトロス」に付与された番号と一致していません。[3]

 タリバン軍の「L-39」乗員の亡命については、2人のパイロットがウズベキスタンに逃亡したことが唯一確認されている事例です。おそらく、彼らは北部の基地から「L-39」で離陸して、国境を越えたところに位置するウズベキスタンのテルメズ空港に着陸したのでしょう。

 機体番号「0022」を施されていたこの「アルバトロス」は、その後ウズベキスタン空軍で使用されて2020年にはチェコの「アエロ」社の施設でオーバーホールを受けました。[3]



アフガニスタン国軍航空隊での「アルバトロス」


 2001年9月11日に発生したニューヨークとワシントンのでの同時多発テロ事件後、アメリカとイギリスはアフガニスタンに軍事介入(不朽の自由作戦)を実施し、たった数カ月で、(しかも現地の反タリバン勢力の部隊の多大な助けを得て)タリバン政権を崩壊させて国際的に承認された新政府を樹立させました。

2001年10月の「不朽の自由作戦」の初日にカンダハル空軍基地で空爆を受けて破壊されたタリバンの「L-39」

 米英軍の空爆によって、カンダハルや他の空軍基地に拠点を置く「L-39」を含めたアフガニスタン・イスラム首長国空軍のほぼ全機が破壊されました。

 しかし、アフガニスタンにおける「L-39」の物語はここで終わることはありませんでした:タリバン政権崩壊から数か月後、アフガニスタン北部のシェベルガーン基地で2機の「L-39(機体番号005と0021」が撮影されたのです。ただ、この2機がタリバンによって運用された機体で飛行場に駐機した状態で有志連合軍の攻撃から生き延びたものか、それともタリバンが北部地方を制圧する前にタジキスタンへ避難して2001年のタリバン政権崩壊後にパイロットと共に帰還した機体のうちの数機なのかは定かではありません。
 
 これまでの悲運を払いのけ、アフガニスタンのパイロットたちは後にこれらの2機をシェベルガーンからカブールに飛ばし、新設されたアフガニスタン国軍航空隊(ANAAC)の指揮下に入りました。

 タリバン政権崩壊後に復帰した3機目の「L-39(機体番号0023)」は、ある意味で謎に包まれています:この機体がカメラの前に登場したのは、カブールで行われたアフガニスタン国軍の大規模な軍事パレードで会場の上空を飛んだ2002年4月だけです。

 垂直尾翼には濃い緑色の模様があるため、同機は以前にタリバンで運用されていたことが推測されます(注:タリバン機のラウンデルは基本的に緑の円で構成されています)。後に登場した機体だけに見られた三角形のラウンデルに置き換える時間が足りなかったので、おそらくはアフガンの整備士が前所有者(タリバン)の「不適切」な国章を濃緑色で上塗りしたのでしょう。

2002年4月にカブール上空を飛行するL-39(機体番号0023)をキャッチした低画質の映像で、垂直尾翼には塗りつぶされたと思しきタリバンの国章が見える

 2000年代半ばには「0021」と「0023」がロシアでオーバーホールを受け、その一方で「005」は駐機状態という扱いとなってスペアパーツの供給源として用いられました。

 オーバーホールされた機体は、上部が緑色と茶色で下部がライトグレーというツートンカラーの新しい迷彩に塗装され、伝統的な三角形からなるラウンデルが6か所に施されました。

 様々な情報源によると、アフガニスタン最後の2機の「L-39」は1970年代と1980年代に訓練を受けたベテランパイロットによって操縦されたものの、2000年代後半から2010年代前半にかけて駐機状態に入ったとのことです。この主な原因については、パイロットたちが英語を話すことができず、カブールの外国人航空管制官と意思疎通できなかったことにあるようです。[3] 

 この「L-39」のペアは主に式典用として使用され、ときにはカブールでの軍事パレードに参加することもありました。これら最後の2機は戦闘に投入されることはありませんでした。すでにANAACはより実戦に適した戦闘用の航空戦力を保有していたからです。

カブール上空を飛ぶ、ロシアでオーバーホールと再塗装を施された2機の「L-39C」(2007年)

カブールの「イード・ガー」モスクの直上をフライパスするANAACの「L-39」


再びタリバンの手へ?

 アフガニスタン国空軍は新型ジェット機の導入にほとんど関心を持たなかったこともあり、最後の運用可能な2機の「L-39」はロシアでオーバーホールを受けてから僅か数年で地上に置かれてしまいました。その後、両機はスペアパーツ用として活用されていた「005」と共にカブール国際空港における軍用エリアでの(露天)保管庫にたどり着き、 2021年夏にタリバンが戦わずして首都に侵入して突如としてアフガニスタン共和国が滅亡するまで、射出座席が取り外された状態で放置され続けたのです。

  誰もが驚いたことに、同年12月にアルジャジーラの報道番組は、明らかに1980年代の共産主義政権下で訓練されたであろう老いた整備員たちが保管されていた「L-39」を整備している姿を映し出しました。

 もし、彼らがこの機体を稼働状態に戻すことに成功するならば、私たちは間違いなくこの歴史的なジェット機が再びアフガニスタンの空を飛ぶ姿を目にすることになるでしょう

射出座席が取り外されて野ざらしで放置された3機の「L-39」(2021年、カブール国際空港)

2021年12月、カブール国際空港でエンジンテストを実施中の「アフガニスタン・イスラム首長国」の「L-39C」

「L-39(0023)」の整備作業に従事する老整備員

 前述の3機の「L-39」に加えて、過去40年にわたってアフガニスタンを荒廃させた内戦の混乱から生き残った同国軍の「L-39」として最後まで把握されているのがカブールのオマル地雷博物館(注:地雷の展示がメインの博物館ですが、内戦で用いられた他の兵器も展示されているようです)に展示された「0017」番機であり、本稿の執筆時点でも依然として同所に存在しています。ただし、同機に関する個別的な来歴について著者は把握していません。

 アフガニスタンの「L-39」について、あなたはもっと詳細な情報をお持ちですか?カブールに行かれた方で、(おそらく)シェアしたい写真をお持ちの方はいらっしゃいますか?あるいは、「L-39」のアフガニスタンにおける活躍について、何か補足となる情報をお持ちでしょうか?
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[1] الحكومة الأفغانية المؤقتة تعلن إصلاحها أكثر من 40 طائرة حربية عطلها الجيش الأمريكي https://www.facebook.com/watch/?ref=saved&v=1061986771321991
[2] Wings of the Hindu Kush - Air Forces, Aircraft and Air Warfare of Afghanistan, 1989-2001 https://www.helion.co.uk/military-history-books/wings-over-the-hindu-kush-air-forces-aircraft-and-air-warfare-of-afghanistan-1989-2001.php
[3] 著者が独自に得た情報による

※  当記事は、2022年1月8日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したもの
 です。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ
 ります。




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