2024年7月26日金曜日

トルコからの新しい風:バングラデシュ軍の「TRG-300」多連装ロケット砲


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年10月19日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 バングラデシュは1億6,800万人以上の人口を誇る世界で8番目に人口の多い国であることは見過ごされがちと言っても過言ではありません 。この国の軍隊は225,000人もの兵力を有しており、彼らは世界各地で平和維持活動にも頻繁に派遣されるものの、長射程の兵器や現代的な戦闘機が著しく不足しています。

 2009年に始動した軍の近代化・戦力向上事業「Forces Goal 2030」は、隣国のミャンマーがすでに軍事力の大幅な飛躍的発展を遂げつつあることから、こうした新しい戦力の導入を目指したものです。

 「Forces Goal 2030」の一環として、バングラデシュ陸軍は、「WS-22」122mm多連装ロケット砲49基、セルビア製「ノーラ"B-52"」152mm自走榴弾砲(SPG)36台、中国製「SLC-2」対砲レーダー、標的獲得用としてスロベニア製「C4EYE」戦術偵察UAV36機の購入を通じて砲兵戦力の火力向上に重点を置いています。

 2021年、バングラデシュはこれまでの中で最も強力な兵器システムである最大射程約120kmの「TRG-300 "カスルガ(別名:タイガー)"」MRLを受領しました。ちなみに、「WS-22」MRLの射程は約45kmです。

 合計で18基の「TRG-300」MRLは、ダッカ近郊のシャバール駐屯地を拠点とするバングラデシュ陸軍の第51MRLS連隊に配備されました。同連隊は「WS-22」122mm MRLも運用しており、こちらは40発の122mmロケット弾を発射可能な状態であるほかに、さらに40発の予備弾をトラックに搭載していることが特徴です。「WS-22」用122mmロケット弾は慣性誘導を採用しているため、半数必中界(CEP)が約30mと通常の「グラート」122mm MRLが使用するロケット弾より精度が高いものとなっています。

 (厳密な起源は中国にありますが)トルコの「TRG-300」は4発の300mmロケット弾を120km(105kg弾頭)または90km(190kg弾頭)先まで発射することが可能で、そのCEPは10m未満です。

 「TRG-300」は、この国がトルコから調達した初の軍用装備ではありません。現在、バングラデシュ陸軍は2000年代から2010年代にかけて導入した「オトカ」社の「コブラI」及び「コブラII」歩兵機動車(IMV)を運用しています(これらは数多くの平和維持活動に投入されてきました)。

 また、バングラデシュでは、救急搬送車としてルーマニア・トルコが共同開発した「RN-94」APCも9台を運用しています。[1]

 現時点で「STM」社の案がバングラデシュの将来フリゲート計画における最有力候補となっていることを考慮すると、バングラデシュへの武器や装備の供給元としてトルコのシェアは拡大する傾向にあるようです。

 実際、バングラデシュがトルコの「バイラクタルTB2」UCAVや「ヒサール-O」地対空ミサイルシステムにも関心を寄せていると云われていることが、その傾向を裏付けしています。[2] [3]

トルコのエミネ・エルドアン大統領夫人が「ロケットサン」社を訪問した際に「TRG-300」を視察した:後ろに「ボラ」弾道ミサイルシステムの試作型があることに注目

 バングラデシュは、「TRG-300」の搭載車両としてロシアの「カマズ-65224」6×6型トラックを採用しています。

 「TRG-300」の自走発射機はモジュール式であることから、ロケット弾ポッドや発射管を交換するだけで同じ発射機で122mmや230mmの(誘導式を含む)ロケット弾の発射に使用することも可能です。これによって、このシステムの運用に関する柔軟性が大幅に向上する効果がもたらされます。また、「TRLG-122/230」誘導式ロケット弾は、レーザー目標指示装置を搭載したUAVが指定した目標に命中させることが可能という利点も有しています。

 つまり、ドローンとの相乗効果が「TRG-300」によって既に与えられている能力を大幅に拡大してくれるだけではなく、このMRLは新たな自走発射機の調達を必要とせずにバングラデシュの戦力をさらに向上させる費用対効果の優れた兵器システムとなり得るのです。

 バングラデシュ以外の「TRG-300」運用国としては、トルコとアゼルバイジャン、そしてUAEが確認されています。アゼルバイジャンとUAEは武力紛争で同MRLを投入しており、前者は2020年のナゴルノ・カラバフ戦争で「TRG-230」誘導式MRLと共にアルメニアの強固に防御された陣地や敵陣奥深くにいる標的に対して使用し、後者はサウジアラビア主導のイエメン介入時に展開させました。

 アゼルバイジャンの「TRG-300」は搭載車両としてバングラデシュと同じようにロシア製「カマズ-63502」8×8型トラックを採用しています。しかし、UAEは「TRG-300」を最大で16発も搭載できる巨大な「ジョバリア」MRLシステムにインテグレートするという、全く別の手法を選択したことは特筆に値するとしか言いようがありません。

国内に到着した直後に撮影されたバングラデシュ軍の「TRG-300」MRL

 「TRG-300」の導入は、バングラデシュが軍の長距離砲兵戦力を構築するための第一歩を踏み出したことを象徴しています。

「TRLG-122」や「TRLG-230」用の発射機を追加調達することなく使用可能にしている 「TRG-300」のモジュラー方式が自身を予算内で実現可能な範囲を多様化する最適な選択肢にさせていることを見過ごすわけにはいきません。

 軍事作戦中におけるUAVとの潜在的な相乗効果は、十分い機能する軍隊にとって最も重要である偵察能力を導入することができると同時に、低コストで誘導式MRLが持つ能力をさらに引き出すことができる可能性を秘めています。

 もし、2個目の「TRG-300」連隊(18基分)創設という不確かな噂が本当ならば、「Forces Goal 2030」達成に関するバングラデシュ軍の見通しは急速に良い方向へ向かってることになることは確かだと言えるでしょう。

バングラデシュが調達したのと同じ6x6型モジュラー式自走発射機に「TRLG-122(左)」と「TRLG-230(右)」ロケット弾ポッドが搭載されている

[1] APCs For Export: The Nurol Ejder 6x6 In Georgia https://www.oryxspioenkop.com/2021/04/the-nurol-ejder-6x6-turkeys-first.html
[2] Bangladesh to buy Turkey's Bayraktar TB2 combat drone https://www.middleeasteye.net/news/bayraktar-bangladesh-buy-drones
[3] Bangladeş'in Hisar-O+ ile ilgilendiği iddia edildi https://www.savunmatr.com/savunma-sanayii/banglades-in-hisar-o-ile-ilgilendigi-iddia-edildi-h15926.html

2024年7月13日土曜日

伝説的な駆逐艦:ポーランド海軍の「ORP ワルシャワ」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年11月3日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 ポーランド海軍が1970年から2003年の間に2隻のミサイル駆逐艦を運用していたことは全く知られていません。それらは1970年代や1980年代の基準から見ても決して近代的な艦船とは言えなかったものの、冷戦期の大半においてバルト海でソ連が運用していなかった、地対艦ミサイル(SAM)で武装した数少ない艦艇でした。

 2003年の「プロジェクト61MP級」駆逐艦「ORP ワルシャワ」の退役でポーランド海軍による73年にわたる駆逐艦の運用に終止符が打たれたわけですが、その33年前の1970年に、ソ連から「プロジェクト56AE級(NATO呼称:コトリン級)」駆逐艦1隻を引き渡されたことでポーランド海軍の新たな伝説が幕開けたのです。

 この国の海軍は「スプラヴェドリーヴイ」の名称で同艦を十数年間運用していたソ連海軍から中古で入手したことで、ソ連海軍と西ドイツ海軍に次いでSAMで武装した艦を運用する3番目のバルト海沿岸の海軍となったのでした。というのも、(陸上型「S-125」の艦載版である)「M-1 "ヴォルナ"」SAMシステムを中核兵装とする「ORP ワルシャワI」は、1986年の退役までポーランド海軍に防空能力を提供し続けたのです。
 
 この艦が退役する時点には、すでにソ連との間で後継艦に関する交渉が始まっていました。ただし、ポーランド海軍が「ORP ワルシャワI」の後継艦としてリースした「プロジェクト61MP(NATO呼称:改カシン)級」大型対潜艦の「ORP ワルシャワII」を正式に導入するまでには、それからさらに2年の歳月を要したのです。

 1969年に「スメールイ」としてソ連海軍に就役していた「ORP ワルシャワII」は、ポーランド海軍で初の真の多目的水上戦闘艦です。2連装の「AK-726」76mm砲、2基の「M-1 "ヴォルナ"」SAM発射機、4基の「P-15」対艦巡航ミサイル(AShM)、4基の「AK-630」30mm CIWSに加えて、533mm魚雷と2基の「RBU-6000」対潜ロケット砲を搭載した「ORP ワルシャワII」は、どの方向から見ても恐ろしい姿をしていました。


  対照的に、「ORP ワルシャワⅠ」は確かに控えめなに見えると言えるかもしれません。本来は対潜艦として設計された艦でしたが、 ソ連海軍は1960年代を通して7隻の「コトリン級」にSAMを搭載するための改修を施しました。そして、さらに1隻が改修されてポーランドに売却されました。これが(輸出された唯一の「プロジェクト56」級駆逐艦:「プロジェクト56AEである)「ORP ワルシャワⅠ」になったというわけです。

 ポーランドでは、「ワルシャワⅠ」は2隻の「プロジェクト30bis(スコーリイ)」級駆逐艦の「ヴィヘル」と「グロム」、そして第二次世界大戦前にイギリスで建造されて1967年に事故に遭って動けなくなっていた「ブウィスカヴィーツァ」の後継艦となりました。その後、「ブウィスカヴィーツァ」は浮き(対空)砲台に格下げとなり、進水から40年後の1976年に正式に退役しました。同年には記念艦となり、現在もその役割を忠実に果たし続けています。

在りし日の「ORP ワルシャワⅠ」

記念館となった「ORP ブウィスカヴィーツァ」

 「ORP ブウィスカヴィーツァ」がいまだに100mmと37mmの対空砲を装備していたのに対し、その後継である「ORPワルシャワI」は、「M-1 "ヴォルナ"」SAMシステムという形でポーランド海軍に初の艦対空ミサイル能力をもたらしました。

 「M-1」は、レール式ミサイル発射機1基で2発の「V-600/601」ミサイルを射程15km以内の空中目標に(緊急時には艦船にも)発射することが可能です。このSAMの開発は陸上配備型(最終的には世界のどこでも見られるようになった「S-125」)の開発と共に1956年に開始されたことが知られています。

 一度に交戦できる目標は1つ(発射機を2基装備した艦の場合は2つ)だけなので、それ以上の目撃が存在した場合のシステムの有効性は大幅に低下する弱点があります。発射機は最大32発の再装填が可能であり、数回の改良事業のおかげで「V-601(M)」ミサイルを使用した場合におけるシステムの最大有効射程は最終的に22kmまで延長されました。 

「ORP ワルシャワI」は本来の役割であるASW(対潜)戦に沿って、2基の「RBU-2500」対潜ロケット砲と533mm五連装魚雷発射管、そして艦首に配置された二連装の「SM-2-1」130mm両用砲と(艦橋前の)「SM-20-ZiF」四連装45mm対空機関砲から構成される防御兵装一式を装備していた一方で、ソ連の姉妹艦にはあった「AK-230」30mm対空機関砲は装備されていませんでした。

 16 年という長い就役期間(1970 年~1986 年)中に「ORP ワルシャワI」 は合計で(ポーランド海軍が購入したミサイルの半分以上である)28 発の「V-601」 SAMを発射したほか、ソ連やフィンランド、スウェーデン、デンマーク、イギリス、そしてフランスに寄港する活躍を見せました。[1]

「ORP ワルシャワⅡ」から発射された直後の「V-601M」SAM

 「ORP ワルシャワⅡ」 は、2基目の「M-1 "ヴォルナ"」SAM発射機、4基の「P-15」AShM発射機、近接防御兵装(CIWS)、威力が向上した対潜装備、ヘリコプター搭載能力を導入することで、先代が持っていた1950年代当時の性能が大幅に拡充されました。

 リースが終了した後の「ワルシャワII」はソ連時代に生じたロシアの負債を清算する名目で1993年にポーランドに永久譲渡され、同年から2年にわたるオーバーホールを受けて、ソ連の航海レーダーをポーランド製に交換するなどの改良も行われています。旧式化した兵装システムの換装や(ヘリ甲板に露天で駐機されていた)「W-3」ヘリコプター用の格納庫の新設が検討されましたが、慢性的な資金不足のために大規模な近代化が実施されることはありませんでした。

敵機やAShMがミサイル防衛の外壁を突破する(可能性が高い)場合、両舷に2基ずつ装備された「AK-630」CIWSと2門の「AK-276」76mm砲で近接防御が実施されることになる

 財源不足のために、冷戦終結以降の「ORP ワルシャワII」は散発的にしか海に出ませんでした。かつて同艦を導入した理由であった兵器システム自体が、今では維持するのが困難でコストを要するものとなっていたのです。1990年代から2000年代初頭にかけてバルト海で実施された全ての主要な国際演習の中で、同艦が参加したのは1999年の1回だけでした。

 この駆逐艦については、海外への売却を保留したまま2003年12月1日に正式に退役となったわけですが、どこの国も購入の関心を示さなかったことから、予備役として保管された後にスクラップとして売却されて2005年にグダニスク造船所で解体されてしまいました。

  ちなみに。ポーランド海軍時代の「ORP ワルシャワⅡ」は48発の「V-601」SAMと8発の「P-15」AShMの発射を記録しました。[1]

解体中の「ORP ワルシャワⅡ」

 1950年代後半に設計された艦にもかかわらず、「ORP ワルシャワⅡ」の姉妹艦たちは今でも現役で運用されています。1980年代前半から後半にかけて5隻の「改カシン」級を引き渡されたインド海軍では、生き残った3隻が大幅に改修を施されて今日でも任務を続けているのです。

 インドでは「ラージプート級」と呼称される「改カシン級」については、先述のとおり、残りの3隻を21世紀の戦争に適応させるために多大なリソースを投入しています。このうちの2隻は、8発の「ブラモス」AShMを装備するためにアップグレードされました。これは従来から搭載されていた4基の「P-15 "スティックス"」用の発射機を置き換えるものです。艦尾の「M-1 "ヴォルナ"」SAM発射機は、2隻ではイスラエルの「バラク1」SAM用VLS(8セル)2基、もう1隻では国産の 「VL-SRSAM」用VLS(16セル)に換装されました。そのうちの1隻(「INSラナ」)は、「ダヌシュ」艦上発射型短距離弾道ミサイルの試験艦としても使用されたことが知られています。 

 「ラージプート級」の推進機を国産のガスタービンエンジンに換装する計画を踏まえると、これらの艦は今後何年にもわたって運用され続けることになるでしょう。

「ORP ワルシャワII」:ソ連が設計した艦艇はスッキリとしたラインで特に有名というわけではない

 「ORP ワルシャワⅠ」も「ORP ワルシャワⅡ」もポーランド海軍に就役した時点では特に現代的な艦艇ではなかったものの、それでも1970年から2003年までバルト海の海洋権益を護り続けた、ポーランド海軍の歴史における興味深く重要な一章を象徴していると言えます。

 ソ連以外のワルシャワ条約加盟国が運用したどの艦艇よりも大型で高性能な「ワルシャワ」は、駆逐艦クラスの艦艇を運用したいというポーランドの願望を体現した艦であり、1930年代に確立された伝統を引き継ぐ存在でした。


 最終的に、「ORP ワルシャワⅡ」はアメリカ海軍から中古で入手した2隻の「オリバー・ハザード・ペリー級」フリゲートに更新されました。これらのフリゲートは小型であったにもかかわらず、ポーランド海軍は(外見上の迫力は劣るも)より高性能なプラットフォームを手に入れたと言って差し支えないでしょう。

  「オリバー・ハザード・ペリー級」は、ポーランド海軍がこれまで運用してきた中で最も高性能な艦艇になるであろう国産の「ミェチニク級」フリゲート3隻に更新される予定です。 彼女たちはもはや真の駆逐艦と呼べる存在ではなくなっているものの、この野心的な後継者たちは、誇り高き伝統の旗手として誰もが認める存在となるでしょう。

近い将来に姿を現す「ミェチニク級」フリゲート

画像の出典: Stowarzyszenie Entuzjastów ORP Ślązak i Sympatyków Marynarki Wojennej.
[1] Robert Rochowicz. Dzieje niszczyciela ORP Warszawa. ''Morze, Statki i Okręty''. Nr specjalny 1/2015, 2015. Warszawa.

2024年7月7日日曜日

消えゆく歴史:トルコ軍のソ連戦車


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2023年1月4日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 あまりにも珍しいという理由で、熟練した軍事愛好家でも正確な識別ができない戦車は滅多にありません。

 とはいうものの、このケースには1934年にトルコへ1台輸出されたソ連の「T-37A」世界初水陸両用偵察戦車が該当すると思われます。なぜならば、この戦車はMKE「クルッカレM-1943」と呼称される国産の水陸両用軽戦車と誤って識別されていたからです。

 このような無知な誤解が生じたのは、1930年代前半から中期にかけて、ソ連がトルコ陸軍に送った兵器に関する情報が不足していたためかもしれません。

 武器市場におけるシェアの拡大や、広大な国境を越えて自身の影響力を拡大することを熱望したソ連邦は、1932年にトルコ軍へ「T-26 "1931年型(7.62mm機関銃塔2門を搭載)"」を2台、「T-27」タンケッテ(豆戦車)4台、若干数のトラックやオートバイを供与しました。[1]

 ソ連は、供与された戦車でトルコ軍が得た成功体験が、彼らによるソ連製兵器の大量発注につながることを期待していたようです。このアプローチは大きな成果を上げ、トルコは1934年に合計で64台の「T-26 "1933年型 "」と1台の「T-37A」軽戦車、そして34台の「BA-3」装甲車を発注するに至りました。[1]

 「T-26」はトルコ軍で就役した初の正真正銘の戦車であり、ギリシャとの国境付近にあるリュレブルガズに駐屯する、第2騎兵師団内に新設された第1戦車連隊に配備されました。[1]

 (この国の戦車隊は)すぐにイギリスから供与された多数のヴィッカース「Mk VI」軽戦車と1940年にトルコに到着した100台のフランス製ルノー「R35」によって補充を受けたものの、比較的強力な45mm砲の貫徹力が「T-26」 を(1941年にイギリスから最初の「バレンタイン」戦車が到着するまで)トルコで最も有能な戦車としての立場を確実なものにさせました。

 当時、戦車第1連隊は第102戦車師団・第103戦車師団・予備師団から構成されており、「BA-3」は第1及び第2装甲車師団に配備されました。[1]

 「T-26 "1931年型」と「T-27」は混成戦車中隊としてグループ化され、(1928年にフランスから「FT-17」を1台導入した理由と同じく)主に歩兵に対する戦車への習熟と他部隊への戦車の有効性を実証するために配備されました。[1]

 この編成は、1943年に最後の「T-26」と「BA-3」が退役するまで維持されたと考えられています。

リュレブルガズの第1戦車連隊に配備された「T-26 "1933年型"」戦車と「BA-3」装甲車

 第二次世界大戦のトルコは1945年2月まで中立だったおかげで、結果的にソ連から受領した「T-26」と「BA-3」が外敵と戦うことはありませんでした。

 ただし、これらのソ連製AFVがトルコ陸軍における戦車運用の基盤になったという事実は現在でもあまり知られていません。

 こうしたソ連製AFVの引き渡しから20年後にはトルコにその痕跡が残されておらず、その代わりに同国がソ連との戦争で用いられるであろう大量のアメリカ製戦車を得たことを考慮すると、この情報はさらに不可解なものと言えるでしょう。

1934年にソ連から供与された唯一の「T-37A」:この戦車は時折「クルッカレ」と呼ばれる国産戦車と思われるものと混同されている

 「T-26」とは対照的に水陸両用軽戦車のコンセプトはトルコ陸軍に全く受け入れられなかったため、「T-37A」は追加発注されることはありませんでした。

 武装はたった1丁の「DT」7.62mm軽機関銃である上に薄い装甲(前面で3mmから10mm程度)はだったため、この戦車には水陸両用能力以外に特筆すべきものはありません。

 それにもかかわらず、ソ連軍はこのコンセプトが自身のドクトリンに最適と見なし、1930年代に2500台以上の「T-37A」、後継の「T-38」を1300台以上、さらにその後継の「T-40」を350台以上も調達しました。

 「T-37A」と同様にタンケットのコンセプトもトルコ軍の首脳部を納得させることができなかったことから、トルコはソ連から供与された4台を除いて「T-27」や同様のものを他国から導入することはありませんでした。

 もちろん、第二次世界大戦後にタンケッテのコンセプトは(ドイツの「ヴィーゼル」を除いて)おおむね放棄され、それらが担っていた偵察の役割は軽戦車や 装甲車によって代替されたことは言うまでもないでしょう。

 トルコの「T-37A」と「T-27」については、その双方が現代に残ることはありませんでした。おそらくは1940年代後半にはすべてスクラップにされたものと思われます。

1933年のパレードに登場したソ連製「T-27」タンケッテ:後ろの横断幕には「ムスタファ・ケマル(のような人物)が生まれることは、私たちの国にとってどれほど幸運なことでしょうか」と書かれている

 「BA-3」装甲車は「T-27」や「T-37A」よりも僅かに好評であり、それは45mm砲1門と 「DT」 7.62mm軽機関銃1丁を装備した「T-26」と同じ砲塔を搭載しているという重武装のおかげでした(注:「DT」は車体にも1丁が装備されていました)。

 この装甲車の大きな弱点は機動性に欠いていることであり、その著しい重量の結果として運用は固い地面に限定せざるを得ない場合が頻繁にあったようですが、後輪への履帯をの装着で悪路における機動性を若干向上させることが可能でした。

 車体の装甲厚が9mmだった「BA-3」は、小火器の射撃や砲弾の破片に対する全方位的な防御力を備えていました。

トルコ軍の「BA-3」装甲車:後輪のフェンダー上にある(悪路走行用の)履帯に注目

 一部の「レオパルド2」 が運用から40年を超えるなど、現代の戦車は数十年の運用寿命を持つことが一般的となっていることとは対照的に、トルコにおける「T-26」の寿命は10年に満たないものでした(それでもこの同時代の戦車の平均寿命よりはるかに長かったのですが)。

 1940年代初頭までにソ連製戦車は酷使され、その悲惨な状態は(もはや戦争に突入したソ連から輸入できない結果として生じた)スペアパーツの不足によってさらに悪化してしまいました。こうした結果を受け、すでに1943年の時点で全ての「T-26」が退役しています。 [1]  

 生き残った2台の「T-26 "1933年型"」は、イスタンブールのハルビエ軍事博物館の敷地とアンカラ近郊のエティメスグット戦車博物館に展示されていますが、残念ながら当時の迷彩塗装のままではありません。

この「T-26 "1931年型"」は1932年にソ連から入手した2台のうちの一つである

歩兵との共同演習で塹壕を乗り越えるトルコ軍の「T-26 "1933年型"」

 今ではドイツやアメリカ製の戦車を大量に運用しているトルコにとって、ソ連製の戦車を装備した戦車部隊(事実上、この国で最初の戦車連隊)の設立は、まさに歴史上の奇妙な出来事と言えるでしょう。

 トルコは(ソ連・イギリス・ドイツ・アメリカ・フランスを含む)第二次世界大戦の主要国が開発したほぼ全ての戦車を運用した世界で唯一の国です。

 今ではこの歴史を示す痕跡はほとんど残っておらず、歴史家や作家たちが失われつつある情報を記録しようと試みているに過ぎません。

2024年6月15日土曜日

ファイティング ザ・タイド: 有志連合軍の空爆に対するイスラム国の取り組み


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2021年4月8日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 2014年6月に始まった有志連合軍の空爆はイスラム国の拠点や車両、そして高官に対して実施した結果、このテロ組織に大きな打撃をもたらしました。一連の空爆はロシア空軍(RuAF)による爆撃の増加と結びつき、結果としてイスラム国による攻勢や彼らに対する攻撃の結果の多くを左右する決定的なものとなったことは今ではよく知られています。「コバニの戦い」では有志連合軍の航空兵力がコバニ市の防衛に決定的な役割を果たし、なんと言っても精密誘導爆弾で武装した飛行機に対するイスラム国部隊の脆弱性が痛いほど明らかになったのでした。

 イスラム国には鹵獲した地対空ミサイル(SAM)やそれを撃つのに必要な発射機も不足していたわけではありませんでしたが、こういった(シリア軍が)遺棄したSAMを空中のあらゆる敵を攻撃できる運用可能なシステムに変えるための専門知識には欠けていました。実際、イスラム国が保有したもので敵の航空機やヘリコプターに損害を与えたり、撃墜したりできたのは、ピックアップ搭載の対空砲と限られた量の(ある程度の北朝鮮製を含む)携帯式地対空ミサイルシステム(MANPADS)だけであり、その戦果の大半はイラクで実証されています。

 イスラム国は2014年9月にハマとアレッポの間で、そして2016年12月にT4空軍基地の付近で完全に稼働状態にある2基の「S-125(NATOコード:SA-3)」陣地を占領した偉業は、彼らにとっては何の助けにもなりませんでした。 というのも、彼らはこれらの高度なシステムを運用できないだけでなく、そもそもシリア全土の拠点に輸送することもできなかったからです。

 2014年に何とか鹵獲に成功した1発の「S-75(SA-2)」ミサイルの活用については、発射機が一緒に鹵獲されなかったことで不発に終わっています。仮に発射機が一緒だったとしても、旧式化したシステムの運用に関する専門知識の不足がSAMの再利用を妨げていたことは間違いないでしょう。



 2014年にデリゾール近郊で鹵獲された「2K12"クーブ"(SA-6)」SAMシステムの一部である「2P25」自走発射機数台の再利用は、ミサイルの未入手と発射機自体が受けた著しい損傷によって失敗に終わりました。

 それよりもさらに有望だったのは、2016年1月にデリゾールで「2K12 "クーブ"」SAM中隊が鹵獲されたことでした。これによってイスラム国に運用可能な「SURN 1S19」レーダーシステムと無傷の自走発射機をもたらしたからです。しかし、これらのシステムの状態は非常に悪いもので、稼働状態に戻すことは不可能に近いものでした。使用するミサイルの状態も悪かったことは言うまでもありません。[1]

 このSAM陣地は制圧後すぐにRuAFによって爆撃され破壊されたと言われていたものの、後に無傷の自走発射機の1台がVBIED(爆薬を満載した自爆車両)として投入されたことが確認されたため、破壊についてはロシアによる偽情報であることが判明しました。[2]




 2014年8月24日にタブカ空軍基地を占領したことは、もともと「MiG-21」戦闘機を擁する常駐の2個飛行隊で使用される予定だった数量不明の「R-3S」と「R-13M」、「R-60」空対空ミサイル(AAM)をイスラム国にもたらしました。この後、彼らはこれらのミサイルをラッカに移して地対空ミサイルに転用しようと試みましたことが知られています。

 この模様はプロジェクト・リーダーの一人によって記録されましたが、彼は後で反政府軍の検問所で拘束されてしまいました。記録された映像は英スカイニュースに提供されたことで、2016年1月6日に「R-13M」の地対空用途への改修が同社によって初めて報じられたのでした。[3]


 ラッカでの計画はプロジェクト・リーダーが反政府軍に拘束されたことで失敗に終わったようですが、こうした挫折は、イスラム国がAAMを地上から発射可能なミサイルに転用する取り組みの継続を妨げるものではありませんでした。

 取り組みを成功させる可能性を最大限に高めるためか、イスラム国は「領土」全体にミサイルを拡散し始めました。 おそらくは、支給先の部隊が役に立たないミサイルを1発でも有用な兵器への転用に成功することを期待していたのでしょう。支給先にはシリア全土にある幾つかのウィラヤット(州)だけでなく、イラクのウィラヤットも含まれていました。イラク側でもシリアで鹵獲されたミサイルの数バッチを受け取ることになったのです。

 当然のことながら、これらの取り組みも全て失敗に終わり、ほとんどのミサイルはシリア民主軍(SDF)やシリア軍、イラク軍に発見されるまでISILの武器庫で未使用のまま放置されたのでした(ラッカ、タブカ、デリゾール、ハマ、モスルで大量の隠し場所が発見されました)。

 あるイスラム国の部隊はAAMを最大限活用しようと試みてDIYの(無誘導)兵器として投入したものの、結果的に小型の弾頭を搭載した極めて精度の低いロケット弾となったことは言うまでもありません。

 仮にイスラム国がこれらのAAMを新たな用途に応用させることに成功していたとしても、古さや射程距離の短さ、そしてすぐにストックが尽きてしまうという事実を考慮すると、有志連合軍の航空戦力に対する効果はやはり限定的なものに過ぎなかったのではないでしょうか。



 2015年5月20日に制圧されたタドムルはイスラム国の手に落ちた3番目となるシリアの空軍基地であり、大量のAAMや(航空機が地上のレーダーを攻撃するために開発された)対レーダーミサイルを彼らに与えました。[4]

 以前のタドムルは「MiG-25PD(S)」迎撃戦闘機を擁する飛行隊の本拠地だったものの、これらの機体が徐々に退役していったことに伴い、2013年後半には(稼働機として残っていた)4機の「MiG-25」がT4空軍基地へ移転しました(注:つまり制圧された時点のタドムルには稼働機が残されていませんでした)。ただし、この戦闘機用のミサイルはタドムル基地に16基ある強化シェルター(HAS)の2基の中に残されていたのです。

 「イスラム国」の戦闘員が空軍基地を制圧した際、彼らは数十発の「R-40」空対空ミサイルだけでなく、大量の「Kh-28」対レーダーミサイルにも出くわしました。これは近くのT4空軍基地に配備されている「Su-22」や「Su-24」に使用するためのものだったと思われますが、そこへ輸送されることなく残されていたようです。



 イスラム国が「Kh-28」とその140kgの弾頭をIEDやDIY式の地対地ロケット弾以外の有用なものに転用できる可能性は極めて低かったものの、彼らは(数十発の「R-40」AAMとともに)これらのミサイルもシリアとイラクの「領土」全体に分散させ、最終的にはラッカとモスルの両方に行き着きました。[5] [6] [7]

 モスルのミサイルについては、その一部がマスタードガスを搭載するために改造されているのではないかという懸念もあったようですが、それが実際に行われたことを示す兆候はありません。その代わりとして、ISILは巨大なミサイルを無誘導ロケット弾として使用することを想定していたようですが、使い勝手が悪い上に少しでも正確に標的に命中することが期待できなかったことから、このアイデアはすぐに放棄されたものと思われます。




 最終的に、イスラム国はシリアに残された「R-40」ミサイルの一部に、より相応しい役割を見出しました。鹵獲された「R-40」は2種類ありました:セミアクティブ・レーダー誘導式の「R-40RD」と赤外線誘導式の「R-40TD」です。

 「R-40RD」は標的にする飛行機をロックオンするために機体に搭載されたレーダーが必要だったことから、イスラム国にとって本来の用途では役に立つことはありませんでした。一方で、「R-40TD」は赤外線シーカーによって誘導されるため、レーダーによる誘導を必要としていません。

 シリア軍が2017年3月にタドムルで最近制圧された強化シェルターの1基に入った際、彼らは1発の「R-40TD」を移動して発射させるために細部にわたって改造されたダンプトラックに遭遇しました。この専用に設計された発射台に搭載されたミサイルは、ダンプトラックの荷台を傾斜させる機構を用いて照準を合わせることが可能となっています。

 高速で飛行する大型の標的を攻撃するために開発され「R-40」は70kgの重い弾頭を搭載しており、標的となる航空機の付近で爆発するだけで、ほとんどの標的を破壊することができる特徴があります。

 画像の「R-40TD」は逆さまに搭載されているように見えるかもしれませんが、「MiG-25」のパイロンと接続する取付部がミサイルの上部にあるため、必然的にこのような搭載方法となってしまいます。結果として、ミサイルが逆さまに搭載されているという誤った印象を与えますが、搭載方法としては理にかなったものなのです。

 タドムル上空で撃墜された飛行機やヘリコプターは報告されていないため、このシステムが実際に使用されたかどうかが明らかになる日が来ることはないでしょう。

 ちなみに、ユーゴスラビアではNATO軍の航空戦力への対抗を試みて「R-3S」「R-13M」「R-60」、そして「R-73」AAMをSAMに転用した事例が多く見られました。イスラム国の場合と同じくトラックに搭載されましたが、どれもが敵機に命中したという情報はありません(注:セルビアでは2024年現在でも同種のAAM転用型防空システムを海外にも売り込んでいます。また、イエメンのフーシ派はAAM転用の防空システムで一定の戦果を挙げています)。

 SyAAFはイスラム国よりさらに一歩進んでいて、2014年に「R-40TD」を地上の標的に向けて発射する実験を行いましたが、当然のことながら結果は非常に悪かったようです。[8]



 イラクにおける連合軍の航空戦力の脅威に対処するため、イスラム国はますます必死の努力を払うようになり、 通常の大砲を間に合わせの対空砲として使用するという手段に訴え出ました。上空を高く飛ぶ敵機に直撃弾を与えて撃墜するというゼロに等しい可能性に賭けたのです。[9]

 最初に存在が公開されたのは2016年3月で、その際には(ウィラヤット・ニーナワー防空大隊に属する)アル・ファールク小隊のトラックに搭載された 「D-30」122mm榴弾砲が、モスル上空でシギント任務を遂行中のアメリカ海軍の「(E)P-3」電子偵察機に発砲している姿が見られました。

 本来は地上目標にのみ使用されるこの種の火砲の使用は極めて型破りなものであることを考えると、榴弾砲の転用は、有志連合軍の圧倒的な航空戦力に対抗する手段がイスラム国に著しく不足している実情を浮き彫りにしたと言えます。


 頻繁に円を描くように低速で飛行していた「(E)P-3」の存在は、イスラム国からすると悩みの種だったことは間違いありません。同機はこの地域で使用されている高速飛行のジェット機とは対照的に極端に遅く飛ぶことから、彼らは榴弾砲でも撃墜できる可能性があると考えたのでしょう。

 強力な火砲はこういった飛行機が活動する高度まで砲弾を到達させる能力があるにもかかわらず、その榴弾には近接信管や対空信管が存在しないという事実は、彼らに敵機を無力化するには直撃弾を与える必要を生じさせました。もちろん、これは達成するのがほぼ不可能な偉業です。

 この手法は時間と貴重な弾薬の無駄に見えるかもしれませんが、このような戦術を採用したのはイスラム国が最初ではありません。実際、ムジャヒディンがソ連のアフガニスタン侵攻で迫撃砲やRPGでソ連軍のヘリコプターを攻撃したことや、イラン・イラク戦争でもイラン側の大砲が低空飛行するイラクのヘリコプターを狙っていたことはよく知られています。

 もちろん、こうした事例で航空機の損失どころか小さな損害さえ与えたことすら報告されたことはありません。 結局のところ、このような絶望的な戦術は目標を完全に撃破するか、完全に失敗するかのどちらかの結果にしかならないのです。


 イスラム国は有志連合軍機によるISILのAFVへの攻撃を軽減させる解決策を生み出すことも試みました。

 頭上を旋回する高速ジェット機や無人航空機(UAV)に対して無防備なままだったイスラム国の唯一の実行可能な選択肢は、敵に発見される機会を減少させることであり、それが戦場における彼らの興味深い適応に至らせたのです。その例としては、兵士の熱源を拾う赤外線(FLIRターゲティング・ポッドでの捜索を妨害するために、裏地にアルミを備えた数種類の迷彩服の製造が挙げられます。

 これらの方法は比較的単純で実装も容易ですが、戦車と同じ大きさの物体をカモフラージュするにはこ下の「T-55」戦車で明らかにされているように、完全に異なる方法が必要とされました。このカモフラージュを構成する吊り下げられたロープ状の物体は革の帯であると考えられており、前述の迷彩服と同様の働きをします。


 当然のことながら、このマルチスペクトル迷彩を施された戦車のほぼ全てが、ISがシリア軍だけでなくYPGに対しても攻勢を仕掛けていたウィラヤット・アル・バラク(ハサカ県)に配備されました。[10]

 YPGがこの地域におけるイスラム国の進撃を阻止する上で重要な役割を果たす有志連合軍の大規模な航空支援を当てにすることができたことは、こうした戦車のカモフラージュがますます重要になったことを物語っています。

 他のISILによるAFVの改修と同様に、有志連合軍の航空戦力を欺くというマルチスペクトル迷彩の有効性は依然として判明していません。しかし、こうしたカモフラージュを装備した戦車が今までに有志連合軍による空爆の映像で目標となったことはなく、シリアの地上において空爆と推定される攻撃で破壊された姿も見られないことから、有志連合軍機を欺いて発見を回避することに効果があった可能性はあるでしょう。


 上空からの攻撃を避けるもう一つの方法は、精密誘導弾を受ける側に目立つデコイを置くことです。この目的のために、イスラム国は偽者の戦車を含むあらゆるデコイを製造しました。そうは言っても、これらの多くは品質に疑問がある代物だったので、仮に迷彩色を施してもイラクやシリアの平原では逆に目立ってしまったと思われます。もちろん、(2番目の画像にある)乗員を模した髭面のマネキンが、その不自然さを変えることもできなかったでしょう。



 疑わしい品質はデコイの戦車の成功を妨げる唯一の問題とは決して言えませんでした。なぜならば、デコイの設計者の大半は現代の戦車が実際にどのような姿をしているのかを少しも理解していなかったようだからです。その結果、イスラム国が使用しているソ連のTシリーズ戦車ではなく第二次世界大戦時の「マウス」超重戦車に似たデコイが2017年にモスル周辺にいくつか配備されました。

 しかしながら、この継続的な取り組みは、イスラム国がこの段階になっても自身の戦闘員や拠点への攻撃を阻止できるあらゆる戦略を活用することにいかに尽力しているかを示しています。



 デコイの製造と配備は戦車だけにとどまらず、「M1114 "ハンヴィー"」や榴弾砲、多連装ロケット砲、そして重機関銃までもが多種類に及ぶデコイの対象となりました。これらはロシア軍機が搭載する旧世代の光学装置を欺いたかもしれませんが、高度な前方監視赤外線(FLIR)センサを装備した有志連合軍機が、デコイと実際に危険な本物を区別するのに大きな問題があったとは考えられません。



 内戦が進むにつれて、デコイの製造は急速に標準化された工程となりました。特にモスルでは顕著であり、「M1114 "ハンヴィー"」のデコイを組み立てる工場が丸ごと設立されていたほどです。

 ちなみに、このモデルが模倣の対象となったという事実の原因としてはアメリカの外交政策が挙げられます。イラクにこのような車両を氾濫させた一方で、イスラム国などによる鹵獲を阻止できるような治安組織を残さなかったからです。




 有志連合軍の航空戦力に対抗するためのイスラム国の広範囲にわたる取り組みは最終的には大した結果をもたらすことはありませんでしたが、それでも、自身の欠点を補うための独創的な方策を見出そうとする彼らの現実的な姿勢を体現していました。

 どんな課題であれ、それを成し遂げるためにISILが驚くような解決策を考え出すことは間違いありません。もちろん、猛威を振るった帝国が崩壊して規模を誇ったアセットもほとんど失った今では、昔のようにひっそりと活動し続けることを余儀なくされるでしょう。

 その一方で、有志連合軍のパイロットたちがイスラム国の対空戦術に対してあまり眠れなくなるほど心配することはなさそうです。

[1] Islamic State captures Ayyash weapons depots in largest arms haul of Syrian Civil War https://www.oryxspioenkop.com/2016/03/islamic-state-captures-ayyash-weapons.html
[2] Armour in the Islamic State, the DIY works of Wilayat al-Khayr https://www.oryxspioenkop.com/2017/03/armour-in-islamic-state-diy-works-of.html
[3] Exclusive: Inside IS Terror Weapons Lab https://web.archive.org/web/20160105223639/https://news.sky.com/story/1617197/exclusive-inside-is-terror-weapons-lab
[4] Islamic State captures large numbers of radars and missiles at Tadmur (Palmyra) airbase https://www.oryxspioenkop.com/2015/06/islamic-state-captures-large-numbers-of.html
[5] Chemical weapons found in Mosul in Isis lab, say Iraqi forces https://www.theguardian.com/world/2017/jan/29/chemical-weapons-found-in-mosul-in-isis-lab-say-iraqi-forces
[6] Iraqi forces discover terrifying arsenal of weapons including mustard gas and dozens of ageing rockets in ISIS arms warehouse https://www.dailymail.co.uk/news/article-4163946/Iraqi-forces-discover-mustard-gas-ISIS-warehouse.html
[7] YPG-led SDF captures Soviet-made missiles from ISIS in Raqqa https://youtu.be/HIEIFh0CaEc
[8] The Syrian Arab Air Force - Beware of its Wings https://www.oryxspioenkop.com/2015/01/the-syrian-arab-air-force-beware-of-its.html
[9] That Time Soviet Howitzers Were Used as Anti-Aircraft Guns by the Islamic State https://www.oryxspioenkop.com/2019/07/that-time-soviet-howitzers-were-used-as.html
[10] Armour in the Islamic State - The Story of ’The Workshop’ https://www.oryxspioenkop.com/2017/08/armour-in-islamic-state-story-of.html


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