2025年6月27日金曜日

【復刻記事】影から姿を現す:シリアで「BM-30 "スメルチ"」の存在が確認された



著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2014年12月27日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とベリングキャットで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 新たに入手した画像によって、シリアで悪名高い「BM-30 "スメルチ"」多連装ロケット砲(MRL)の存在がついに明らかとなりました。その「9M55K」300mmロケット弾は、ハマ北方のカフル・ジタAl-Tahで使用されたことが記録されているものの、発射機の画像はまだ確認されていなかったのです。発射機の登場を長く待たなければいけなかった理由としては、「ブーク-M2」や「パーンツィリ S-1」、「BM-30」といった高度な兵器の位置が特定されることを避けるため、その近くでの撮影が禁止されたことに関係していると思われます。

 シリアは内戦中にベラルーシか(より可能性が高いと思われる)ロシアから数台の「BM-30」を調達し、2014年初めに納入されたことが確認されています。その数か月後、「UR-77 "メテオリット"」地雷除去車がダマスカスのジョバルに出現したことで、ロシアがアサドにあらゆる兵器を供給する意志があることが改めて強調されました。

 内戦前からシリアで長く運用されている「BM-27 "ウラガン"」に見られるように、「BM-30」も同じような緑色の塗装が施されています。こうしたカラーリングはハマーに見られるような緑豊かな地域に最適です。


 これらの「BM-30」をダマスカスに投入するの合理的だと思われるかもしれませんが、反政府勢力の進撃を阻止するため、全「BM-30」がハマー近郊に配備されています。ハマーはアサドにとって戦略的に重要な場所です。これは何も戦略的な位置にあるという理由だけではありません。空軍基地があるほか、南部には地下ミサイル施設もあるからです。

 ダマスカスには多数の「BM-27 "ウラガン"」やIRAM(Improvised Rocket-Assisted Munition or Mortar:急造ロケット推進弾・迫撃砲)も配備されており、戦闘の多くは共和国防衛隊の拠点であるカシオン山から近距離で行われているほか、砲兵部隊も定期的に投入されているため、この地における「BM-30」の必要性が低いことも理由に入るでしょう。

 ハマーとその周辺における全戦闘はシリア軍と国民防衛隊(NDF)、その他の民兵組織によって行われているため、シリアの「BM-30」は共和国防衛隊ではなくシリア軍の管轄下にあります。下の画像は、Al-Tahで「BM-30」が発射した「9M55K」ロケット弾の残骸です。


 「9M55K」は「BM-30」から発射できるロケット弾の一種に過ぎませんが、野外に晒された歩兵に対して絶大な威力を発揮するために今でも好んで使用されています。ちなみに、このロケット弾には72個の「9N235」対人クラスター子弾が搭載されています。


 作戦がシリア全土で展開されるにつれ、「BM-30」はしばらく仕事に困ることないため、シリア内の別の地域に投入される可能性が十分に考えられます。このMRLの引渡しはロシアがアサド政権を支援していることを改めて示すものであり、両国の関係は時間とともに強まってきています。シリアに最近納入された「BM-30」や「UR-77」、その他の兵器は、今後の展開の兆しなのかもしれません。

【編訳者による補足】この記事が執筆された10年後の2024年12月にアサド政権が崩壊したことは周知のとおりです。この間にシリアの「BM-30」がキャッチされる機会がありませんでしたが、崩壊前日の12月4日の時点でアレッポのアル・サフィラとその郊外で放棄された個体が2台確認されました。[1]

 こうした発射機の損傷状況が修復可能なレベルか否かは判然とせず、ほかに存在するかもしれない個体を含めて新シリア軍が運用するのかは不明です。

アル・サフィラでシリア軍が遺棄した「BM-30」

[1] https://x.com/clashreport/status/1864188921598402660

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

2025年6月6日金曜日

沿ドニエストルの戦争:1992年のトランスニストリア戦争で各陣営が喪失した兵器類(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2023年3月20日にOryx「本国版」(英語)に投稿されたものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所が存在する可能性があります。

 トランスニストリア(沿ドニエストル)の存在は、ソ連邦崩壊後の1992年にモルドバがルーマニアの一部になることを恐れたロシアの支援を受けた分離主義勢力とモルドバの間で起こった短期間の戦争に起因しています。

 この戦争については、当時のモルドバ・ソビエト社会主義共和国に駐留していたロシアの第14軍がトランスニストリアに代わって介入し、新たに独立したモルドバ共和国の軍を打ち破ったことで終結しました。

 勃発した同じ年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの状況は依然として複雑なままとなっています。この未承認国家はロシア連邦への加盟を望む一方で、経済生産の面ではモルドバへの僅かな商品の輸出に大きく依存し続けていることがそれを浮き彫りにしています。

 トランスニストリアの人々はソ連崩壊前から戦争の準備を始めており、すでに1990年夏には数多くの自衛民兵組織を設立していましたが、 1991年になるとこれらの組織が統合されて「ドニエストル警備隊」と呼ばれる統合戦闘部隊が発足しました。

 同じ頃、数百人ものロシア人コサックがこの地方に到着しました。その後に彼らはトランスニストリア人たちと一緒に第14軍の武器庫を襲い、武装を開始したのです。こうした出来事の一例として、トランスニストリア市民の群衆が射撃訓練から戻ってきた第14軍の部隊を塞いだ後に包囲に成功し、その過程で「T-64BV」戦車10台と「BTR-70」APC10台の捕獲した出来事が挙げられます。[1]

 1992年6月、モルドバ政府によると依然として自国領と主張する地域にモルドバ人が入った後、ベンデル市とその近郊で市街戦が勃発しました。

 沿ドニエストル側が以前に第14軍から奪った数台の「T-64BV」を投入したことで「T-64」最初の実戦デビューが記録されましたが、2台の「T-64」はモルドバが制圧したベンデルの一部への前進を試みた際に「MT-12」100mm対戦車砲によって即座に破壊され、さらに4台が損傷または鹵獲されてしまいました。

 ちなみに、この紛争ではモルドバ側の「BM-27 "ウラガン"」多連装ロケット砲や「MiG-29」戦闘機など、入手したばかりの兵器の運用を市民がマスターするのに苦労したために、DIY式の装甲戦闘車両が広範囲にわたって使用されたことは大きく注目すべきでしょう。

  1. 以下の一覧では、トランスニストリア戦争で撃破や損傷、鹵獲された各陣営の兵器を掲載しています。
  2. この一覧は、視覚的証拠に基づいて撃破や損傷、鹵獲されたと確認できたものだけを掲載しています。したがって、実際の損失はここに記されたものより多いと思われます。
  3. この一覧の対象に、トラック類は含まれていません。
  4. 各兵器類の名称に続く数字をクリックすると、撃破や鹵獲された当該兵器類の画像を見ることができます。

沿ドニエストル (10, このうち撃破: 5, 損傷: 4, 鹵獲: 1)

戦車(6, このうち撃破: 2, 損傷: 3, 鹵獲: 1)

装甲戦闘車両(1, このうち損傷: 1)
  • 1 GMZ-3 地雷敷設車(AFVに転用したもの): (1, 損傷)

急造の装甲戦闘車両 (2, このうち撃破: 2)
  • 1 PTS水陸両用輸送車ベースの移動トーチカ: (1, 撃破)
  • 1 カマズ製ガントラック(「 ZU-23」対空機関砲搭載型): (1, 損傷)

歩兵戦闘車(1, このうち撃破: 1)


モルドバ (9, このうち撃破: 7, 鹵獲: 2)

装甲戦闘車両(3, このうち撃破: 1)

装甲兵員輸送車 (2, このうち撃破: 1, 鹵獲 1)

牽引砲 (1, このうち鹵獲: 1)

対空砲(3, このうち撃破: 3)

[1] Боевое применение танка Т-64БВ в боях за г. Бендеры http://btvt.info/5library/t64benderi1992.htm

2025年5月16日金曜日

イスラム国の機甲戦力:モスルに出現した「戦闘トラム」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo


 この記事は、2020年1月15日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 2016年11月、モスルの北にあるバシジの町の木の下にトラムか装甲戦闘バスのような車両が置かれていました。以前の所有者によって放棄されたこの怪物は、かつてモスル北部のナヴァラン近郊で行われた今や悪名高いイスラム国(IS)の攻勢に登場したものです。その攻勢を撮影した動画は、参加した数人の戦闘員の滑稽な動きで急速にネット上で拡散されました。戦闘員アブ・ハジャールはインターネットのあらゆる場所でミームのネタとなりましたが、この攻勢でISが投入した装甲強化型トラックやその他の車両は、軍事的側面に注目する人々にとって特に興味深い存在でした。

 ISが手掛けたDIY式装甲戦闘車両(AFV)の多くは、車体に鉄板を貼り付けただけの非常に粗雑なものでした。ただし、彼らのニーズにより適合させるように車両を改造することを目的とした大規模な工廠が存在しており、そこからシリアやイラクの戦場で展開する戦闘に完璧に適したAFVが生み出されたのです。これらの兵器の改修を担当したAFV工廠はIS支配地域内にあり、最大のものはシリアのタブカイラクのモスル近郊にありました。

 モスル占領の直後、ISはイラク軍と警察がモスルからの撤退時に残した大量の車両と装備を運用するために複数の装甲部隊を創設しました。一部の車両は事実上全く手を加えられずにイラクとシリアの戦場に直ちに配備されたものの、他の車両は車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)として使用するために改造されたり、「襲撃大隊」向けとして、モスルの平原で使用するAFVに改造されたのです。

 インギマージ...生還を期することなく敵陣に突入することを任務とする突撃部隊...の作戦において、「襲撃大隊」は重くて遅い装軌式AFVではなく、より高速が出る装輪式車両を主に使用しました。実際のところ、イラクのISでは少数の戦車が積極的な戦闘行動(攻撃)で運用されていましたが、そのほとんどは「アル・ファルーク機甲旅団」と「防御大隊」の所属でした。したがって、即席かつ装甲が強化されたAFVを使用したのは、主に「襲撃大隊」です。


 「襲撃大隊」用に改造された車両の大半は基本的に装甲兵員輸送車(APC)であり、戦闘員が立って射撃するためのキャビンを備えているのが特徴です。モスル周辺におけるISの攻勢は実質的な自殺行為のため(詳細はこちらを参照)、「襲撃大隊」の攻勢については、その大部分が目的に到達する前に車両が撃破されて終わりを迎えました。

 しかし、改造できるトラックやその他の車両が豊富に残されていたため、「襲撃大隊」向け車両の「生産」は継続されました。これらは実質的に同じクラスの車両に僅かな違いが見られる程度であり、ある程度は規格化がなされていたことが見受けられます。今回取り上げる戦闘トラムは3台が確認されており、それぞれが「201」と「202」、そして(おそらく)「200」の番号が振られました。下の画像では、「202」(1枚目の右)と「200」(1枚目の左と2枚目)が見えます。ちなみに、後者は詳細不明な原因で失われています。



 戦闘トラムは重装甲が施されたキャビン前部が特徴であり、(少し想像力を働かせると)鳥のような顔や、バリエーションによっては「きかんしゃトーマス」のキャラクターを彷彿とさせます。これが「戦闘トラム」という名称の由来です。戦闘員を収容する区画には空間装甲が設けられており、8個あるホイールの外側には保護する鉄板のサイドスカートが装備されています。この戦闘トラムについては、(特徴を考えると)2014年にモスル周辺で鹵獲されたソ連製「BTR-80」APCの車体を改造したものであることはほぼ間違いないでしょう。

 事実上のトラックである車両を改造することは実に不思議な選択ではあるものの、このような大型APCを製造しようとした今までの取り組みでは、ダンプトラックをベースにした(見応えがあるが不格好な)車両が数多く作られました。こうした車両とは対照的に、戦闘トラムは比較的バランスの取れたデザインに見えます。



 戦闘トラムの武装は過去に登場した怪物のようなDIY車両から変わっておらず、重装甲のキューポラに軽機関銃や重機関銃が取り付けられるようになっています。興味深いことに、「202」は前面に4本のラムを装備しているように見えますが、そのうちの2本は車体構造を補強する機能を兼ねているのかもしれません。これらのラムはある程度の障害物を突破するのに効果的ですが、起伏のある地形を走行中にスタックしやすくなるリスクがあります。そして、突破した障害物の破片が兵員区画にいる戦闘員の頭上に落下するだろうことは言うまでもありません(編訳者注:無蓋式のオープントップのため)。

 ペシュメルガの陣地の前に立ちはだかる塹壕をよじ登るための梯子については、「200」と「201」には装備されていたにもかかわらず、「202」にはありませんでした。

 戦闘トラムのキャビンは、「襲撃大隊」が使用した他の車両とほぼ同様の構造です。高速移動を伴う作戦中にキャビン内の戦闘員を支えるため、小型車に見られるシートベルトの代わりに(キャビンの縁に)金属製の手すりが設置されました。 軽機関銃や重機関銃用のピントルマウントは装備されていないため、戦闘員は安定装置を欠いた状況で金属製の手すりの上から射撃することを余儀なくされました。このため、経験の浅い戦闘員が射撃した場合はほとんど命中弾を得られないことが明らかとなりました。

 「202」は「200」や「201」とはキャビンのレイアウトが若干異なっており、小さな出入口扉が後面に設けられています(注:「200」と「201」は側面に扉がある)。



 最初の戦闘トラムは、モスル北部のナヴァラン近郊で展開された、今では(悪)名高いISの攻勢に登場しました。この攻勢には、アブ・ハジャールとアブ・アブドゥッラー、そしてアブ・リドワーンたちの装甲強化型「M1114」以外にも、「襲撃大隊」の大幅に改造されたトラックやその他の車両も数台参加したことが知られています。前者には初代戦闘トラム「201」が含まれており、攻勢開始の直前と失敗した直後にその存在が確認されました。この姿は下の画像でも確認できます。



 この戦闘トラムは、ペシェルメルガ陣地前にある巨大な塹壕の埋め立てを担っていたブルドーザーが撃破されたことで、他の「襲撃大隊」の車両と一緒に事実上身動きが取れない状態となってしまいました。この直後、トラムは(アブ・ハジャ-ルの車両のように)命中弾を受けて放棄されました。

 車体側面に設けられた空間装甲の存在はここでもはっきりと確認できます。様子を見る限り、少なくとも1発の命中弾を阻止するのに効果を発揮したようです。


 上の画像: アブ・ハジャールの「M1114」から撮影されたナヴァラン近郊を走行中の戦闘トラム「201」:装甲キャビンに立って発射の機会をうかがうRPG砲手の姿が見えます。装甲を増強したことで重量が増加したにもかかわらず、このトラムは適度な速度で戦場を駆け抜けることにあまり問題はないようです。後方の装甲強化型「M1114」と比べると、車体の圧倒的な大きさは一目瞭然です。ただし、そのおかげでペシュメルガのATGMチームやRPG砲手にとっては格好の標的になりやすいというデメリットがあることは言うまでもありません。 

 実際、モスルの平原でこうした車両を使用した場合は、前述の理由で失敗に終わることは避けられないでしょう。戦闘トラムは平原より都市部での使用が適している可能性があります。


 数種類のAFVを自力で製造しようとするISの取り組みは、結果的にISの典型的な攻撃手法に適した(高度に発達した)車両を数多く生み出すことに至りました。ところが、ATGMの拡散とISの大規模な攻勢に有志連合軍の航空機やヘリコプターが登場したことで、これらのAFVがイラクの戦場で完全に場違いな存在となってしまったことは否めません。それでも、勝利という成功の可能性に賭ける彼らの信仰が挑戦に次ぐ挑戦に至らしめ、そのたびに同じ結果、つまり全滅という形で終焉を迎えたのです。

 設計と生産の分野におけるISの努力は確かに見事なものでしたが、そもそも最初から事実上絶望的な攻勢に投入する車両を大量生産することは彼らが他の地域で展開している作戦とは大違いであり、そう長くはできない贅沢と言えます。

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月28日月曜日

【復刻記事】イスラム国+マッドマックス:リビアでバトル・モンスターが登場した


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2016年3月20日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 これまで存在した中で最も洗練されたテロ組織と化した「イスラム国(IS)」の隆盛は、戦闘員に(形だけの)装甲防御力と重火力を装備させるべく無数のDIYプロジェクトを行うまでに至っています。こうしたプロジェクトの大半はシリアとイラクの戦場に限られる運命にあったものの、リビアのIS部隊が、映画「マッドマックス」からそのまま飛び出してきたかのようなワンオフの逸品を完成させることに成功しました。

 2016年3月に初めて目撃されたこのバトル・モンスターはリビアの北東部のデルナで建設され、リビア国民軍(LNA)やムジャヒディーン・シューラ評議会と戦闘しました。(敗北する前の)デルナにおけるIS戦闘員たちはリビア国内にある他のIS支配地から完全に切り離されていたため、リビアに存在する巨大な武器庫や敵対勢力から鹵獲した少数の装備だけで対処を強いられたという事情があります。

 今回取り上げるバトル・モンスターは、6x6トラックをベースにしたものであり、多種多様な装甲板とスラット装甲を備えているほか、「BMP-1」の砲塔のみならず車体自体を組み込んだものです。ただし、「2A28 "グロム"」73mm低圧砲と同軸の「PKT」7.62mm機関銃は撤去され、その代わりに「M40」106mm無反動砲(RCL)1門を備えるオープントップ式の砲塔が本来の砲塔の上に搭載されています。言うまでもありませんが、「M40」を旋回させるためには砲塔内に操作要員がいなければなりません。高い位置にあるRCLはバルコニーや屋上からの敵の射撃にさらされやすいという弱点があるものの、それでも(その高さゆえの)優位性を有しています。


 バトル・モンスターの装甲は控えめに言っても特別です。「BMP-1」の車体側面の装甲防御力は前面下部にも追加されたスラット装甲によって強化されていることに加え、「BMP-1」の車体とスラット装甲の間は土嚢によってさらに強化されています。スラット装甲以外でモンスターを覆っているのは、車体にボルト留めされた厚さと強度の異なる鉄板です。最も特徴的と言えるのは、露出したホイールとタイヤを保護しているのが再利用された「BMP-1」の履帯でしょう。

 モンスターの武装は、砲塔の「M40」RCL1門と「BMP-1」の車体に備えられた8個(車体後部のドアにあるものを含めると9個)の銃眼から発射される小銃や軽機関銃で構成されています。主砲の「2A28 "グロム"」が撤去された理由は不明ですが、損傷したか、あるいは過去に目撃されたテクニカル搭載用として撤去された可能性があるのではないでしょうか(編訳者注:リビアで「グロム」だけを装備したテクニカルを転用した事例が確認されているのはISではなくイスラーム系民兵組織「リビアの夜明け」であるが、こベースとなったBMPがISに鹵獲されたり、あるいは同様のテクニカルをISが使用している可能性は否定できない)。


 上の画像が示すように、この車両の役割は装甲兵員輸送車(APC)や歩兵戦闘車(IFV)に似ているものの、「BMP-1」の車体が高い位置にあるため、乗降が相当困難になっています。小型の梯子があればこのプロセスは大幅に楽となるはずですが、モンスターには装備されていないようです。

 特筆すべき点としては、このバトル・モンスターのドライバーが、デルナの狭い通りで運転するのに四苦八苦したに違いないということが挙げられます。もちろん、外を覗く窓が非常に小さかったため、後退時も進行方向を確認できないまま動くこと余儀なくされたであろうことは言うまでもありません。下の画像で、ドライバーが外に向けて「AK-103」7.62mmで狙いを定めていますが、これは単にカメラ用のカットでしょう(つまりプロパガンダ用)。


 リビアは間違いなく突飛なDIYプロジェクト発祥の地です。終わりの見えない長期にわたる内戦で勝利を確実なものとするため、各勢力が敵対陣営より優位に立つことを目的とした改造兵器が今後も数多く生み出されることでしょう。リビアへの武器禁輸措置を順守する意思のある国は少ないものの、各勢力に供給される(実用的な)重火器が不足しているということは、(実際に役立つかどうかは別として)今回のようなDIYプロジェクトを継続する必要があることを意味しています。


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月19日土曜日

【復刻記事】アサド政権への支援の規模が明らかに:ロシアの諜報施設「ツェントル-S」が制圧された


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2014年10月6日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」と「ベリングキャット」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります(注:Oryxでは削除されていますが、記録のためベリングキャットから翻訳しました)。

 2014年10月5日、自由シリア軍は、ロシアのオスナズGRU電子偵察局の特殊部隊オスナズとシリア情報機関の一つが共同で運用している「ツェントル-S(Центр С - المركز س)」SIGINT(信号情報収集)施設を占領しました(編訳者注:ここでリンクが張られていた動画はアカウント停止のため視聴不可)。 ハッラ近郊に位置するこの施設はシリア国内で活動する全ての反政府勢力の無線通信を傍受・解読する役目を担っていたため、アサド政権にとって極めて重要な施設でした。ここでロシアによって収集された情報が、一連の空爆による反政府勢力リーダーの殺害に(少なくとも)部分的に関係している可能性が高いと思われます。

 公開された動画の3:08では 、「5月31日に調査局から出された、テロ集団の全無線通信を盗聴・録音せよという命令は、第一センターの司令官ナズィル・ファッダ准将の署名入りだ。」と読み上げられています。

 この施設は最近になってシリアとイランに中東の状況認識を提供するため、ロシアによって改修・拡張されました。1月から2月中旬にかけて行われた改修後は、イスラエルとヨルダンの全域、そしてサウジアラビアの大部分をカバーしたと伝えられています[1]。

 報道によれば、この改修はイランの懸念に対する反応だったようです。この施設がシリア内戦に注力しすぎているため、イスラエルへの諜報活動がおろそかになっているというわけです。こうして新しい資機材と追加要員が基地に配備されたわけですが、鹵獲時には固定式かつ使い古されたようなアンテナ類しか残されていないなかったため[2][3]、より現代的な資機材とロシア人要員の撤収は数日から数週間前に行われたことは間違いないでしょう。

 この施設が正式に「ツェントル-S(SはシリアのSかスペシャルのSと思われる)」と命名されていたかどうかは不明ですが、ほかにもロシアとシリアのシギント施設が少なくとももう1か所あることが知られています。下の画像にあるのは、この「ツェントル-S2」という施設の開設10周年を記念した勲章です。


 「ツェントル-S」のロシア側運用者は、ロシア軍内の無線・電子諜報活動を担当していたGRUのオスナズでした。この部隊についてはあまり知られていませんが、ロゴを下の画像で見ることができます:それぞれ、「Части особого назначения(特殊任務部隊、つまりオスナズ)」と「Военная радиоэлектронная разведк(軍事電子情報収集)」と書かれています。



 占領された施設内の壁には、ロシアによる中東への関与をあらためて強調するさまざまな写真が掲示されていました。そこにはイスラエル軍の基地や部隊の配置が記された地図さえあったのです。ほかの写真には、この施設で働くロシア人要員の姿だけでなく、ロシア国防相顧問のリュボフ・コンドラチェフナ・クデーリナ氏の訪問も紹介されていました(注:クデリーナ氏は経済・財政担当の副国防相)。


「Совместная обработка информации российскими и сирийскими офицерами/معالجة مشتركة للمعلومات بين الضباط السوريين والروس( ロシアとシリアの将校による共同での情報処理/分析」と書かれている。

 下の画像は、「Начальники Центра-С(ツェントル-S センター長)」と書かれたコーナーを映したものです。赤い罫線で囲まれた6行の文字列には、歴代センター長の階級・氏名・在任期間が記されています。6人全員の階級は「Полковник(大佐)」のようすが、苗字は判読できません。

「Начальники Центра-С(ツェントル-S センター長)」

 下の画像には、「Визит советника МО РФ Куделиной Л.И. в Центр/زيارة مستشار وزارة الدفاع الروسية كوديلني لي للمركز"(ロシア連邦国防相顧問のクデーリナL.I.氏がセンターを訪問)」と書かれていますが、彼女はKudelina L.K.です。ここでは名前をミスして表記したものと思われます。


「Визит советника МО РФ Куделиной Л.И. в Центр/زيارة مستشار وزارة الدفاع الروسية كوديلني لي للمركز"(ロシア連邦国防相顧問のクデーリナL.I.氏がセンターを訪問)

「Рабочий визит начальника ГУ МВС ВС РФ( ロシア連邦軍国際軍事協力総局長が訪問)」

 下の地図に記されている「情報源」は、電波の発信源を示しているようです。

「Объекты、и источники северного военного округа ВС Израиля(イスラエル軍北部軍の基地と情報源)」

「Карта радиоэлектронной обстановки (電波環境図)」

[1] http://www.washingtontimes.com/news/2012/feb/29/russia-upgrades-radar-station-syria-aid-iran/
[2] http://youtu.be/RiQWr4SfVx0 ※アカウント停止のため視聴不可
[3] http://youtu.be/pEYrbcWpjH8?t=4s

特別協力: PFC_JokerMark Anthony(敬称略)

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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