2020年11月22日日曜日

海軍自身の「沈没」 - ギニアのソ連製ボゴモール級哨戒艇



著 Stijn Mitzer(編訳:Tarao Goo)

ギニア・コナクリと呼ばれるギニア共和国は、西アフリカに位置するフランス語圏の国です。乏しい経済的な見込みに苦しめられながらも、ギニアは人口が急速に増加しています。この国にはイギリスよりも僅かに広い面積に約1240万人が住んでいますが、ギニアは未だに発展途上国であり続けています。
ギニアはイスラム教徒が主流の国で、人口の約85%かそれ以上をイスラム教徒が占めています。

ボーキサイトの産出量が世界第二位であることに加えて、ギニアには 「敵の砲火によってではなく、純粋な怠慢によって全ての戦闘艦を沈没させた」という、全くありがたくない名誉を持っています。
この驚くべき偉業の中心には、(この記事のテーマである)比較的先進的なソビエト製のボゴモール級哨戒艇がいました。

プロジェクト02065「ヴィーフリ-III(NATO側呼称:ボゴモール)」は1980年代後半にソ連で設計・建造された哨戒艇です。
この哨戒艇はプロジェクト206MR「ヴィーフリ(NATO側呼称:マトカ)」級ミサイル艇がベースになっており、1989年に建造が終了するまでに僅か9隻しか完成されませんでした。 [1] 
 ボゴモール級の武装はAK-176 76mm速射砲とAK-630 近接防御システム(CIWS)であり、どちらも艦橋上部に搭載されたMR-123火器管制レーダーによって制御されます。
設計目的の哨戒任務においては、この哨戒艇を依然として今日でも強力なプラットフォームと言うことができます。

興味深いことに、ソ連はボゴモル級を1980年代までに先進的な艦艇の運用と維持が比較的可能となっていたキューバ、ベトナムやイエメンといった国々へ引き渡す代わりに、全9隻のうち4隻をイラクとギニアに輸出しました。
ギニアは艦艇の維持に関して言えば不注意と怠慢だったという確かな実績がありますが、この国は歴史上極めて重要な時期(ソ連の没落)に間違いなく西アフリカ沿岸全体で最も近代的な艦艇を受領しました。
兵器・スペアパーツの供給や技術支援をしてくれる従来からのサプライヤーが(ソ連崩壊で)いなくなったため、これらの船はすぐに荒廃状態へと陥りました。



最初に独立を得たフランスの植民地の一つとして(1958年)、ギニアは(特に初期の段階における)ソ連の軍事援助の被援助国となり、1950年代後半には最初の援助が到着し始めました。
ソ連圏と緊密な関係を築いたことで、ギニアの要衝はソ連とキューバの両方によって完全に悪用されました。これらの国はギニアを植民地支配者からの独立をまだ達成していない近隣諸国の独立運動を支援するための前進基地として使用したのです。
 それにもかかわらず、ソ連との緊密な関係が外国からの攻撃に対してギニアを脆弱にしてしまうのではという懸念の結果として、ソ連圏との関係は1960年代の大半を通じて衰退しました。
この衰退は、ポルトガルの侵攻が差し迫っているというアフメド・セク・トゥーレ大統領の被害妄想が高まった結果、1960年代後半に再びソ連圏との緊密な関係が築かれるまで続きました。
実際、ポルトガルはギニアビサウにおける(ポルトガルによる)植民地支配と戦う独立運動へのギニアの支援に、ますます苛立ちを募らせるようになっていたのです。[2]


トゥーレ大統領の恐怖は無駄ではありませんでした。1970年11月には、約200人のギニア系ポルトガル兵と100人の反体制派ギニア人からなるポルトガルのコマンドー部隊がポルトガル軍の将校に指揮されて、公然とギニアに侵攻しました。彼らの目標はトゥーレ政権の転覆とギニアビサウの独立運動の指導者アミルカル・カブラルの暗殺、25人のポルトガル人捕虜の解放であり、捕虜の解放のみが成功しました。[2]
ポルトガルの攻撃を受け、トゥーレはソ連との緊密な関係を再構築して、将来に予想されうるポルトガルの侵略を払いのける追加のMiG戦闘機や戦車、高射砲の引き渡しがもたらされました。

ポルトガル人が再びギニアの地に足を踏み入れることを制止するため、数隻の艦艇から構成されたソ連海軍の哨戒部隊が頻繁にこの地域に呼ばれました。
この派遣は、コナクリに定期的に配備されていたいくつかのTu-95RT洋上哨戒機も含む、西アフリカ沖へソ連海軍が恒常的に配備される前触れとなりました。
その後の1973年1月、ギニアでのアミルカル・カブラル暗殺事件を受け、コナクリに停泊していたソ連の駆逐艦が暗殺犯を追跡・拘束してギニア当局に引き渡しました[3]。

ポルトガルが1974年にギニアビサウの独立を認めて徐々に(1999年に中国に返還したマカオを除く)植民地から撤退し始めたため、トゥーレが抱いていたポルトガルへの恐怖は殆ど解消されました。
自国における大規模なソ連海軍の存在が効果的な防衛策というよりはむしろ重荷になりつつあったため、トゥーレはソ連の活動を抑制し始めました。
1977年、トゥーレはソ連のTu-95RTがギニアへアクセスする許可を取り消しました。
続く1978年後半にはソ連とキューバの顧問団が追放され、1979年前半にはコナクリにおけるソ連艦艇の動きに更なる制限をかけました。
これらの動きが、最終的に(ギニアにはるかに巨大で恒久的な海軍基地を建設するという)ソ連の希望に終止符を打つことになります。 [3]

ギニア領海におけるソ連の漁業権に関する論争や、ソ連のギニアに有意義な経済支援を提供するという意思の欠如のため、数年間は両国の関係が冷え切ったままとなりました。[4] 
トゥーレが死去した1984年、軍事クーデターが勃発してランサナ・コンテ将軍が実権を握り、2008年に死去するまでギニアを支配し続けました。


ソ連との緊密な関係は、虚弱なギニア海軍に大きな影響を与えました。
ギニアは創設直後のソ連の衛星国海軍と同じような訓練と装備を受け、全ての海軍装備はソ連由来のものでした。
ポルトガルによる侵略の後で、ギニア海軍の人員は150人から300人に増加し、1972年にはさらに150人が増強されました。[5]
同年に、ギニア海軍の要員はいくつかの中国の哨戒艇の獲得を見越して中国で訓練を開始しましたが、その調達は実現しなかったようです。[5] 

1970年代初頭におけるギニア海軍の艦船は、双連の12.7mm重機関銃2基を装備した4隻のポルチャット-Ⅰ級哨戒艇、2基の533mm魚雷発射管と双連の25mm機関砲を装備した数隻のP-6魚雷艇、双連の25mm機関砲2基と対潜弾投射機2基だけでなく対潜水艦戦用(!)の爆雷も装備した2隻のMO-VI駆潜艇で構成されていました。[5]      
ギニアによる不十分な整備は1967年までに既に2隻の船の沈没を引き起こしており、他の船が似たような運命に遭うことを防ぐため、1971年にはソ連の技術派遣団が介入しなければなりませんでした。[5]
これによって艦隊の運用性が改善されたとはいえ、艦船の大半は滅多に出港することはありませんでした。ギニアは装備の信頼性の欠如と、艦船を適切に整備するための予備部品が十分に供給されないことに不満を訴えました。[3]

ソ連はこの問題に取り組むのではなく、魚雷発射管が撤去された3隻か4隻のシェルシェン級哨戒艇と西アフリカの熱帯気候での運用のために改修を施された1隻のT-43級掃海艇を引き渡すことで、ギニア海軍に装備面において創設以来最大級の大変動をもたらしました。[3] 
これらの艦船の引き渡しはギニアにとってボゴモール級艦船が引き渡される前の最後の目立った艦艇の入手となりましたが、結局は1980年代後半か1990年代初頭に密かに就役してその数年後には退役しました。
それでもなお、ギニアは1980年代の半ばから後半にかけて、(MiG-21bis戦闘機と9K35ストレラ-10地対空ミサイルシステムを含む)毎年数千万ドル相当の装備をソ連から受け取り続けました。 [6]

2007年2月:2隻のボゴモール級は既に用廃となっていましたが、埠頭にしっかりと係留されています。

2007年12月:1隻目の船尾はすでに水没しています。浸水による重量の増加で、この船はさらに海の底までゆっくりと引きずり込まれていきます。

2008年8月:満潮時ですと、かろうじて艦橋とレーダー・マストだけが水面に突き出ている状態を見ることができます。もう一隻は埠頭の反対側に移動されています。

2009年12月:干潮時には(AK-176速射砲を含めた)1隻目の上部構造の大半を視認することができます。この港の至る所では、さらに数隻の沈没船を見ることができます。

2013年3月:水圧でAK-176速射砲が船体から外れたようです。画像の左側にある浮きドックにも注目してください。

2019年8月:2隻目のボゴモール級も浸水が始まり、船首と上部構造のみがかろうじて水面より上にある状態になっています。その一方で、2013年の時点でまだ使用されていた浮きドックも沈没しました。

2020年2月:2隻目は現時点でその宿命(沈没)から逃れたようです。これが再び沈むことを待つだけのギニアは、ボゴモール級哨戒艇2隻が3回沈む世界で唯一の国となるでしょう。

イラクのような輸出先にとっては未だに比較的高度な水準であるとはいえ、(レーダー誘導式のAK-176 76mm速射砲とAK-630 CIWSを装備している)ボゴモール級はギニアのような小さな海軍のニーズを完全に超過していましたし、今でもそうと言えます。
驚くべきことではないでしょうが、ギニアの場合、退役したボゴモール級などを代替した艦隊は、維持と運用が容易な(軽機関銃だけを装備した)小船で構成されていました。

ギニアの隣国であるギニアビサウも1988年から1990年にかけて2隻のボゴモール級哨戒艇を入手したと報告されていますが、それらが実際に引き渡されたことを示す公的な証拠は現時点で存在しません。[1][7] 
だからといって、実際に引き渡しがなかったと言うことはできません。これらの船が、商業衛星画像の登場以前にスクラップにされたり、港の底に存在していた(既に沈没していた)可能性があるからです。
(ギニア以外で)唯一ボゴモール級を受け取ったことが確認されているイラクとイラン(1991年にイラクから1隻を引き継ぎました)の例については、将来的にこのブログで紹介する予定です。
ロシアでは、ボゴモール級は最終的により近代的なプロジェクト10410(スヴェトリャク級)に取って代わられ、たった2隻 (PSKR-726 と PSKR-727)が今でも太平洋艦隊で運用されていると考えられています。


ボゴモール級の沈没 - この武勇伝は、かなりの財政的・物的支援なしに運用できない顧客国に高度な兵器を提供するというソ連の失政を証明しています。
この失政の結果は今でもアフリカ各地で錆びついており、それらは港の底にいるか、解体を待っているかのどちらかとなります: それは苦痛を伴いながらも崩れていく、失敗した野望と、ゆっくりと消えていく過去の記念碑です。


[1] RussianShips.info http://russianships.info/eng/borderguard/project_02065.htm
[2] MEMORANDUM SOME REPERCUSSIONS OF THE RAID ON GUINEA https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp85t00875r002000110005-8
[3] IMPACT OF SOVIET NAVAL PRESENCE IN THIRD WORLD COUNTRIES https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp84t00658r000100030004-5
[4] EQUITIES IN THE SOVIET-GUINEAN RELATIONSHIP https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp85t00287r001400740001-7
[5] GUINEA https://www.cia.gov/library/readingroom/docs/CIA-RDP01-00707R000200110060-7.pdf
[6] THE SOVIET RESPONSE TO INSTABILITY IN WEST AFRICA https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp86t00591r000300440002-2
[7] SIPRI Trade Registers http://armstrade.sipri.org/armstrade/page/trade_register.php

 ※  この翻訳元の記事は、2020年11月16日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。 

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2020年11月6日金曜日

都合の悪い武器:中東における北朝鮮の武器



著: Joost Oliemans と Stijn Mitzer (編訳:Tarao Goo)


時が経つにつれて、北朝鮮による中東各国への武器輸出の詳しい話がますます一般的なものになりました。
北朝鮮との軍事的なつながりについて、関係する国々はそれを誇示するようなことは今までにしていなかったようですが、これらの話に登場する当事者たちは既に見慣れた存在であったため、ある意味では驚くようなものではありません。
過去にはエジプトとイエメンが北朝鮮の熱心な顧客でしたが、イランとシリア(と彼らが支援する非国家的主体)は記録化されたつながりを今日に至るまで正常に維持しています。
これらのつながりの大きさをあばくことは決して些細なことではありませんが、それ自体が興味深いテーマであることは明白です。今回、私たちは「つながり」の中で全く知られていなかったものに光を当てました。

中東では、長い間地域の隣国との軍事的均衡を維持することが重要な検討事項であり、しばしば多大な費用をかけられてきた目標です。
単なる金銭的コストだけが武器の調達でその国が支払うことになる唯一の方法ではありません(注:北朝鮮の武器を購入したことで制裁を受けるリスクがあるということ)。最初はお買い得に見えた武器も、時が経つにつれて一部の国にとっては不都合なものになってきました。
今では長く忘れ去られていたかもしれませんが、北朝鮮の武器が(それがあったかどうかは別として)オープンマーケットで入手可能なものに比べてかなり先進的だった時代がありました。当時、北朝鮮は非同盟諸国への弾道ミサイルの輸出をほぼ独占していたため、武器輸出の面で著しい収益の増加を得ることができました。


アラブ首長国連邦(UAE)を例にしてみましょう。
驚くほど世界中の多くの国と同様に、UAEも一時は北朝鮮がオファーした最新技術への投資を熱望していましたが、それ以後はこの事実を「オブザーバー」に知られることを慎重に避けてきました。
UAEが保有している北朝鮮製武器の画像は極めて僅かな数だけしか公開されておらず、実施された武器取引について詳述した資料はさらに少ない数しかありません。
それでも、限られた入手可能な情報は私たちに好奇心をそそる物語を伝えてくれます。
1980年代末にUAEは武器取引で北朝鮮と交渉を開始しました。伝えられるところによれば、
1989年に火星-5弾道ミサイル(R-17E「スカッドB」のコピー)、高射砲、自走砲、多連装ロケット砲とロケット弾の移転が含まれた1億6000万ドルの取引が成立しました。
当然ながら、国際的なオブザーバーが最も関心を持つのは弾道ミサイルです。したがって、取引の内容について詳細に知ることができるものは弾道ミサイルしかありませんでした。
1999年のアメリカの国家情報評価では18発から24発(と数量不明の発射機)が引き渡されたと推測されていましたが、この数は同年の第106回米国連邦議会・対北朝鮮政策に関する公聴会にて用いられた資料では25発に上方修正されたようです。
従来の話では、UAE は火星-5の品質に不満を持ち、それらをすぐに解体待ちとして保管庫に入れたと言われています。しかし、この政治的に都合の良い話は、(後に見るように)精密な調査にはあまり耐えることはできません(注:見破ることが可能だったということ)。

その一方で、(北朝鮮の砲兵システムが過去に無数の他国の軍隊でされてきたように)
残りの武器は問題なくUAEの軍隊に導入されたと推測するしかありません。
実際には、インターネット上に流れた(本来は公開されるべきではなかった)映像が私たちにUAEがお金で得たものを見せてくれました。

UAE軍の演習でロケット弾を発射する北朝鮮製240mmMRL

これらの240mm多連装ロケット砲(MRL)は北朝鮮やイラン、ミャンマーやアンゴラといった国が保有する兵器としてよく知られています。
北朝鮮に導入された時点では、これが存在するMRLの中で最も射程距離が長い重MRLであり、90kgの弾頭を43km離れた目標に向けて投射することが可能でした。
UAEが受領した派生型ではトラックは12本の発射管を備えています。つまり、4台のトラックからは目標に対して48発のロケット弾の集中砲火を浴びせることができます。
問題はMRLを搭載しているトラックであり、特有の形状をしています。このトラックを特定することができる、もっと良い映像が世に出るまでにはかなりの長い時間がかかることでしょう。もちろん、UAE自身がそのような映像を提供してくれるとは期待できませんでした。
そうしているうちに、これらの武器の特定の部分は(かなりの長期間にわたってその起源を不明瞭にした)変形が施されました。

2020年6月上旬、リビアの国民合意政府(GNA)の兵士たちは、ついにハフタル将軍率いるリビア国民軍(LNA)が支配していたタルフーナを奪取しました。その過程で、彼らはその時点で全く知られていなかった多くのMRLに遭遇しました。
タルフーナはリビア西部におけるLNAの本拠地であり、LNAがUAEから軍事支援を受けていることから、この地でも両者のつながりを簡単に構築することができました。
それらの発射管自体は容易に特定することができました。それらはトルコのロケトサン社がUAEに納入した、巨大な「ジョバリア防衛システム(重多連装ロケット砲)」に搭載されているものと同じだったのです。
ただし、北朝鮮によるUAEへの武器輸出に関する予備知識がない限り、トラックと架台を特定することは困難を極めます。
実際、発射管の架台は(他国で使用されているものとは明らかに異なる)北朝鮮の12連装240mmMRLに使用されているものと簡単に特定することができます。
トラックも注目に値するものであり、それは装甲を強化された(ACP90としても知られているらしい)イタリアのイヴェコ260/330.35です。
北朝鮮はこのタイプのトラックを運用していませんが、この事実は長くにわたって軍事的な需要をサポートするための適切な大型トラック産業を欠いていた同国が、外国から輸入したものを適応させることで(需要に)しばしば間に合わせていたことを意味します。 
このケースでは、北朝鮮は単にトラックを全く引き渡さなかったようで、おそらくはMRLを搭載するのに適したプラットフォームを(それ専用に)改修することを支援したものと考えられます。

タルフーナでGNA軍が遭遇した正体不明のMRL

UAE軍が運用するイヴェコ320.45WTM戦車輸送車。酷似したイヴェコ260/330.35も運用されていると思われる。

北朝鮮がどの程度のMRLをUAEに引き渡したのか、同様にUAEがそれをLNAに供与したのかが不明であることから、今でもUAE軍に多くの同MRLが存在する可能性があることは確実でしょう。
しかし、今や(最近では射程を60kmか70kmまでの延長とGPS誘導による精密打撃を含むアップグレードがされたと思われる)北朝鮮の独特な240mmロケット弾を複数の国際制裁体制からの怒りを招くことなく入手できなくなったことは、UAEが北朝鮮から得た全てのMRLがトルコ製122mmロケット弾を発射できるように改修された可能性が高いことを意味します。
 
1989年に引き渡された他の装備はどうなっているでしょうか?
北朝鮮は過度な数の自走砲(SPG)を製造・運用していますが、1989年にUAEが非常に興味を持ったであろうものが一つだけあります。
いわゆるコクサン(北朝鮮での言い回しならば主体砲)は、導入された当時は本当にユニークな「怪物」でした。
コクサンは直径170mmある独自の分離式砲弾と決定的に巨大な砲身長で、当時のあらゆる砲兵システムの中でも最長である約50kmを射程内に収める能力がありました。
古い1973年型は過去にイランに輸出されており、イラン・イラク戦争中にイラク軍の陣地や(イラクを支援したことに対する懲罰として)クウェートの油田を敵の報復圏外から砲撃するのに使用されました。
UAEが入手した派生型はより新型の1989年型であり、同国で開催された武器展示会「IDEX2005」内の辺鄙な場所で撮影された貴重な画像がその存在を裏付けています。
北朝鮮製のZPU-4対空機関砲と並んで展示されているこの自走砲は、現存する大砲の中でも(間違いなく北朝鮮でも)依然として最も強力なものです。

IDEX2005(UAE)にて展示されたM-1989「コクサン」

北朝鮮から引き渡された武器はもっと存在するでしょうか?おそらくあります。デンマークの映画監督であるマッツ・ブリューガー氏による最近公開されたドキュメンタリー番組「ザ・モウル」は「モグラ(スパイ)」を使って北朝鮮製兵器システムの写真を含む北朝鮮の武器取引の内部構造を明らかにしました。
このうちの一つは武器のカタログ内から発見されました。それは砂漠にいる初期型の火星-5を撮影したものに見えます。
注目すべきことに、従来のMAZ-543の輸送起立発射機(TEL)がドイツのMAN社製KAT-1トラックをベースにしたものに変更されています。
先述のとおり、北朝鮮はこれらのTEL用トラックを生産することが困難だったために、1993年にニューヨーク・タイムズが報じた記事のとおり輸入品に依存していました。
それにもかかわらず、このTELに施された迷彩塗装とその周囲の風景はこの画像が北朝鮮で撮影されたものではないことを示しています。
通常の推測ではイラン、リビアやシリアである可能性(特にシリアは注目を浴びます)が確実と考えられますが、これらの国ではスカッドのTELを閲覧可能な画像で見ることができます(注:つまり、検証に使用できる画像が多く存在するということ)。
リビアとシリアでは10年に及ぶ全国規模の戦闘によってスカッドのTELが十分に晒されており、イランでは常に驚くほどオープンに(貴重な北朝鮮製TELを含めた)保有を公開してきました。これは、前述の国と違ってMAN社製トラックを無数に運用しているUAEやこれから見るサウジアラビアのような国が写真の起源である可能性を残しています。

「ザ・モウル:北朝鮮への潜入」で紹介された北朝鮮の武器カタログに掲載されていた、火星-5を搭載したMAN社製KAT-1 TEL。

いずれにしても、1989年の取引はUAEの(北朝鮮が絡む)冒険の完全な終わりを意味するものではありませんでした。なぜなら、火星-5に不満があったと思われているにもかかわらず、すぐに北朝鮮と別の弾道ミサイルに関する交渉に入ったからです。
ミサイルが引き渡されたのは1999年であり、これらの弾道ミサイルシステムの導入はすぐに米国のミサイル制裁法に基づいてUAEに制裁を科す可能性を(米国が)審査するきっかけとなりましたが、この件は厳重に秘匿され続けました。
この件について、UAE軍のムハンマド・ビン・ザーイド参謀長(MbZ:アブダビの皇太子) は
弾道ミサイルの総数は30発以下で(内訳は)火星-5と火星-6(注:500km先の標的に到達可能な改良型「スカッド-C)でほぼ均等に分けられており、これらのシステムを追加して取得しないとアメリカ政府に対して個人的な保証をしました。
その後にMbZはこの状況をUAEの優位に転じさせる機会と見たようで、弾道ミサイルの引き渡しとミサイル技術管理レジーム(MCTR)への加入と引き換えに、MGM-140 ATACMS戦術ミサイルとMQ-1BプレデターUCAVの調達交渉を開始しました
この時点で彼が認めたスカッドの数は38発 – つまり以前にカウントされた数より増加していますが、これは新しくミサイルが引き渡されたのではなく 単に最初のカウントの不正確さが引き起こしたギャップである可能性が高いと思われます。
アメリカがこれらのシステムをすぐに入手できないようにしたため(その代わりに非武装型のプレデターを提示したり、後にATACMSをあまりにも法外な値段での販売を打診しました)、UAEはこの交渉から手を引いて自国の弾道ミサイル部隊を残しました。

一部では2000年代に(北朝鮮からの)3回目となる弾道ミサイルの引き渡しがあったのではないかとの憶測がありますが、今までにそれが実際にあったのかを証明する決定的な証拠はありません。
それにもかかわらず、北朝鮮の関与が今日まで続いていることを示す報告があります。
アメリカから問い合わせがあったにもかかわらず、UAEの代表団は2008年8月に北朝鮮を訪問しました。それはミャンマーの代表団が(スカッド・ミサイル工場を視察したことで知られる)同様の訪朝をした数ヶ月前の出来事だったのです。
この訪問がミサイルなどの購入に至ったのかはもちろん不明ですが、より最近の2015年の時点では両国の関係性が特に弱まっていないことは明らかでした。
サウジアラビア主導のイエメンに対する軍事介入を支援するため、UAEは仲介人を通じて、北朝鮮から機関銃やライフル、ロケット弾を含む約1億ドル相当の武器を調達しました
彼らがそこで戦っているフーシ派が(近年に直接輸入したものではありませんが)北朝鮮製の様々な種類の武器を装備しているという事実は、おそらく完全に皮肉ではないでしょう。UAEが北朝鮮の武器を継続的に購入しているのは、北朝鮮が敵(イランやフーシ派)に武器を提供することの阻止も目的としているのかもしれません(注:UAEがあえて顧客となることで武器を敵に行き渡らせないようにすること)。
驚いたことに、この武器取引はUAEに対する厳しい制裁の引き金とはなりませんでした。これは同国が湾岸協力理事会(GCC)のアメリカが最も信頼している同盟国の一つであるという優遇された立場のおかげであるとしか説明のしようがありません。

(当事者の利害関係が隠蔽を望むのであれば)、このような武器取引が公知から隠蔽されている可能性があるということは本当に注目すべきものです。
UAEの冒険的事業が決して独特なものではないことは間違いありませんが、新しい情報や画像がリークされない限り、これらの出来事が明るみに出る可能性は薄いでしょう。
結果として、OSINTアナリストは憶測することしかできないのです。
興味深い事例としてはサウジアラビアがあります。同国の弾道ミサイル戦力は世界で最も不透明なものの一つです。
サウジアラビアが1988年に中国からDF-3A中距離弾道ミサイル(IRBM)を入手したことは、2014年の大規模な軍事パレードで披露された際に公的に確認されました。
更に最近のミサイル(注:DF-21)については散発的に様々な情報源に記録されていますが、スカッド型の弾道ミサイルがこの王国に引き渡されたことに言及しているものはありません。
従って、当時の防衛副大臣が2013年に戦略ミサイル軍部隊を訪問した際にショーケースに入った3種類の弾道ミサイルの模型をプレゼントされた光景は非常に重要です。なぜならば、3種類のミサイルのうちの2種類はサウジアラビアが保有していると知られていないタイプのものだったからです。
2013年、サウジアラビアで運用されていたと思われる3種類の弾道ミサイルの模型をプレゼントされるファハド・ビン・アブドゥッラー・ビン・ムハンマド・アル・サウード王子 (当時の防衛副大臣)。

3つのうち最大のものは明らかにDF-3Aを正確に表現したものであり、最小のものは形状がR-17「スカッド」や北朝鮮の火星-5/6(またはその派生型)とほぼ一致しています。
真ん中にあるミサイルが3種類の中で最大の謎であり、火星-7(ノドン1号)や火星-9、前者の外国の派生型に見られるような独特の三重円錐型のノーズコーンが特徴的に見えます。
しかし、このような乏しい証拠を基にしてサウジアラビアと北朝鮮とのつながりをほとんど立証することはできません。
それにもかかわらず、サウジアラビアの暗い過去の中で、まだ知られていない弾道ミサイルの移転が行われたことは明らかです– それは中国のDF-3A IRBMよりも証明することが困難な移転です。
この時期にサウジアラビアへのスカッド型弾道ミサイルの供給を厭わないであろう国は、特により大型で高度なシステムも同時に提供していたことを考えると、その数は驚くほど少ないものとなります(注:北朝鮮である可能性が高いということ)。

前世紀に行われた武器取引については、関係国では極秘に関する問題として残り続けていることから、中東における北朝鮮の武器売買の全史が近い将来に明らかになる望みはほとんどありません。
問題の当事者達が困惑する可能性を考えると、これらの不都合な武器は高いフェンスやバンカーのドアの後ろにある軍事基地で厳重に保管され続けるか、もしそうでなければ誰かが気づく前に解体されているのかもしれません。
私たちはその全貌を見いだすことができるでしょうか?おそらくできるはずです。
しかし、関係国が(情報の取り扱いを)十分に注意するのであれば、真実は単に暗闇の中で朽ち果てていくでしょう。


 ※  この翻訳元の記事は、2020年11月2日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。 

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2020年9月29日火曜日

ナゴルノ・カラバフの戦い2020:アルメニアとアゼルバイジャンが喪失した装備(一覧)


Stijn Mitzer in collaboration with Jakub Janovsky ,Dan,  COIN_TR編訳:Tarao Goo)

2020年9月27日早朝(注:欧州時間)に勃発したナゴルノ・カラバフの紛争地域上で勃発した武力衝突は11月10日に停戦となりましたが、アゼルバイジャン及びアルメニア側の双方に相当な人的・物的な損失をもたらしました。
今回の再衝突は30年にわたるナゴルノ・カラバフ紛争の延長戦上にあるものであり、これによって引き起こされるであろう結果について現時点では推測することしかできません。
物的損失に関する確かな情報が少ない一方で、噂が広く飛び交い、プロパガンダ目的の未確認情報や虚偽情報がたやすく繰り返されています。
この記事では、両軍によって利用可能な映像資料を入念にチェックして、すべての立証可能な物的損失に関する分析を試みます。

ナゴルノ・カラバフ紛争はアルメニアとアゼルバイジャン間で争われているナゴルノ・カラバフとその周辺の(自称アルツァフ共和国が支配しているが国際的にはアゼルバイジャンに属していると認められている)7地域の紛争地域を巡る民族・領土紛争です。
ナゴルノ・カラバフの地位については、アルメニアとアゼルバイジャンがロシア帝国からの独立を宣言した1918年から争われています。
1920年代初頭、アルメニア人が人口の多くを占めるナゴルノ・カラバフは、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国の自治州となりました。
1988年、ナゴルノ・カラバフ自治州の議会はアルメニア・ソビエト社会主義共和国への加盟に賛成票を投じましたが、モスクワではその動きがほとんど支持されませんでした。
1991年のソビエト連邦解体後には、エレバン(注:アルメニアの首都)の支援を受けたアルメニア人分離主義者がアゼルバイジャン少数民族の故郷であるナゴルノ・カラバフの大部分と隣接する7つのアゼルバイジャンの地区を掌握しました。
これに続く紛争では 推定値で約2万5千人から3万人の人が死亡し、多くの人が故郷からの避難を余儀なくされました。
紛争中には分離主義者はナゴルノ・カラバフ共和国の独立を宣言し、2017年2月には公式にアルツァフ共和国となりました。

1994年からロシアの仲介による停戦協定が結ばれているにもかかわらず、停戦違反は一定の間隔で発生しており、その中でも2016年と2020年7月に発生した最も重大な武力衝突では数百人の兵士と民間人の死者がもたらされました。
2020年7月から9月にかけてアゼルバイジャンはトルコ陸軍と空軍が参加した一連の軍事演習を実施しましたが、それがアゼルバイジャンの自己の戦力に対する認識を深め、この紛争を有利に終わらせようとする決意を強めたものと考えられます。

アゼルバイジャン軍への軍事訓練や装備品への供給に加え、トルコはアゼルバイジャンへ無人機(おそらく電子戦装備も)の輸出も開始しています。[1]
バイラクタルTB2無人戦闘攻撃機(UCAV)がアルメニア軍の陣地上空でMAM-L誘導爆弾を投下して少なくとも3台の9K33オーサ3台の9K35ストレラ-10移動式地対空ミサイルシステムが破壊された今朝、多くのアルメニア兵はこの新たな「現実」に気づきました。
これらのシステムはシリアやリビアにおけるロシア製パーンツィリ-S1と同様に、頭上を飛ぶ無人機の脅威に全く気づかず、対応できていなかったように見えます。そして、その全てが自らに何が起こったのか知ることなく破壊されてしまいました。
トルコの無人機とそれを支援する電子戦システムの非常に効率的な使用は、その独断的な国際的役割と拡大する政治的軍事的な重要性をますます促進します(バイラクタル外交)。それは今やナゴルノ・カラバフ紛争にまで及んでおり、今回の戦闘の結果に影響を与えることは間違いないでしょう。

ただし、その大成功は、「自国の技術がナゴルノ・カラバフ紛争に使用されているという主張を聞きつけた」カナダがトルコへの無人機技術の販売停止という結果をもたらしました。 [2] 
バイラクタルTB2はカナダ製の電子光学センサとレーザー照準技術を導入しているため、
この措置は(少なくともトルコ製の代替品が投入可能になるまでの間)同機の更なる生産をしばらくは遅らせる可能性があります。現実には無人機記述の販売停止は代替となる国産無人機の研究と製造を加速させるという、(更に新しい兵器製造のカテゴリーにおいて)トルコの自給自足を促進させるだけであり、その目的の殆どを達成する可能性は僅かしかありません。



アルメニア・アゼルバイジャン双方の破壊されたり捕獲された車両の詳細なリストは以下で見ることができます。このリストは追加の映像資料が入手可能になり次第、更新されます。

このリストは写真や映像によって証明可能な撃破された車両や装備だけを紹介しています。したがって、破壊された装備の量は、ここに記録されているものよりも間違いなく多いと思われます(このリストでの「損傷」は一見して完全に破壊されたと確認できないものを含みます。つまり、明らかな全損状態以外は「損傷」としています。また、航空機については明確に撃墜や地上にて撃破された証拠がない機体を「墜落」としています)。
小火器・弾薬や検問所・バンカーのような非戦略的対象はこのリストには含まれていません。(小火器や弾薬などの)装備品の大規模な隠し場所の映像: (1) (2) (3)は、アルメニア軍が残したその備蓄量の大きさを示す良い指標となります。

※1 リストの簡素化と不必要な混乱を避けるため、アルメニアとアルツァフ共和国側の損失を一緒に紹介しています。
※2 各装備名の後にある括弧内をクリックすると撃破・捕獲された各固体の画像を見ることができます)。
(最終更新日:2020年11月15日午後9時2分)※11月15日午後8時現在までに判明したものを集計




アルメニア / アルツァフ共和国側の損失

戦車 (186, このうち破壊:115、損傷:5、捕獲:66)
装甲戦闘車両(45、このうち破壊:24、捕獲:21)※自走対空砲などを含む

歩兵戦闘車 (45, このうち破壊: 23、捕獲:22)

自走式対戦車ミサイルシステム(3,このうち捕獲:2)

牽引砲 (147, このうち破壊:110、損傷:9、捕獲:27)
自走砲 (19, このうち破壊: 16、損傷:1、捕獲:2)

多連装ロケット砲 (72, このうち破壊: 72、放棄:1)

弾道ミサイル(1、このうち破壊:1)

迫撃砲(19、このうち破壊:4、捕獲:15)

対戦車ミサイル(52、全てが捕獲、このうち8つは発射機または照準器

携帯式地対空ミサイルシステム:MANPADS (2, 全てが捕獲)

地対空ミサイルシステム (26, このうち破壊されたもの: 26)

レーダー (12, このうち破壊: 12)

電子妨害・攪乱システム (2, このうち破壊: 2)

航空機 (1, このうち墜落: 1)

無人航空機 (4, このうち墜落: 4)

トラックやジープなどの車両 (464, このうち破壊:204、損傷:14、捕獲: 227)


戦略的拠点 (22)




アゼルバイジャン側の損失

戦車 (30, このうち破壊:19、放棄:1、損傷:7、捕獲:2、捕獲された後に奪回:1)

歩兵戦闘車 (31, このうち破壊:16、損傷:2、放棄:4、捕獲:9)

迫撃砲 (1, このうち捕獲: 1)

航空機 (12, このうち撃墜: 10、墜落:1、詳細不明の損失:1)

無人航空機 (25, このうち被撃墜または墜落: 22、捕獲:3)

トラックやジープなどの車両 (30, このうち破壊: 16、放棄:6、損傷:6、捕獲:2)

         

※オリジナル版(英語版)記事の執筆における特別協力: Ilya.A, Cyrano7, Dee_Jonesyboi, Dr James Ford と Red Fox.