2021年1月1日金曜日

忘れられた抑止力:クウェートのルナ-M「FROG-7」戦術地対地ロケット・システム


著:Stijn Mitzer(編訳:Tarao Goo)

地域を不必要な軍拡競争に突入させることなく近隣諸国を抑止するための兵器システムが欲しいとき、あなたは何を入手しようと考えますか?
この質問は、クウェート指導部が1970年代のどこかで自問自答していたに違いありません。
1977年、最終的にクウェートはこの質問に対する回答をソ連の2K92 ルナ-M「FROG-7」地対地ロケット弾発射システムという形で見つけ、この調達が東欧諸国との間で締結された数々の主要な武器取引が開始されるきっかけとなりました。

1977年には5,100万ドル相当のFROG-7と9K32 ストレラ-2(NATOコード:SA-7)携帯式対空ミサイルシステム(MANPADS)を伴う取引で、クウェートは湾岸諸国として初めてソ連製兵器を取得した国となりました。[1]
当時のクウェートは従来からの欧米のサプライヤーから同様の装備を調達することが不可能であったため、従来のサプライヤーが同国が必要とする兵器システムを供給する意思がないことが判明した以降はソ連に目を向けました。
モスクワにとって、クウェートへの武器売却には他の湾岸諸国との更なる武器取引のための歓迎すべき進出を図る目的がありましたが、1980 年代半ばから後半にかけてのUAEへのMANPADSの売却を除けば、ほとんど実現には至りませんでした。[2]



サプライヤーの選択には重要な違いがあるものの、軍備の取得に関して、湾岸諸国の大半は伝統的に多様化のパターンを守ってきました。クウェートは伝統的に英国と米国製兵器の顧客でしたが、1984年に米国が同国へのFIM-92スティンガーMANPADSの販売を拒否したことがソ連にクウェートとのわずかな軍事的な結びつきを再拡大する絶好の機会を提供しました。それがクウェートが1980年代後半に9K33/SA-8「オーサ」対空ミサイルシステム、追加のMANPADS、そして200台以上のBMP-2(そしてユーゴスラビアからは約200台のM-84戦車も)の購入につながりました。[3]

クウェートは1990年に発生したイラクによる侵略でこれらの装備の一部を失うと、失ったばかりの装備を更新するために冷戦時代のパートナー(今のロシア)へ再び目を向けました。
それから間もなくして、BMP-2を代替するBMP-3やルナ-Mの代替としてBM-30「スメルチ」多連装ロケット砲(MRL)の大量発注が行われました。
現在もクウェートはロシア製兵器の主要な顧客ですが、2000 年代初頭に中国から PLZ-45 155mm自走榴弾砲を、より最近では欧米の戦闘機も取得していることは、同国が武装の多様化を推進し続けていることを明確に示しています。


9K52ルナ-M (NATOコード: FROG-7)は、9M21B核弾頭搭載ロケット弾か通常弾頭の9M21Gロケット弾を発射する短距離戦術地対地ロケット弾発射システムです。
どちらのロケット弾もスピン安定化されています。つまり、小型のロケットを使用してロケット弾を回転させて安定させることで、空力的な安定性と精度が向上することを意味します。
そうは言っても、半数命中界(CEP)は1km弱もあり、同様に射程距離は約45kmという見栄えしないものになっていますが、比較的重い390kgの弾頭(9M21Gの場合)と威圧的な外観が唯一の名誉を回復する要素と主張できるかもしれません。

1990年代にはルナ-Mは東欧圏の運用国によって現役から外され、その直後に大半の国もそれに続きました。現在までルナ-Mを運用し続けている国にはシリアやリビア、(もちろん)北朝鮮が含まれていますが、イエメンのストックはフーシ派によってサムードとゼルザール3ロケット弾に改造され、その後に戦闘で使い果たされました。
より正確な誘導ロケット弾と短距離弾道ミサイル(SRBM)が支持されているため、今や巨大な戦術ロケット弾の概念はほとんど放棄されていますが、イランだけがそのフル活用を継続しています。



クウェートに引き渡されたルナ-Mシステムの数は多少謎に包まれています。
1984年にCIAはクウェートでは12基が運用されていたと報告しましたが、この数に3発の再装填用ロケット弾を搭載する9T29輸送車も含まれていたかどうかは不明です。[3] 同年、クウェートのサレム サバーハ アル・サレム・アル・サバーハ国防相はモスクワ訪問中にルナ-Mの第2バッチ購入の契約に署名すると発表しましたが、この契約が実際に成立したかどうかははっきりとしません。[2]

クウェートによる運用ではルナ-Mが怒りに任せて発射されたことはありませんが、運用中に湾岸諸国を巻き込んだ戦闘がなかったわけでもありませんでした。イランに侵攻したばかりのイラクへの財政支援に対する懲罰として、クウェートは1980年代を通じて自国がイランによる空爆や砲撃を受ける側であることを理解しました。
そして1990年、(数ある問題の中でも)イラン・イラク戦争の融資としてクウェートがサッダーム・フセインに貸した資金について言い争った結果、クウェートはイラクに侵攻されました。戦争の結果として財政的に麻痺し、クウェートへの負債が残るのを嫌がったサッダームは、その貸し手を単純に排除することを選択したのです。

イラクの侵攻前、クウェートの兵力1万人規模の陸軍は、2つの戦闘旅団(機甲旅団と機械化旅団)、1つの戦闘支援旅団と支援部隊で構成されていました。1990 年 8 月 2 日にこれらの部隊はイラクの進撃を阻止するために基地から緊急出撃しましたが、 (おそらく)ルナ-Mは動員が間に合わずイラク人の手に落ちた可能性があります。
イラクの猛攻撃を阻止するためのクウェートの英雄的な奮闘については、Helion & Companyの「Desert Storm Volume 1: The Iraqi Invasion of Kuwait & Operation Desert Shield 1990-1991」を必ずチェックしてください。

クウェート侵攻後のルナ-Mシステムの運命は不明ですが、イラクに捕獲され、チーフテン戦車やM113などのクウェート軍の装備と共に持ち去られたと推測されます。すでにルナ-Mの運用者であったイラクは同システムを自軍に編入した可能性があり、おそらく2003年のイラク侵攻時でも有志連合軍に対して使用されたかもしれません(注:あくまでも可能性です)。


クウェートのルナ-M中隊が移動しています(下の画像)。クウェートは一般的なソ連のルナ-M中隊を構成するオリジナルの車両よりも米国製のM35トラックと英国のランドローバーを使用することを選択したようですが、クウェートが保有している別の西側製車両のメンテナンスやスペアパーツの物流を複雑にすることになったでしょう。



下の画像を見ればよく分かるとおり、ZiL-135 8×8トラックのステアリング機構は前後の車軸のみが使用されています(注:中間の2つの車軸は使用されていないということ)。珍しいことに、このトラックには左右に2つのエンジンがあり、時速65キロの最高速度をもたらします。[4] 
また、TELの最後部だけでなく第一車輪と第二車輪との間にもある巨大な安定板(ジャッキベース)にも注目してください。もちろん、これらは重い9M21ロケット弾を発射する際に生じる大きな力に対し、発射機を固定することを目的としたものです。


(1977年に調達された)9P113型輸送起立発射機(TEL)6台と9T29型輸送車6台は1981年のクウェート建国20周年記念日の大規模なパレードで初披露され、1984年のパレードでも再披露されました。





イラクから受けた侵略で軍備の大部分を喪失した結果として、クウェートは1990年代の大半を軍備の再建に費やしました。
興味深いことに、クウェートはバーレーンのように米国製MGM-140 ATACMSとM270 MRLSのセットを入手するよりも、再びロシアへ目を向け、BM-30「スメルチ」300mm MRLを調達しました。当然ながら、ルナ-Mと比較すると射程距離が長く、ロケット弾の数が12倍と増えて精度も大幅に向上したため、BM-30はクウェート陸軍にかなりの火力増強をもたらします。このMRLがその特性から評価を受けることは間違いないでしょう。
かつてルナ-Mは中東の軍事バランスの中では有益かつ重要な存在でしたが、(それがいかに素晴らしく見えたとしても)今では歴史の片隅に追いやられています。


[1] ARMS TRANSFERS TO THE PERSIAN GULF: TRENDS AND IMPLICATIONS https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp83b00851r000100090003-4
[2] MOSCOW COURTS THE ARAB MODERATES https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp85t00287r001400840001-6

[3] MILITARY CAPABILITIES OF THE SMALLER PERSIAN GULF STATES https://www.cia.gov/library/readingroom/document/cia-rdp85t00314r000200090002-0
[4] Trucks Planet.com https://www.trucksplanet.com/catalog/model.php?id=2236


 ※  この翻訳元の記事は、2020年12月22日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。

おすすめの記事
都合の悪い武器:中東における北朝鮮の武器

2020年12月26日土曜日

カスピ海の水陸両用機:見つけにくいアゼルバイジャンのベリエフ飛行隊

著:Stijn Mitzer(編訳:Tarao Goo)

カスピ海は世界最大の内陸湖として知られ、膨大な石油やガスの埋蔵量、そしてもちろんカスピ海の怪物でも知られています...ちょっと待ってください – カスピ海の何ですって!?
カスピ海の怪物!
西側の情報機関を困惑させた(ロシアではエクラノプランとして知られている)地面効果翼機は、ロシア人でさえも素晴らしいだろうが決して軍事的・民間的な用途に適合する実現可能なプロジェクトではないという結論を出しました。

エクラノプランによって完全に目立たなくされているのは、カスピ海の上空で(そして水上で!)運用されている水陸両用機のベリエフ・シリーズです。ベリエフ機はほぼ間違いなく華やかさではエクラノプランより見劣っていますが、はるかに有益なやり方で彼らの運用者に貢献しました。現時点でカスピ海において水陸両用機を運用しているのはアゼルバイジャンのみであり、同国では消防や捜索救助、そして乗客輸送用に1機のBe-200を運用しています。

それでも、アゼルバイジャンの水陸両用機の運用歴は、もともと対潜・海上哨戒用に設計された3機のソ連のBe-12を受け継ぎ、不安定なカスピ海での捜索救助任務に使用していた1990年代初頭にまで遡ります。
Be-12は1990年代後半か2000年代初頭に退役となるまで、さらに数年間にわたって運用が続けられていたようであり、(スクラップが決定されて)最終的に全機が解体された2018年まではバクーのカラ空軍基地で保管されました。

     

アゼルバイジャンの運用では、Be-12もBe-200も海軍の指揮下には入っていませんでした。
アゼルバイジャンは1919年に海軍航空隊と専門化された軍事海上航空学校を設立しましたが、人々は同国がそれらを世界で最初に保有した国の一つであるという事実自体に驚かされるかもしれません。 [1]
残念なことに、この国が1920年にソビエト・ロシアからの侵略を受けて占領されたことから、これが新たに独り立ちした国で長続きすることはありませんでした。その過程で約2万人のアゼルバイジャン兵が独立を守るために命を落としました。[2]


1991年、アゼルバイジャンは独立国家としての地位を再確立し、沖合にある石油・天然ガスの著しい埋蔵量を背景に急速な成長と近代化を経験しました。
この成長に伴って新たな責任が生じたことから、アゼルバイジャンは2005年に山火事、土砂崩れや地震などの災害に対処するため、ロシアの組織 (MChS)を手本にしてアゼルバイジャン共和国非常事態省(Azərbaycan Respublikası Fövqəladə Hallar Nazirliyi) を設立しました。 

非常事態省(FHN)の設立からまもなくして独自の航空隊も編成されました。同航空隊は、2007 年 6 月に MChS で初飛行し、その後 1 年足らずでアゼルバイジャンに引き取られた1機のBe-200ES/Be-200ChS (シリアル:FHN-10201, かつてのRF-32768) と(後に引き渡された)数機のKa-32A1とMi-17ヘリコプターで構成されていました。[3]
アゼルバイジャンはBe-200の最初にして唯一の海外顧客です。
 
 
ロシアと同様にアゼルバイジャンもBe-200 を主に消火任務で使用していますが、時には他の任務でもこの機体を使用することがあります。2014年4月、壊滅的な地震が直撃したネパールへの人道支援物資の輸送に使用されたときにBe-200はその時点で最も長距離の飛行ミッションを経験しました。 [4]
しかし、ロシアと違ってアゼルバイジャンは他国での消火活動に飛行機を投入したことはありません。ロシアの運用では、Be-200はイタリア、ギリシャ、セルビア、ポルトガル、インドネシア、イスラエル、トルコに派遣されたことがあります。各国への派遣では、約12トンの水を投下できる同機の能力が大きな利益をもたらしました。


Be-200を「飛行艇」と間違えるのは簡単ですが、この機体が持つ二重の能力は同機が「水陸両用機」と呼称されることが当然であることを保証します。
原則として、水上機は一般的には3つに分類されます(注:著者の見解による)。
  • フロート水上機:機体の下にフロートが取り付けられた小型機で、そのフロートが水と接触する唯一の部分となります。
  • 飛行艇:胴体が水面に接する水上機で、一般的に大きいです。
  • 水陸両用機:水上での運用に加えて通常の飛行場への離発着が可能であり、高い頻度で陸上を拠点にしています。

着水に成功したBe-200がランプ(傾斜台)を上って陸地へタキシングしています(下の画像)。
アゼルバイジャンではランプを用いた機体の回収方法は採用されていないようであり、その代わりにバクーにある(2003年に亡くなった前大統領の名にちなんで改名された)ヘイダル・アリエフ国際空港の敷地内からBe-200を飛ばしています
 
アゼルバイジャンにおけるBe-12の運用歴についてはあまり知られていません。
判明しているのは、3機とも High Command of the Southern Direction(GKVYuH):Главное Командование Войск Южного Направления (ГКВЮН)直属の第300独立混成飛行隊から継承されたものということだけです。
1984年の創設から解隊されて1992年にアゼルバイジャンに吸収されるまで、 第300飛行隊はAn-2、Tu-134、Il-22、Be-12、Mi-2、Mi-6、Mi-8やKa-27を含む、魅力的な航空機とヘリコプターを運用していました。[5] 

2000年に初めてBe-12が撮影された時点で、運用し続けられていた(または少なくとも無傷の状態であった)2機はソ連の国籍マークとシリアルが塗り替えられていましたが、それ以外にはアゼルバイジャンのマーキングが施されていなかったため、新しい運用者の下ではどちらも多く使用されることがなかったことを示している可能性があります。
もちろん、Be-12の乗員がソ連崩壊後に祖国に戻ったロシア系民族であり、それがアゼルバイジャンによる運用を妨げている可能性も十分に考えられます。 

ナンバー「30」のBe-12は胴体の後部がねじれて裂けており、垂直尾翼の半分と主翼の一部も欠損しているので、どうやら何らかの事故に遭ったようです。この事件が発生したのは同機がまだソ連での運用中の時点だったのか、それとも独立したアゼルバイジャンに引き継がれてからだったのかは不明ですが、赤い星の上に描かれたアゼルバイジャンの国旗が後者であることを暗示しているように思われます。
このように、アゼルバイジャンの国籍マークを受けた唯一のBe-12が現在では運用不能となっている機体でもあったことには興味深いものがあります。
 

第300独立混成飛行隊でも運用されていたKa-27は、対潜装備の代わりにウインチを装備した捜索救助型のKa-27PSでした。
バクーのカラ空軍基地で何年も放置された後、Ka-27は大規模なオーバーホールを受けるためにロシアに送られてKa-32S捜索救助ヘリにされました。[6]
その後、バクー・ガラ空軍基地からアゼルバイジャン海軍と沿岸警備隊を支援するために第4飛行隊によって運用されましたが、現在の運用状況ははっきり分かっていません。

また、FHNも消火活動を主任務とする数機のKa-32(A1)を運用しており、バクーの南にあるサンガチャル空軍基地拠点にしています。 
2010年12月にイスラエルのハイファ近郊で発生したカルメル山での森林火災での消火活動にFHNの1機のKa-32と1機のMi-17が投入されました。
イスラエルが国際的な支援を要請した後、パレスチナ、ロシア、トルコ、そしてアゼルバイジャンを含む数カ国が各自の消火装備を投入し、約3日後に鎮火しました。[7]
 

Be-200は「カスピ海の怪物」の威容には敵わないかもしれませんが、その独特な能力によってその差を十二分に補っていることは断言することができるでしょう。
その実用性が「カスピ海の怪物」の伝説より長持ちするかどうかは現時点ではまだ分かりません。しかし、好調な受注残高とロシアの海軍航空隊でさえも運用が初期段階にあることから、Be-200はアゼルバイジャン・ロシアであろうと別の国であろうと、前途有望な運用寿命が始まったのかもしれません。[8]





















引用資料
[1] Ministry of Defence of the Republic of Azerbaijan - Navy forces https://mod.gov.az/en/navy-forces-755/
[2] Pope, Hugh (2006). Sons of the conquerors: the rise of the Turkic world. New York: The Overlook
[3] https://russianplanes.net/reginfo/1935
[4] Azerbaijan sends humanitarian aid to Nepal https://azertag.az/en/xeber/Azerbaijan_sends_humanitarian_aid_to_Nepal_VIDEO-851019
[5] http://www.ww2.dk/new/air%20force/squadrons/osae/300osae.htm
[6] Azerbaijan Armed Forces parade https://aviagraphers.net/index.php/armed-forces-reports/67-azerbaijan-armed-forces-parade
[7] Prezident İlham Əliyevin tapşırığı ilə Fövqəladə Hallar Nazirliyi İsraildə meşə yanğınları ilə əlaqədar bu ölkəyə iki helikopter göndərmişdir http://old.xalqqazeti.com/az/news/social/7580
 
※ 2, 8, 9,10番目の画像は Torfaen Corvine 氏が撮影したものです。
  

 ※  この翻訳元の記事は、2020年12月9日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。また、High Command of the    Southern Direction(GKVYuH)の正確な日本語表記が不明のため英語・ロシア語表記
  のままとしています(ご存じの方はお知らせいただけますと幸いです)
  
おすすめの記事

ナゴルノ・カラバフの戦い2020:アルメニアとアゼルバイジャンが喪失した装備(一覧)

2020年12月15日火曜日

誰もが忘れた沿ドニエストルの戦勝記念パレード

著:Stijn Mitzer(編訳:Tarao Goo)

公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれる沿ドニエストル(トランスニストリア)はモルドバとウクライナの間に位置する分断国家であり、1990年にソビエト社会主義共和国として独立を宣言した後の1992年にモルドバから流血を伴った離脱をして以来、世界からの注目を避け続けています。
1992 年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの状況は 1990 年代と同様に複雑のままです。同国はロシア連邦への加盟を希望する儚い国でありながら、経済産出量としてモルドバへのわずかな農産物の輸出に大きく依存し続けています。

現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国と(何とか残った)アルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)共和国のみから承認されていますが、沿ドニエストルは自らの陸軍と航空兵力、そして独自の軍需産業を持つ事実上の国家として機能しています。沿ドニエストルは本質的には依然としてハンマーと鎌をその国旗の中で使用している – KGBでさえも主要な治安機関として保持し続けているソビエト社会主義共和国です。

ロシアは現在でも沿ドニエストルに限られた軍事的プレゼンスを維持しており、ロシア兵は公式に国内で平和維持活動を行っています。
2020年にはCOVID-19の世界的大流行により、第二次世界大戦終結75周年の戦勝記念日に関する行事が延期され、4月21日にはクラスノセリスキー大統領が戦勝記念日パレードの中止を正式に発表しました。
その後の6月24日に、パレードをモスクワでの戦勝記念日パレードの当日であり、独立30周年の日でもある9月2日の共和国記念日に開催することが発表されました。


どのような装備が紹介されるかという点においては、沿ドニエストルの軍事パレードはそのほとんどが過去の繰り返し(注:参加する装備に変化が見られないということ)ですが、まさにそれがパレードを面白いものにしています。
世界で開催されている殆どの軍事パレードは、通例ではその国が開発・入手した最新型の兵器が含まれる壮大なショーですが、沿ドニエストルの場合は従来の方法では旧式装備を更新することができないため、その代わりとして、様々なDIY装備とソ連製の覚えにくいAFVを混ぜ合わせた独特のブレンド品を紹介しています。

沿ドニエストルのエキゾチックな装備と車両の構成がなされるようになったのは長く複雑なプロセスを経た結果であり、それはソ連崩壊の直後まで遡ります。
ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していたた人員や関連する兵器類の多くは、それらが所在する地で新しく誕生した国に所属することになりました。このプロセスは旧ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、沿ドニエストルに駐留していたソ連地上軍第14軍が遭遇した問題はこれだけではありませんでした。


第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家である沿ドニエストル(トランスニストリア)に配置されており、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアや新たに形成された沿ドニエストル共和国に所属しました。
モルドバ政府よれば依然として同国領土だった地域への1992年の侵攻(トランスニストリア戦争)の間、 第 14 軍の大量の武器と弾薬は(沿ドニエストルを自らの支配下に戻そうとするモルドバの試みを撃退するために)沿ドニエストルの現地住民(部隊)に引き継がれ、結果として4 ヶ月後に停戦が宣言されるまで短期間ながらも激しい紛争に至りました。

沿ドニエストルが領土内の武器保管庫の大部分を掌握した際には大量の高度な特殊車両を受け継ぎましたが、(自走)砲や歩兵戦闘車両(IFV)は僅かな数しか残されていませんでした。 
沿ドニエストルに存在していた限られた量のIFVなどは戦争終結後にロシアに返還されたため、PMRには世界の数カ国でしか使用されていない工兵車両の豊富なストックが残され、その一方で大砲やIFVのような装備はほとんど完全に取り上げられてしまいました。
東ヨーロッパの未承認国家、希少な工兵車両、様々なDIY装備...非常に興味深い軍事パレードには必要とされるすべてのネタがあります!



今年のパレードは、(1945年5月2日のベルリン攻防戦でソ連の赤旗を帝国議会議事堂の上に掲げた兵士が所属していた)クトゥーゾフ勲章2級授与第150親衛狙撃兵師団(名誉称号「イドリツァ」・「ベルリン」)の旗のコピーを掲げた儀仗兵の入場から始まりました。また、(未だにロシアとの統一を望んでいる)沿ドニエストルとロシアの国旗も掲げられていました。



パレードに参加した1200人以上の軍部隊と法執行部隊を観閲したのは、ワジム・クラスノセルスキー大統領、オレグ・オブルチコフ国防相とイーゴリ・スミルノフ初代大統領(1991年~2011年)を含むPMRの指導者たちでした。
下の写真からPMRがソビエトに起源があることを特定するのにロケット科学者は必要ありません(注:国章で一目瞭然ということ)。それ故にクラスノセルスキー大統領の個人的な見解には驚くべきものがあります。大統領は「古き良き時代のソ連」に憧れる人々とは全く対照的であり、10月革命を「大惨事」と呼び、ボリシェビキを「裏切り者」と言及し、ソ連の指導者よりもロシア帝国の指導者を称えることを提案しています。
また、彼は君主制主義者としての姿も現しており、ソ連時代のシンボルはこの国と無関係であるとし、トランスニストリアをソ連の断片と見なすべきではないと主張しました。この時点でご想像いただけるかと思いますが、この「国」は分析してみると非常に面白いものがあります。


左: オレグ・オブルチコフ国防相(少将)、中央:ワジム・クラスノセルスキー大統領、右:イーゴリ・スミルノフ初代大統領

パレードの参加者や観衆に向けて演説したクラスノセルスキー大統領は次のように述べました。

「それ(COVID-19)が我が国の発展を遅らせたものの、ストップさせることはなかったと強調したいと思います。私たちは社会インフラの構築と近代化、投資家の誘致、そして私たちのトランスニストリアの近代化を続けています。時間はいかなる困難も一緒にならば乗り越えられることを示しています。
軍司令官は、この国の人々の「団結・連帯・勇気」が、大祖国戦争での抵抗と勝利と1990年代初頭のトランスニストリアの建国と防衛に寄与したと語りました。私たち沿ドニエストル人は、大切な記憶がいかに重要であるか、世代の継続性を知っている賢明な人々です。過去を記憶し、現在を創造し、私たちは、私たちの大地で、私たちの法律に従って、未来を共に構築していきます。今までそうであったように、これからも同様にです。この日、私はロシア連邦に最も温かい感謝の言葉を表明します。友愛的関係と支援と平和に感謝します。」


第二次世界大戦と1992年のトランスニストリア戦争の犠牲者に敬意を表して、パレードの出席者は1分間の黙祷を捧げました。



今年の8月初頭には、沿ドニエストルの小規模な陸軍航空隊の本拠地でもあるティラスポリ空軍基地の誘導路でパレードの練習が行われ始めました(航空隊については今後の記事で紹介する予定です)。 パレードの訓練をしている兵士や車両の映像はで視聴することができます。パレード本番の模様はで視聴することができます。




UAZ-469の上から閲兵部隊に敬礼するオレグ・オブリュチコフ国防相(下の画像)。
これらのオフロード車は新しいホイール(キャップ)で「アップグレード」されていますが、UAZ-469のノスタルジックな外観と完全にマッチしていません。



多くのソ連後継国家で軍事行進の標準となっているように、歩兵分野では2つの女性部隊も行進に参加しました(下の画像)。





ソ連のSKSカービンとAK-74を手にした儀仗隊の兵士たちがスヴォロフ広場を行進する部隊に注目の姿勢をとっています(下の画像)。沿ドニエストルの軍隊はAK-74(74Mを含む)とAKS-74をほぼ全般的に装備しており、SKSは主に式典における儀仗兵によって使用されています。




下の画像はパレードに参加する部隊の概要を示しています。閲兵部隊には、機械化歩兵、空挺部隊(VDV)の降下兵、特殊部隊、ドニエストル即応部隊、国境警備隊と内務省の部隊が含まれています。


すでに気づいているかもしれませんが、沿ドニエストル軍の制服はロシア軍のものと区別がつきません。同軍では、デジタルフローラ迷彩とゴルカ(防寒服)の制服はどちらも現用です。下の画像では、小さな沿ドニエストル国旗のベルクロ式パッチにも注意する必要があります。




他の多くのソ連後継諸国と同様に、沿ドニエストルにも依然として(一般的にVDVとして知られている)空挺部隊が編成されており、下の画像ではAKS-74を携行しています。VDVは航空隊の An-2やMi-8を用いた訓練を受けていますが、モルドバとの間で紛争が発生した場合はその大半が地上部隊として活用されることでしょう。



緊急対応特殊部隊(SOBR)に所属する兵士たち(下の画像)。SOBRは非常時には通常の警察で使用可能な即応部隊として機能します。 これもソ連時代の遺産です。



十分に装備された平和維持部隊(MC=миротворческих сил )がAK-74Mを手にしながら行進しています(下の画像)。沿ドニエストルは未承認国家のままなので、 この部隊をどこに展開させるのかという疑問が(おそらく)解消されることはないままでしょう。



下の画像では、国防省の将校やティラスポリ司法学院(注:内務省が管轄する教育機関)の士官候補生たちが派手な制服と典型的なソ連式の制帽を披露しています。




ケバブ店を背景に、パレードの車両部門を先導する式典用のT-34/85戦車がガタゴトと音を立てて通り過ぎます(下の画像)。
これらの戦車をパレードで展示する目的は単に第二次世界大戦の従軍兵士たちに敬意を表することだけにありますが、T-34/85がイエメンや北朝鮮などの国では現役であることに言及しなければなりません。
北朝鮮におけるT-34の運用と施された改修に関する詳細は、私たちの本で読むことができます



T-34/85の乗員が第79親衛狙撃師団の旗を掲げています(下の画像)。この師団は1943年に沿ドニエストルでのドニエプル川の戦いに参加して戦後もドイツ駐留ソ連軍部隊の一員として活躍し、1992年にウズベキスタンのサマルカンドで解隊されました。
戦車の砲身に描かれた5つのキルマークにも注目です。



T-34/85に続いて、132mmロケット弾を搭載したBM-13「カチューシャ」多連装ロケット砲、ZIS-3 76mm野砲を牽引するYaG-6トラックやGAZ-67オフロード車といった、より式典用らしい記念車両が登場しました(下の画像)。 第二次世界大戦当時からのものということになっている多くの旧ソ連時代の車両がそうであるように、実際にはこれらが当時の車両に似せて改造されたより近代的なトラックであることに注意してください。
BM-13の場合は戦後製のZIL-157トラックをベースにしたレプリカです。





トラックに乗車している第二次世界大戦時の制服を着用した部隊がPPSh-41を手にしていますが、下の画像からは一丁だけPPD-34/38短機関銃と思しき銃も見えます。
よく見ると実際にはこれらが偽物であることがわかりますが、そのようなことを一体誰が気にするでしょうか?



また、このパレードにはアメリカ「陸軍」のウィリスMB「ジープ」と、第二次世界大戦中にナチスドイツで使用されたものに似た、模造品のMG42機関銃を装備したサイドカーも登場しました(下の画像)。




サイドカーは世界の多くの軍隊からその存在を史料からも追いやられていますが、沿ドニエストル軍では現在でも活躍しています(下の画像)。たまに演習にも登場しているので、同軍での運用状況を確認することができます。
サイドカーの機関銃手はRPK-74M 5.45mm 軽機関銃を構えています。



次にパレードに登場したのは、装甲車から転用した1丁のPKT 7.62mm軽機関銃で武装した数台の独自型バギーでした(下の画像)。
これらの非装甲バギーは被弾を避けるためにその小さなシルエットとスピードを頼りにしています。パレードでは沿ドニエストルの特殊部隊と一緒に登場しました。



このバギーには派生型があり、そのほとんどが軽機関銃(通常は7.62 PK/PKM、下の車両の場合はRPK-74 5.45mm)を1丁装備しています。派生型には水陸両用型も存在します!



軽偵察車のための独自の解決策を考え出すという、より深刻な試みはラーダ・ニーヴァ4x4で見られました。同車はランドローバー・ディフェンダーに類似した軽偵察車として容易に改造することができ、市場で容易に入手可能な民生車です。



話題をパレードに戻しますと、2種類のBTRがパレード会場に入ってきました(下の画像)。
まずは、BTR-60の車体をベースにした指揮車両であるR-145BMです。同車は1基の折りたたみ式フレームアンテナ、1基の高伸縮式マスト、5台の無線機などの特殊装備を搭載しています。



続いて、沿ドニエストル軍の主力APCであるBTR-70が登場しました(下の画像)。それにもかかわらず、旧式のBTR-60も現役で運用され続けています。




このパレードに目を光らせている人は、(縦二列で行進している)BTRの列の片方には6台、もう一列の列には5台しかいないことに気づいたかもしれません。 映像をよく観察してみると、1台のBTR-70がメイン会場に到着する直前に煙を上げて隊列から離れていく様子が分かりますが、幸いにもほとんどの観衆の視界には入っていませんでした。



堂々とした姿のT-64BVは沿ドニエストル軍で唯一使用されている戦車です(下の画像)。
T-64は1992 年のトランスニストリア戦争に投入され、数台がモルドバ軍によって破壊されました。
現在のモルドバは戦車を運用していないため、今後の紛争で戦車戦が発生することは基本的にありません。




これらの後にはパレードの中で最も興味深い部分であるIRM、UR-77、BMP-2、9P148 「コンクールス」の列が続きます。



少数しか生産されなかったIRM「ジューク」は、ソ連軍で使用されたAFVの中で最も見つけにくい車両の1つです(下の画像)。
地上と河川偵察用の戦闘工兵車両として設計されたIRMは、ソナー送受信器付き音響測深機、地雷探知機と専用の2本のアーム、アイスドリル、水中で航行・方向転換するための2つの格納式プロペラ、泥から脱出するための16基の9M39ロケットエンジンを搭載した2つのケースなどの多数の専用装置を装備しています。
武装は近距離での自衛用として、IRMは小型砲塔にPKT 7.62mm機関銃を装備しています。
IRMと沿ドニエストルの関係で面白いところは、同国はほとんどの国が持つ一般的な装備が不足しているにもかかわらず、渡河用の特殊車両をヨーロッパで最も多く保有していることです。




IRMの直後には UR-77地雷原処理車が続いています(下の画像)。この車両は味方の部隊が前進するための安全な通路を開くために地雷除去用導爆索を使用しますが、おそらく最もよく知られているのはシリア内戦における破壊的な用途でしょう。シリアでは建物に陣取る敵を追い出すために、対象とする建物自体が存在する区画全体の一掃に使用されました。
沿ドニエストルでは、UR-77の現代的な使用法を見つけることは想像以上に難しいと思われます。 




UR-77 の後ろから9P148「コンクールス」対戦車ミサイル(ATGM)搭載車が迫ってきています(下の画像)。同車は(搭載されているのが見える)旧式の 9M111と、より高性能な 9M113の両方を使用することが可能です。9P148は最近では2020年のナゴルノ・カラバフ戦争においてアルメニア側で使用されており、適切な状況下で使用されるのであれば、強力な兵器システムであり続けるでしょう。



次の装備は沿ドニエストルのパレードでは初登場でしたが、全く予想外というわけではありませんでした。ごく僅かな数のBMP-2歩兵戦闘車(IFV)が沿ドニエストル軍で運用されていると考えられています。興味深いことに、BMP-2はパレードの訓練に登場しませんでした。実際のパレードに土壇場で追加されたものと思われます(下の画像)。




今年の軍事パレードではBTRG-127「バンブルビー」の未登場が注目に値します(下の画像)。
2016年に初めて就役した、このユニークな装甲兵員輸送車(APC)はソ連のGMZ-3地雷敷設車をベースにしており、現地で改造されて地雷敷設装置の代わりに大型の兵員区画が設けられました。また、 Afanasev A-12.7機関銃が1門装備され、その機関銃手用のスペースも設けられました。
BTRG-127「バンブルビー」についての記事はこちらで読むことができます



BTRG-127とは対照的に、過去のパレードには登場していたにもかかわらず今回は未登場だった、もう一つの注目すべき装備はBMP-1の派生型であるBMP-1KSh指揮通信車です(下の画像)。
2A28「グロム」73mm低圧砲は、10mの長さの伸縮式マストとTNA-3ジャイロ式航法装置、追加の無線機のみならず電信や電話装置、発電機やアンテナに置き換えられました。
これらを装備した結果として、砲塔は定位置に固定されました。



別の沿ドニエストルが保有している珍しいタイプの車両では、GT-MU多目的装甲車があります(下の画像)。
現代の世界ではGT-MUが登場する機会が皆無に近いことから、その存在を知っている人はごく僅かしかいません。それでもなお、GT-MUはSPR-1移動式電波妨害システムを含むいくつかの高度に特化された派生型のベース車両として活用されました。

当初から多目的プラットフォームとして設計されていたため、沿ドニエストルは必要以上に保有しているGT-MUのいくつかを指揮観測車や即席の対戦車車両に改造しました。その詳細はこちらで読むことができます


 

GAZ-66トラックとUAZ-452 オフロード・バンが120-PM-38/43 120mm迫撃砲を牽引しています(下の画像)。



下の画像のZiL-131トラックに牽引されたZU-23 23mm対空機関砲(下の画像)のように、さまざまな種類の牽引式の対空砲や対戦車砲がパレードの最後尾を形成していました。 




沿ドニエストルは、ヨーロッパで最後のZPU-4 14.5mm対空機関砲の運用国になる可能性が大いにあります(下の画像)。




D-44 85mm野砲をUral-375Dトラックが牽引しています(下の画像)。
この砲のパッとしない装甲貫徹能力は、モルドバがそもそも機甲戦力を全く運用していないことで緩和されています。



MT-LB装甲牽引車は、上記のD-44に比べて確実に能力が向上しているMT-12「ラピーラ」100mm対戦車砲を牽引しています(下の画像)。
この砲から発射されるHEAT弾は厚さ400mmの装甲を貫通することが可能です。それと比べてみると、モルドバが運用しているBMD-1は車体の大部分が厚さ15mm以下の装甲板で覆われており、最厚部でも33mmしかありません。





沿ドニエストルとモルドバの両軍で運用されているAZP S-60 57mm対空機関砲も登場しました(下の画像)。対地攻撃用途における機関砲の機動性を向上させるために、後者はかつてBM-27 220mm多連装ロケット砲システム(MRL)を構成していた(今ではロケット砲が撤去された)ZiL-135トラックにまで搭載しています




KS-19 100mm高射砲は沿ドニエストル軍が保有するもので最も強力な対空砲ですが、同軍の保有リストには牽引砲と自走砲の両方が欠けていることから、1992年の戦争以降はそのほとんどが普通の砲兵戦力として用いられています(下の画像)。
対地攻撃のためにこの旧式砲を再利用している国は沿ドニエストルだけが唯一ではないことは確実であり、シリアとアルメニアもそれを踏襲しています。
興味深いことに、イランは別目的に転用せずにレーダーや電子光学装置と組み合わせたり、自動装填装置を装着することで、本来の用途での有効性を向上させることに力を入れています。




今年のパレードの車両部門を締めくくったのは「プリボール-1」MRLでした(下の画像)。
このMRL(生産工場では「プリボール」と呼ばれていますが、正式には「S1T」や「1ST」として知られています)は、ZiL-131トラックと、(BM-21と同様の働きをする)独自の起立式122mmロケット弾発射システムを組み合わせたものです。
しかし、BM-21との最大の違いは1回の斉射で発射できるロケット弾の総数が、BM-21の40発からプリボール-1のわずか20発までの50%も低下したことにあります。





現在では、プリボール-1はより優れている(正式には「S2T」や「2ST」として知られている)プリボール-2に取って代わられています(下の画像)。この新MRLは今回のパレードに未登場だった注目すべき装備の一つです。
プリボール-1の20本のロケット弾発射器チューブとは対照的に、プリボール-2は1回の斉射で48発という目を見張るような数の122mmロケット弾を発射することができます。
(他のMRLのデザインと比較すると)民生用のカマズ-4310トラックをベースにしたプリボール-2は、12連装の122mmロケット弾発射器チューブを4基という興味深い配列と、発射器を後ろ向きに搭載している点で際立っています。
プリボール-2に関する私たちの記事はこちらで読むことができます



記念式典は、ティラスポリの上空に大きな音を響かせながら火花を散らす8門のD-44 85mm 対戦車砲による祝砲で締めくくられました





沿ドニエストルにおける戦勝記念日のパレードは、ほかの場所で行われている現代的なパレードよりも確かに華やかさが少なめですが、その不足分のすべてがパレードに登場する軍用装備の多彩な構成で補われています。
モルドバと沿ドニエストルが現状(分断状態)を打開できるかどうかは不明ですが、筆者の見解では、この見応えのある伝統(パレード)は今後も確実に生き残るはずです。



[1] В столице состоялся парад в честь 30-летия республики и 75-летия Победы gov-pmr.org/item/18429



 ※  この翻訳元の記事は、2020年11月30日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。

おすすめの記事