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2025年2月8日土曜日

贅沢への渇望:ヤヒヤ・ジャメのカー・コレクション(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2022年12月27日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです(編訳者は一覧の精査には関与していません)。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 西洋医学では喘息を治療できないと言われていますが、私は5分で治療できるのです:ヤヒヤ・ジャメ

 国外に追放されたガンビアのヤヒヤ・ジャメ元大統領は、(在任中に)アフリカ大陸で最小の国の元首にしてアフリカ大陸最大のVIP専用機と高級車コレクションを所有するという好奇心をそそる名誉を誇っていました。彼がこういった偉業を成し遂げた時点で、自国は国民の半数が1日2ドル以下で生活しているという、世界で最も貧しい国の一つという有り様でした。[1]

 22年間という長期の在任期間中、ジャメは国営企業から数千万ドルを横領し、さらに国の年金基金で自家用ジェット機を購入したことが知られています。[2]

 1994年のクーデターによる政権奪取から2017年の失脚までの間、彼は不正に得た富の多くを高級車や自家用ジェット機、宮殿に費やしたのです。

 セネガルとの国境に近いカニライという僻地の村に生まれたジャメは、この村を自らの支配力とイメージの象徴とすべく、かつての故郷を自身の本拠地へと拡大する大規模なプロジェクトを実行に移しました。これには、大統領官邸、家族や熱烈な支持者のための住居、高級ホテル、モスク、私設動物園、そしてなぜかレスリング競技場の建設が含まれていました。[3]

 その広大な敷地は、「T-54」戦車や「BRDM-2」偵察車、「ZU-23」23mm対空機関砲で武装した軍によって厳重に警備されていました。この私兵は、彼が7台所有する「ハマーH2(SUT)」リムジンのうちの1台で国を駆け巡る、悪名高いドライブにも同行しています。

 ジャメは2017年の選挙で敗北後、潔く辞任するどころか、対立候補の勝利を認めない状態を可能な限り長引かせ、(成功裏に)国庫を空にし、赤道ギニアへの亡命前に一台でも多くの車を国外に空輸しようと試みました。実際、ジャメの国外退去を促す取引が成立したのは、アダマ・バロウ新大統領がジャメの愛車13台の所有とそれらを赤道ギニアにある亡命先の自宅まで持ち出すことを保証した後だったのです![4]

 ちなみに、ジャメの敗因は、自分が簡単に勝てると思い込んでいたため不正を働かなかったことにあります。

 赤道ギニアに旅立った後のジャンメがHIV/AIDSと喘息、そして不妊症の患者を治療する治療師としての活動を続けているかどうかは不明です。彼が残した数少ない永続的なレガシーと言えるのは、宮殿から宮殿への移動を容易にするためガンビア各地に建設した舗装道路かもしれません。

 2017年に当局が国内各地にあるジャメの資産を捜索したところ、プライベートでの使用や警備のために所有する100台以上の車両に遭遇しました。 [5]

 ちなみに、全ての車のシートには、「シャイフ・プロフェッサー・アルハジ・ドクター・ヤヒヤ・アブドゥル=アズィーズ・アワル・ジェムス・ジュンクング・ジャメ・ナーシル・ディーン・バビリ・マンサ閣下」と彼のネームが入っていました

ジャメの亡命後に、13台の彼の高級車たちが赤道ギニアへの空輸を待っている様子

 ジャメが所有した車の大部分は、アメリカ、ドイツ、イギリスから調達したものでした。

 彼はメルセデス・ベンツ「Sクラス」やロールス・ロイス「ファントム」に目がなかったようですが、ハマー「H2(SUT)」リムジンほどお気に入りの車種はなかったようと見受けられます。彼が数年にわたって合計で7台のハマー「H2」リムジンを購入したことからも、その度合いを察することができるのではないでしょうか。7台のうちの2台は、2008年にリビアのムアンマル・カダフィがガンビアを訪問した際に100台超の車列にいたことが記録されています。この時、皮肉にもカダフィはアメリカ主義の見本のような車の席に座ったのでした。[6]

 また、ジャメは国家承認を台湾から中国に切り替えた後、同国から贈呈された長城汽車「哈弗・派 (ホバー・ピ)」リムジンも2台所有していました。

 ところで、ジャメは本格的なスポーツカーを購入したことはありません。ガンビアの地では一般的にスポーツカーの使用には適していないからです。その穴を埋め合わせるためか、ジャメはジョージアから「Su-25」対地攻撃機を購入し、パレードで観衆を喜ばせるために使用しました(これは彼がパイロットを解雇するまでの話であり、その後に同攻撃機は放棄される運命を迎えました)。[7]

 ジャメは、常軌を逸した行動と意思決定でよく知られている人物です。選挙で敗北した後、彼は国営テレビの生中継で勝者のバロウに勝利を祝福する電話をかけ、バロウの当選は「アッラーのご意志」であると宣言しました。[8]

 ところが、その数日後に彼は再び国営テレビに出演し、今度は「選挙結果を全面的に認めません。したがって、この選挙は完全に無効となります。」という声明を発表したのです。[9]

 運命の巡り合わせか、ジャメは平和的な政権移譲に同意したものの、それは国庫を空にし、13台の車を引き続き所有できるという保証を得た後のことでした。これらが実際に空輸されたかどうかは未確認のままですが、チャド政府の「C-130H-30」が少なくとも3機を空輸したと考えられています。[10]

 ジャメが国外へ去った後、ガンビアの新政権は少なくとも1,000万ドル(約15億円)を回収するという期待を抱いて、彼の車30台と全航空機を売りに出しました。(2018年にパプアニューギニアが40台のマセラティを激安価格で売ろうとしたことが証明しているように)このような荒れ果てた場所から最新の車を販売することは困難を極めたようで、ジャムの車が実際に販売されたかどうかは分かっていません。[11]

 ヤヒヤ・ジャメ... かつて「10億年は国を統治できる」や「アッラーがそう仰らない限り」職を辞することはないと豪語した男は、結局、愛する高級車13台を引き続き所有できることと引き換えに、国外追放に応じました。[10] [11]

 前代未聞の不名誉としか言いようのない、これ以上の恥ずべき統治の終わり方は世界のどこにも存在しないでしょう。 唯一の救いは、ジャメの贅沢への渇望が、ガンビアの人々を血なまぐさい内戦の危機から免れさせることができた点でしょう。彼の統治を特徴づけていた狂気はさておき、人びとが支配者の行き過ぎた行為よりも国民の繁栄が評価される体制の構築に向かって前進していくことを心から願うばかりです。

  1. 下の一覧は、2017年の失脚時におけるヤヒヤ・ジャメの愛車などを調査することを目的に作成されたものです。
  2. この一覧には、ジャメ個人の車のみを掲載しています。彼の全行動(あるいはドライブ)を警護する大規模な警備部隊が使用する車は含まれていません。これらも含めると、彼とその側近たちが使用する高級車の数は150台を軽く超えるでしょう。
  3. 各車両等の名称に続く数字をクリックすると、当該車両類の画像を見ることができます。

自動車 (最低でも 44)
  • 5 ハマー H2 リムジン: (1) (2 と 3) (4 と 5)
  • 2 ハマー H2 SUT リムジン: (1) (2)
  • 2 ハマー H2 : (1) (2)
  • 1 キャデラック エスカレードESV リムジン: (1)
  • 2 キャデラック エスカレードESV: (1) (2)
  • 3 リンカーン タウンカー リムジン: (1 と 2) (3)
  • 2 長城汽車 哈弗・派 : (1) (2)
  • 1 インフィニティ QX56 : (1)
  • 1 レクサス LX 570: (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ Eクラス (W211): (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ Sクラス (W126): (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ Sクラス (W220): (1)
  • 2 メルセデス・ベンツ Sクラス (W221): (1) (2)
  • 2 メルセデス・ベンツ Sクラス (W222): (1) (2)
  • 1 メルセデス・ベンツ Gクラス : (1)
  • 2 BMW 5シリーズ (E60): (1) (2)
  • 1 BMW 7シリーズ (G12): (1)
  • 1 BMW X6 (E71): (1)
  • 1 ミニ クーパーS・コンバーチブル(R57): (1)
  • 7 ロールス・ロイス ファントム VII: (1) (2, 3, 4 と 5) (6) (7)
  • 2 ベントレー ミュルザンヌ : (1) (2)
  • 1 ランドローバー レンジローバー (L322): (1)
  • 1 ランドローバー レンジローバー (L405): (1)
  • 1 ランドローバー レンジローバー・イヴォーク: (1)
  • ジャメ専用や彼の警備部隊用に数十台の トヨタ ランドクルーザー日産 パトロールキャデラック エスカレードESV の存在も確認されている

バイク (3)
  • 1 ハーレーダビッドソン MT500: (1)
  • 2 形式不明のバイク: (1と 2)

航空機 (8)

ガンビアから旅立つ際にロールス・ロイス「ファントムⅥ」から降車するガンビアからヤヒヤ・ジャメ:彼は今でも赤道ギニアで生活している

[1] COVID-19 Elevated Poverty in The Gambia https://www.worldbank.org/en/news/press-release/2022/11/09/covid-19-elevated-poverty-in-the-gambia
[2] New claims over scale of ex-Gambian leader's theft from state coffers https://www.theguardian.com/world/2017/feb/23/the-gambia-debt-theft-mismanagement-jammeh-allegations
[3] Gambia searches Jammeh's palaces for missing millions https://www.reuters.com/article/us-gambia-politics-assets-idUSKBN19Y274
[4] Gambia's Yahya Jammeh 'allowed to keep' luxury car collection https://www.hiiraan.com/news4/2017/Jan/140042/gambia_s_yahya_jammeh_allowed_to_keep_luxury_car_collection.aspx
[5] Janneh Commission members inspect Jammeh’s vehicles https://www.allgambianews.com/2017/10/27/janneh-commission-members-inspect-jammehs-vehicles/
[6] Gaddafi's Arrival in the Gambia https://youtu.be/fK52c4K-ekA?t=330
[7] African MiGs Volume 1: Angola to Ivory Coast https://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM1/index.html
[8]Yahya Jammeh rejects election outcome days after conceding to Adama Barrow https://youtu.be/EZXpiTGCw1M?t=43
[9] Yahya Jammeh rejects election outcome days after conceding to Adama Barrow https://youtu.be/EZXpiTGCw1M?t=17
[10] Gambia Got Robbed: Jammeh’s Cars Being Loaded Into An Awaiting Cargo Plane - Photos https://www.gistmania.com/talk/topic,323209.0.html
[11] PNG admits Maserati purchase was ‘terrible mistake’ as they go on sale at discounted price https://www.theguardian.com/world/2021/oct/01/png-admits-maserati-purchase-was-terrible-mistake-as-they-go-on-sale-at-discounted-price
[12] Gambia's Jammeh loses to Adama Barrow in shock election result https://www.bbc.com/news/world-africa-38183906
[13] Gambia's Yahya Jammeh won't step down https://youtu.be/oVt5HkNCal8

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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2025年2月1日土曜日

世界で最も醜悪な大統領専用機を見よ: ガンビアのエアフォース・ワン


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年12月24日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 私に投票する地域は発展させますが、私に投票しないのであれば...何も期待しないでいただきたい:ヤヒヤ・ジャメ 

 世界のトップリーダーたちが豪勢な外遊をすることを知らない人はいません。アメリカの 「エアフォース・ワン 」やカタール王室が所有する豪華なVIP専用機を見れば一目瞭然でしょう。こうした専用機はそれぞれ豪華さのレベルが異なるものの、一つだけ確かなことがあります: 世界の指導者たちはスタイリッシュな移動を好むということです。

 このことは、失脚したガンビア共和国のジャメ大統領を除く全世界のリーダーに言えると思います。と言うのも、ジャメ大統領は、「Il-62M」を含む(おそらく)世界で最も見栄えの悪い内装のVIP専用機を誇示していたからです。

 1970年代の内装を備えたソ連製のジェット旅客機が、自国の年金基金で購入したアフリカの独裁者のために、キューバから来た乗員によって整備され、飛んでいる: これが気にならない読者がいますか?。

 公式には「シャイフ・プロフェッサー・アルハジ・ドクター・ヤヒヤ・アブドゥル=アズィーズ・アワル・ジェムス・ジュンクング・ジャメ・ナーシル・ディーン・バビリ・マンサ閣下」と称されるヤヒヤ・ジャメは、軍の最高司令官にしてガンビアの神聖な憲法における最高責任者であり、1994年から2017年までガンビアを統治した人物です。より詳しく説明すると、最初は軍事政権の議長として、その後の1996年から2017年に失脚するまでは大統領の地位にありました。

 在任中、彼は(自身が作った薬で)HIV/エイズや喘息、さらには不妊症を治療できると豪語し、世界最貧国の一つである自国に世界最大級の高級車コレクションを築き上げたことで、国際的な悪名を轟かせました。

 同様に目立ったのは、一時は「IL-62M」が1機と「ボーイング727」が2機、さらにはボンバルディア・「チャレンジャー601」が1機あったジャメのVIP専用機群です。どの国の政府でも4機のVIP専用機を保有することは、すでに相当の負担が発生することは言うまでもありません。ガンビアの場合では、専用機で恩恵を受ける人間がヤヒヤ・ジャメ自身だけであることを考えると、なおさら贅沢と言えます。

 さらに深刻なのは、同国の国営航空会社であるガンビア国際航空が航空機を1機も保有していなかったために、運休を余儀なくされたことでしょう。状況がどれほど深刻だったのかについては、(正式に設立されなかった)ガンビア空軍でさえ、ジャメの便宜のためだけに運用され、1機の「Su-25」対地攻撃機と2機の「AT-602」農薬散布機は、パレードでの飛行やジャメの所有地を肥沃にするために使用される有り様だったことで察することができるはずです。この状態はジャメが個人的に「Su-25」のパイロットを解雇するまで続き、それ以後は同機の運用が放棄されてしまいました。 [1]

 人口が200万人弱のアフリカ大陸で最も小さな国であることから、4機のVIP専用ジェット機は国外への公式訪問時にしか飛ばすことができませんでした(1回に1機ずつの飛行自体が、明らかに4機も所有する必要性を自己否定していると言っても過言ではありません)。実際、ガンビアは国土が狭いため、ジャメは国内の移動でヘリコプターさえも使いませんでした。彼は宮殿から宮殿(そして故郷に建設した私設動物園)への移動に、自身が保有する膨大な車のコレクションを利用することを好んでいたのです。

 それでも、ムスリムの指導者にして(少なくとも2013年までは)台湾を国家承認していた世界でも数少ない国の大統領として、ジャメは長距離用の「Il-62M」を使って中東や台湾を頻繁に訪問しています。

 「チャレンジャー601」については、ショッピングを目的としたヨーロッパへのお忍び旅行を念頭に置いて購入されたものの、実際に使用されることは滅多にありませんでした。

2013年、東京国際空港(羽田)に着陸するジャメの「Il-62M」:機体の外観は間違いなく大統領専用機らしく見える

 ジャメ大統領が国家予算を大量に費やして、最新のロールスロイスやメルセデス、ハマー、ランドローバーでマイカーのコレクションを拡大している一方で、彼の飛行機は驚くほど古いものでした。

 彼が所有する2機の「ボーイング727」はそれぞれ1966年(C5-GAF)と1971年(C5-GOG)に製造されたものにもかかわらず、細心の注意が払われて良好な状態が維持されていました(フランスのペルピニャンで頻繁にオーバーホールが行われていたのです)。C5-GOGについては、2016年に新しいエンジンに換装されました。[2] [3] [4]

 G5-GAFは、以前にサウジアラビア王室用のプライベート機として使用されていたものであり、「チャレンジャー601」は1985年の製造で2010年にドイツ空軍から購入された機体です。[5]

 これらとは対照的に、ジャメが最初に所有した「Il-62M(C5-GNM)」は、ロシアの武器密輸業者であるヴィクトー・. バウトの協力を得て入手されたものでした。この機体が最終的にジャメのエアフォース・ワンとして使われるようになった経緯は、アフリカでダイヤモンドや武器の密輸に用いられる航空機には比較的よくあるものですが、実に興味をそそられる話です。

 1980年にアエロフロート用に製造されたこの機体は、1999年にセントラアフリカン・エアに登録されました。ところが、それ自体がヴィクトー・. バウトの密輸事業のための巧妙な隠れ蓑でした。[6]

 バウトはいくつかの航空機を中央アフリカ共和国に登録したわけですが、要は民間航空を管理するの腐敗した役人が彼の機体を登録(合法化)していたということです。[7]

 登録された直後、「Il-62M」はガンビアのニュー・ミレニアム・エアに譲渡されました。同社のCEOはガンビアの政治家であるババ・ジョベでした。つまり、会社とCEOは実質的にバウトの別の隠れ蓑と言える存在だったわけです。

 当時のヴィクトー・バウトは、『彼は母を殺し、父を殺した。でも、私は彼に投票する!』というスローガンを掲げてチャールズ・テイラーが選挙で勝利したばかりのリベリアから、ダイヤモンドと武器の密輸に深く関わっていたことで知られていました。

 しかし、この陰謀はすぐに国連安全保障理事会に気づかれてしまったことで、2001年にガンビア・ニュー・ミレニアム・エアと(そのCEOである)ババ・ジョベに制裁が科され、彼はガンビアで9年の刑期を宣告されるという結果で頓挫しました。[8]

 この出来事で「Il-62M」は所有者を失い、しばらくガンビア後で立ち往生することになります。所有者を失った4発エンジンの旅客機が自分の空港に放置されたら、あなたはどうしますか?そう、自分のものだと主張するのでしょう。まさにジャメはそうしたのです。

 彼には、この飛行機に全く馴染みがなかったわけではありません。 (まだセントラアフリカン・エアが正式に所有していた頃の)1999年12月、ジャメはガボンのリーブルヴィルへの公式訪問のために「Il-62M をチャーターしたことがあります。ここで彼は、乗ってきた飛行機の大きさについて、他ならぬ中央アフリカ共和国のアンジュ=フェリックス・パタッセ大統領から(本当に)褒められたわけですが、パタッセ自身は、これが(汚職役人のおかげで)自国に登録された機体であることを全く知らなかったようです。
[9]

 パタッセの褒め言葉はジャメを喜ばせたようで、彼は「ボーイング727」の代わりにこの機体を定期的に使用するようになりました。特に主要なイベントでの使用例としては、2003年の台湾への国賓訪問や2004年の国連総会でのニューヨーク訪問が挙げられます。[10] [11]

ジャメ大統領が使用していた最初の「Il-62M(C5-GNM)」:この機体は2000年代後半に退役するまでガンビア・ニュー・ミレニアム・エアの塗装で運航された

 アフリカ大陸で最も小さな国がアフリカ大陸で最大のVIP専用機を運航しているという皮肉をジャメは自覚していないわけではなかったようです。彼が大型機に対する賛辞を頭の片隅に置きながら、2000年代半ばに専用機の後継機探しを始めたのは間違いないでしょう。

 そして、彼は中古のエアバスで妥協するのではなく、実際にウズベキスタンから代わりの「IL-62M」を購入したのです!

 2005年にガンビアに到着した後にC5-RTGの登録を受けたこの機体は、1993年に組立ラインを離れたばかりの、末期に生産された「Il-62M」の1機でした。同機は完成後にウズベキスタン政府に引き渡され、2000年まで同国のVIP専用機として活躍したことで知られています。[12]

 C5-RTGが引き渡されると、最初の「Il-62M(C5-GNM)」は退役となり、現在でもバンジュール国際空港の廃棄物集積場に放置された状態で残っています

 新たに導入されたC5-RTGの運航については、キューバの国営航空会社であるクバーナ航空で同型機を操縦していたキューバ人の乗員に委託され、機体の整備が必要となった場合はキューバに空輸され、ハバナのホセ・マルティ国際空港にあるクバーナ航空の整備施設でオーバーホールを受けました

 しかしながら、この飛行機が正式に就航する前に、まずはシャイフ・プロフェッサー・アルハジ・ドクター・ヤヒヤ・ジャメ閣下の個人的なニーズに合わせて改造する必要があったことに言及しなければなりません。実際、彼は独特な要望を持っていたのです。面白いことに、その要望にはジャグジーや国家安全保障の問題を協議する会議室の設置ではなく、空港のターミナルから外してそのまま持ってきたようなマッサージチェアが含まれていました。その他の追加装備には、(1970年代風の装飾で飾られた)新しい座席エリアと、(いくつかの)DVDプレーヤー付きテレビモニターの設置が含まれています。

 彼の要望を受け入れて改装した結果、内装は1970年代風としか言いようがないものに仕上がるという、1993年に製造された機体としては驚くべき偉業が成し遂げられました。なお、この内装については、その後における同機の平穏無事なキャリアで更新されることはありませんでした。ちなみに、C5-RTGのコックピットはオリジナルの状態であり、未改修のままです。

 いずれにせよ、個人的な好みがどうであれ、ジャメの飛行機が独特だったことは否定できません!




 2017年のジャメ追放後、アダマ・バロウ大統領率いる新政権は資金難に陥っている国のために少なくとも1,000万ドル(約15億円)を集めようと期待を抱いて、即座に4機のVIP専用機と2機の「AT-602」農薬散布機、そして膨大な車のコレクションを売りに出しました。[13]

 ガンビアはもともと貧しい国ですが、ジャメが在位の最後の数日間を利用して、国庫を事実上ゼロにしたことがすぐに明らかとなりました(そのためにコレクションが売りに出された)。

 赤道ギニアへの亡命では高級車のほとんどを置き去りにせざるを得なかったジャメですが、在任最後の週に貨物機をレンタルしてお気に入りの車を空輸するという手段に出ました。しかも、辞任を可能な限り長引かせて一台でも多く空輸できるよう試みたのです。[14]

 ジャメがどのようにして贅沢な暮らしをする余裕があったのかという謎についても、その後すぐに明らかとなりました。大統領は国有企業の大部分から分け前を得ていた上に、自身の浪費を支えるためにジャメ平和財団が集めた資金を充てていたのでした。 [15]

ジャメが所有していた7台の「ハマーH2(SUT)」リムジンのうちの1台:彼はこれを持ち出すことができなかったため、新政権によって売りに出された

 VIP用ジェット機4機、農薬散布機2機、高級車約30台に1,000万ドルという目標額は、それほど多くないように感じるかもしれません。しかし、50年前のボーイング2機と、すでに商用(旅客)運航されていないソ連のジェット旅客機1機の相場を考えると、決して非現実的な金額ではないことには間違いないでしょう。

 そして、需要が無かったわけでもありません。事実、(他国で)最後に売りに出された「Il-62」が2012年に北朝鮮に渡ったことが確認されています。自国が抱える2機のVIP用機のスペアパーツの供給源とするために、北朝鮮は元クバーナ航空の「Il-62M」を調達したのです。[16]

 2019年に2機の「AT-602」の売却に成功した後、残ったボーイングと「Il-62」については、同年に国内外の複数の入札者を競り落としたガンビアの起業家に僅か50万ドルで売却されるという結果を迎えました。[17]

 ところが、この売却で「Il-62M」の当面の運命が少しも変わることはありませんでした。
というのも、この起業家は、すぐに別の利害関係者に売却する意図で飛行機を購入したからです。

 彼の計画は2021年にやっと実現しました。この年、「Il-62M」は貨物機としてベラルーシのラーダ・エアラインズに売却され、2021年8月にミンスクに到着したことが確認されています。[22]

 すでに2機の「Il-62M」を運用していた同社にとって、売りに出された機体が1993年と比較的新しいことが魅力的に感じたのでしょう。なお、「ボーイング727」は依然として売れ残っており、今でもバンジュール国際空港に放置されています。

2018年、バンジュール国際空港で埃まみれとなったジャメの「Il-62M(C5-RTG)」:再び飛行する日を迎えるまで、さらに3年を要した

バンジュール国際空港の駐機場における「ボーイング727」の1機:もう1機と共に4年以上もこの場所で放置されている

 ジャメと彼の飛行機の双方が、ほとんど読まれることのないマイナーな歴史年表に登場するようになれば、詐欺的な独裁者としての彼のレガシーは、自身の理解し難い趣味の悪さに関するエピソードと競い合うことになるでしょう。

 ガンビアの人々や世界中の老朽化したVIP用機は、「美とは見る人の目の中にある」という格言を具現化したような、国家どころかファッションの問題でさえ判断力に欠ける男の君臨した時代が終わったことを知って、ホッと胸をなで下ろしたのではないでしょうか。

判断力に欠けた男:ヤヒヤ・ジャメ

[1] African MiGs Volume 1: Angola to Ivory Coast https://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM1/index.html
[2] C5-GAF https://www.jetphotos.com/info/727-19252
[3] Registration Details For C5-GOG (Gambia Republic) 727-1H2 https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/C5-GOG/498390
[4] https://www.airplane-pictures.net/photo/739326/c5-gog-gambia-government-boeing-727-100/
[5] Registration Details For C5-AFT (Gambian Air Force) Challenger-601 https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/C5-AFT/540182
[6] Registration Details For C5-GNM (Gambia New Millenium Air) Il-62-M https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/C5-GNM/722468
[7] https://airlinehistory.co.uk/airline/centrafricain-airlines-centrafricaine/
[8] ACCORD – Austrian Centre for Country of Origin and Asylum Research and Documentation a-7674 (ACC-GMB-7674) https://www.ecoi.net/en/document/1264492.html
[9] Registration Details For TL-ACL (Centrafrican Airways) Il-62-M https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/TL-ACL/722467
[10] https://www.jetphotos.com/photo/166632
[11] https://www.jetphotos.com/photo/372347
[12] Registration Details For UK-86569 (Uzbekistan Gvmt) Ilyushin Il-62M https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/UK-86569/722819
[13] Gambia to sell off presidential planes https://standard.gm/gambia-to-sell-off-presidential-planes/
[14] Gambia Got Robbed: Jammeh’s Cars Being Loaded Into An Awaiting Cargo Plane - Photos https://www.gistmania.com/talk/topic,323209.0.html
[15] Exclusive: How money flowed to Gambia's ex president https://www.reuters.com/article/us-gambia-jammeh-idUSKBN16312M
[16] https://www.flickr.com/photos/tpeddle/8261940065/
[17] Gov’t disposes 3 Jammeh aircraft https://thepoint.gm/africa/gambia/headlines/govt-disposes-off-3-jammeh-aircrafts
[18] Republic of Gambia sells VIP Il-62M to Belarus https://www.ch-aviation.com/portal/news/106777-republic-of-gambia-sells-vip-il-62m-to-belarus

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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2025年1月11日土曜日

クラブ・自動車・残虐の王:ウダイ・フセイン


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 当記事は、2023年9月13日に本国版「Oryxブログ」(英語)に投稿されたものを翻訳した記事です。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 ウダイ、お前は何者だ?ビジネスマン?それともプレイボーイなのか?私はお前をどう見たらいいのか分からん:サッダーム・フセイン

 イラクの独裁者サッダーム・フセインの長男であるウダイ・フセインが、この地球上で最も恐るべき人間の一人だったことに疑いを挟む余地はありません。彼はプレイボーイにして、スーパーカー、酒、キューバ産の葉巻、(特に黄金の)銃、そしてスター・ウォーズを愛する病的な人殺しだったのです。

 ウダイの常軌を逸したライフスタイルは、自らを若い頃から死と破滅への道へと導きました。

 数えきれないほどのビジネスを展開していたウダイの犯罪帝国は、「スーパーチキン」というファストフード店のチェーンや「ザ・ウェーブ」という名のアイスクリーム会社を経営する傍ら、石油やタバコといった制裁対象の品物やコカインの密輸にも関与していたのです(「ブレイキング・バッド」のガス・フリングというキャラクターの背景にある実在の人物について、まだ興味が残っていれば、ここで検索を打ち切りましょう)。

 ウダイはテレビ局やラジオ局のトップも務めていたどころか、7社もの新聞社の取締役会長でもあり、イラクで最も成功したスポーツクラブを支配していました。彼は自分が作り上げた恐ろしいイメージに特別な誇りを持ち、「アブ・サルハン(狼の父)」と自称していました。

 ウダイを知らしめた悪名の多くは、イラク・オリンピック委員会のトップとして、イラクのアスリートたちのパフォーマンスを向上させるという名目で拷問に訴えたことから生じたものです。

 1993年、サッカーのイラク代表チームが1994年のFIFAワールドカップ出場の予選で敗退したことを受け、ウダイは選手たちにコンクリート製のボールを使ったトレーニングを強要しました。彼によれば、特に成績の悪かった選手は砂利採取場に引きずり出され、感染症にさせるために汚水タンクへの飛び込みを強要されたとのことです。[1]

 またある時は、オリンピック委員会の建物の地下に設けた私設監獄にバレーボール代表チーム全員を詰め込みました。監獄の天井は低く、誰も座ったり立ったりすることができないようになっていました。こうした悪行の全てが、彼が言うところの「やる気を起こさせるための訓練」の名の下で行われたのです。[2]

 ウダイと出会った人は、だいたいは2パターンいずれかの結末を迎えることになります:不運な人物が悲惨な運命を背負って残忍な拷問に何日も耐え忍ぶか、あるいは予期せぬ運命のいたずらによって、彼がその人に思いがけない好意を抱くかのどちらかです。なお、後者のケースでウダイの友情を獲得するには、(ウイスキー、ブランデー、ウォッカ、コニャック、ビールをブレンドし、大きな「友情の杯」に注いだ)「ウダイ・サッダーム・フセイン」と称されるカクテルを飲む必要がありました。新しい友人になったと告げられた人は、そのカクテルを最後の一滴まで飲み干さなければなかったのです。[3]

 ウダイとの良好な関係を長きにわたって維持できた人は、平凡な友情の証を超えた贈り物を受け取ることができました。これらの褒美には、金メッキの「タリク」けん銃や「タブク」自動小銃、さらには「アル・カーディーシーヤ」マークスマンライフル(編訳者注:いわゆるタブク狙撃銃)も含まれていました。ただし、2003年に米軍がバグダッドにあるウダイの宮殿で数十挺のニッケルや金メッキを施された銃を発見したことを踏まえると、彼の親しい友人たちは長年にわたって大幅に減少していたようです。[4]

 ウダイは生涯を通じてさまざまな悪習の中毒に陥りましたが、セックスとポルノへの執着ほど他人の興味を集めるものはなかったでしょう。

 2003年、アメリカ兵がバグダッドにあるウダイの宮殿に突入した際、偶然にも彼らは彼のハーレム専用の別荘に遭遇しました。そこでは、ウダイのセックス中毒の痕跡が宮殿全体に漂っていたのです。その豪邸には裸婦の絵が飾られていたほか、インターネット上にある娼婦の画像をプリントアウトしたものが山積みにされており、それぞれに手書きの評価が添えられていました。あるプリントされた書類には、ウダイとヨーロッパ人の女性との刺激的な会話が記されていたようです:そこには「ダーリン、かわいい人ね、私にセクシーな添付ファイルを送るにはタイミングが悪いわ」と書かれていました。[5]

 宮殿を捜索していたアメリカ兵にとって幸いなことに、''セクシーな添付ファイル''が発見されることはなかったようです。彼らが見つけたのは、女性たちの名前と写真、電話番号のリストが山のように掲載された一冊の本でした。

あるアメリカ陸軍の大尉は、この建物を「今まで見た中で最大の裸の女性のコレクションだった」と評しています。[5]

談笑しているウダイ(右)とクサイ(左):ウダイが吸っている葉巻は特注で作らせたハバナ製で、「ウダイ・サッダーム・フセイン」と目立つようにラベルがされていた[11]

 権力への欲求と性的享楽の強さにもかかわらず、ウダイが非常に知的であったことは広く知られています。1998年にはバグダッド大学で政治学の博士号を取得し、「冷戦後の世界」と題する博士論文を完成させました。[6]

 かつては父の後継者となる運命にあったウダイですが、愚かな殺人への欲望によって、代わりに弟のクサイが優遇されることになりました。

 ウダイの政治的没落は19歳の時に始まりました。というのも、彼はサッダームの側近で友人のカーミル・ハンナ・ジョジョを撲殺したからです。現場に駆けつけたサッダームは、「カーミルが死ぬならお前も死ぬ」という最後通牒を息子に突きつけました。カメルはその夜遅くに亡くなりましたが、ウダイの母親の仲裁によって、彼の死刑は何とか減刑されたのでした。[7]

 釈放後、サッダームはウダイをスイスに(外交官という名目で)追放しました。もっとも、スイスの平和と静けさが彼の粗暴癖を鎮めるにはほとんど役立たなかったことは言うまでもありません。

 数年後の1995年、ウダイは叔父のワトバーン・イブラーヒーム・ハサンを銃撃し、彼の足を切断しなければならないほどの深刻な重傷を負わせるという悪行を繰り返しました。ウダイの処罰について、サッダームは自分が撃たれた時と同じ方法でワトバーンにウダイを撃たせるなどの多種多様な選択肢を検討したようですが、結局はウダイのガレージの一つだけに火をつける決定を下しました。[7]

 敵の数が増えるにつれ、ウダイの運は必然的に尽きる運命にありました。実際、ワトバーン銃撃事件から1年後の1996年12月、ウダイはバグダッドでポルシェを運転中に待ち伏せされ、少なくとも7発の銃弾を受けたのです。ちなみに、イラクにおけるウダイの恐怖政治に終止符を打とうと試みた襲撃者たちについては、家族の大半と一緒に処刑されました。[7]

 ウダイは襲撃で負った傷から完全に回復することはなく、残る生涯を足を引きずりながら歩くことになったのはよく知られています。一般に信じられているのとは反対に、この襲撃で彼は性機能障害になったのではありません。むしろ、すでに抱えていたセックスと殺人への激しい欲求に火をつけたのです。

 ウダイによる殺人や性的暴行に関する報道はしばしば誇張されがちで、多くの場合は完全に捏造されたものですが、彼のサディスティックな性向と性欲が次第に彼の人生を狂わせていったことは間違いないでしょう。

 しかしながら、2003年の体制崩壊後、ウダイに関する虚偽の作り話の増殖が急激に拡散したおかげで 、どれが真実で虚構なのか区別がつかなくなってしまったことが多く見られます(編訳者注:それほどウダイの悪行が突飛なものだったということ)。確実に言えることは、サッダーム・フェダイーンと呼ばれる残忍な準軍事組織の支配を通じて、イラク国民が2003年までウダイの圧政の下で生きる運命にあったということです。

 フェダイーンは完全に非合法に運用されるウダイ直属の組織であり、事実上、彼の私兵の役目を果たしていました。フェダイーンを活用して彼の邪魔者を排除してイラクの人びとを恐怖に陥れるだけでなく、この準軍事組織に対する彼の権力は、コカインやイラクのクウェート侵攻後に国連が指定した制裁品の密輸に携わる巨大な犯罪帝国を築き上げることも可能にしたのです。

 スター・ウォーズの熱狂的な愛好家であったウダイは、フェダイーン・サッダームのヘルメットと制服をダース・ベイダーの服装に似せてデザインさせたことは有名な話ではないでしょうか。見た目の滑稽さに加えて、これらのヘルメットはグラスファイバー製の低品質なものだったので、戦闘中に着用していた人を少しも保護することはできなかったでしょう。

タトゥイーンの戦いで反乱同盟軍に照準を定める銀河帝国の兵士を撮影したカットと勘違いするかもしれない:実際はイラクにおける演習に参加するサッダーム・フェダイーンの兵士である(手前)

 イラクの独裁者の息子が、なぜ出来損ないのスター・ウォーズみたいな脚本に出てきそうなダース・ベイダーのコスチュームを着た兵士たちを使って自国を恐怖に陥れるに至ったのか、と疑問に思う人がいるかもしれません。その答えは、彼のもう一つの道楽であるスポーツでのチート行為が、サッダームによって取り上げられたという事実にあるのかもしれません。

 熱狂的なサッカーファンであったウダイは、1983年に自身のスポーツクラブ、アッ=ラシードSCを設立し、数多くのイラクのトップ選手たちにクラブとの契約を強要したのです。

 彼は(利害の対立が絶対に存在することがない)イラクサッカー協会会長としての二役の中で、アッ=ラシードがイラクサッカー界の支配的立場になるまでに急成長するよう画策し、イラク国民の怒りを買ったのでした。イラクのサッカーファンの間に不満が広がっていたにもかかわらず、ウダイのクラブが自身の名にちなんで命名された1987年のウダイ・フセイン選手権で優勝を果たしたことは言うまでもないでしょう。この偉業で、彼はイラクサッカー協会の会長という立場で、自分自身にメダルを授与するパフォーマンスを披露しました。

 それでも、イラクサッカー界の不公平に対する不満が高まったことで、クラブは3年後にサッダームの指示は解散させられました。

犯罪帝国の監督やその他の極悪非道な活動をしていないとき、ウダイはこのMBB/川崎重工「BK117」のような、数多くあるVIP用ヘリコプターを使って頻繁に狩猟旅行に出かけていた

 独裁者の息子であるウダイは、ボディガードの助けを借りてバグダッドの路上から連れ去った女性たち、ダース・ベイダーのコスチュームで着飾られた自分だけの軍隊、世界中から収集された最新で最も高価な車と、人生の中で望むものは何でも手に入れる特権を与えられていました。

 彼は1980年代から2000年代初頭を通じて、約1,300台で希少な高級外車をコレクションしていたと言われています。[8]

 もちろん、この数字に根拠はなく、ウダイが実際に所有していた台数はこの10分の1にも満たなかった可能性が高いです。同様に、1995年のワトバーン銃撃としてサッダームに破壊されたウダイの車の数は300台から13台と伝えられていますが、実際には後者が最も正確な数字だと思われます。

 ウダイのコレクションには、相当数のポルシェやフェラーリ、そしてランボルギーニが含まれていました。その豪勢さは、「ランボー・ランボ」として知られる希少なランボルギーニ「LM002」オフロード車もあったほどです。ポルシェは特に彼のお気に入りだったようで、「986 ボクスター」と「993 ターボ」3台を含む少なくとも4台を所有していました。さらに、彼のコレクションには、ランボルギーニ「ディアブロ」やフェラーリ「550 マラネロ」といった高性能を誇るスーパーカーもありました。

 ウダイがベントレー、ブガッティ、アストンマーチン、さらにはマクラーレン「F1」を所有していたという情報もあるが、それを裏付ける証拠はありません。

 ウダイは1920年代と1930年代のデザインにインスパイアされた車に愛着を持っており、ロンドン・タクシーやフォード「ウッディワゴン」といった数多くの珍しい車も所有していました。

埃にまみれたフェラーリ「テスタロッサ」(左)とポルシェ「カレラ」(右):どちらもウダイが所有していたものだ

 2003年にアメリカ軍がバグダッドにあるウダイの宮殿を占領したとき、彼の途方もないライフスタイルの全貌がすぐに明らかになりました。そこで兵士たちは、100万ドル(約1.56億円)相当の酒と最高級ワイン、彼の高級車コレクション用の複数のガレージ、さらには2頭のチーターや5頭のライオン、さらには1頭の熊もいる個人用の動物園まで発見したのです。[9] [10]

 アメリカ軍のすぐ後ろから、ウダイの車を奪い取るチャンスを手に入れようとした大勢のイラク市民たちが押し寄せてきました。その混乱の中で、略奪者たちが彼の車を何台も奪い去ったことは容易に想像できるでしょう。全ての車のイグニッションキーが差し込まれた状態だったことが、この事態を余計に悪化させたのでした。

 ウダイの車の一部は後になって国庫に返還されたものの、その大部分は二度と姿を見せることはありませんでした。その多くは、今日に至るまでイラク全土に隠されたままになっていると思われます。

 ウダイの宮殿の略奪は、彼の自動車コレクションの規模に関する噂の元凶の一つです。彼が所有していた車は1,300台と言われているほか、イラクにあるスーパーカーや高級車は事実上その全てが(何の根拠が存在しなかったにもかかわらず)彼と関係があったかのように伝えられています。この誤解は、(Gクラスへの愛着で知られる)弟のクサイやサッダーム自身を含む、著名なイラク政府の要人が所有する車にも及びました。

 1967年にイラクの権力の座に就いたサッダーム・フセインは、かつての政治家たちが使用または所有していたヴィンテージカーの膨大なコレクションを掌握しました。こうした車の中で注目すべきものとしては、エルドマン&ロッシ「1935ロードスター(メルセデス・ベンツ 500K)」メルセデス・ベンツ「770 "グロッサー・メルセデス"」が挙げられます。ウダイはサッダームのコレクションを羨ましく思ったかもしれませんが、彼がそれらの車の所有権を引き継いだことを示す証拠はありません。

 ウダイは自動車に熱中することに加えて、オートバイにも情熱を注いでいました。しかし、1996年の暗殺未遂事件後、彼が負傷のおかげで普通のバイクに乗れなくなったことは、二輪車の一部を三輪車に改造する結果に繋がりました。

 普通のバイクに乗れないことは、ウダイにとってすぐに些細な問題となりました。というのも、アメリカが1991年に達成できなかった目標を完遂させるべく、2003年にイラクに侵攻したからです。

 バグダッド陥落後のウダイとクサイは、ここなら安全だと信じたモスルの邸宅に潜伏していました。ところが、明らかに兄弟にかけられた3,000万ドル(約47億円)の懸賞金に誘惑された邸宅の所有者は、賞金を得るため、近くのアメリカ軍基地まで歩いて出頭したのです。それから間もなく、この邸宅はアメリカ兵に包囲されてしまいました。

 戦わずに降伏することを拒否した後のウダイとクサイについては、邸宅に撃ち込まれた12発の「TOW」対戦車ミサイルによって彼らの銃が沈黙させられるまでの4時間にわたってアメリカ軍と死闘を繰り広げたことは周知のとおりです。

家族を大切にする男としてのウダイ:ここで書かれていることとは逆に、彼が実質的に結婚をすることはなかった(結婚を予定していた3人の婚約者に肉体的虐待を加えていたためである)
  • 以下の一覧は、ウダイ・フセインが所有していた自動車等をリスト化したものです。
  • ここにはウダイが所有していたものだけを掲載しています、したがって、父親のサッダーム・フセインが所有していたものは含まれていません。
  • 2003年にウダイの宮殿が略奪されたことで彼が所有していた自動車やバイクの実際の台数は謎に包まれていますが、ここに記録した数(39台)よりは確実に多いでしょう。
  • したがって、この一覧はウダイのコレクションを包括的にリスト化したものを目指したものではなく、むしろ彼の自動車に対する興味についての独特な見識を読者に提供するものです。
  • 各自動車等の名称に続く数字をクリックすると、当該対象の画像を見ることができます。

スーパーカー (11)
  • 1 ポルシェ ボクスター(986): (1)
  • 1 ポルシェ 993 ターボ: (1)
  • 1 ポルシェ 964: (1)
  • 1 ポルシェ 993 カレラ: (1)
  • 1 フェラーリ テスタロッサ: (1)
  • 1 フェラーリF40: (1)
  • 1 フェラーリ 348 TS: (1)
  • 1 フェラーリ 550 マラネロ: (1)
  • 1 ランボルギーニ ディアブロ: (1)
  • 1 ランボルギーニ LM002: (1)
  • 1 ジャガー XK8 コンバーチブル: (1)

高級車 (15)
  • 2 BMW 5シリーズ (E34): (1) (2)
  • 1 BMW Z1: (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ W116: (1)
  • 1 ゲンバラ メルセデス・ベンツ W126 クーペ : (1)
  • 1 ゲンバラ BMW M635CSI : (1)
  • 1 ロールス・ロイス コーニッシュV(コンバーチブル): (1)
  • 4 ロールス・ロイス シルヴァースパー: (1 と 2) (3) (4)
  • 1 ロールス・ロイス コーニッシュV: (1)
  • 1 シボレー コンバーチブル: (1)
  • 1 シボレー クーペ (1)
  • 1 スタッツ ブッラクホーク: (1)
  • 1 プリムス プラウラー: (1)

クラシック/ヴィンテージカー (9)
  • 1 オースチン 8: (1)
  • 1 ロンドン・タクシー(オースチン FX4): (1)
  • 1 ロールスロイス シルヴァーシャドウ: (1)
  • 1 フォード フェアレーン 500(1958年型クーペ): (1)
  • 1 フォード ウッディワゴン: (1)
  • 2 ジマー ゴールデンスピリット: (1 と 2)
  • 1 リヴォン・ジープ(形式不明): (1)
  • 1 形式不明のヴィンテージカーのレプリカ(Tフォードを模したもの?): (1)

子ども用自動車 (2)
  • 1 トイランダー 1: (1)
  • 1 形式不明のバギー: (1)

バイク (2)
  • 1 BMW 1100 RT: (1)
  • 1 ホンダ CBX750P: (1)
[1] Torture, Threats and Imprisonment – How Uday Saddam Hussein Destroyed Iraqi Football https://iraqfootball.me/2017/06/10/torture-threats-and-imprisonment-how-uday-saddam-hussein-destroyed-iraqi-football/
[2] 'SNAKE' & PLAYBOY HAD ONLY LUST FOR BLOOD IN COMMON: UDAY HUSSEIN 1964-2003 https://nypost.com/2003/07/23/snake-playboy-had-only-lust-for-blood-in-common-uday-hussein-1964-2003/
[3] Interview «Ma vie au service d'Oudaï, un cauchemar» https://www.liberation.fr/planete/2003/11/25/ma-vie-au-service-d-oudai-un-cauchemar_453002/
[4] GWT: Custom-made weapons found in Uday's house https://youtu.be/w6kY15nIFlQ?si=XgrbsscrDuqHPkHN
[5] Oasis of Hedonism In Nation of Poverty https://www.washingtonpost.com/archive/politics/2003/04/15/oasis-of-hedonism-in-nation-of-poverty/5bbfa271-2129-4bef-b2a9-b1fc06c19be3/
[6] Uday Hussein: Playboy turned academic http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/197389.stm
[7] Sons Of Saddam Hussein - Full Documentary https://youtu.be/WFxn_f_B9dQ?si=WdzY1IvDSp04hc7R
[8] Saddam, Car Guy https://www.caranddriver.com/news/a15132128/saddam-car-guy-car-news/
[9] Saddam Hussein's family tape https://youtu.be/OidUxhuATHo?si=4Oifcw51FPlW2lKE&t=448
[10] GWT: WRAP Marines clear Saddam's sons palace, plus luxury cars found https://youtu.be/1rgcEvNGFyo?si=w5CqmhgAqd3c2UFb
[11] https://i.postimg.cc/281gcySB/222.jpg

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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