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2024年10月20日日曜日

サバンナの「ゴア」:マリ軍の「S-125」地対空ミサイルシステム




 この記事は2022年2月19日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所がある場合があります。

 「S-125」は、1967年と1973年の中東戦争で発揮した性能によって各国から好評を得た地対空ミサイル(SAM)システムです。

 当初、「S-125(NATO呼称:SA-3 "ゴア" )」は東欧・中東・北アフリカの国々に引き渡されたものの、やがてサハラ以南におけるアフリカ諸国へも大量に行き渡るようになりました。

 その一国がマリで、同国は1980年代前半から半ばの間に「S-125」を受領しましたが、同国における「S-125」の運用史や画像については、ほかのマリ軍装備と同様に見つけることが困難です。

 入手できた資料には、1980年代にソ連が6基の4連装発射機(合計で2つのSAM陣地用)を引き渡したことが記録されていました。[1] 

 アフリカにおけるソ連の従属国に配備された大部分の高度な兵器システムと同様に、マリにおける「S-125」のデリケートなコンポーネントは1980年代後半までソ連の軍事顧問によって、そのほとんどが維持されていたようです。[2] 
 
 マリ軍の「S-125」2セットについて、当初はガオモプティにある空軍基地に配備されたと考えられています。[3] 

 この2つの基地は、共に1985年末に短期間ながらも激しい国境紛争を繰り広たブルキナファソとの国境近くに位置しています。と言っても、ブルキナファソ空軍は1980年代に「MiG-17」戦闘機を1機だけしか運用していない上、その短い航続距離はブルキナファソに存在する2つの空軍基地から出撃させてもガオやモプティに到達できない不十分なものでした。
 
 1980年代後半から1990年代前半のある時点で「S-125」陣地はバマコ・セヌー空港に移され、そこで1つの陣地用のSAM一式が保管状態に置かれましたが、その各装備は後に運用が続けられたSAMの部品取り用として使われるようになってしまいました。

 生き残った「S-125」は空港の敷地内に配備されました。なぜならば、この空港は「第101空軍基地(Base Aérienne 101:BA101)」と呼ばれる軍事的な性格を併せ持っていたからです。

 ちなみに、BA101は昔も今もマリ空軍の主要な空軍基地として知られています。

マリの「S-125」発射機から1発のミサイルが発射態勢にある状況を捉えた貴重な画像

バマコ空港にある「S-125」陣地はすでに放棄されました。画像ではミサイルがまだ発射機に搭載されています。

 1990年代初頭にマリからソ連の軍事顧問が撤収した後、マリ空軍はまもなく「S-125」と「MiG-21」戦闘機を自ら維持管理するという難題に直面することとなりました。

 唯一残った「S-125」SAM陣地の運用は1990年代後半から2000年代前半の間に終えたようで、(ほかのサハラ以南のアフリカの「S-125」運用国の大半がそうであったように)システムのオーバーホールや新しい装備の調達は試みられませんでした。

 2010年代初頭における軍事パレードで「S-125」用「PR-14」弾薬輸送車兼装填車が何度か登場したことを考慮すると、マリはパレードの観衆を喜ばせるという怪しげな任務のために、少なくとも「S-125」のコンポーネントの一部を依然として維持(またはリファビッシュ)していると見られます。

「S-125」用ミサイルキャニスター2本を搭載した「ジル-131」トラック(1991年の軍事パレードにて)

バマコでのパレードに登場した「PR-14」弾薬輸送車兼装填車(2010年1月)

「S-125」用ミサイルキャニスター吊り上げ用の「ウラル-4320」クレーン車(2011年の軍事パレードにて)

 2012年のマリ北部紛争の勃発以降、マリ共和国軍が優先とする事項は一変しました。パレードで披露するためだけに車両や装備を維持する余裕はもはや存在せず、「PR-14」は最終的に放棄されてしまったのです。

 2022年時点で、退役した発射機や関連するレーダー、弾薬輸送車兼装填車などは、首都バマコのBA101で今も錆び続けています。

退役した「Mi-24D」攻撃ヘリの直近で、いくつかの「PR-14」弾薬輸送車兼装填車が放棄されている状況

 「S-125」用「V-601」地対空ミサイルは適切なメンテナンスなしでは長期間にわたって保管が不可能であることから、2013年末にマリ国防省はBA101に保管されたままの同ミサイル84発を安全に処分するため、UNMAS(国連地雷対策サービス部)に支援を求めました。 [4] [5] 

 2014年3月28日、UNMASの要員はマリ軍と協力してミサイルをバマコの南東約80kmに位置するクリコロ郊外の解体現場へ向けた移送を開始しました。



 約2か月の間に84発の「V-601」ミサイルが(ロケットブースターの撤去を含む)解体を受け、遠隔操作によって爆破処分されました。[4] [5] 

 こうして、マリにおけるSAMの運用は確実に終わりを告げたのです。



[1] THE SOVIET RESPONSE TO INSTABILITY IN WEST AFRICA https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp86t00591r000300440002-2
[2] SUB-SAHARAN AFRICA: A GROWING SOVIET MILITARY PRESENCE https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp91t01115r000100390002-1
[3] WEST AFRICA: THE SOCIALIST HARDCORE LOOKS WESTWARD https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp86t00589r000200200005-9
[4] Stockpile Destruction of Obsolete Surface-to-Air Missiles in Mali - Issuu
[5] Work in Mali a success – The Development Initiative https://thedevelopmentinitiative.com/work-in-mali-success/

2024年3月16日土曜日

引き継がれる伝統:マリ陸軍のAFVと大砲に記された称号


著:トーマス・ナハトラブ in collaboration with シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2021年11月30日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。

 このブログの読者の多くは、フランスにはフランス軍が戦った重要な戦いの名前と日付を自軍の装甲戦闘車両(AFV)にマーキングするという伝統があることについてよくご存知のこだと思います。現在、この伝統は主にパレードの際に披露されますが、パレードが終わった後もこのマーキングは残されることが多く、時には戦闘配置の際にも見られます。

 しかし、この傾向が旧フランス植民地のいくつかの軍隊にも受け継がれていることについては、一般の人々に全く知られていません。これらの軍隊は、フランスに植民地化される前の古い時代の軍司令官やそれに伴う過去の歴史をよく記憶しているのです。

 (1892年から1960年までフランスに植民地支配されていた)マリもその1つですが、軍事的なものだけではなく都市や地域を記念して、その名をマーキングされた装備もあります。

 この記事では、名前や称号が付与されていることが把握されている全てのマリ軍のAFVと大砲を記録化し、名称の由来を説明します。


T-54B戦車

„Bakari Dian(読み方不明)“        

 「Bakari Dian」は、マリ南部のセグー州に伝わる民話に由来するものです。神話によると、村落や命を見逃すことと引き換えに、村人に多くの貢ぎ物を要求する半人半獣の怪物であるとのことです。[1]



„セコウ・トラオレ大尉“

 このT-54Bは、2012年1月に発生したアグエルホック虐殺事件で「第713ノマド中隊」を指揮したセコウ・トラオレ大尉を記念したものです。

 この事件では、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」と「アンサール・ダイン」と「アザワド解放民族運動(MNLA)」の合同部隊が、数日間の戦闘の後にマリ軍の駐屯地を制圧したものであり、後にマリ軍の兵士が大量に処刑されたことで悪名高いものとなりました。[2]



„コンナ“

マリ中央部のモプティ圏にある町と田舎のコミューンの名前です。



„モンゾン・ディアラ“

 動画の画質が悪いため、砲塔に記された正確な文字の判読はできません。しかし、かろうじて判読できた文字から推測できるのは、この名前の由来が王にして熟練した戦士としても知られていたモンゾン・ディアラということだけです。
 
 モンゾン王は(現在のマリ共和国の大部分を占めていた)バンバラ帝国を1795年から1808年にかけて統治しました。[3]



„スンニ・アリー・ベル“

 「偉大なるスンニ大王」を意味するスンニ・アリー・ベルは、15世紀にスンニ朝ソンガイ帝国に君臨していた人物です。ソンガイ帝国は(現在のマリ共和国の大部分を含む)アフリカ西部の広大な領域を支配していました。マリの都市であるガオは、かつてその帝都でした。[4]



PT-76 水陸両用戦車

„アスキア・モハメッド“

 アスキア・モハメッドは、スンニ・アリー・ベルの後継者であり、1493年から1528年に息子のアスキア・ムサに倒されるまでの間、ソンガイ帝国を統治していました。



„キリナ 1235“

 この名称は、1670年まで存続したマリ帝国の創設に導いた1235年の重要な「キリナの戦い」を思い起こさせるものです。[5]



„トゥラマカン・トラオレ“

 「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」は、スンジャタ・ケイタ王の統治化にあった13世紀のマリ帝国の将軍です。 スンジャタ王のリーダーシップの下で、マリ帝国はその領土を劇的なペースで西へと拡大させていきました。 [6]



„ビトン・クリバリ“

 1712年にバンバラ帝国(セグー王国)を創始した王です。



ZSU-23 「シルカ」自走対空砲

„ティラマカン“

 上記PT-76と同じ「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」将軍のことです。



BTR-60 装甲兵員輸送車

„スンニ・アリー・ベル“

 上記T-54Bと同じスンニ・アリー・ベル王のことです。



„2010年9月22日 マリ共和国建国50周年記念“

 マリ共和国の独立50周年を記念した名称。2010年9月に実施された特殊部隊の演習の際に登場しました。 [7]



„アラワン“

 トンブクトゥ から北に約250キロメートル離れた場所にある、広大なサハラ砂漠の中にある小さな村の名前です。[8]



„ガナドゥーグー“

 マリ南部のシカソ圏にある小さな町「フィンコロ・ガナドゥーグー」のことです。 [9]
 


„ワスル“

 現在のマリ、ギニア、コートジボワールの3カ国で構成される文化圏・歴史的な地域です。 [10]



„スンジャタ・ケイタ“

 スンジャタ・ケイタは、1235年から1670年まで続いた広大なマリ帝国の創設者にして初代皇帝となった人物です。 [11]
 


BTR-152 装甲兵員輸送車

„バマコ“

マリの首都です。



BRDM-2 偵察車

„バンディオウゴウ・ディアラ“

 バンディオゴウは、1890年にマリを植民地化しようとしたフランス軍と戦った部族の指導者にして戦士でした。[12]



„判読できず“

 下の画像では、少なくとも3台のBRDM-2にパーソナルネームがあることが確認できます。
 残念ながら、中央右側の「バンディオウゴウ・ディアラ」以外の車両に記された名前は判読不可能です。



BM-21 多連装ロケット砲

„ニオロ・デュ・サエル“

 マリ西部のカイ州にあるニオロとして知られているニオロ・デュ・サエル圏のことです。 [13]



„ジトゥームー“

マリ南部のクリコロ州にある、サナンコロ・ジトゥームーとして知られている村です。



T-12 100mm対戦車砲

„セノ“

 「セノ」は、マリ中央部にあるセノ・ゴンド平原か、首都バマコの南西部にある自治体のセヌーを示していると思われます。



„マシーナ“

 マリ南部にあるマシーナ圏か、1818年から1862年まで存在したマシーナ帝国を指していると思われます。[14]



特別協力: Esoteric Armour (敬称略)

[1] Malijet Littérature : La légende de Bakari Dian et Bilissi inspire un roman Bamako Mali
[2] Bataille d'Aguel'hoc (2012) — Wikipédia (wikipedia.org)
[3] Mansong Diarra — Wikipédia (wikipedia.org)
[4] Sonni Ali — Wikipédia (wikipedia.org)
[5] Battle of Kirina — Wikipédia (wikipedia.org)
[6] Tiramakhan Traore — Wikipédia (wikipedia.org)
[7] Mali : Spectaculaire démonstration de force des FAMAS https://youtu.be/aUdv_1VOBC4
[8] Araouane — Wikipédia (wikipedia.org)
[9] Finkolo Ganadougou — Wikipédia (wikipedia.org)
[10] Wassoulou — Wikipédia (wikipedia.org)
[11] Sundiata Keita — Wikipédia (wikipedia.org)
[12] Conquêtes coloniales du Soudan français: L’alliance entre Archinard et Koumi Diocé du Bélédougou - abamako.com
[13] Nioro du Sahel — Wikipédia (wikipedia.org)
[14] Massina Empire — Wikipédia (wikipedia.org)



おすすめの記事

2023年1月28日土曜日

見つけにくい戦車ハンター:マリ軍の「9P133」自走式対戦車ミサイルシステム(短編記事)



著:トーマス・ナハトラブ in collaboration with ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 マリ軍は、ソ連から受け取った大量の装甲戦闘車両(AFV)を運用していました。
 
 同軍はT-54B戦車、PT-76水陸両用戦車、BTR-60装甲兵員輸送車(APC)を大量に導入したことに加えて、さらにいくつかの重装備も、より多く存在するAFVの影で運用されていました。これらのうちの1つが、BRDM-2偵察車の対戦車型である9P133「マリュートカ」です。

 9P133は、本来の銃塔の代わりに9M14「マリュートカ」対戦車ミサイル(ATGM)を6発搭載した昇降式発射機を備えています。初期型である9P122「マリュートカ」と比較すると9P133は光学機器が改良されており、より高性能な9M14P及び9M14P1ミサイルを発射することが可能で、使用するミサイルの種類に応じて最大で18発を搭載することができます。また、9P133は操縦手と発射要員からなる2名の乗員によって運用されます。

 ワルシャワ条約機構の加盟国や中東諸国で大量に運用されたこの車両は、後に9M111「ファゴット」9M113「コンクールス」ATGMを5発搭載した9P148「コンクールス」に取って代わられましたが、現在ではこれらの車両も一部の国を除いて世界中で現役を退いています。

 マリに9P133が引き渡された正確な時期は不明のままですが、SIPRIの武器移転データベースによると、マリ軍は1975年にソ連から20台のBRDM-2を受領しています。[1]

 CIAが公開した機密情報によると、1985年までにマリに最大で128台のBRDM-2が引き渡されており、そのうちのいくつかは9P133であった可能性があります。[2]

 彼らの唯一知られている公に姿を現した機会は1991年3月のことであり、そのときには6台が大規模な軍事パレードに登場しました。この数は、マリにおける9P133の全保有数に相当すると思われます。[3]

 残念ながら、彼らの運用歴については1985年のブルキナファソとの国境紛争に参加したかどうかも含めて、これ以上は何も判明していません。

 9P133のキャリアは、治安情勢の変化と国防費の削減の渦中にマリ軍が重火器の大半を退役させた1990年代のどこかで終わったと考えられています。ニッチな役割を果たしていたことが、9P133を最初にスクラップされた車両の1つにして、マリで運用されていたこの把握し難い戦車ハンターのキャリアを終わらせたことは間違いないでしょう。



[1] SIPRI Trade Registers https://armstrade.sipri.org/armstrade/page/trade_register.php
[2] THE SOVIET RESPONSE TO INSTABILITY IN WEST AFRICA https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp86t00591r000300440002-2
[3] "L'armée malienne sous Moussa Traoré : dernier défilé avant mars 1991" https://youtu.be/pHDTs-BA2XM?t=789

 ものです。


 

2022年12月23日金曜日

ロシアのアフリカ攻勢:ロシアがマリ空軍の増強を図る(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 トゥアレグ紛争がイスラム過激派勢力の反乱を波及させ、遠くないうちに国土全体がアルカイダの支配下に置かれるという恐れが出てきた2012年以来、 マリはほぼ一貫して紛争状態に置かれています。

 2013年初頭には、首都バマコへ向かうイスラム過激派の進軍を阻止してマリ北部を政府の統治下に戻すためにフランス軍が介入し、マリ共和国軍の支援を得ながら敵の進出を迅速に覆してアルカイダ(後のイスラム国)が撤退したキダル地方を除く国土の大部分を奪回するという成功を収めました。

 近年のアルカイダやイスラム国はさらなる勢力圏の拡大を試みており、マリ軍や同国に展開したままの国連部隊への攻撃を数多く行っています。国連部隊の主な目的は、この地域における治安部隊が将来的にこれらの過激派組織という脅威と戦い、その供給路を遮断し、隠れ家の構築を防ぐといった対処を可能にするための訓練をすることにあります。 

 2012年にマリ北部で勃発した反乱に直面した際、マリ空軍(Armée De L'Air Du Mali)は敵の前進を阻むどころか友軍を支援することも完全に不可能であることが判明しました。

 明らかにマリに展開する外国軍部隊の影響を受け、その後のマリ空軍は自国の安全保障問題により現実的なアプローチをとることを始めました。「MiG-21」戦闘機や「S-125」地対空ミサイル(SAM)といった旧式の残存戦力の大半を迅速に退役させたのです。[1]

 それ以降のマリ空軍は2015年にブラジルから「A-29B "スーパーツカノ"」4機(2018年納入)、ロシアから「Mi-35M」攻撃ヘリ4機(2017年及び2021年納入)を導入するなどして、ゼロからの再建を進めています。

 2019年には、マリはEUから寄贈された情報収集・警戒監視・偵察(ISR)用に特化された「セスナ208」の引き渡しを受けました。前方監視型赤外線装置(FLIR)が装備されているこの飛行機は、3機の「Mi-24D」攻撃ヘリコプター、2機の「H215 " シュペルピューマ"」輸送ヘリコプター、1機の「C-295W」輸送機と共に、マリ空軍の中核を担う機体と言えるでしょう。[2] 

 このようにして、小さな戦力ではあるものの、結果的にこの地域で最も近代的で有能な空軍が誕生したのです。

 「A-29B」は幅広い種類の精密誘導兵器を搭載可能ですが、マリには導入されていません。その代わり、現存している3機はガンポッドや無誘導ロケット弾、そして無誘導爆弾で武装しています(注:「TZ-04C」は2020年に事故で失われました)。 [3] 

 この飛行機は胴体下部にFLIR装置を備え付けることも可能ですが、アメリカが供給に関する合意に消極的だったため、結果としてマリへ引き渡されることはなかったと思われます。[4]

 おそらくは「A29B "スーパーツカノ"」の有効性を高めるための手段が存在しないことに刺激を受けたせいか、マリはトルコや中国から精密誘導爆弾(PGM)を搭載できる無人戦闘航空機(UCAV)の導入を視野に入れているとみられます。

 2021年5月にアッシミ・ゴイタ大佐が10年ぶり3度目の軍事クーデターで政権を握った時点までこの交渉はまだ継続しているように見受けられましたが、彼の政権はロシアとの関係強化を選択して西側諸国との関係をさらに悪化させています。


マリ空軍が保有する「A-29B " スーパーツカノ"」のうちの1機

 アッシミ・ゴイタ大佐による権力奪取のほぼ直後に、マリはロシアから新たな兵器類を調達したり、寄贈を受けました。

 特にマリ空軍は両国の関係改善による恩恵を受けるに至りました。1年前の調印された契約に基づいて2021年12月に納入された4機の「Mi-171Sh」に加えて2機の「Mi-24P」攻撃ヘリコプターが引き渡されたのです。[5]

 2021年12月には、現地の治安部隊を訓練するためにロシアのPMC「ワグネル」も自身の「オルラン-10」無人偵察機と防空システムを伴ってマリに公式に展開しています。[6] 

 「ワグネル」は治安部隊の訓練のみならず、フランスを陥れるためにマリの旧フランス軍基地の近くに集団墓地を設けたことや、約300人のマリ市民が犠牲になった「ムラの大虐殺」に関与していたことが現在までに判明しています。[7] [8]

 2022年8月、マリ空軍はロシアから「Su-25」対地攻撃機1機、「L-39C」ジェット練習機・軽攻撃機6機、「Mi-24P」攻撃ヘリコプター2機、「Mi-8T」輸送ヘリコプター1機、そしてスペインから「C-295W」輸送機1機の引き渡しを受け、さらに強化されました(ただし、「Su-25」は10月4日に墜落事故で失われてしましました。代わりに納入された機体も2023年9月に撃墜され、保有機がゼロとなりました)。

 「Su-25」と「L-39」の引き渡しについては、マリの近隣諸国の大部分がトルコから「バイラクタルTB2」UCAVを導入、またはその予定であることが要因となった可能性があります。実際、ニジェール、ブルキナファソ、トーゴ、ナイジェリアがすでに同UCAVを運用中か発注していますし、結果としてマリには2022年12月に3機のTB2が納入されました。[9]

 自国の軍隊の需要を満たせるほどのUCAVを生産できないロシアは、マリ空軍にUCAVや関連技術を提供することができないというわけです。


 「Su-25」と「Mi-24P」は、マリ軍のパイロットが十分に熟練するまで「ワグネル」によって運用される可能性がないわけではありません。しかしながら、厳しいパイロットの訓練で「Su-25」や「L-39」が欠いている誘導兵器の運用能力や高度な照準システム、そして危険なサヘル地域で必要とされる生存能力をカバーすることは不可能と言わざるを得ません。

 政治的影響力を受けているかどうかは別として、減少しつつある軍備の蓄えを補う兵器類をロシアからまだ購入できるかもしれません。しかし、購入国はロシアの武器が21世紀の戦いに通用しないという現実に遅かれ早かれ直面することを余儀なくされるでしょう(2023ン年1月20日、マリ大統領府は新たに「Su-25」攻撃機1機、「L-39C」練習機5機、「Mi-8」汎用ヘリコプター2機が空軍に引き渡されたことを公表しました)[10]。

マリ空軍は合計4機の「Mi-35M」を2017年と2021年の引き渡しを受けました:これらはマリでFLIR装置が備え付けられた僅か2機種のうちの1つであり、誘導兵器(最大で8発の「9M120 "アタカ"」対戦車ミサイル)を運用可能な唯一の戦力です


  1. このリストは、マリ空軍で運用されている航空機の総合的なデータ化を目的としたものです。
  2. 現時点で運用されていない機体はこのリストには含まれていません。
  3. このリストは、新たな飛行機やヘリコプターの導入に関する発表や発覚に伴って随時更新されます。


マリ空軍の運用兵器一覧


無人戦闘航空機(9)


対地攻撃機及び練習機(18)


攻撃兼輸送ヘリコプター (16)


輸送兼汎用ヘリコプター (4)


練習兼汎用機 (8)


輸送兼汎用機 (6)


VIP専用機 (1)


無人偵察機 (少数)


レーダー(1)


[1] Goas In The Savanna: Mali’s S-125 SAM Systems https://www.oryxspioenkop.com/2022/02/goas-in-savanna-s-125-sam-systems-in.html
[2] New ISR Cessna 208 Caravan for Mali https://www.keymilitary.com/article/new-isr-cessna-208-caravan-mali
[3] Crash Mali Air Force Super Tucano https://www.facebook.com/Scramblemagazine/posts/3538112936215215
[4] Mali receives Super Tucanos https://www.defenceweb.co.za/aerospace/aerospace-aerospace/mali-receives-super-tucanos/
[5] Mali officially takes delivery of Mi-171 helicopters https://www.defenceweb.co.za/aerospace/aerospace-aerospace/mali-officially-takes-delivery-of-mi-171-helicopters/
[6] Townsend: Russia Added to Instability in Africa With New Air Defenses in Mali https://www.airforcemag.com/townsend-russia-added-to-instability-in-africa-with-new-air-defenses-in-mali/
[7] French accuse Russian mercenaries of staging burials in Mali https://apnews.com/article/russia-ukraine-ouagadougou-burkina-faso-europe-africa-af0965b3bd459f90c9cf930625aa4590
[8] ‘The Killings Didn’t Stop.’ In Mali, a Massacre With a Russian Footprint https://www.nytimes.com/2022/05/31/world/africa/mali-massacre-investigation.html
[10] https://twitter.com/PresidenceMali/status/1616111932238356482?s=20&t=49UjxsXzXv4qxLtGhv1AQA

※  当記事は、2022年8月16日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります。


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