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2023年10月18日水曜日

翼を広げるシマハッカン:拡大するタイのUAV飛行隊


著:シュタイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 無人航空機(UAV)は、今や東南アジアにとって新しいものではありません。タイでは、すでに2001年の時点で陸軍がIAI「サーチャーMk. II」無人偵察機をイスラエルから調達して運用し続けているのです。

 この国ではその後の数十年にわたって(主にイスラエルから)さらなる種類のドローンの導入が続き、結果的に現在の陸海空軍で運用される無人兵器の拡充をもたらしました。

 その一方で、この中には数を増やしつつある自国で開発されたUAVや中国からライセンスを得て生産された機種も含まれています。それらの中でも最大かつ最も高性能な機種が中国・北京航空航天大学の「CY-9」をベースに開発した「D-アイズ04」で、最終的には陸軍の旧式化した「サーチャーMk.II」の後継となる可能性があります。[1]

 また、タイは、同大学が開発したより大型の攻撃能力も有する無人偵察機「TYW-1」にも関心を示しているとみられています。

 中国との協力によって、タイはこれまでに自国軍用の「DTI-1/1G」誘導式多連装ロケット砲を含む数多くの高度な最新兵器をライセンス生産するなど、他国とは実現不可能な取引を行ってきました(注:つまり、今後もこの傾向が続くことが自然ということ)。

 サイズと航続距離の(ほぼ)全てのカテゴリーでかなりの数のUAVが運用されているにもかかわらず、タイ軍の保有兵器にはいまだに無人戦闘航空機(UCAV)が欠けています。

 2019年には、タイの防衛技術研究所 (DTi) が「U-1 "スカイ・スカウト"」の攻撃機型である「U-1M "スカイ・スカウト-X"」を発表しました。この小型UCAVは射程6kmのタレス製「FF-LMM」誘導爆弾を2発搭載された状態で登場しましたが、この爆弾が大部分のUCAVよりも低い高度で飛行する 「U-1M "スカイ・スカウト-X"」から投下された場合、実際の射程距離はやや短いものとなるでしょう。

 この機種が実際にタイ軍の陸海空のいずれかの軍種で運用されることになるのか否かは、現時点では明らかになっていません。

 2021年12月、タイ海軍が4機の中高度長時間滞空(MALE)型UAVの導入を検討していることが公表されました。これについてはイスラエルの「ヘロンTP」や「ヘルメス900」、中国の「翼竜II」UCAVが有力な候補とみられていたものの、結果として2022年7月に「ヘルメス900」9機の発注が発表されました。[2][3]

 2022年6月にタイ国防省の代表団が「バイカル・テクノロジー」社を訪問したことは、タイが同社の「バイラクタルTB3」に対しても具体的な関心を示している可能性があります。[4]

 TB3は当初から海上での任務を念頭に置いて設計されたUCAVであり、今では専用の艦載機を持たないタイ海軍の空母「チャクリ・ナルエベト」からの運用も可能という利点があります。2021年に同空母の全長175mを有する飛行甲板から小型のVTOL型UAVを運用する実験を行っているため、海軍が無人機を将来的な艦載システムと考えていると推測することは至って自然なことです。[5]

北京航空航天大学の「CY-9」をベースに開発された「D-アイズ04」

(各機体の名前をクリックするとタイで運用されている当該UAVの画像を見ることができます)


無人偵察機 - 運用中 または  発注済み


VTOL型無人偵察機 - 運用中


無人標的機- 運用中


無人偵察機 - 試作


無人戦闘航空機 - 試作


VTOL型無人偵察機 - 試作

 既存のイスラエル製UAVや(主に中国の北京航空航天大学との協力を通じて)現在の能力をさらに拡大する態勢を整えている自国の高度な技術基盤のおかげで、タイにおけるUAV戦力の将来は明るいと言えるでしょう。

 将来的な「ヘルメス900」やMALE型UCAV、そして中国製大型UCAVのライセンス生産機の導入は(場合によってトルコからのUCAVの導入と組み合わせると)、タイは東南アジアにおける無人機戦力のトップに立つという素晴らしい偉業を成し遂げることを可能にするかもしれません。

タイの代表団メンバーが「バイカル・テクノロジー」のハルク・バイラクタルCEOから「バイラクタル・アクンジュ」UCAVの模型を贈呈された際の記念撮影(2022年6月)

[1] Royal Thai Army developping D-Eyes 04 MALE UAV https://www.airrecognition.com/index.php/news/defense-aviation-news/2021/november/7852-royal-thai-army-developping-d-eyes-04-male-uav.html
[2] Thai Navy Seeking Long-Range Maritime Surveillance Drone https://www.thedefensepost.com/2021/12/30/thailand-maritime-surveillance-drone/
[3] Thailand to Buy Israeli-Made Hermes 900 Drones https://www.thedefensepost.com/2022/07/04/thailand-israel-hermes-drones/
[4] Royal Thai Embassy, Ankara https://www.facebook.com/rteankara/posts/pfbid02k
[5] Thai aircraft carrier tests VTOL drone MARCUS-B https://www.navalnews.com/naval-news/2022/01/thai-aircraft-carrier-tests-vtol-drone-marcus-b/

 のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
 あります。



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2023年4月30日日曜日

深海から浮上した物語:インドネシアの実験的な小型"Uボート"


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ

 ミリタリーファンは、常に見聞きしたことのない魅惑的な戦記を追い求めています。

 すでにマーク・フェルトンが世界中の人々の関心を引くために相当な数の戦記を世に出すという偉業を成し遂げているのもの、依然としてさらに多くの情報が埃にまみれた資料や写真の中に隠されたままとなっており、いつの日にか公表されることを待ち続けています。

 そうした話の一つが、1948年にジャワ島でドイツの元潜水艦乗組員がインドネシアの独立勢力のためにミゼットUボート(以下、特殊潜航艇と記載)を設計・建造した話です。[1]

 この潜航艇は最初の海上公試で沈没してしまいましたが、それでも専門的な機械や機器を備えていない鉄工所で(本物の設計士ではない)ドイツの潜水艦乗組員によって設計と建造がなされたことは目を見張るべき偉業と言えるでしょう。

 今回取り上げた話に登場するドイツ軍の潜水艦乗組員は、第二次世界大戦中の太平洋とインド洋で任務に就いていたドイツ(とイタリア)のUボート部隊「グルッペ・モンズーン(モンスーン戦隊」に所属していた人たちです。

 日本が支配下に置いたマレーシア・シンガポール・インドネシア(当時はまだ蘭印:オランダ領東インド)を拠点に行動していたこの戦隊の作戦地域は、ドイツ軍と日本軍(そしてイタリア軍)が実際に同じ戦域で戦った唯一の場所でした。

 1945年5月8日のドイツ降伏した後に残存していたドイツの潜水艦4隻とイタリアの潜水艦2隻は日本側に接収され、乗組員はインドネシアで抑留されたり、今や日本艦となったこれらの潜水艦を運用するために使役されたりしました。

 興味深いことに、イタリアの潜水艦「ルイージ・トレッリ」「コマンダンテ・カッペリーニ」 の2隻は、すでに一度は日本に拿捕された経歴がありました。最初の拿捕は1943年9月のイタリア降伏後のことであり、インドネシアのサバンでドイツ海軍に引き渡され、ドイツ人とイタリア人の混成クルーによって引き続き運用されました。そしてドイツ降伏後、この2隻は(4隻のドイツ艦と一緒に)再び日本に接収されて今度はドイツ・イタリア・日本の混成クルーによって運用されることになったのです!

 結果として、「ルイージ・トレッリ」と「コマンダンテ・カッペリーニ」は第二次世界大戦中に枢軸国の主要3か国全てで運用された唯一の艦艇となりました。

 2隻の元イタリア艦は主に蘭印と日本を結ぶ輸送潜水艦として活用されて最終的には1945年に神戸でアメリカ軍に接収され、ドイツのUボートである「U-181」、「U-195」、「U-219」、「U-862」はシンガポールと蘭印でイギリスに接収されてその経歴に終止符が打たれました。

 これらの運命を詳しく説明すると、「U-181(伊-501)」「U-862(伊-502)」はシンガポールでイギリスに接収され、その翌年にマラッカ海峡で海没処分されました。

 「U-195 (伊-506)」 と「U-219 (伊-505)」 については、前者は1945年8月にオランダ領東インドのジャカルタで、後者はスラバヤでイギリス軍に接収されました。この2隻を入手するはずだったオランダは、1946年の三者海軍委員会による決定に基づいて入手の断念と処分を余儀なくされたのでした(注:実際の海没処分はイギリス軍によって実施)。 [2]

「XB」級Uボート「U-219/伊-505」:三者海軍委員会の規則によってオランダ海軍は同艦と「IXD1」級Uボート「U-195/伊-506」の保有を許されなかったため、これらの2隻は1946年にジャワ島沖で海没処分された。

 シンガポールで接収された「U-181」と「U-862」のドイツ人乗組員は終戦後にドイツへ帰国するか、(イギリスの)ウェールズで抑留後にそのまま現地に永住するという運命を辿りました。

 一方で、1945年当時の蘭印に残っていた「U-195」と「U-219」の乗組員や別のドイツ海軍の軍人たちの中には全く別の人生を選択した人もいました。降伏してイギリスに協力する者もいれば、正反対にインドネシア独立戦争でイギリス・オランダ軍と戦い続けるべくインドネシアに忠誠を申し出た者もいたのです。

 その中には、ジャワ島ジョグジャカルタの鉄工所で特殊潜航艇を設計・建造した者も含まれています。[2]

 この異形な鋼鉄製の潜航艇は、インドネシア共和国の首都と指導者を捕らえることを目的とした2度の軍事攻撃の2回目として成功した「カラス作戦(Operatie Kraai)」で、オランダ軍がインドネシアの臨時首都であるジョグジャカルタを占領した後に発見されました。

 興味深いことに、オランダは2度の軍事攻撃の成果としてスカルノ大統領とモハマッド・ハッタ副大統領を捕虜にしただけでなく、1947年8月に実施された最初の攻勢である「プロダクト作戦」で、東ジャワにて5名のドイツ人も捕虜にしたのです。このうちの4名は「U-195(伊-506)」の乗組員だった者たちであり、残りの1名(インドネシア生まれのドイツ人)はインドネシア軍の犬のトレーナーとしての役割を担っていました。[3] [4] [5] [6] [7]

オランダ軍の兵士たちが鹵獲した鋼鉄製物体を訝しげに調べている様子:船体の左右に取り付けられた安定用のフィンに注目

 粗雑で正常に機能しなかった設計ではあったとはいえ、この特殊潜航艇はインドネシアによって初めて組み立てられて運用された潜水艦です。

 残念なことに、この潜航艇の内部構造については、設計時に設定されたもので初航海での沈没を防げなかったことを除くと、何も分かっていません。[8]

 その後、沈んだ"鋼鉄製の海獣"は引き上げられて修理や設計の改良のために鉄工所に戻されましたが、そうした作業はオランダ軍の占領によって力づくで中断させられてしまいました。もし、この潜航艇の修理が間に合っていれば、ジャワ島のインドネシア領を海上封鎖に従事していた不用心なオランダ海軍の駆逐艦に攻撃する姿が見れたかもしれません。

 この目的のために、この特殊潜航艇は船体下部のマウントに魚雷1本を搭載することが可能でした。[9]

 搭載する魚雷の種類はおそらく日本の「九十三式魚雷」や「九十五式魚雷」、あるいは450mmの「九一式航空魚雷改2」で占められていたと思われます。実際、インドネシア軍は大日本帝国海軍の基地を占領したり引き渡しを受けた際にこれらの魚雷を大量に入手していたからです。[10]

 魚雷の照準については、セイルに格納された大きな潜望鏡を通して合わせることになっていたのでしょう。艦橋構造物の巨大な舷窓や潜望鏡の大きさから判断すると、作戦中の特殊潜航艇は少なくとも一部が水面から突き出ていることになるため、Uボートとはいうものの技術的には半潜水艇と呼ぶべき代物ものでした。

船体下部のアタッチメントには1発の魚雷を装備できる

 最終設計案に基づいて建造された姿は、この時代の特殊潜航艇とは似ても似つかぬ、極めて粗雑なものであったとしか言いようがありません。

 実際の設計に先立って作られた潜水艦の模型は、ドイツの「ビーバー」級特殊潜航艇から大まかな着想を得たように見えます。これが全くの偶然なのか、それとも建造に関わったドイツの乗組員が蘭印に出発する前に「ビーバー」級を見る機会があって、その後に自らの設計のベースとしたのかは不明です。

 「ビーバー」級の量産は、「U-195」と「U-216」が蘭印へ向けて出発する数か月前の1944年夏に開始されました。両艦とも分解された「V-2」ロケットや最新兵器の設計図を積載していたましたが、この航海で「ビーバー」級の設計図も日本側に移転された可能性もありますが、その真相は歴史の闇に葬り去られてしまいました。

 結局のところ、「ビーバー」級との類似性については「単なる偶然の一致」が最も有力な説となっています。

ドイツの「ビーバー」級特殊潜航艇

本物を建造する前にドイツの潜水艦乗組員によって作られた縮小模型

 ナチスドイツと日本の降伏後にインドネシアの独立闘士と共に戦うことを選択した現地のドイツ人潜水艦乗組員によって、日本の魚雷で武装したドイツの特殊潜航艇が設計されていた - これは、まさに魅惑的なもので満ち溢れた物語以外の何ものでもありません。

 その粗雑な設計と製造品質のおかげで、この特殊潜航艇は最初から成功の見込みがなかったかもしれませんが、インドネシア人がオランダ軍に戦いを挑むためにあらゆる手段を模索しようという決意を(他国の人々の協力を得て)ますます強めていったという重要な証拠と言えるでしょう。

 インドネシアが再びオランダの主力艦を沈めるという試みを再び仕掛けるには、オランダ領ニューギニアへの侵攻を企図した「トリコラ作戦」の一環で実行を試みた1962年まで待たねばなりませんでした。当時はソ連から最新の兵器を入手していたため、その結果として立案された計画では「KS-1 "コメット"」対艦ミサイルを搭載した「Tu-16KS-1」爆撃機によるオランダ空母「HNLMS カレル・ドゥールマン」撃沈が求められていました(結局、攻撃は中止に終わりました)。

 明らかにインドネシアの軍事史が西側諸国で全く取り上げられていないという事実は、そこに含まれている多くの興味深い物語が十分に伝えられていないことを意味しています:つまり、それは私たちが好んで取り上げる物語のことです。

[1] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/af009e5e-d0b4-102d-bcf8-003048976d84
[2] IJN Submarine I-505: Tabular Record of Movement http://www.combinedfleet.com/I-505.htm
[3] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Erich Döring, geboren 29-03-1921 Muehlhausen. In dienst van de Kriegsmarine als Maschinenunteroff. op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/3fa45cf9-01a6-7884-0237-db4c606ccfa5
[4] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Herbert Weber, geb. 3-6-'14 te Leutersdorf. In dienst van de Kriegsmarine als Leitender Ingenieur op U-boot 195 https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/f1cca949-fd26-d1c8-3f3a-10a985539386
[5] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Heinz Ulrich, geboren 14-08-1924 te Berlijn. In dienst van de Kriegsmarine als Maschinenobergefreiter op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/432b83ec-97d7-308b-08cd-f2470cf2bea8
[6] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Res. Oberleutnant zur See Fritz Arp, geb. 16-1-'15 te Burg auf Friehmar (Ostsee) In dienst van de Kriegsmarine als 1ste Off. op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/c8569997-e185-7055-81c5-f70cad6da942
[7] Malang. Een van de vijf op 1 augustus 1947 te Malang gearresteerde Duitsers: Alfred Pschunder, geboren op 24 december 1918 te Malang, Rijksduitser. Hij richtte o.a. honden af voor de Polisi Negara https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/c8569997-e185-7055-81c5-f70cad6da942
[8] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. Op deze plaats werd de torpedo aan het moeder-scheepje bevestigd. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/af009fe4-d0b4-102d-bcf8-003048976d84
[9] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. Op deze plaats werd de torpedo aan het moederscheepje bevestigd https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/397950e1-fab7-1892-0a70-7d82a6ca43c8
[10] Hangar met Japanse? voertuigen. In de achtergrond liggen zeetorpedo's opgestapeld https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/01ff58e2-1eea-1815-f92d-68bfb852bb8e(リンク切れ)

※  当記事は、2023年1月10日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。

2023年4月1日土曜日

艦載機の有力候補:「バイラクタルTB3」がインドネシアへ?


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
 
 「バイカル・テクノロジー」社製UCAVを導入したいということを表明したインドネシアの意思は、いつの日か空母やLHD(強襲揚陸艦)からも運用できる、TB2の重量型として設計された「バイラクタルTB3」に関心を示すことに至るかもしれません。

 インドネシア海軍はすでに、「ディポヌゴロ」級コルベット「フランス・カイシエイポ」のヘリ甲板から国産UAV「LSU-02」離陸させる実験を行っています。この実験は艦艇からの離陸のみであって海軍艦艇にUAV運用能力があることを示すものではありませんが、この実験はインドネシアがVTOL型に加えて艦載型の固定翼式UAVの運用に興味を持っていることを明確に示しているように思われます。

 現在、インドネシア海軍は病院船として建造された2隻を含めて計6隻のLPD(ドック型輸送揚陸艦)を運用しています。LPDの3隻は、国営造船所である「PT PAL インドネシア」「マカッサル」級揚陸艦を設計した韓国の「大鮮造船所」と協力し、同揚陸艦の建造ライセンスを得て導入されたものです(注:最初の2隻は韓国で、残りの3隻は国内で建造されました)。2014年6月には、「PT PAL」はフィリピン海軍に2隻のLPDを納入する9200万ドルの契約に署名しました。[3]

 西側諸国における現代艦艇で標準とされるシステムの多くは搭載されずに納入されてはいますが、「マカッサル」級の約4500万ドル(約57億円)という低価格は、インドネシアやフィリピンなどの国にとって実際に経済的な面で入手可能な船であることを意味しています。

 現在、インドネシア海軍は今この先の10年で数隻のヘリコプター揚陸艦(LPH)を調達する意図があると考えられています。 2018年に「PT PAL」は、インドネシア海軍に売り込まれるLPHのベースとなる可能性が高い全長244mのLPHの設計案を公表しました。[4]

 トルコの232mを誇る「アナドル」級LHDと同様に、このLPHはヘリコプターや大型U(C)AVを飛行甲板やハンガーに移動できる大型の後部エレベーターを備えています。「バイラクタルTB3」は当初から空母やLPHからの配備を前提にして設計されているため、その設計の変更をほとんど要せずにインドネシアのLPHで運用可能と思われます。

 TB3は小型で翼が折りたたみ式のため、相当な数を対潜ヘリコプターや他のドローンと一緒に艦載できることから、 インドネシアに初の(無人機)空母をもたらす可能性を秘めていることは言うまでもありません。

インドネシアが構想している244メートル級LPHのイメージ図
 
 「バイラクタルTB3」は280kgのペイロードを搭載しつつ、最大で24時間の滞空が可能です。このペイロードは射程30km以上の「MAM-T」を含む最大で6発の「MAM」シリーズ誘導爆弾や敵のUAV・ヘリコプターを攻撃可能な「サングル」空対空ミサイル、海上捜索レーダー、あるいはそれらの組み合わせで成り立っています。[5] 

 これによって、TB3は敵艦との交戦や上陸作戦の支援、海上監視を行うことが可能となっているのです。

 インドネシアのLPH(LPDと同様に)は低価格が見込まれているため、TB3の導入と組み合わせた場合、これらがインドネシア海軍に全く新しい可能性を切り開く可能性があるでしょう。

  その意味では、ヘリ甲板からUAVを離陸させるだけでは、戦力投射能力を格段に向上させることができるLPHからの真のUCAV運用能力には遠く及びません。

「フランス・カイシエイポ」のヘリ甲板から「LSU-02」が発艦した直後のカット

 以前、タイが「HTMS チャクリ・ナルエベト」によってこの地域に空母をもたらすことを試みましたが、同艦の「AV-8S "ハリアー"」は資金不足のため後継機がないまま退役し、今では全長183mの無用の長物と化してしまいました。現在、タイ海軍は運用するのに十分な数のヘリコプターと無人偵察機を保有していないのにもかかわらず、同艦はヘリコプターと無人偵察機用空母としての役割を担っています。

 つまり、「HTMS チャクリ・ナルエベト」は野心が現実に負けた一例であり、必要なアセットがないままプラットホームが取得されてしまった状況を明らかにしているのです。

 このような観点から、共に安価なLPHと「バイラクタルTB3」を調達することは、より費用対効果が高く、リスクの少ない固定翼式洋上偵察・武装アセットを導入する方法であるといえます。もしTB3の成功が証明され、将来的にジェットエンジンを搭載した「バイラクタル・クズルエルマ」UCAVを導入して戦力を拡大するならば、可能な限り低い投資額と引き換えに、インドネシアが現代の海上戦力の最前線にとどまることを保証することになるでしょう。

「バイラクタル・クズルエルマ」無人戦闘攻撃機


[1] Indo Defence 2022: Baykar in talks with Indonesian government on Bayraktar TB2, Akinci UAVs https://www.janes.com/defence-news/news-detail/indo-defence-2022-baykar-in-talks-with-indonesian-government-on-bayraktar-tb2-akinci-uavs
[2] https://i.postimg.cc/FR8hbv3T/854.png
[3] Philippine Navy Commissions New Ships in 118th Anniversary Celebration https://thediplomat.com/2016/06/philippine-navy-commissions-new-ships-in-118th-anniversary-celebration/
[4] https://i.postimg.cc/gkBHvBTn/776.jpg
[5] BAYRAKTAR TB3 https://baykartech.com/en/bayraktar-tb3/


※  当記事は、2022年11月8日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳    
 したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した
 箇所があります。

 

2023年3月26日日曜日

新たな時代に備えて:日本が各国に供与した防衛装備品など(一覧)


著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo

 何十年も平和を維持するための努力を費やしてきた後に再び戦争の可能性に備えている日本は、自衛隊に初となる正真正銘の攻撃能力を導入することになったほか、台湾周辺の島々に長距離対艦ミサイルの配備もしました。

 冷戦以降も領土問題を外交的に解決することを望んでいたにもかかわらず、今の日本は、ますます威勢を強める中国と(日本の千島列島のうち最南端に位置する4つをいまだに占領している)ロシア、核保有国と化した北朝鮮に囲まれた状態にあるのです。

 軍事態勢を強化する試みの一環として、日本は中国の干渉に対するアジア諸国の戦力を支援を通じて高め、主にフィリピンやマレーシアといった国の海上監視能力の強化も目指しています。

 これまでの支援は非武装の哨戒機や練習機、非殺傷兵器の寄贈に限られていましたが、ようやく日本が海外に堂々と軍備を輸出できるようになった情勢を受け、この国はさらなる貢献の方策を模索して始めています。

 フィリピンは冷戦後に日本から大型装備の供与を受けた最初の国であり、2020年に全長96mの巡視船2隻と対空捜索レーダー数基を入手しています。その後も、日本はフィリピン沿岸警備隊がこれらの艦艇を運用し続けるための整備能力を強化するため、2億1,000万円を拠出しました。[1] 

 フィリピンは、すでに日本政府が建造資金を提供した全長44mの巡視船10隻と元海上自衛隊機である「ビーチクラフト・キングエア "TC-90"」双発機5機を受領しており、2023年または2024年には多数の「UH-1J」ヘリコプターも受け取る予定です。

 同様にベトナムも日本の援助の受領国であり、2016年と2018年に6隻の漁業取締船を供与されています。2021年9月、両国の軍事協力が徐々に強化されていく中で、彼らは日本がベトナムに防衛装備品や技術を供与する協定を締結しました。[2]

 日本の民間団体による取り組みも、太平洋の海洋安全保障に重要な貢献をしていることに注目すべきです。日本財団は太平洋の国々へ資金や巡視船さえも寄贈している組織の一つであり、2018年にはミクロな島国であるパラオに40m級の新型巡視船まで寄贈しています。[3]

 中国の影響力に支配されることを阻止したり、密漁や違法操業への対処するかどうかを問わず、日本政府や民間からの寄贈は何らかの形で太平洋の海洋安全保障に寄与しているのです。


 2022年2月24日のロシアの侵攻を受けたウクライナに対する日本の支援の動きは、早くも2月25日にウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相から岸信夫防衛大臣(当時)宛の書簡から始まりました。[4]

 この書簡の中で、レズニコフ国防相はロシアからの侵攻の阻止を支援して欲しいと日本から「武器」を含む軍備の提供を要請しました。これを受けた岸防衛大臣は、日本が厳格な輸出規制に縛られながらも自国ができることを探すよう防衛省の各部署に指示したとのことです。こうして、1960代以降の政権によって定められた厳しいガイドラインの限度内でどのような種類の装備品を送ることができるのかを選定するという、日本政府にとって大変な挑戦が始まりました。
 
 まず、防衛省は自衛隊の不用装備品を開発途上国に譲渡できると定めた自衛隊法第116条の3第1項に着目したものの、当該条文は武器と弾薬の譲渡について明確に除外していることがネックとなりました。 [4]

 もう一つの障害となっていたのは、「紛争当事国」への(非殺傷型を含む)軍備の移転を禁止していることが明記されている、1967年に定められた「武器輸出三原則(注:現在の「防衛装備移転三原則」)というガイドラインの存在でした。[4]

 この原則で定義する「紛争当事国」とは、「武力攻撃が発生し、国際の平和及び安全を維持し又は回復するため、国連安保理がとっている措置の対象国」を指します。ただし、「紛争当事国」と定義された具体的な国は朝鮮戦争時の北朝鮮と湾岸戦争のイラクだけしか存在しません。つまり、皮肉にも日本のガイドラインでウクライナは「紛争当事国」ではないため、日本は非殺傷型の防衛装備を供与する選択肢に進むことができたのです。[4]

 しかし、防衛省は「日本と安全保障面での協力関係がある国に対する救難、輸送、警戒、監視及び掃海に係る協力に関する防衛装備の海外移転」のみ限定する三原則上における「運用指針」の問題にも直面することになりました。[4]

 このおかげで、ヘルメットや防弾チョッキは日本の輸出貿易管理令で定める防衛装備品に該当することから、当時はウクライナへの譲渡が不可能だったわけです。

 これらの厳格な規制を回避するため、日本政府は自衛隊が用いている「88式鉄帽」について、民間市場でも同等のものが購入できることから、実質的には規制に該当する「軍用ヘルメット」ではないと宣言したのです – これが独創的な解釈と言えることは確かでしょう。[1] 
 
 ウクライナに対するヘルメットや防弾チョッキなどの非殺傷型の装備品を供与する上で生じる問題を解決するため、日本政府は「運用指針」そのものに変更を加えました。防衛装備移転三原則の運用指針に定める「防衛装備の海外移転を認め得る案件」に、「国際法違反の侵略を受けているウクライナに対して自衛隊法第116条の3の規定に基づき防衛大臣が譲渡する装備品等に含まれる防衛装備の海外移転」が追加されたのです。

この興味深くも、非常に骨の折れる官僚的な駆け引きの後、「88式鉄帽」6900個と「防弾チョッキ3型」1900着は、その他の衣服や人道支援物資と共に航空自衛隊の「KC-767」と「C-2」輸送機やアメリカ空軍の「C-17」輸送機で欧州へと空輸されるに至りました。

ウクライナで用いられている防弾チョッキ3型(改):日本がウクライナへ供与した装備類は現時点で非殺傷型のものばかりだったが、数年前まではこの程度の支援も考えられなかったことに注目すべきだろう(提供:とあるウクライナの予備兵 via 爆戦氏)

 ウクライナと日本の国境(海)に近い地域における出来事を考慮すると、今後もウクライナやアジア諸国が日本から寄贈される各種防衛装備の受け入れ先となる可能性は高いと思われます。

 絶え間ない現代化を続ける軍事組織を維持するため、将来的な寄贈対象には戦車やヘリコプター、さらには艦艇といった自衛隊の退役装備も含まれるかもしれません。なぜならば、これらも細心の注意を払って稼働(またはそれに準じた)状態が維持されているからです。

 ウクライナは確実に日本政府へ追加の軍事支援を(得られる瞬間まで)求めてくることが予想されるため、結果として、日本政府が過去の政権によって定められた原則の範囲内に収めるようにする奮闘の中で、さらに官僚の頭を抱えさせることになるのは間違いありません。

  1. 以下の一覧では、日本政府から諸外国へ寄贈されたことが判明している軍用装備や重機を掲載しています。
  2. 個人から寄贈されたものについては、この一覧には含まれていません。
  3. 一覧の項目は武器の種類ごとに分類されています(各装備名の前には原産国を示す国旗が表示されています)。
  4. この一覧はさらなる軍事支援の表明や判明に伴って更新される予定です。
  5. 各装備品類の名称をクリックすると、当該装備品類の画像などを見ることができます。

ヨーロッパ

ウクライナ


東南アジア

カンボジア

インドネシア

マレーシア


フィリピン

ベトナム


[1] Japan pledges 210M yen to PCG https://mb.com.ph/2022/06/11/japan-pledges-210m-yen-to-pcg/
[2] Japan, Vietnam sign defense transfer deal amid China worries https://apnews.com/article/technology-china-japan-tokyo-kamala-harris-9bf99b9422489050fcb0dde811741714
[3] Japan Patrol Vessel Donation to Help Palau Counter Maritime Threats https://www.nippon.com/en/features/c04802/
[4] 防弾チョッキ提供 ウクライナに武器輸出?https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/79571.html
以降は邦訳に際して参考とした資料となります。

※  当記事は、2023年3月22日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したも  
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
    あります。また、編訳者の意向で大幅に加筆修正を加えたり、画像を差し替えています。