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2024年12月1日日曜日

内戦最大の包囲戦が終結へ:アブ・ズフール空軍基地の陥落


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2015年9月10日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 3年近くも窮地に立たされていたアブ・ズフール空軍基地は、2015年9月9日、とうとうアル・ヌスラ戦線を中心とする反政府勢力によって占領されてしまいました。シリア内戦で最長の包囲戦を展開したところで、空軍基地の陥落を最終的に避けられないことが明らかとなったわけです。アブ・ズフールはシリア政府に敵対する多数の勢力によって失われた8番目の空軍基地であり、これでシリア・アラブ空軍(SyAAF)が出撃に使用できる空軍基地は15となりました。

 この基地でシリアのイドリブ県上空を飛ぶ航空機やヘリコプターをいまだに格納していると頻繁に噂がなされていましたが、最後の運用可能な機体はこの基地が陥落する数か月前に離れています。というのも、この基地の陥落が差し迫っていることを十分に認識した上で、数少ない運用可能な「MiG-23MF」と「MiG-21MF」、そして「MiG-23bis」をハマ基地に対比させることが決定されたからです。

 基地にはグーグルアースや画像や動画で確認できる18機以上の退役機があるために見応えのある光景となっているものの、その大部分は10年から15年前に放棄されたものです。したがって、アブ・ズフール基地の陥落は、シリアの空を支配するシリア空軍の能力に少しも影響を与えることはないでしょう。

 アブ・ズフールは他の政府支配地域から完全に孤立していたため、この基地への補給はシリア空軍の手に委ねられていました。彼らは主に「An-26」と「Mi-8/17」を用いて食料から武器に至るまであらゆる物資を運び込んでいましたが、反政府軍が基地の周囲に接近し続けるにつれて、その危険性は徐々に高まっていったようです。年間を通して数機のヘリコプターが撃墜・破壊・損傷を受けたほか、2機の「MiG-21」と1機の「An-26」も失われてしまいました。 

 アブ・ズフール空軍基地への襲撃は中東を吹き荒れる極めて異例な砂嵐と重なったため、シリア空軍は守備隊を支援するための出撃を行うことができませんでした。それでも、最終的に空軍基地の占領につながったのは、絶え間ない砲撃と3年近くにわたる包囲によって生じた消耗、そして反政府軍の数的優位があったからです。

 守備隊の大半は捕虜になるか殺害されましたが、ごく一部は政府軍の支配地域に逃亡しました。アブ・ズフールの司令官であるイッサン・アル・ズフーリ准将は戦死したと伝えられています。


 アブ・ズフールは、「MiG-23MS」、「MiG-23MF」、「MiG-23UB」を擁する第678飛行隊と、「MiG-21MF」、「MiG-21bis」、「MiG-21UM」を擁する名称不明の飛行隊の拠点でした。

 1973年に納入され、間違いなく史上最悪の軍用機の一つである「MiG-23MS」は、今世紀に入って(すでに十分に引き延ばされていた)寿命が尽きました。第678飛行隊は2000年代初頭を通じて徐々に「MiG-23MS」の運用を縮小し、2005年頃に正式に退役させたのです。
結果として、僅か数機の「MiG-23MF」と「MiG-23UB」「MiG-21」がこの基地で唯一の稼働状態にあるアセットとして残りました。

 下の画像の機体は、状態が良好な往事の「MiG-23MS "1614"」 です。


 アブ・ズフールを占領しようとした最初の本格的な試みは2013年4月30日に行われており、その際に自由シリア軍の兵士たちが基地の周囲に侵入することに成功しました。しかしながら、守備隊が自由シリア軍を撃退したことにより、初めて空軍基地へ侵入するという試みは頓挫してしまいました。基地の防御線はその後すぐに強化され、その後の数か月間は全ての攻撃を受け流すことができたようです。

 2012 年3 月 7 日、自由シリア軍の兵士たちは 「9M131 (9K115-2 "メチス-M")」対戦車ミサイルで基地を攻撃し、すでに運用状態になかった「MiG-23MS」の 1機に損傷を与えました。ちなみに、この機体は彼らが基地を強襲した際に再び登場します。

 全長5km近いアブ・ズフールの境界線は、空軍基地を取り囲む平坦な地形を見渡せるような高い建物がなければ、防衛することはほとんど不可能な状態でした。というのも、空軍基地の周辺にある村や農場の多くは、反政府軍の動きを封じるためにすでに平らにされていたからです。

 13基の強化型航空機シェルター(HAS)は大部分が空っぽになっていたものの、さまざまな軽火器や重火器で守備隊のグループを収容する砦に変貌しました。そして、重機関銃や対戦車ミサイルがHASの上に備えられたことで、防御側はクリアな射界を得ることに成功したのです。こうしたHASの存在が、この空軍基地が3年近く存続する上で重要な役割を果たしたことは言うまでもありません。

 防衛側は防衛線に沿った複数の検問所に配備された数台の戦車や装甲戦闘車両の支援を当てにすることができましたし、これらを即応部隊として展開させることもできました。

 実際、包囲されたとはいうものの、アブ・ズフールの守備隊は何度も基地を離れて敵の陣地に対する襲撃を行ったことがあります。これらの攻撃は反政府軍の火砲を叩くことが目的だったようです。

 この空軍基地への攻撃では、(イスラム国から逃亡した多くのデリゾール地方の部族民を含む)ヌスラ戦線は数台の戦車を防御側に奪われてしまい、そのうちの何台かはかつての所有者であった自身に敵対することがありました。


 空軍基地が反政府軍に大量の武器や弾薬を提供することはありませんが、基地の占領は彼らの士気を著しく高めることになります。鹵獲したミグ戦闘機は、運用可能であろうがなかろうが、彼らにとって勝利の象徴であることに変わりはありません。

 (有用な)「ガニーマ(戦利品)」という点では、アブ・ズフール基地は反政府軍に数台の戦車と装甲戦闘車両、1台の「ZSU-23-4」自走対空砲、数門の「M-46」130mm野砲、対空砲、トラック、小火器と弾薬をもたらしました。

 航空機やヘリコプターの撮影が車両の撮影よりも人気があることに加えて、どれだけの車両や装備が敗走する守備隊の手で避難させられたかは不明であることから、鹵獲された装備に関する実際の数量を特定することは困難を極めます(注:FSAの兵士らが飛行機やヘリの撮影に気が向くことで鹵獲した戦車や銃火器の画像が少なくなる傾向を示したものです)。

 HASの一つで鹵獲された10発の対戦車ミサイルの内訳は「9M111 "ファゴット"」3発、「9M113 "コンクールス"」5発、「9M131 "メティス-M"」2発でしたが実際はキャニスターが空っぽだったようです。




 予想されたとおり、かつてジェット機の運用に使われていた車両や機材の多くも鹵獲されました。これらの車両の損傷や錆は、この基地で戦闘機の運用が最終的に不可能に近くなり、ほとんど注意を払われずに放棄されたことを示しています。



 アブ・ズフールに配備されていた「MiG-21」や「MiG-23」が使用していた多くのロケット弾ポッドや空対空ミサイルも、HASの至る所に散らばっている様子が見られました。

 これらのロケット弾ポッドやミサイルを避難させる際に使用するべきだった燃料は装備そのものよりも価値があったためか、これらの装備は空軍基地に残されてしまいました(注:ロケット弾ポットを避難させるくらいなら放置した方が貴重な燃料を浪費せずに済んだということ)。その結果として、数十個の「UB-16」と「UB-32」ロケット弾ポッドが、かつてのラックの横に立っているのが発見されるに至ったわけです。

 地上ベースの多連装ロケット砲として使用するためにトラックに搭載するには完璧だったものの、肝心の「S-5」57mmロケット弾は1発も鹵獲されなかったと思われるため、「UB-16/32」は使い物にならなかったようです。



 下の画像が示すとおり、約10基もの多連装エジェクターラック(MER)も鹵獲されました。


 下の画像で見られるのは、「R-23R」セミアクティブレーダーホーミング式空対空ミサイルと「R-23T」赤外線誘導空対空ミサイルです。かつてアブ・ズフールの「MiG-23MF」の武装として使われたものですが、そのほとんどは約35年前に納入されたときの保護カバーに包まれたままでした。





 「MiG-23MF」の近接戦闘用の兵装である短射程の「R-60M」空対空ミサイルもありました。かつてはイスラエルとの戦争で使用されたミサイルですが、シリア内戦によってその出番が完全に消えたこともあり、今では埃をかぶっています。


 SyAAFが独自に開発したチャフ/フレア用ディスペンサー数基と、空対空ミサイルやロケット弾ポッドを収納する多数の箱が積まれていました。

 多数の「MiG-21」や「MiG-23」用の増槽も発見されましたが、その大半には多数の弾痕が残されていました。どうやらヌスラ戦線の戦闘員が射撃訓練に使ったようです。



 紛れもなく最も興味深くも役に立たなかった戦利品はアブ・ズフールで「発見」された17機の戦闘機と2機のヘリコプターでしょう。これはタブカでイスラム国の戦闘員によって鹵獲された18機のMiG-21と同等のものです。機体の状態は、半分に切断されたものから概ね無傷のもの、あるいはその中間の状態とバラバラでした。

 機体の大部分を保有していたのは第678飛行隊であり、基地の北西部に11機の「MiG-23MS」と2機の「MiG-23UB」、1機の「MiG-23MF」が残されていました。2000年代以降に退役した「MiG-23」の大半がここに放置されています。

 興味深いことに、この基地にある「MiG-23MS」の一部は、1982年のイスラエルと戦ったレバノン戦争でシリア空軍が被った甚大な損害を補うために、カダフィ大佐が寄贈した元リビア空軍の機体でした。この知られざる物語の詳細については、こちらをご一読ください。




 「MiG-23UB "1750"」は最近になってスクラップヤード(上の画像はその一部)から、より広大な機体の廃棄エリアに移されました。この機体は(上述した)反政府軍によってまだ運用可能と判断されたと思われて対戦車ミサイルの直撃を受けたものでしたが、実態としては過去に廃棄された機体を損傷させただけだったわけです。

 手前の「MiG-23MS」には、シリア国産のチャフ/フレアディスペンサー用の固定具が2つ備えられています。


 下の画像では、おそらくこの基地で最も劣化した機体を見ることができます。その状態は迷彩パターンさえも完全に色あせているほどです。

 機首右側に施されたマークは、この「MiG-23MS」はかつて、ナイラブ基地/アレッポ国際空港にあるSyAAFのオーバーホール・整備施設である「工廠」でオーバーホールされた過ことを示ししています。


 「MiG-23MF "3677"」は、このモデルで唯一ハマへ避難させられなかった機体でした。僅かに残留していた整備員たちはATGMの被弾で甚大な損傷を受けた尾翼を修理することができなかったようですが、いずれにせよ鹵獲されても敵に役立つことはないだろうと放置することを選択したと考えられます。

 「3677」はアブ・ズフールでATGMの攻撃を受けた3番目の機体で、ミサイルは全弾が機体の尾翼に命中しました。他の2機は被弾した時点で稼働状態になかったことを踏まえると、ATGMを用いた「3677」への攻撃は「敵が実際に使用している作戦機を破壊する」という目的を達成した唯一の事例となります。


 アブ・ズフールで鹵獲された(ゲートガードの「MiG-21F-13」を除く)「MiG-21」は合計で4機であり、内訳は「MiG-21MF」が2機、「MiG-21bis」が1機、「MiG-21UM」が1機でした。どの機体も少なくとも1年半は稼働状態になかったため、ハマに避難させることができなかったものです。


 この文章の上下に写っている機体は「MiG-21MF "1518"」で、アブ・ズフールで発見された機体の中で最も無傷に見える機体の一つです。

 唯一の「MiG-21UM」は下のHAS(左のシェルター)内に格納されていました。


 下の画像の機体は「MiG-21MF "1942"」です。


 ところで、発見された全ての機体は基地の陥落前に機関砲が取り外されていました。おそらくは即席の基地防御用の火器として使用されたか、あるいは僅かに残った運用可能な「MiG-21MF」と「MiG-21bis」で使用するためにハマに持ち去られたのでしょう。

 戦闘員たちは基地で2機の「Mi-8」にも遭遇しました。そのうちの「Mi-8 "1282"」は地雷散布装置を搭載していました。修復不能な故障や戦闘中の損傷によって現地のスクラップ置き場行きになったものと思われますが、その前にアブ・ズフール近郊で地雷を空中散布する任務に就いていたのでしょう。

 機体の奥に見えるのは前述の「MiG-23MS」で、尾翼が胴体から分離した状態で放置されて様子がよくわかります。




 もう1機の「Mi-8」はATGMか迫撃砲弾の餌食になったものと思われます。炎が機体を焼き尽くしたおかげで、このヘリが二度と飛ぶことがなかったことは言うまでもありません。



 アブ・ズフールで発見された機体の数が膨大であったにもかかわらず、この基地の占領がシリア上空におけるSyAAFの航空作戦に影響を与えることはないと思われます。実際、アブ・ズフールにいた相当な規模の守備隊への補給という困難な任務から解放されたことを考えれば、この占領はSyAAFに必要な一息つく猶予を与えたとすら言えるでしょう。

 ただし、空軍基地の陥落は、アサド政権にとって勝利どころか存続も保証されていないという国外の支援者たちが見過ごすことがない事実を思い起こさせる重要な出来事なのです。


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2023年8月13日日曜日

空飛ぶ歴史:ジンバブエ空軍の誇り高き伝統


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 ジンバブエ空軍(AFZ)については、それぞれ1980年代と2000年代半ばに中国から調達した約9機の成都「F-7NII」及び「FT-7N」戦闘機と10機の洪州「K-8E」ジェット練習機から構成される質素な高速ジェット機部隊を運用していることが知られています。

 しかし、現役から退いたと長く思われていた旧式のジェット機も多くの人に知られることなく限定的に使用され続けています。こうした機体は稼働状態を維持しているだけにとどまらず、まさかの時のために備えて、耐空性を保障するために時折飛行すらしているのです。

 これらの旧式機群は「MiG-23UB」、BAe「ホーク  T.Mk 60」、そして生産から約60年経過した後でも運用され続けているホーカー「ハンター(FGA.Mk 9及びT.Mk 81)」で構成されています。

 これによって、AFZは「ハンター」を実戦配備している世界で最後の空軍という絶対的な名誉を得ることになったのです!(編訳者注:民間の「ATAC」社も運用していますが空軍組織ではないので除外されます)

 製造メーカーのサポートが終了した後もこれらの機体を長く維持できるのは、プロフェッショナリズムと困難な状況への適応力と打開力の面でサハラ以南のアフリカにおいて間違いなく最上位に入る運用体制のおかげと断言して差し支えないでしょう。

 2002年から始まった西側諸国による武器禁輸と永遠に続くと思われる経済的苦境に直面したAFZは、確かな守りを維持するため、既成概念にとらわれずに頭を使う以外のことを選択する余地がなかったのです。

 ジンバブエは、これまでに「SA316 "アルエットIII"」をロケット弾やガンポッドを搭載した攻撃型ヘリコプターに改造したり、 イランとの協力による6機の「AB.412」のオーバーホール、新たな種類の兵装の搭載を可能にした「F-7」の近代化改修をしたことがあります。

 2000年、ジンバブエが第二次コンゴ戦争へ参戦したことを理由にイギリスが武器禁輸措置を発動した後、AFZはBAe「ホーク T.Mk 60」高等ジェット練習機・軽戦闘爆撃機の飛行隊を維持するためのさらなる創意工夫が求められました。

 ここで最も興味深いのは、彼らが必要なスペアパーツをメーカーから直接調達するのではなく、同じように「ホーク」飛行隊を運用していたケニア空軍を通じてそれらを発注したことでしょう。[3] 

 この策略は長い年月にわたって実行することに成功し、驚いたことにケニアが「ホーク」を退役させた後も続けられたのです。しかしながら、この方法で入手可能なスペアパーツの量は結果的に同機の運用を継続するにはあまりにも少ないことが明らかとなったことから、残った7機の「ホーク」は正式に保管状態に移行し、新型の「K-8」に更新されることになりました。

重武装を搭載した「SF.260」とホーカー「ハンターT.Mk 60」の前に立つAZF第2飛行隊 "コブラ" と第6飛行隊 "タイガー"のパイロットたち

(上の画像の注釈:先頭のマイケル・エンスリン空軍大尉はAZFで「F-7」を操縦し、オーストラリア空軍とサウジアラビア空軍で「ホーク」、そしてバーレーン空軍でも「F-5」で任務に就いた経験を持っています。2014年には、第2次コンゴ戦争における功績で故ロバート・ムガベ大統領から勲章を授与されました。)

 とはいうものの、実際のところ、AFZは必要になった場合に備えて「ホーク」飛行隊の一部を稼働状態で維持する構想を持っています。なぜならば、残った7機のBAe「ホーク(601、604、605、606、610、611、612番機)」のうち(少なくとも)2機は引き続き運用されることになっており、耐空性を維持するために時折飛行させるだけのスペアパーツがまだ十分に存在していたからです。

 2021年9月に(AFZのジェット機の拠点である)グゥエル・ソーンヒル空軍基地といった場所における記念行事で、「ホーク」がフライパスに登場したことは特筆に値する出来事でした。[4]

 ジンバブエがこの機種にこだわる理由については、使い勝手の良さものみならず、4つのハードポイントに無誘導爆弾やロケット弾を大量に搭載可能であり、そのおかげで第二次コンゴ戦争で重要な役割を発揮できたからでしょう(注:「K-8E」のハードポイントは2つ)。

ホーカー「ハンターT.Mk.81」復座練習機(左) と「ホーク T.Mk.60」(右上)、「ハンターFGA.Mk. 9」単座攻撃機(右下):(2010年9月)



Mkhululi・デュベ飛行隊長 とAFZの「ハンターT.Mk.81」復座型練習機

(上の画像の注釈:ドゥベは2020年11月、「SF.260」で定期的な訓練飛行中に墜落して悲劇的な死を遂げました。)

 それに対して、2022年になってもAFZが1950年代のホーカー「ハンター("FGA.Mk9 "と "T.Mk81 "」にこだわる理由は、単に懐古趣味的なものなのかもしれません。

 1960年代初頭にローデシア空軍が12機を一括で調達し(さらに14機を1980年代にケニアとイギリスから追加導入)、1979年にローデシアが消滅した後も第1飛行隊 "パンツァー" だけは残って「ハンター」も任務を続けましたが、同隊は2002年1月に活動を停止しています。 [5]

 その頃までには、すでに「ハンター」は(「PL-5/PL-7」と「R-60」から構成される)空対空ミサイルを最大6発まで搭載可能な「F-7NII」に更新され、同機種が前線での任務に就いていました。

  ジンバブエの「ハンターFGA.Mk 9」は、アデン30mm機関砲4門に加えて、(国内で設計・製造された「アルファ」や「ゴルフ」を含む)さまざまな種類の無誘導爆弾やロケット弾ポッドを搭載可能な主力地上攻撃機ですが、1970年代に南アフリカで「AIM-9 "サイドワインダー"」AAMを搭載するために改修されたこともあります。

 ただし、AFZのストックに(ほとんど「ホーク」飛行隊だけに搭載されていた)使用可能な「AIM-9」が依然として残存しているかどうかは不明であり、近年に少なくとも2機の「ハンター」がオーバーホールされた目的がジンバブエ空軍機の空対空能力を強化することにあったとは思えません。

ジンバブエ空軍のホーカー「ハンターFGA.Mk 9」(1990年代後半)

グゥエル・ソーンヒル基地で駐機しているAFZ第1飛行隊 "パンツァー" のホーカー「ハンターT.Mk 81」復座練習機(1990年代後半)

 ジンバブエが「ホーク」や「ハンター」、そして「MiG-23UB」の投入を必要とする近隣諸国との紛争に関わるとは考えられませんが、こ上で紹介した作戦機の運用については、現存するAFZの豊かな歴史を語り継ぐためのメモリアルフライトを行うという副次的な(あるいは主な)役割を持っています。

 実際、1980年代前半に退役したデ・ハビランド「ヴァンパイア」戦闘爆撃機やEEC「キャンベラ」爆撃機といった機体でさえも、AFZ基地のゲートガードとして活躍し続けているのです。

 「ヴァンパイア」3機と「キャンベラ」1機がグゥエル航空博物館でホーカー「ハンター」やスーパーマリン「スピットファイアMk.22」と一緒に展示されているだけでなく、別の「キャンベラ」と「ハンター」がパーシヴァル「プロボスト」と共に各1機ずつが中国へ寄贈されて北京の中国航空博物館で余生を過ごしています。面白いことに、中国の「ハンター」にはジンバブエではなくイギリスのラウンデルが施されています
 
 1982年7月に南アフリカがグゥエル・ソーンヒル空軍基地を襲撃した際にちょうどそれらの無力化を試みていたことを考えると、今でもこれだけ多くの機体が無傷で生き残ったことは特筆すべき偉業と言えるでしょう。この襲撃作戦は「ハンターFGA.Mk.9」と12日前にイギリスから納入されたばかりのBAe「ホーク」の各4機に多人数の侵入者が爆弾を仕掛けたものであり、今でも謎に包まれたままとなっています。

 この事件では「ホーク」1機の全損と2機の大破(いずれも修理のためイギリスへ移送)、「ハンター」3機が完全に破壊され、発足してから日の浅いAFZに大きな打撃をもたらしました。

 悲惨な運命を迎えた「ホーク」の1機を襲った爆発はマーチンベーカー「Mk.10B」射出座席を作動させるのに十分な威力であり、結果的に同座席は格納庫の天井を突き破って少し離れた場所で発見されたのでした。

南アフリカの破壊工作によって破壊された新品のBAe「ホーク」の悲しき残骸(1982年):同機の搭載されている射出座席の1つが作動したことで格納庫の天井に生じた穴が見える

 AFZはこの出来事を辛抱強く乗り越え、その豊かな歴史の作り手を西側諸国製の機体だけで終わらせようとはしませんでした。

 ジンバブエが「MiG-23UB」を入手した方法については、2022年現在でも使用し続けていることと同様に関心を集めるものであることは間違いありません。

 このソ連製練習機を入手するに至った真相については、2つの説が存在しています。 一つ目は、これが1998年後半にムアンマル・カダフィ(リビア)からコンゴ民主共和国(DRコンゴ))に贈呈された最大で5機のうちの1機であり、ジンバブエ人がコンゴ人パイロットに作戦を指導しようという野心的ながらも無益な試みがなされた後にAFZへ引き取られたという説で、もう一つは、リビアから直に2機の「MiG-23」を得たという説です(このうち1機は引き渡し直後に着陸に失敗して事実上の全損となりました)。
 
 アフリカ連合(AU)の設立という自身の野望を実現させるべく、カダフィは多額の融資や防衛装備(つまり賄賂)を提供することで各国へAUへ加入を促そうと企てました。

 カダフィは対象とするアフリカ諸国に対し、彼らが実際に運用可能な装備を提供するどころか逆に戦闘機やヘリコプターなどのプレゼント攻撃を浴びせ、スーダン、ウガンダ、(厳密にはジンバブエを含む)DRコンゴの全てが「MiG-23MS」戦闘機を贈られたのです。

 皮肉なことに、機体と共に教官や訓練どころかスペアパーツすら提供されなかったため、ウガンダとDRコンゴは受け取った「MiG-23」を運用する姿を一度も見せずに保管状態に追いやってしまいました。

 これまでAFZのパイロットたちは「MiG-23」を操縦したことはなかったものの、彼らの秀でだ創意工夫はその複雑な特性をマスターするのに十分だったようです(注:「MiG-23MS」及び「MiG-23UB」は既存のAFZ機にはないデリケートな可変翼を備えていたため、彼らが事故を起こすリスクがありました)。

 驚くべきことに、AZFにある1機の「MiG-23UB」は1990年代後半から稼働状態にあることが知られています...つまり、ジンバブエでは約25年間も使用されているのです!

 スペアパーツ不足で近頃は滅多に飛ばなくなりましたが、この機体は今でも時折アフターバーナー全開で離陸滑走することがあり、その光景はまさに目を見張るものがあります。

 ちなみに、AFZの 「MiG-23UB」は「(O)FAB」無誘導爆弾や「UB-16/32」57mmロケット弾ポッドで武装されていました。

 同様に、2010年代中盤のスーダンも(エチオピアの「デジェン航空産業(DAVI/DAVEC)」の支援を得て)リビアから寄贈された「MiG-23MS」3機と「MiG-23UB」の1機のオーバーホールを試みました。

 スーダン空軍(SuAF)にとって不運だったのは、この4機中の1機が試験飛行直後にワディ・セイドナ基地の敷地に不時着してしまったことでしょう。この機体は炎上して後に基地の片隅に捨てられたことなどを踏まえると、どうやらこのプロジェクトは終焉を迎えたようです(編訳者注:残りの機体がSuAFで使用されている様子や衛星画像は確認されていません)。

 エチオピアとリビアだけが今でも多数の「MiG-23」を運用しているため、結果的にジンバブエはサハラ以南のアフリカで2番目、アフリカ大陸全体では3番目の「MiG-23」運用国となりました(注:アンゴラ空軍での運用も著名でしたが、近年に退役させてしまいました)。

(後にジョサイア・トゥンガミライに改名された)グゥエル・ソーンヒル空軍基地におけるジンバブエ唯一の「MiG-23UB」

 ジンバブエがホーカー「ハンター」とBAe「ホーク」、そして「MiG-23UB」を使用し続けていることは、軍事航空史の中で魅力的な出来事と言えましょう。

 彼らの全盛期はとっくに過ぎ去りましたが、ジンバブエの熟練した航空エンジニアたちのおかげで、AFZの輝かしい過去を物語る誇り高き存在として、この先の何年飛び続けることができるかは何とも言えません。

 ジンバブエは少なくともここ10年は「JF-17」の導入を視野に入れているほか、パキスタンや中国から無人戦闘航空機(UCAV)の調達も検討していると考えられています。これが順調に進んだ場合、 今回紹介した懐かしさに溢れる作戦機たちは、やがて一刻の猶予も与えられずにニューカマーに圧倒されて(この国で)時代遅れの存在となる可能性が考えられます。

 とはいえ、時代の試練に耐えてきた今を生きる伝統を存続させるべくAFZがメモリアルフライトに向けた旧式機の稼働状況を維持することに専念しているようなので、昨今の動向自体が彼らの終焉を左右するわけではないのかもしれません。 

AFZのホーカー「ハンター」、「ホーク」、「MiG-23UB」の姿については、グゥエル・ソーンヒル空軍基地を捉えた衛星画像で定期的に確認できる

[1] EU arms embargo on Zimbabwe https://www.sipri.org/databases/embargoes/eu_arms_embargoes/zimbabwe
[2] Zimbabwe: Kenya Helps Zimbabwe Bust UK Arms Embargo https://allafrica.com/stories/200003170213.html
[3] UK inquiry into jet parts for Mugabe https://www.theguardian.com/world/2002/nov/08/zimbabwe.armstrade
[4] Air Force of Zimbabwe. 2 Hunters & 1 Hawk. September 2021 https://youtu.be/epDM9tGO__Y
[5] Mig-23 Zimbabwe https://vimeo.com/352656725

[6] Mig-23 https://youtu.be/-byhxTNwrTA
[7] Back From The Dead: Sudan Overhauls MiG-23s https://www.oryxspioenkop.com/2016/09/back-from-retirement-sudans-mig-23s.html

※  当記事は、2022年12月2日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります



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2022年12月29日木曜日

忘れられた戦争:ティグレ戦争で失われた航空機一覧 (2020-2021)


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 エチオピア政府と北部のティグレ州との間で勃発した戦争は、エチオピアを混乱に陥れています。この武力紛争は2020年11月から熾烈を極めており、数千人が死亡、数百万人が避難を強いられいる状況にあります。

 エチオピア政府とティグレ人民解放戦線(TPLF)との間で何ヶ月にわたる緊張関係が続いていた後に、情勢が激化して戦争となったのです。

 1974年から1991年までエチオピアに存在していた共産主義・社会主義政権を打倒した後、TPLFは30年近くにわたってエチオピアの権力の中心にいました。エチオピアの人口の約5%しか占めていないにもかかわらず、ティグレ人の役人は政府を支配することができました。

 2014年から2016年にかけて反政府デモが相次いだ後、2018年にアビー・アハメド首相率いる新政権が発足しましたが、アビー首相はTPLFの権力を抑制しようと改革を強行し、ティグレ人を大いに動揺させました。

 それに応えて、ティグレ州は独自の地方選挙を実施して緊張が高まり、緊張は敵意をむき出しにする段階まで高まりました。

 この政治危機は2020年11月にTPLFの部隊(TDF:ティグレ防衛軍)がティグレ州のエチオピア軍基地を攻撃したことで戦争に発展し、エチオピア陸軍はティグレ州への侵攻を開始しました。

 この地域の支配権を奪回した後、TDFはエチオピア軍をティグレ州の外へ追いやり、エチオピアへの攻勢を継続しています。

 エチオピア空軍(ETAF)は、MiG-23BN戦闘爆撃機やMi-35攻撃ヘリコプターによる近接航空支援任務と、輸送機やヘリコプターを用いた敵に包囲された地域への人員や装備の運搬など、紛争のあらゆる段階で活発的に行動する姿が見られています。

 また、隣国のエリトリア空軍もMiG-29戦闘機をこの紛争に投入したと頻繁に報じられていますが、これらの主張を裏付ける証拠は示されていません。

 その一方で、ティグレ軍は少なくとも3基のS-125/SA-3地対空ミサイル(SAM)陣地と一基のS-75/SA-2陣地、多数の9K310/SA-16「イグラ-1」MANPADS(携帯式地対空ミサイル)、12門を超えるZU-23 23mm対空機関砲を含む、航空機に対抗できるいくつかの対空兵器を保有しています。[1]

9K310「イグラ-1」MANPADSを構えているティグレの兵士。このMANPADSは最低でも2機のエチオピア軍機の撃墜に関わったものと考えられている。

ティグレ軍の手に落ちたS-125陣地

 ティグレ戦争は他の紛争と同様にプロパガンダが横行しており、ティグレ側から定期的に撃墜したという虚偽の戦果がリリースされています。

このような根拠のない主張が頻繁に投稿されています

 この一覧はティグレ戦争におけるエチオピア機の損失を視覚的に確認することを目的としており、新たな損失が発生し、確認された場合に更新されます。
 リストの最終更新日:2021年11月12日(Oryx英語版の元記事の最終更新日は2021年11月12日)


固定翼機(3)

ヘリコプター(2)


1x MiG-23BN(2020年11月29日, パイロットは脱出後に拘束)





1x MiG-23BN(2020年12月6日,ティグレ州のシレ《インダセラシエ》空港への緊急着陸を試みようとした際に滑走路の手前で墜落)





1x L-100-30(2921年6月23日,ティグレ州のギジェット近郊でMANPADSによって撃墜されたものと推測。この機はかつてエチオピア航空で使用されていたもの。 墜落時の映像はここで視聴可能





1x Mi-35(2021年4月20日, ティグレ州のアビー・アディ近郊でMANPADSによって撃墜されたものと推測)




1x Mi-35(2021年11月12日, アファール州近郊でMANPADSによって撃墜されたものと推測)
 




[1] The Tigray Defence Forces - Documenting Its Heavy Weaponry https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/the-tigray-defence-forces-documenting.html



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