2017年10月6日金曜日

秘密裏の飛行:シリアにおける「特殊用途」のMi-17


著 スタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo)

シリア・アラブ空軍(SyAAF)Mi-8/17「ヒップ」飛行隊は、シリア内戦における空中戦力の活用を明らかにした、一般的に樽爆弾と呼ばれる爆弾の投下によるシリア各地の民間人居住地区に対する無差別爆撃の主役として、(おそらく)最もよく知られている。
これまでのところ、即席の簡易爆撃機という役割はシリアのMi-8/17の主要な任務の1つのままであるが、過去6年にわたる過酷な戦いの間にMi-8/17飛行隊が遂行したその他の任務はひどく過小報告されている。

おそらく、ヒップ飛行隊の最も重要な役割は、時には数年に及んで完全に陸路が遮断されたシリア政府の支配地域とシリア各地の包囲されたシリア軍守備隊との間を繋ぐライフラインを象徴したことだろう。
Mi-8/17は輸送機とは対照的に、地上に増援を直接送り込んだり、負傷者を病院に運ぶことができた。
実際、デリゾール空港が戦場には近すぎるとして、増援部隊の輸送や民間人や怪我人を避難させるために、デリゾールの都市は今やシリア軍のMi-8/17飛行隊に完全に依存している。

輸送ヘリコプターや即席の爆撃機としての役割に加えて、シリアのMi-8/17の数機が、依然としてほとんど知られていない任務のためにアップグレードされていた。
これらのヘリコプターのいくつかが新しい形態で運用を続けるのかは不明瞭であり、これらが興味を惹く事柄を象徴すると同時にSyAAFでほとんど語られることのないものだが、この記事の対象となるだろうことは間違いない。

シリアのアップグレードされたMi-17について詳しく説明する前に、1982年にレバノン内戦の主要な時期が終了した直後、1980年代初頭の時点で最初の「特殊用途」のヒップがすでにシリアに到着していたことに言及することには興味深いものがある。
イスラエルが電子戦での優位性を十分に活用していたレバノン上空の空中戦で、SyAAFとシリア・アラブ防空軍(SyAADF)はイスラエル空軍に深刻な損失を被った。
シリアがその時点で運用していた装備では同様の方法(電子戦)で対応できないため、ハーフィズ・アル=アサド大統領はソ連に援助を要求した。

Mi-8電子戦型の試験投入を切望していたソ連は、その後、最大で8機のMi-8PPA、Mi-8MTP / U、Mi-8SMVをシリアに配備し、T4空軍基地を拠点を置いてイスラエルが占領していたゴラン高原の近くに位置するメッゼ空軍基地へ定期的に派遣した。
これらのヘリコプターには、敵の地対空ミサイルシステム(SAM)の誘導レーダーを妨害する任務が与えられており、80年代終わりにソ連へ撤収する前の平時にイスラエル軍のMIM-23「ホーク」のSAMサイトに対抗したかもしれない。
これらはソ連へ戻った後、最終的にヘリコプターのスクラップ置き場に行き着いた




話題を、SyAAFのMi-8とMi-17の大部分がオリジナルの形態で運用され続けているシリアに戻してみると、これらは後部ドアを取り外して、いわゆる樽爆弾(現在の基準では、実際には樽とはほとんど関係の無いより洗練されたデザインである)を簡単に搭載したり投下することができるようになっている。
SyAAFのMi-8/17のいくつかが改修されたという事実は、十数機のMi-8/17とMi-25が失われるという結果をもたらした、2013年1月11日のタフタナズ空軍基地の陥落直後に初めて示唆された。  

タフタナズ基地は、2012年11月25日にマルジュ・スルタンヘリポートの陥落に続いて反政府軍によって制圧された2番目のヘリポートだった。
ここにあるヘリコプターのいくつかを瀬戸際で退避させるための必死の努力をしたにもかかわらず、タフタナズの喪失はSyAAFへの最初の大きな打撃を意味した。
結果として現在運用状態にある機体とほぼ同じくらいの数の多くのMi-8/17を失ったのだ。

ここで鹵獲された機体を注意深く調査すると、Mi-17の胴体の下にEOシステムが追加されたことが判明した。
後のタフタナズからの映像には、取り外された電気光学(EO)システムと関連するコントロールパネルも映されている。
メッゼ空軍基地で2013年に撮影された別の画像は、コックピットの各側面を防護する装甲板について、よく見える最初の姿を私たちにもたらした。
興味深いことに、この乗組員の生存率を増加させることを目的とした比較的簡単な改修は、少数のヘリコプターにしか施されてされていなかった。

これらのアップグレードされたヘリコプターは、6年以上に及ぶ内戦中に散発的にしか目撃されなかったため、おそらく少数のMi-17が内戦の勃発前にこの新しい規格へ改修されたものと考えられる。
この改修型のMi-17と他の非改修型機を識別することは、この例で目撃されたように依然として困難であり続けている。
このMi-17をSyAAFのヘリコプター部隊で使用されている通常型のMi-17の1機と見間違えやすいかもしれないが、見づらい操縦席の装甲板とEOタレットの存在は、それを改修型の例の1つとして識別することに役に立つ。

すでにシリアのMi-17には、胴体の両側にロケット弾ポッド、爆弾、または上の画像のケースと同様に23mm機関砲のUPK-23ガンポッドの搭載を可能にする各3つのハードポイントが標準装備されているが、EOシステムの追加は目標の捕捉および脅威の識別において、このヘリコプターの能力を大幅に高めるだろう。
同様に、操縦席の周辺に増設された装甲板はヘリコプターの乗員の生存率を高めることから、シリアにおける対空兵器の恵まれた環境ではありがたい追加である。

これらの改修は、SyAAFのMi-8/17のほぼすべてに搭載されている固有装備のチャフ/フレア発射機の設計と製造を担当している、ナイラブ空軍基地 / アレッポ国際空港に所在するSyAAFの修理および整備施設である「工廠」によって実施された可能性が高い。
装甲板と下の画像で詳細に見られるEOシステムは、ヘリコプターで同様の改修をしたイランから入手されたものとみられている(注:イランはベル214AやAH-1J「トゥーファンⅡ」にEO/IRセンサーのタレットを搭載した改修をしているので、これはそれを指しているかもしれない)。



他の特殊なMi-17が、戦争で荒廃した国のいたる所へ非常に重要な人物(VIP)を輸送するといった、命取りにはならない比較的安全な任務のために使用されている。
道路を使用してシリアの端から他への移動がその間に不可能になったり(注:戦況などによる遮断)、全国への急速な展開を可能にするには時間がかかりすぎているとして、「虎」ことスハイル・アル・ハッサン少将は、今日では、彼が長距離を迅速に通過できるようにVIP輸送機として配置されたMi-17を利用している。

SyAAFはすでに、VIP輸送のために数機のMi-8P(通常のMi-8/17にみられる円形の窓の代わりに長方形または正方形の窓があるため識別が可能)を運用していたが、シリア内戦の勃発以前に既にこれらを退役させてしまった。
バッシャール・アル=アサド大統領は、彼自身が所有する2機のVIP用ヘリコプターを利用している。
このヘリコプターについては、後日に彼専用の他の輸送機と一緒に別の記事で扱う予定です。









前記のヘリコプターの任務は比較的単純なもの(注:VIP輸送)である点に対して、SyAAFは敵の防空レーダーを妨害するために少なくとも2機の空中電子妨害プラットホーム仕様のMi-17も運用している。それが最初に目撃されたのは2012年7月に実施されたSyAAFの大規模な演習であり、同機には胴体の両側に2基の奇妙な形状のコンテナが装備されていた。

これらのコンテナの正確な用途は不明だったが、現在では(少なくとも1機のSyAAFのMi-17に搭載された)北朝鮮の「TACAN」電子妨害システムの一部であると考えられている(注:いわゆる戦術航法装置ではない)。
伝えられるところによれば、2012年の初頭に実施された一連のテストで「TACAN」電子妨害システムはロシア人が乗り込んだSyAADF(シリア防空軍)のパーンツィリ-S1自走対空システムに対して使用された。
このテストはイスラエル空軍がシリアの軍事施設への襲撃の際に多く使用されている、電子妨害に対処するパーンツィリ-S1の能力に対するシリア側の告発の後に行われた(注:電子妨害に全く対処できていないということ)。
ソ連及びロシア製の軍事用資機材に対する批判への一般的な対応は(不調の原因が)資機材自体の品質ではなく運用者のせいにすることだったが、2012年のテストで「TACAN」電子妨害システムがパーンツィリ-S1へのジャミングをなんとかして成功させた時点でロシア側は深刻な打撃を受けた。
パーンツィリ-S1が猛烈な電子妨害に対応できると考えられていたにもかかわらず、ロシア人乗員の妨害を回避するべく費やした努力は無駄に終わった。



シリアで運用されているヘリコプターの中でおそらく最も興味深い機体は最も謎めいている:たった1機だけがSyAAFに就役したと考えられている。
このMi-8MT(注:ロシアではMi-17と識別される)「2981番機」はたったの一度しか目撃されていない。
それは、シリア軍の参謀総長アリー・アブドゥッラー・アイユーブ大将が、2015年7月にブレイ空軍基地を視察した際のことだ。
このヘリコプターはシリアで運用されている他のMi-8/17では見られていない、新たに施された迷彩パターンのおかげで目立っていた。
胴体の右側にある緑色の四角形は、このヘリコプターの素性とミッション・プロファイルについて最初の大きなヒントを私たちに提供してくれた。



Mi-17「2981番機」について、本当のところはSyAAFの唯一のMi-8MTPR1空中電子妨害プラットフォームを構成する機体であり、2013年に「Mi-8MTとL187AE」としてシリアに引き渡されたものだ。
Mi-8MTPR1には防空レーダー妨害用のL187A Rychag-AV妨害装置が装備されており、販売市場で最も先進的なロシア製の空中電子妨害プラットフォームの1つだ。
しかし、イスラエルに対する将来の空中戦がますます発生しそうになく、敵の防空システムから妨害される可能性という面において現実の脅威が見られなかったシリア内戦では(電子戦システムが)殆ど役に立たなかったため、Mi-8MTPR1はSyAAF飛行隊では無用の産物という立場に事実上格下げされた。 





























シリア内戦が7年目に入った現在、SyAAFのMi-8/17ヒップ飛行隊は反抗勢力に対する空爆作戦の最前線に残っている。
これらのヘリコプターが即席の簡易爆撃機としての有効性が問われる可能性があるが、ヒップはよく知られているとおり信頼できる馬車馬だということを再度証明した。 
運用可能な機体の数は減少し続けているが、Mi-8/17の融通性と多機能性は、これらが最後の最後まで使用され続けて、間違いなくこの内戦よりも長持ちするだろうことを保証する。

※ この翻訳元の記事は、2017年6月8日に投稿されたものですが、詳細不明な部分が解明されたため、2018年10月6日に大幅に加筆訂正されました。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。   
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。  

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プローブアンドドローグ:リビアの不運な空中給油機導入計画の話




読者の皆様へ

この1年間にブログ(オリジナル/英語版)の新しい記事が無いことに気付いたと思います。
何故かと言うと私たちが北朝鮮軍に関する本「The Armed Forces of North Korea, on the path of Songun」を完成させることに全力を尽くし、それがOryx Blogの記事を書くために通常費やされるべき時間の大部分を奪ったからです。
今月から定期的な投稿が再会される見込みです。
私たちは皆さんの辛抱強さに感謝すると共に、何年にもわたった北朝鮮とその軍隊に関する広範な研究の集大成を遂に発表することを楽しみにしています。
                                
                            スタイン・ミッツァー、ヨースト・オリーマンズ

「『North Korea’s Armed Forces: On the path of Songun』は、北朝鮮ウォッチャーのインテリジェンス・コミュニティにおける混沌とした状況に秩序と一貫性をもたらすことを試みるだけではなく、今までに語られることが無かった兵器システムや近代化プログラムについての情報を大量に提供することによって、北朝鮮の脅威がほとんどないという大いに同調された人々の姿勢が誤りであることを証明するものです。

北朝鮮の軍隊は朝鮮戦争における決定的では無い停戦から冷戦を通じて現代に至るまでの最も重要な出来事をマッピングしてきました。そして、(私たちは)大量の独自設計の兵器を調査することによって、朝鮮人民軍各軍の現状について特に重点を置きました。
この本の過程では朝鮮人民軍の多くのプロジェクトや戦術が明らかにされるだけでなく、
南北間の命懸けの突発的な紛争と2010年の天安艦沈没や延坪島砲撃などの大惨事に関する今までに無い証拠に新たな光を投げ掛けるでしょう。
さらに、朝鮮人民軍各軍の保有装備について最新かつ包括的なリストが含まれており、海軍および航空戦力の数的評価を提供します。
最近導入されたステルス・ミサイル艇、弾道ミサイル潜水艦や主力戦車の系譜から、ほとんど無視されてきた独自の航空機産業まで、事実上すべての独自の兵器システムが広範にわたって議論されています。

この独占的な本は、70以上の詳細な色つきのアートワークと徹底的な研究と分析を経て作られたさまざまな地図と同様に約170のユニークな画像付きで、その多くは今まで一般の人々には全く見ることがなかったものです。
衛星映像の精査、北朝鮮の宣伝放送の観察とアメリカ国防総省からの情報を慎重に調査することを通じて、朝鮮人民軍各軍の進歩を明らかにしました。
この本にはほぼ全ての「隠者王国(注:17~19世紀の朝鮮に付けられた名前と閉鎖的な北朝鮮を掛け合わせている)」に関する軍事的功績が含まれており、通常戦と非対称戦の両方における北朝鮮の能力の正確なイメージを提供します。
この本は特に北朝鮮の軍事力に関心を持っている人や、矛盾した主張とこの閉鎖的な国家についての現在のインテリジェンスを構成する誤った情報の「地雷原」によって提起された多くの疑問に対する答えを探す人のために書かれたものです。」

※:この本については編訳者も助言やアートワークのチェックなどで製作に一部関与しています。アートワークの担当者は以下のとおりです。ご期待ください(名前をクリックすると代表的な作品を見ることができます)。
  1. 朝鮮人民軍兵士:Adam Hook
  2. 車両及び陸上装備:David Bocquelet氏 
  3. 航空機:Tom Cooper氏(著作の一部は日本でも話題になりました) 
  4. 艦船:Anderson Subtil
本の作業はアートワークの完成をもって終了し、最終チェックを経た後に出版となります。具体的な時期は未定ですが、判明次第いち早くお知らせします。また、この本については著者の意向により、日本語版が計画されています。乞うご期待下さい。

2017年9月22日金曜日

DIYに走るリビア・ドーン: 地対地ロケットとして使用されるS-125地対空ミサイルがT-62戦車に搭載された


著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

これまでにリビアの戦場における過酷な戦闘環境は、各勢力の部隊に対して以前に放棄された装備の新しい利用方法を見つけるため、各々の創造性を活用して策を講じることを強いており、既にそのようにして、リビア軍(LNA)とリビア・ドーン(注:「リビアの夜明け」)がAK-230エリコン GDF艦載機関砲をトラックに搭載するといった興味深い多くの工夫を生み出している。

内戦が依然として終結に至るまでには遠いようだが、そのようなDIYはリビア・ドーンによる別の急造の移動式地対地ミサイルシステムの誕生が目撃されているように、未だに日の目を見続けている。
今年4月(注:2015年)に、S-125 SAMを地対地ミサイルとして牽引式発射機から発射するべく改修に取り組んだリビア・ドーンは、これらのシステムの能力で良好な結果をほとんど得られなかったにもかかわらず、これらを発展させる方針を続けてきたようだ。
新しい移動式発射システムはT-62(1972年型)を移動式発射台(TEL)のベースとして使用し、単発の改良型S-125を主要な兵装として砲塔の上に搭載した。  

リビアの首都であるトリポリと同様にミスラタを支配するリビア・ドーンは、リビアにおけるT-62の最大の運用者であり、トリポリ近郊を含む様々な場所での戦闘で同車を使用していた。
リビアのT-62部隊の主力は革命前にミスラタのハムザ大隊によって運用されていたが、革命の間に運用拠点がNATO主導の連合軍に攻撃された。
現在、リビア・ドーンには数十台のT-62が稼働状態にあるが、他の多くは様々な要因で使用不可の状態にあり、スペアパーツのために共食い整備の対象にされる可能性がある。

リビア・ドーンのS-125を地対地用途に改修するという以前のプロジェクトの画像から観察できるように、無誘導で飛行中の安定性を向上を試みるためにミサイル前部のフィンが取り外された。
同様にノーズコーンは延長され、ペイロード(本来はわずか60kg)を増やしたか、航空機を破壊するために設計された本来の爆発性破片弾頭を、従来型の高性能爆薬を載せた弾頭(注:砲弾や地対地ロケット用)に交換した。
新しい画像では簡単に識別できないが、標準の近接信管は、地対地用途のために設計されたものに置き換えられている可能性がある。

他の用途のために地対空ミサイルを改修することに携わったのは、リビア・ドーンが最初ではない。
バーシスト・イラクもイラン・イラク戦争の終盤近くに同じコンセプトで実験を行ったが、満足のいく結果を得ることができなかった。
このプロジェクトの詳細はこちらで読むことができる。

S-125を対地用途に改修することは、移動式発射台に搭載されているにもかかわらず僅かな価値のままである。
むしろ戦術的な目的よりも心理的な目的で役目を果たすだろう。

 ※ この翻訳元の記事は、2015年7月13日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。   

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2017年9月1日金曜日

DIYに走る「リビアの夜明け」:「2K12」地対空ミサイルがイタリアの「プーマ 6x6」 APCに搭載された

著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 「リビアの夜明け」(注:国民救済政府。後に国民統一政府:GNAに政権を移譲)によって、いくつかの「S-125」地対空ミサイル(SAM)が地対地ミサイルへ改造されるという驚くべき動きがありましたが、これがリビアにおける独自改造の全てでというわけではありません。   

 実際、「リビアの夜明け」はほぼ同じ時期に2K12(SA-6)SAMをより機動的なランチャーへ搭載するために改造する作業にも取り組み始めていました。

 最初に登場したものは、上に見られるようにイタリア製の「プーマ 6x6」 装甲兵員輸送車(APC)とソ連が設計した「2K12」SAMシステムの発射機構を組み合わせたものです。

 これに用いられたプーマは、2013年にイタリアによって新生から間もないリビア軍に寄贈された20台の一部だったものの、現在では新しい所有者によって完全に違う役割へと改修されてしまいました。   

 自走発射機のベース車両をオリジナルの「2P25」から「プーマ 6x6」に変更するため、同APCを新しい役割に適応させるには多くの変更が必要となったことは言うまでもないでしょう。

 これらの「2K12」用「9M39」ミサイルが本来の役割として残されているのか、地対地ミサイルとして改造されたのかは不明のままですが、いずれの場合でもこのシステムがリビアの戦場に少しでも影響を与える見込みはないでしょう。
 
「リビアの夜明け "空軍"」の主要な拠点であるミスラタ空軍基地を防衛することを目的としたこの「2K12」SAMの改修型は、間違いなく予想されうる侵入機を追い払うかもしれませんが、本当に攻撃してくる敵機に直面した際にその機が撃墜されることはほとんど起こりえないでしょう(注:本当に対空用途で使える見込みが皆無ということ)。 

 しかし、彼らはリビアでのDIYプロジェクトを増やしていることを示唆しているため、著者はこれが最後の独自兵器ではないと確信しています。


※  この記事は2015年にOryx本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が存在する場合があります(注:オリジナルの英文記事は情報が古くなったため、削除されました)。  

 

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2017年8月25日金曜日

市街戦の死神:「UR-77」はシリアで侮れない戦力になるのか



著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 2014年10月初旬に共和国防衛隊がダマスカス州ジョバルの反政府勢力の拠点を一掃を試みた際、シリアでは運用されているとは考えられていなかった車両を使用した状況が初めて目撃されました。

 UR-77 「メテオライト」攻撃に移る歩兵やAFVに道を開けるために2本の地雷除去導爆索で地雷原を処理する目的で設計され、チェチェンで反政府軍が拠点としている疑いのある家屋やアパートを爆破するなどして多用されました。

 また、アンゴラでも入手できた少数のUR-77をUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)との戦いで使用される姿が見られました。

 この車両は基本的にソ連によって友好国に供与された装備には含まれていなかったので、アンゴラを除いてどんな国にも決して輸出されることがなかったと信じられていました。

 したがって、UR-77が今や3年半(注:2014年当時)にわたる長い内戦の中で目撃されたことがなかったことは確実です。

 シリアの共和国防衛隊は反政府軍を匿っていると思われる住宅を攻撃するための適した車両を是が非でも必要としていた間にT-72AV戦車と2S3自走榴弾砲を使用しなければならず、結果として貴重なT-72AVを莫大で無用な損失に至らせてしまいました。


 
 伝えられるところによれば、UR-77を搭載したIl-76メッゼまで飛行し、そこで同車が降ろされてジョバルの隣へ急行したという話があるが、既にシリアで運用状態にある同車と矛盾しています。

 2012年に遡ってみると、この時点で共和国防衛隊がダラヤで攻勢を開始しており、その経過で多くの戦車が失われたためにこの種の車両の必要性は既に2年前から明らかだったようです。
 
 親アサド勢力の戦術について多くのことが言えますが、シリアの一部からダマスカスにこの重要な車両を移送するために2年間待つことは筋が通っていません。

 最も可能性が高いのは、UR-77と弾薬がロシアか(おそらく)ベラルーシのどちらかによってシリアに売却され、その後にIl-76に積み込まれてメッゼに移送されたことでしょう。

 UR-77は今までシリアで運用されたことがない可能性が最も高いので、実際には外国人の要員が現在ジョバルで使用されているUR-77の運用に割り当てられている可能性が否定できません。

 「ワッシム・イッサ」が公開した動画では、UR-77の操作員の姿が不鮮明にされていますが、その一方で彼の周りにいる他の兵士のすべての顔は完全に見えたままです。あるショットでは遠くにある操作員の顔の一部を映しているものの、カメラがズームインするとすぐにぼかされてしまっています。

 動画の後半でぼやけていないカットと映像があり、そこでは操作員が白人であるを示していますが、操作員の出自について我々にあまり教えてはくれません。ただし、彼は後に共和国防衛隊の兵士と直接会話している状況が見られており、ハンドサインを多用しているにもかかわらず、兵士は彼のことを完全に理解しているようです。














 
 アサド政権は新たな装備の導入によって外貨を奪われるが、UR-77の能力はそのコストを上回っています。

 UR-77の地雷除去導爆索は、いくつかのタイプの(ボルケーノとして知られている)IRAM(急造ロケット推進弾・迫撃砲)と国防軍(NDF)やヒズボラなどの親アサド勢力で使用されているイラン製ファラク(Falagh)ロケットよりもはるかに進歩していることは一目瞭然です。

 UR-77は僅かな数しか入手されていないと思われますが、今後その活躍はダマスカス周辺の親アサド勢力の攻勢ではありふれた光景になるでしょう。

※ この記事は、2014年10月16日に本国版「Oryx」に投稿された記事を翻訳したもので
 す。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
    

2017年8月22日火曜日

忘れられた軍隊:沿ドニエストルの「BTRG-127 "バンブルビー" 」装甲兵員輸送車


著 :ステイン・ミッツァーと ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれるトランスニストリアは、1990年に沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国として独立を主張し、続く1992にモルドバから離脱して以来、隠れた存在であり続けている東ヨーロッパの分離独立国家です。

 沿ドニエストルはウクライナとモルドバの間に位置しており、現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国、アルツァフ共和国からしか承認されていません。

 その立場が本当の国家なのかという論争の的になっているにもかかわらず、沿ドニエストルは自らの陸軍、航空兵力、そして軍需産業と一体になった事実上の国家として機能しています。
        
 沿ドニエストルの軍需産業は過去20年以上にわたって沿ドニエストル軍で就役した、数多くの非常に興味深い設計の装備を製造してきました。この軍需産業はトランスニストリア戦争の間に非常に活発的となり、モルドバ軍に対して使用するためのさまざまなDIY装甲戦闘車両(AFV)、多連装ロケット砲(MRLs)やその他の兵器を製造したのです。

 停戦後、同国の軍需産業は1991年に設立されて以来旧ソ連製兵器のストックを置き換えることができなかった沿ドニエストル軍の運用状態を支える上で重要な役割を果たしています。

 同国の軍需産業が製造した装備の1つが、ソ連製GMZ-3地雷敷設車をベースにした独特な装甲兵員輸送車(APC)であるБТРГ-127 'Шмель'(BTRG-127 バンブルビー)です。
 
 このAPCは、2015年にエフゲニー・シェフチュク前大統領とアレクサンドル・ルカネンコ国防大臣によって初めて発表され、これらの少なくとも8台は同年に沿ドニエストル軍に就役したと見られています。これらの車両のうち、少なくとも2台はその1か月後に演習に参加する状況が見られ、運用状態にあることが確認されています。


 沿ドニエストルは、地域内や海外への武器密売国として悪名が高いことで知られています。ソ連地上軍第14軍からの大量の武器と弾薬は沿ドニエストルの現地部隊によって引き継がれました。

 モルドバ政府によれば、同地域に忠実であった第14軍の兵士と外国の義勇兵が依然としてモルドバの領土と主張していた沿ドニエストルに入ったとき、1992年に両者の間で紛争が生じました(注:多くの第14軍の兵士や外国の義勇兵が沿ドニエストル軍に加わった)。

 紛失した大量の兵器や弾薬が確保された後、これらは新たに設立された沿ドニエストル共和国軍に引き継がれたか、在モルドバ共和国沿ドニエストル地域ロシア軍作戦集団の監督下でロシアに移送されて戻りました。しかし、限られた量の沿ドニエストル由来の武器が依然として海外へ密輸されています。

 1992年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの情勢は非常に複雑です。この離脱国家はロシア連邦への加入を希望している一方で、わずかな生産物の輸出をモルドバに大いに依存し続けており、それが同国の経済産出量となっています。

 外界への透明性を高めるための小さな一歩を踏み出しているにもかかわらず、沿ドニエストルはハンマーと鎌をその国旗の中で使用し続けるソビエト社会主義共和国のままであり、主要な治安機関としてKGBを維持し続けています。

 ロシアは依然として沿ドニエストルでわずかな影響力を維持しており、国内で公式に平和維持活動を行っています。

 ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していた人員や関連する兵器類の多くは、所在する地の新しく誕生した国に属することになりました。このプロセスは、旧ソ連の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、これはモルドバが遭った唯一の問題ではありませんでした。

 第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家であるトランスニストリア(沿ドニエストル)に属し、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアのいずれかに属したり、新たに形成された沿ドニエストル共和国に合流しました。明らかに、これは非常に複雑で過敏なプロセスの下で行われたものです。



 沿ドニエストル側は支配した領域に存在する武器保管庫ほとんどを引き継いだときに大量の高度な特殊車両を受け継いだ一方で、IFVと自走砲はわずかな数しか保有し続けることができませんでした。

 実際、この地域に存在していたいくらかの2S1「グヴォズジーカ」122mm自走榴弾砲と2S3「アカーツィア」152mm自走榴弾砲(これらはロシアへ移送された可能性が極めて高い)のほか、沿ドニエストル軍の兵器保有リストに自走砲はありません。その代わり、間接射撃の火力支援には武器庫にある牽引式野砲と122mm多連装ロケット砲(Pribor-1および2)に依存しています。

 沿ドニエストルが引き継いだ特種車両には大量のGMZ-2とGMZ-3地雷敷設車が含まれていました。トランスニストリア戦争の間にこの車輌の本来の役割は不要となり、いくつかのGMZが急造のAPCとして沿ドニエストル側で使用され、少なくともその1台が後に戦闘で破壊されました

 沿ドニエストルは、内戦後でも本来の役割でいくつかのGMZを引き続き使用したと思われますが、そのような大規模な地雷敷設車群を必要とされず、ほとんどの車両は(少なくとも8台のGMZ-3をAPCに転用することが決定されるまでは)保管庫に放置されていました。
 
 この未承認国家が利用可能なGMZの量は不明のままですが、その数はさらに多くのGMZをAPCに転換するにはおそらく不十分だと思われます。


 GMZ-3はAPCという新しい役割に従って歩兵を輸送できる能力を得るために、搭載されていたすべての機雷敷設装置が撤去されました。地雷敷設用のアーム及びその操縦用の区画は後部ドアの位置を確保するために撤去され、兵員区画を設けるために地雷が格納されていた空間も取り除かれ、内部空間が拡張されました。変化の著しい改修を受けたGMZ-3の本来の形状はここで見ることができます。

 GMZ-3は運用者によって取り扱いが容易になるように広範囲にわたって改修され、新たに装備された単装のAfanasev A-12.7重機関銃とその機関銃手のために、操縦席と兵員区画の間に新たな空間が設けられました。

 BTRG-127では単装の銃機関銃に加えて、車両に設けられた5つの銃眼からライフルと軽機関銃を射撃することができます。この改修が本来小火器の銃弾や砲爆撃の破片から自身を防護していた、GMZ-3の装甲に悪影響を与えたかどうかは不明です。



 沿ドニエストルの規模・地位・経済にとって、新型のMRLを導入することは確かに見事な偉業であり、あらゆる手段を最大限に活用するという明確なケースの提示を意味しています。この件について、沿ドニエストルは独自の軍事産業の製品で、ごく僅かな観衆:外国人ウォッチャーを驚かせ続けるに違いありません。

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。


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2017年8月18日金曜日

ロシアより愛をこめて:シリアのVepr-12


























著:スタイン・ミツッアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 過去20年間に、シリアで民間人が所持する武器の完全な復活が見られました。
1982年のハマの虐殺後、銃の所持が蜂起に繋がる恐れが生じたために民間人が武器を所有し、取り扱う流れは急速に減退しました。失敗した蜂起の直後に施行された厳格な銃規制法は、武器の入手と所有をより困難なものにしたのです。蜂起への恐怖は80年代に徐々に消えていき、政権によって容認された散弾銃は90年代の農村地帯において狩猟道具として次第に人気が高まっていきました。その理由の大半は有利な価格(注:比較的安価)が関係していました。

 こうした事情にもかかわらず、アサルトライフルの所有は1982年の後には厳格に禁じられていました。政治的に信頼できる農家や牧羊者は1982年以前にアサルトライフルを所有することを許可された資格を得ることができたものの、この資格は一般の農家とってはあまりにも高価過ぎました。違法にアサルトライフルを所有した場合、一般に2〜6年の懲役と革命前の2000〜10.000USドルの間の単位で罰金が科せられました。しかし、これはピスタチオの木を襲った泥棒を撃退するためにAKMSを握ることを妨げるものでありませんでした(注:不法所持を根絶できなかったということ)。

 話題を散弾銃に戻すと、シリア陸軍(SyAA)国民防衛軍(NDF)内での使用は限られたたままです。シリアの軍事ドクトリンは今まで市街戦に焦点を当てていなかったため、そのような状況に対応する特殊な武器は少しも導入されていなかったためです。しかし、ここ数年の間にイタリアのスパス-15といった限られた数の軍用クラスの散弾銃がシリア沿岸の一般人のもとにたどり着きました。

 シリア内戦において比較的よく戦われる、広範囲に及ぶ市街戦は近接戦闘に最適な武器の必要性をもたらし、そのような武器を購入するためにシリア軍の代表団がロシアに送られました。
 ВПО-205-03は、AK-104とともに2012年のロシアの武器博覧会の際にシリア軍の代表団が視察した武器に含まれていた考えられ、これが限られた数量のVepr-12の軍用版であるВПО-205-03セミオートマチック式散弾銃の導入につながりました。




 Vepr-12シリーズの散弾銃はAK-74MAK-100シリーズに酷似しており、特に従来の弾倉を使用したアサルトライフルと間違える可能性があります。AKシリーズに見られる標準的なサイドマウントとは対照的に、装備されているピカティニーレールには、さまざまな種類の光学照準器、フォアグリップ、IRポインターやフラッシュライトの装着を可能にしています。

 すでにコンパクトなВПО-205-03は横折りたたみ式の銃床によってさらに短縮されることで、近接戦闘のための理想的な武器となります。この銃は世界中の散弾銃の大半のように、標準的な12ゲージの散弾を使用します。

 これらの散弾銃のどれもがシリアへ供与されたほかの高性能な武器でよく見られるような、戦場に行き着いた姿を見つけられることはありませんでした。その代わりとして、全てが直ちに沿岸地域の様々な重要人物やその関係者に支給されました。
 ВПО-205-03は、例えばデリゾールなどで戦闘する政府軍には天の賜物になるでしょうが、汚職は最も必要とされる場所でのそういった武器の使用を妨げているようです(注:軍隊ではなく有力者などに支給したこと)。
 もちろん、このケースは新型散弾銃の使用だけが関係しているます、このような政策(注:汚職のこと)は最終的に戦時体制の損失に終わる可能性があります(注:現体制を不安定にさせるということ)。

 ※ この翻訳元の記事は、2015年6月8日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま  
  す。   
   正確な表現などについては、元記事(再アップ待ち)をご一読願います。  

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ロシアより愛をこめて:シリアのAK-104
ロシアより愛をこめて:シリアのAK-74M

2017年8月11日金曜日

4年にわたる内戦の成果:第4機甲師団の装甲強化プロジェクト


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao goo)

 T-72AV及びBMP-2へのスラット・アーマーと空間装甲を用いた部分的な実験に続いて、第4機甲師団は2014年の夏に装甲強化に関する小規模な改修計画を開始しました。数両のT-72M1とブルドーザーを増加装甲で改修した後、現在(2015年時点)ではこの機甲師団は同じ方法で改修されたZSU-23-4「シルカ」自走式対空機関砲(SPAAG)も少なくとも1両を運用しています。

 この計画の目的は、金属製のチェーンでさらに強化されたスラット・アーマー及び空間装甲から成る増加装甲を追加することによってAFVの生存性の確率を向上させることにありました。全体的に見て、それは通常のRPG弾頭に対して360度にわたる範囲で優れた防御力を備えるものとなります。しかし、RPG-29M79オサや後の世代のRPG-7の弾頭(注:PG-7VRタンデム弾頭など)のような強化されたRPGは、そのような装甲を侵徹することについて何ら支障がありません。

       

 この計画の一環として改修された最初の車両は数量のT-72M1であり、後に新しい装甲パッケージの実際の戦闘力をテストするためにジョバルに配備されました。これらの最初の作戦では、改修されたT-72M1のうちの1両がスタックしてその後に乗員によって放棄され、さらに別の車両がジョバルに入った後に完全に破壊されたために、この試験を成功に終わらせることができませんでした:これが野心的な計画の悲劇的なスタートとなりました。[1] [2]

 しかし、この状況は第4機甲師団が改修計画を推し進めることを阻んでおらず、改修された数両のT-72M1はその後もジョバルや東ゴータ、さらにはアレッポの部隊に従事し続けました。この改修を担当する工場はダマスカス北部のアドラにあります。














   



 同工場で開発・製造された同様の装甲パッケージは、第4機甲師団で使用されるブルドーザーにも適用され、そのブルドーザーはダマスカスと東ゴータの近隣で行われている攻勢のほとんどで重要な地位を獲得しました。そこでは、それらの車両が兵士を最前線に輸送し、障害物を除去し、歩兵や戦車を防護するための砂の障壁を高め、地雷原と思しき地点をクリアにするために使用されています。彼らが装甲パッケージの無い状態でこれらを運用していたとき、局所的なDIY装甲を装備していたとしても、反政府軍の対戦車チームや対物ライフル、さらには機関銃の射撃の簡単な餌食となっていました。
 小さな工場の違いや軽微な戦場での改修以外にも、これらには2つのバリエーションが存在することが知られています。


 














 これらのバリエーションは、装甲パッケージの設計と製造がいかにして時間の経過とともに進歩してきたのかを明確に示しています。下の車両はジョバルで活動しており、そこでは主に兵士の輸送や地雷原の処理に使用されました。その車両は2014年12月の後半、おそらく地雷原を処理しようとしている際に「ラフマン軍団」としても知られているフェイラク・アル・ラフマンの戦闘員によって野外で捕獲された後に破壊されました。そのブルドーザーはRPG-7と対物ライフルによる複数の命中弾を受けた後にやっと停止したようです。
その後、ラフマン軍団の戦闘員は放棄されたブルドーザーへ至るトンネルを掘り、車両の回収を妨害するため、その下に梱包爆薬を置きました。その直後に起こった爆発は車体を破壊して炎上し、再使用を不可能にしました。


 
 




   

          

次に装甲の改修を受ける車両としてZSU-23-4が選ばれました。ダラヤで得られた戦歴では、ほとんどの場合においてT-72では狙うことができない、アパートや共同住宅といった高所に位置する反政府軍と交戦可能な車両が必要であることを示しました。

 過去における数ヶ国の先例に続いて、シリアは戦車や歩兵を支援するためにZSU-23-4の大部隊の投入を開始しました。この役割においてシルカの最大の弱点となるのは貧弱な装甲です。本来、シルカはヨーロッパ平野で戦車や歩兵戦闘車(IFV)の後方で航空機やヘリコプターと交戦するような運用を想定して設計されており、その装甲は敵の隠れ家に接近して交戦することに適しているとは程遠いのです。
 シェイフ・マスキン近郊における第82旅団に所属していた車両の最近の映像は、この事実を非情に思い出させるものとして役立ちます。[3]

 装甲パッケージの装着は小火器とRPGの射撃に対するシルカの脆弱性に大きく対処し、車両が以前よりも近接な戦闘での火力支援を可能にしました。非常に高い射撃速度で、大口径を有し、あらゆる潜在的な目標をカバーする仰角と射撃範囲で、それは完璧に理想的な都市制圧型支援車両:シリアの戦場で4年近くにわたって作り上げられた過酷な環境に完全に適応した戦闘マシーンと化しました。
























 T-72M1の正面にある金属製のチェーンがRPGの弾頭などを止めることが不可能と判明した後、改修されたT-72M1のほとんどはチェーンが増加式の空間装甲や単なる金属の断片に置き換えられました。これらの改修はT-72の運用地域で行われていますが、不思議なことに、装甲パッケージを担当する工場が正面に金属製のチェーンを付けたT-72用にチェーンを未だに製造しています。


 紛争が活発になって以来、様々な種類の装備の長所や弱点に関する無数の戦闘報告が提供されるため、改良された装甲に続く派生型がこれらの問題に対処し、ますます有効なものになる可能性が高いと思われます。





  ジョバルで改修されたT-72M1のうちの2両が破壊された後、装甲パッケージの戦闘力は最小限に抑えられたと考えられていました。しかし、これは決して新しい装甲の実際の戦闘能力を表すものではありません。新しい装甲パッケージが乗員に無敵の感覚を与えて乗員が通常より大きなリスクを負うことにつながり、そして車両が破壊される結果をもたらす可能性があるからです(注:「無敵」と思い込んだ乗員が大胆な行動をとりやすくなるために戦車が撃破される率が高まるということ)。

東ゴータからの1枚の画像は戦闘においてその有効性を確認できるものであり、改修されたT-72M1は何発かのRPGの命中を受けた後も無傷のままです。

 実際に何らかの対戦車兵器の命中弾を受けたこの車両からは装甲パッケージの良い面と不都合な面に関して全く論証できないことが明らかですが、第4機甲師団が重要な資源をそれに割り当てることをついて十分に有効性があると判断していることは明らかでしょう。

 これらの車両で行われた改修は、第4機甲師団がまだ息切れを起こしていないことを証明しています。
 ステレオ式測遠機があるおかげでT-72「ウラル」ではこの装甲パッケージの装着は不可能ですが、同じ方法でますます多くのAFVが改修されることが予想されます。

[1] https://youtu.be/gOee0Xrn5nU
[2] https://youtu.be/vAg0UaRqUZM


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 ※ この翻訳元の記事は、2015年1月30日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。