ラベル オランダ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル オランダ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年8月10日日曜日

「Nu.D.40」から「バイラクタル・アクンジュ」まで:デミラー氏のレガシー


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月19日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 Benden bu millet için bir șey istiyorsanız, en mükemmelini istemelisiniz. Madem ki bir millet tayyaresiz yaşayamaz, öyleyse bu yaşama vasıtasını başkalarının lütfundan beklememeliyiz. Ben bu uçakların fabrikasını yapmaya talibim. - この国のために私に何かして欲しいなら、最も素晴らしいものを求めるべきだ。飛行機なしでは国家は生きられないのだから、私たちはこの生きる術を他人の恩恵に期待すべきではない。私はこれらの飛行機の工場を建てることを熱望している:ヌリ・デミラー

 航空大国としてのトルコの台頭について、その規模と範囲、そしてスピードの面で、近代史において比類のないものです。この偉業は、彼らが防衛分野でのほぼ自給自足を達成させるという目標に向けた不断の努力と、外国のサプライヤーやトルコに何度も制裁を加えている国への依存度を軽減させてきたことが大いに影響しています。この政策の成果はすでにトルコ軍のほとんどの軍種で活躍していますが、自給自足を達成するための最も野心的な試みは、間違いなく新型ジェット練習機「ヒュルジェット」とステルス戦闘機「TF-X(カーン)」の開発でしょう。いずれもこの10年で初の試験飛行が予定されています。(注:前者は2023年4月25日、後者は2024年2月21日に初飛行を実施しました)

 しかしながら、トルコによる軍用機開発・生産への取り組みは有人システムだけに限定されるものではありません。トルコには現在、無人戦闘機の開発計画が少なくとも2つあります。そのうちの1つは、今年後半に就役する予定のバイカル・テクノロジーが開発した「バイラクタル・アクンジュ」です。「アクンジュ」は、巡航ミサイルや視界外射程空対空ミサイル(BVRAAM)発射能力を含む斬新な能力をこの分野にもたらし、自身がそれらを実行可能な世界初の無人プラットフォームとなります。このUCAVはトルコの無人機戦能力の範囲を飛躍的に拡大させることになるでしょう。というのも、100キロメートルも離れた敵機やUAV、ヘリコプターも標的にできるようになるからです。

 「アクンジュ」の生産が意欲的に進められている一方で、もう1つの無人戦闘機「MİUS(Muharip İnsansız Uçak Sistemi)」計画が進められています。2023年までに初飛行を予定しているこの超音速戦闘無人機は、戦闘空域で精密爆撃、近接航空支援(CAS)任務、敵防空圏制圧(SEAD)を遂行できるように設計されています。(この記事を執筆した2021年5月)現在のところ、MİUS計画はまだ設計段階にとどまっていますが、トルコの防衛産業が盛況していることを示すものです。 独自の解決策で困難を克服する素晴らしい能力のおかげで新しい計画が迅速に採用され、トルコは複数の防衛分野で技術革新の最前線に立っていると言っても過言ではありません注:「MİUS」は「クズルエルマ」と命名され、試作機が2022年12月に初飛行を記録しました

 しかし、多くの人に知られていないのは、「TF-X」も現在開発中の「MİUS」も、トルコが初めて国産戦闘機の設計に挑戦したものではないという事実です。このような航空機を実現させようと最初に挑戦したのは、実は1930年代まで遡ることができます。当時、トルコの航空機設計者であるヌリ・デミラー(1886~1957年)が型破りで革新的な双発単座戦闘機の設計に着手したのです。 残念なことに、ヌリ・デミラーの功績はトルコ国外ではほとんど注目されておらず、国内でも彼の斬新な飛行機が最近まで全く知られていませんでした。


 ヌリ・デミラーの功績と「Nu.D.40」そのものについて詳しく説明する前に、より富んだ洞察力を得るために第二次世界大戦勃発以前のトルコにおける航空産業史を簡単に説明します。1930年代にはヨーロッパの大部分の国が何らかの形で航空機産業を抱えていましたが、トルコでは武力衝突や(民間)輸送における航空機の役割が急速に拡大することを見越しており、すでに1925年2月にトルコ航空協会(Türk Hava Kurumu - THK)が設立されていました。そして、彼らは初期段階のサポートと専門知識を得るために外国のパートナーとの提携を求め、ドイツのユンカース社と契約を結び、1925年8月にTayyare and Motor Türk AnonimŞirketi(TOMTAŞ)が設立されるに至りました。[1]

 ユンカースとの契約では、小型機の生産とオーバーホールを行う工場をエスキシェヒルに、大型機の生産と整備を行うより大規模な施設をカイセリに設立することが定められました。当初はドイツが中心となって運営されていたものの、ドイツの関与は徐々に縮小して現地の部品や労働者による生産に置き換えられ、最終的には真の意味での国産化へと進んでいったのです。[1] 

 TOMTAŞで最初に生産されたのはユンカース「A20」偵察機と「F13」輸送機で、それぞれ30機と3機が生産されました。同社が最終的に年間約250機の航空機を生産することを計画していたことは、この設立が国産航空機産業を立ち上げるための形だけの試み以上のものであったことを示しています。

 ところが、設立直後からユンカース側の財政難を主因として、最終的にプロジェクト全体を崩壊に導くような問題が発生し始めました 。この時すでに倒産寸前であったユンカースに対するドイツ政府の支援が打ち切られた後、同社は1928年6月にトルコとの提携を正式に解消し、その数か月後にはTOMTAŞも閉鎖されてしまったのです。[1]

 工場についてはトルコ国防省へ移管後も整備・修理事業を継続し、1931年にカイセリ航空機工場と改称され、1942年まで航空機の組み立てを続けました。[2] 現在、カイセリにあるTOMTAŞの跡地にはトルコ空軍の主要な戦術輸送航空基地である(エルキレト空軍基地)があり、「A-400M」、「C-130」、「CN-235」輸送機が配備されています。

1930年代のカイセリ航空機工場で生産中のPZL「P.24」(ライセンス生産)

 トルコの国産航空機産業の役割が、いつの日か航空機を設計・製造するという当初の目標ではなく、組み立てに絞られるようになったことで、トルコの実業家ヌリ・デミラーは、この分野におけるトルコの取り組みを再始動させるという構想を抱き始めました。彼は技術革新や大規模な建設プロジェクトを全く知らなかったわけではありません。というのも、彼の会社が1920年代の時点でトルコ全土に約1.250kmの鉄道を敷設したことがあるからです。[3] 

 トルコ鉄道発展への貢献を称え、1934年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領は彼にデミラー(鉄の網)という姓を与えました。彼の次のプロジェクトはさらに野心的なスケールのもので、私財を投じて1936年にイスタンブールのベシクタシュ地区に航空機工場を設立したのです。すでに同年、デミラーと彼の技術チームが設計した最初の飛行機が形になり始めていました。「Nu.D.36」は2人乗りの初等練習機で、最終的に24機が生産されています。[3]

 まもなく、より野心的な設計の双発旅客機「Nu.D.38」が登場しました。試作機の製造は第二次世界大戦中も続き、1944年には初の試験飛行が行われたものの、試作で終わっています。成長と航空事業をより円滑に進めるため、デミラーはイスタンブールのイェシルキョイに土地を購入し、現在のアタテュルク空港がある場所に飛行場と飛行学校(1943年まで約290人のパイロットを養成)を設立しました。[3]

 彼の幅広い野心と分野を超えた多大な取り組みは、自身の目標が航空機の設計と製造だけにとどまらず、 トルコ全体の航空関連活動に対する大衆の参加と関心を高めるプロセスを立ちあげることも目指していたことを十分に証明していると言えるのではないでしょうか。

1942年、イェシルキョイ空港に並ぶ「Nu.D.36」




1940年代初頭、「Nu.D.38」の試作機が製造されている光景

 献身的な努力にもかかわらず、やがて彼は、自国の航空産業が繁栄するために必要な環境を提供できないばかりか、その存続そのものに積極的に反対する政府に直面することになります。THKは24機の「Nu.D.36」を発注していましたが、イスタンブールからエスキシェヒルへの試験飛行後に不時着した(パイロットのセラハッティン レシット・アランが死亡に至らせた)事故を受け、同機の発注をすべてキャンセルしたのです。[3]

 これに対し、デミラーは訴訟を開始しました。何年にもわたる長引いた裁判でしたが、航空機には何の欠陥もないことを証明する複数の専門家の報告にもかかわらず、裁判所は最終的にTHKを支持する判決を下しました。[3]

 同様に、待望の「Nu.D.38」は、(ターキッシュ エアラインズの前身である)トルコ国営航空やその他の政府機関からの注文を獲得することができませんでした。さらに追い打ちをかけるように、デミラーの飛行機を他国へ輸出することを禁止する法律が制定されたことで、スペインを含む「Nu.D.36」に関心を示していた数か国との交渉が打ち切られてしまったのです。[4]

 そして、トルコ空軍からの発注も得られなかったため、彼の工場は1943年に閉鎖を余儀なくされました。 この状況を覆すため、デミラーはイスメト・イノニュ大統領を含む政府高官に何度も陳情したものの、結局は効果が得られませんでした。[3]

 こうして、彼の多大な努力は実らず、国産航空産業の有望なスタートが途絶えてしまったのです。トルコ航空界への貢献を記念して、2010年にはスィヴァス空港に彼の名前が付けられました。彼の名前が認知されるのは遅くてもないよりはマシですが、トルコの歴史においてデミラーが十分に評価されていない人物であることは間違いないでしょう。

 ヌリ・デミラーと彼の航空機工場の物語はここで終わったと思われていました。数年前、研究者のエミール・オンギュネルがトルコとドイツの公式文書から、デミラーと彼の技術チームによる別のプロジェクト「Nu.D.40」の存在を発見するまでは。その型破りなデザインとドイツで風洞実験が行われた機体という事実を考えると、この飛行機の存在が長い間にわたって忘れ去られていたことは、実に驚くべきことと言えるでしょう。

 「Nu.D.40」に関する情報の多くは、1938年にドイツのゲッティンゲンにある空気力学研究所 (Aerodynamische Versuchsanstalt, AVAが実施した風洞試験に由来します。試験終了後、AVAはデミラーに、(試験で判明した事項を詳述した)110ページにも及ぶ包括的な報告書を送付しました。[5]

 ところが、度重なる連絡ミスにより、AVAは当初要求していた資金の一部しか集めることができず、1940年には「Nu.D.40」に関する機密報告書をドイツの航空会社2社に譲渡してしまったのでした。[6]

 「Nu.D.40」について、機体の構成やエンジンの種類、武装案等はほとんど知られていません。第二次世界大戦が勃発する前に設計されたため、国産化できない部品(特にエンジンと武装)は海外から調達する必要があったものの、ヨーロッパ全土で戦火が拡大する中での調達は不可能に近いものでした。この事実を無視して、仮に完成させた場合を考えてみますと、ドイツ製の航空機用エンジン2台と、機関砲または重機関銃2挺と軽機関銃2挺という武装の組み合わせが、もっとも妥当な機体の構成だったように思われます。


 やがて、エミール・オンギュネルは自分の発見をトルコ航空宇宙産業(TAI)のテメル・コティル会 長兼CEO(当時)に対し、興奮気味に『この飛行機を絶対に作るべきだ!』と伝えたとのことです。こうして、「Nu.D.40」復活チームが結成されたわけですが、まずは3Dのデジタルモデルが作成された後、1/24スケールの模型が製作されました。次のステップには、「Nu.D.40」のUAVモデル(1/8と1/5スケールが1機ずつ)の組み立てが含まれます。[7]

 最終的には、実物大の1/1レプリカモデルが製作され、デミラーの夢である「Nu.D.40」の飛行をついに実現させる予定です。


 計画されている1/1のレプリカモデルの機体構成の場合、「Nu.D.40」は同時代にフォッカーが設計したオランダの「D.23」単座戦闘機と驚くほどよく似た姿になるでしょう(実際のところ、ヘッダー画像は第二次世界大戦時のトルコ空軍の塗装が施された「Nu.D.40」に似せて修正された「D.23」なのです)。

 「D.23」計画は、最高速度約535km/h、13.2mm機関砲2挺と7.9mm機関砲2挺を装備する迎撃機として1937年に構想がスタートしたものです。実寸大のモックアップが1938年のパリ航空ショーで初公開され、翌年の1939年3月に試作機が完成しました。[8] 「D.23」はその2か月後に初飛行を実施しましたが、1940年4月の11回目の試験飛行中に機首車輪が損傷したため、分解して修理のために輸送しなければならない状態となりました。[8]

 1940年5月にドイツ軍がオランダに侵攻したとき、「D.23」はまだ機首の車輪を修理しておらず、格納庫に保管されたままだったため、ほとんど無傷で生き残ることができました。オランダ征服から僅か2週間後、ドイツ空軍がこの飛行機の視察と、ドイツへの輸送準備をしにやって来ました。有望なプロジェクトをそう簡単に敵に引き渡すわけにはいかなかったフォッカーは、ドイツの代表団に対し、「D.23」はオランダ空軍ではなくフォッカーの所有物であり、ドイツがこれを欲しいのであれば高額の買収費用を支払う必要があることを要求したことで、ドイツ側の関心が急速に失われていったのです。 [8] 

 結局、この機体は「記念品ハンター」によって次第に分解されていき、連合軍によるスキポール空襲で破壊されました。「D.23」が就役していれば、その時代で最も興味深い航空機の一つになっていたでしょう。しかしながら、第二次世界大戦の勃発によって、この飛行機は大きな期待に応えることができなかったのは言うまでもありません。






 長年にわたる綿密な調査を経て、エミール・オンギュネルは「Nu.D.40」に関する全ての知見を『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』という本にまとめました。この本は、ドイツとトルコの公文書館から収集した公文書を用いて、この航空機の設計史に焦点を当てています。現在はトルコ語版しかありませんが、将来的には英語版も出版されることを期待しています。『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』は、トルコの有名オンラインストアやトルコ科学技術研究会議(TÜBİTAK )で260トルコリラ(約943円)で注文可能です。


 トルコ初の(無人)国産戦闘攻撃機は、「Nu.D.40」の設計から約83年後の2021年に就役する予定です。「Nu.D.40」が当時革新的であったように、「アクンジュ」も革新的なものです。ヌリ・デミラーは今ではほとんど忘れ去られてしまいましたが、近代的な国産航空産業に対する彼のビジョンを受け継ぐ人々がいることは注目に値します。

 バイカル・テクノロジーのような企業は、非常に献身的な人々のチームが何を達成できるかを実証しています。 彼らはデミラーのようにリスクを恐れず、祖国と技術への愛を第一とし、多くの利益を得ることを二の次にしているのです。100年近く前にデミラーが知っていたように、これらの目標を達成するためには人々の関心を集めることが重要です。デネヤップテクノフェストといった技術ワークショップやイベントを通じて、バイカルは同社の工場や他のトルコの技術系企業に同じ志を持つ大勢の人々を引き寄せるに違いありません。未来を見据えるこれらの企業は、空における自国の運命のみならず、人々の心にも変革をもたらそうとしているのです。

 編訳者注:「アクンジュ」は2021年8月29日に就役し、対テロ作戦など実戦に投入されています。ムラドAESAレーダーの統合試験などが実施されています(この統合によって、BVRAAMなどの運用能力が付与され、本来想定していた能力が完全に発揮できることになります)。


[1] Turkey's First Aircraft Factory TOMTAŞ https://www.raillynews.com/2020/07/The-first-aircraft-factory-turkiyenin-tomtas/
[2] TOMTAS - Tayyare Otomobil ve Motor Türk Anonim Sirketi http://hugojunkers.bplaced.net/tomtas.html
[3] Aviation Facilities of Nuri Demirağ in Beşiktaş and Yeşilköy https://dergipark.org.tr/tr/download/article-file/404341
[4] The 24 Nu.D.36s that had been produced for the THK were donated by to the local flight school and later scrapped.
[5] Nuri Demirağ’ın Almanya’da kaybolan avcı uçağı: Nu.D.40 https://haber.aero/sivil-havacilik/nuri-demiragin-cok-az-bilinen-ucagi-nu-d-40/
[6] Nuri Demirağ’ın Bilinmeyen Uçağı: Nu.D.40 https://www.havayolu101.com/2019/01/10/nuri-demiragin-bilinmeyen-ucagi-nu-d-40/
[7] We’re very proud to realize Nuri Demirağ’s dream https://defensehere.com/eng/defense-industry/we-re-very-proud-to-realize-nuri-demirag-s-dream/75967
[8] Fokker D.23 https://geromybv.nl/home/fokker-d-23-willem-vredeling/



 2025年現在の情報にアップデートした改訂・分冊版が発売されました(英語のみ)

2024年2月16日金曜日

国防を優先事項へ:オランダの兵器調達リスト(一覧)


著:シュタイン・ミッツァー と ケマル(編訳:Tarao Goo)

 当記事は2023年8月27日に本国版「Oryx」(英語)に投稿されたものを翻訳した記事であり、意訳などで僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 2000年代にはヨーロッパにおける防衛支出が減少する流れがまん延しており、当時のオランダもその例外になることは許されませんでした。この結果として、オランダ軍は僅か10年足らずの間で多数の兵器システムに別れを告げることを余儀なくされました。軍から消えたものには、「全ての」戦車、自走対空砲、多連装ロケット発射機、対潜哨戒機が含まれています。これに加えて、フリゲート、戦闘機、装甲戦闘車両(AFV)の保有数も大幅に削減されてしまいました。

 状況をさらに悪化させたのは、予備部品及び弾薬の不足と士気の低下でした。 その結果、兵士たちは軍以外でより良い待遇を求めたことから、軍は大幅な人員削減を余儀なくされてしまったのです。

 2014年のロシアによるクリミア併合がオランダにおける国防の優先順位に著しい変化をもたらした契機となり、この状況が防衛予算の増加と今までの予算削減がオランダ軍を衰退させたという国民の意識の向上をもたらしました。その後の数年間については、軍の組織自体に与えられたダメージを修復することに主眼が置かれました。なぜならば、これは将来の成長を 将来の発展を具現化させる前に必要なことだったからです。

 2022年に始まったロシア・ウクライナ戦争は発展のペースを飛躍的に加速させ、これによって防衛費の増額が2024年にオランダのGDPの2%に達するだけでなく、防衛関連のプロジェクトも加速させるまでに至らせています。これらのプロジェクトは、新たな脅威の出現や過去の予算削減によって生じた数々の能力ギャップに対処することを目的としたものです。

 前述の能力ギャップの一つは、戦力面における戦車不足に関するものです。オランダは2011年に全ての戦車部隊を解隊させた後、現在では僅か18台の「レオパルト2A6」がドイツとオランダが統合運用している第414戦車大隊に配備されています。

 全戦車の退役については、戦車のコンセプト自体が時代遅れになったというオランダの思い込みによるものだという説が今でもまん延していますが、実際のところ、退役は単に予算上の判断にすぎませんでした。他の兵器システムや部隊を廃止するという選択肢はほとんど残されておらず、80台以上の「レオパルド2A6」が高額なA7規格への改修用に運用可能な状態で温存され続けていたことから、軍の戦車部隊を廃止するという苦渋の決断が下されたわけです。

 「レオパルト2A6」100台は後にフィンランドへ売却され、残りの17台は第414戦車大隊で18台のドイツ軍の「レオパルト2A6」を運用する代わりに同国へ寄贈されました。

 現在、オランダ陸軍はドイツから最大で52台の「レオパルド2A8」を調達する予定ですが、その価格は、(以前に計画されていた)2010年代半ばから後半にかけて「レオパルド2A6」をA7規格へ改修する費用の10倍近くにも上ります。

 第414戦車大隊は、オランダ陸軍とドイツ陸軍との高度な統合化を象徴する好事例と言えます。オランダ陸軍は第11空中機動旅団と第13軽旅団、第43機械化旅団をドイツ陸軍に編入することで、大きな一歩を踏み出しました。一般的な誤解に反して、この統合はオランダが自国軍に対する独立国家としての主権の放棄を意味するものではありません。自国軍をどこに展開させるかという決定権は、依然としてオランダにあるのです。

 オランダ軍における多の軍種も陸軍と同様に、近隣諸国の軍隊とうまく統合化されているか、あるいはそのような協力関係を視野に入れています。海軍はベルギー海軍とベネルクス海軍本部の下で活動している一方、海兵隊はイギリス海兵隊と高度に統合されています。後者はイギリスと同様に、水陸両用の上陸部隊から、より攻撃的な兵器システムに支えられた海上強襲部隊へと移行することになるでしょう。

 防衛関連のプロジェクトで最も注目すべき点としては、空中発射型・海上発射型・潜水艦発射型の巡航ミサイルや地上発射型の戦術弾道ミサイルを含む、さまざまな種類の攻撃兵器システムにかなりの重点が置かれていることが挙げられます。ほとんどのNATO諸国が自国軍に再投資している一方で、実際にこうした規模の攻撃能力にリソースを振り分けている国がごく僅かしかないことを考慮すると、これらのミサイルの導入はより重要な意味を持つことになります。

 あらゆることを考慮すると、オランダによる防衛力強化の取り組みが、被服や小火器、トラックから実体を伴った兵器システムそのものにまで及ぶ軍全体の包括的な活性化と位置付けられることは当然のことです。

 オランダ海軍の保有艦のほぼ全てを含めた事実上全カテゴリーの兵器システムは、改修や更新される準備が整えられています。

 オランダ軍の戦力強化に向けて多額の投資をしているにもかかわらず、深刻な人出不足という差し迫った課題は依然として残り続けています。軍の職場環境をさらに改善しようとする取り組みは進行中ではあるものの、これが新たな人材の大幅な増加をもたらすには十分だと証明されるには至っていません。

 この人手不足は特に海軍に影響を及ぼしており、海軍は乗組員不足のために数隻の艦艇の待機を余儀なくされているのが現状です。この状態はオランダ海軍の作戦即応性を妨げるだけでなく、その能力拡大に関する議論も非論理的なものにしてしまいます。最終的には、要求に沿った予算に支えられながら人員不足のギャップを埋めることが、軍の有効性を確保する上で極めて重要となるでしょう。

 効果的な問題解決を図ろうとするオランダの気概を考慮すれば、この目標が達成されるだろうことに疑う余地はありません。これが実現した場合、将来の新兵たちは最先端の軍事技術を備えた軍に加わることになるのです。

  1. 以下に列挙した一覧は、オランダ陸空軍によって調達される兵器類のリスト化を試みたものです。
  2. この一覧は重火器に焦点を当てたものであるため、対戦車ミサイルや携帯式地対空ミサイルシステム、小火器、軽迫撃砲、トラック、レーダー、弾薬は掲載されていません。
  3. この一覧に記載されている調達計画の全てが、人員や予算の不足が原因で実現するとは限りません。
  4. 中期近代化改修(MLU)については、当該兵器の運用能力の向上に寄与する場合にのみ掲載しています。


王立陸軍 - Koninklijke Landmacht

戦車 (将来的な数量: 70)

歩兵戦闘車 (将来的な数量: 140+)

装甲戦闘車両 (将来的な数量: 395)

MRAP:耐地雷・伏撃防護車両 (将来的な数量: 102)
  • 102 タレス・オーストラリア「ブッシュマスター」防護機動車の中期近代化改修(RWS, 追加装甲, 新型通信システム, カメラの装備) [2027年に完了]

歩兵機動車 (将来的な数量: ~1,150)

軽攻撃車両(将来的な数量: ~100)

無人 (戦闘) 車両 (UGCV)

火砲・多連装ロケット砲(将来的な数量: 45 自走砲, 20 多連装ロケット砲, 数量不明 自走迫撃砲)
  • 20 新型120mm迫撃砲の導入計画 [2020年代半ばから後半の間に納入]
  • 120mm自走迫撃砲の導入計画(「ボクサー」または「CV90」の車体をベースにしたもの) [調達を検討]
  • 10 保管状態にあるクラウス・マッファイ・ベクマン「PzH 2000」155mm自走榴弾砲 のオーバーホール(稼働状態にある「PzH 2000」を45台に増やすため) [2020年代半ばに完了]
  • 45 クラウス・マッファイ・ベクマン「PzH 2000」155mm自走榴弾砲の中期近代化改修( 新型ヴェトロニクス, 温度調節器, 暗視装置, 天井への追加装甲, 能力向上型装填装置を搭載) [2028年までに完了]
  • 20 エルビット「PLUS」多連装ロケット砲 [2023年以降に納入]

火砲・多連装ロケット砲用精密誘導弾

防空システム

電子戦装備
  • 10 「ボクサー」ベースの統合型電子攻撃車(EOV) [2027年以降に就役]
  • 電子支援装置 (ESM)の導入計画 [調達を検討]

装甲工兵車両 (将来的な数量: 10 装甲工兵車, 8 自走架橋橋, 25 装甲回収車)

徘徊兵器
  • 徘徊兵器(+4台の発射機) [調達を検討]

無人航空機
  • 小型無人偵察機の導入計画 [2020年代半ば以降に就役] (すでに運用中の同種アメリカ製UAVを補完するもの)

特殊部隊用の小型艇
  • 数隻 将来型小型高速艇 (FFI) ※ コマンド部隊用 [2020年代半ばから後半の間に納入]


王立空軍 - Koninklijke Luchtmacht

戦闘機 (将来的な数量: 52)

無人戦闘航空機 (将来的な数量: 8)

空中給油機 (将来的な数量: 10)

輸送機 (将来的な数量: 5)

練習機 (将来的な数量: ~10)
  • 新型初等練習機の導入計画 (「PC-7」13機を更新するもの)

ヘリコプター (将来的な数量: 28 攻撃ヘリコプター, 34 輸送ヘリコプター, 19 対潜ヘリコプター)

(新) 兵装

偵察衛星

歩兵機動車


王立海軍 - Koninklijke Marine

フリゲート (将来的な数量: 6)
  • 2 「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」級LCF(防空・指揮フリゲート)の改修(「トマホーク」巡航ミサイル, 「RIM-162 "ESSM ブロック2"」及び 「SM-3/6」艦対空ミサイル, 「RIM-116 "RAM"」近接防空ミサイル, コングスベルグ「NSM」対艦巡航ミサイル, オートー・メラーラ「127/64 LW」127mm艦載砲, タレス・ネーデルラント「APAR ブロック2」火器管制レーダー, ソフトキル型対魚雷システム, 電子戦装置, 新型電波探知装置, 「MK54」短魚雷, (おそらく) 魚雷迎撃魚雷を装備) [2020年代後半に完了]
  • 2 「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」級LCF(防空・指揮フリゲート)の改修 (「トマホーク」巡航ミサイル, コングスベルグ「NSM」対艦巡航ミサイル, オトー・メララ「127/64 LW」127mm艦載砲, ソフトキル型対魚雷システム, 新型電波探知装置, 「MK54」短魚雷, (おそらく) 魚雷迎撃魚雷を装備) [2020年代後半に完了]
  • 2 対潜フリゲート (ASWF) [2029年以降に引き渡し予定] (「M」級フリゲート2隻を更新するもの)
  • 4 将来型防空艦 [ 2030年代前半以降に引き渡し予定] (「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」級LCF4隻を更新するもの)

無人水上艇(将来的な数量: 最大 4)
  • 最大4 TRIFIC [2020年代半ばに引き渡し予定] 艦対空ミサイル, 対艦巡航ミサイル, 水上発射巡航ミサイルと徘徊兵器を格納するコンテナ式VLSで武装, 無人化システム, 電子戦装置, 電波探知装置を装備)

潜水艦 (将来的な数量: 4)

ドック型輸送揚陸艦 (LPD) 及び 多目的揚陸艦(LPX) (将来的な数量: 6)

戦闘支援艦 (将来的な数量: 2)

掃海艦 (将来的な数量: 6)

その他の艦艇
  • 4 外洋+4 沿岸 補助艦艇 (補給, 潜水艦支援, 潜水支援及び海洋観測用) [2026年以降に引き渡し]
  • 5 輸送艇(LCU Mk3)の中期近代化改修 [2020年代半ばまでに完了]
  • 5 輸送艇(LCU Mk3)の更新計画 [2030年代前半までに引き渡し]
  • 12 車両人員揚陸艇 (LCVP) の更新計画(沿岸強襲揚陸艇 :LAC 12隻と機動揚陸艇:LCM 8隻で更新) [2020年代後半までに引き渡し]
  • 11 将来型小型高速艇 (FFI) の導入計画(海軍特殊作戦部隊及び陸軍コマンド部隊用) [2020年代半ばから後半に引き渡し]

艦載兵装 (新造艦に装備されるものを除く)


海兵隊 - Korps Mariniers

各種車両
  • BAE「BvS10 "ベオウルフ"」 冬季用全地形対応車 (「Bv 206」を更新するもの) [2020年代半ばから後半に納入]
  • 将来型沿岸用全地形対応機動警戒車 (FLATM PV)の導入計画 (「BvS10 "ヴァイキング"」を更新するもの) [2020年代半ばから後半に納入]

重迫撃砲
  • 新型120mm迫撃砲の導入計画 [調達を検討]

防空システム
  • 戦術防空システムの導入計画 [調達を検討]

徘徊兵器
  • 徘徊兵器 [調達を検討]

無人航空機
  • 長距離偵察機の導入計画 [2020年代半ばから後半に納入]


王立保安隊 - Koninklijke Marechaussee

歩兵機動車


おすすめの記事