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2025年8月10日日曜日

「Nu.D.40」から「バイラクタル・アクンジュ」まで:デミラー氏のレガシー


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月19日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 Benden bu millet için bir șey istiyorsanız, en mükemmelini istemelisiniz. Madem ki bir millet tayyaresiz yaşayamaz, öyleyse bu yaşama vasıtasını başkalarının lütfundan beklememeliyiz. Ben bu uçakların fabrikasını yapmaya talibim. - この国のために私に何かして欲しいなら、最も素晴らしいものを求めるべきだ。飛行機なしでは国家は生きられないのだから、私たちはこの生きる術を他人の恩恵に期待すべきではない。私はこれらの飛行機の工場を建てることを熱望している:ヌリ・デミラー

 航空大国としてのトルコの台頭について、その規模と範囲、そしてスピードの面で、近代史において比類のないものです。この偉業は、彼らが防衛分野でのほぼ自給自足を達成させるという目標に向けた不断の努力と、外国のサプライヤーやトルコに何度も制裁を加えている国への依存度を軽減させてきたことが大いに影響しています。この政策の成果はすでにトルコ軍のほとんどの軍種で活躍していますが、自給自足を達成するための最も野心的な試みは、間違いなく新型ジェット練習機「ヒュルジェット」とステルス戦闘機「TF-X(カーン)」の開発でしょう。いずれもこの10年で初の試験飛行が予定されています。(注:前者は2023年4月25日、後者は2024年2月21日に初飛行を実施しました)

 しかしながら、トルコによる軍用機開発・生産への取り組みは有人システムだけに限定されるものではありません。トルコには現在、無人戦闘機の開発計画が少なくとも2つあります。そのうちの1つは、今年後半に就役する予定のバイカル・テクノロジーが開発した「バイラクタル・アクンジュ」です。「アクンジュ」は、巡航ミサイルや視界外射程空対空ミサイル(BVRAAM)発射能力を含む斬新な能力をこの分野にもたらし、自身がそれらを実行可能な世界初の無人プラットフォームとなります。このUCAVはトルコの無人機戦能力の範囲を飛躍的に拡大させることになるでしょう。というのも、100キロメートルも離れた敵機やUAV、ヘリコプターも標的にできるようになるからです。

 「アクンジュ」の生産が意欲的に進められている一方で、もう1つの無人戦闘機「MİUS(Muharip İnsansız Uçak Sistemi)」計画が進められています。2023年までに初飛行を予定しているこの超音速戦闘無人機は、戦闘空域で精密爆撃、近接航空支援(CAS)任務、敵防空圏制圧(SEAD)を遂行できるように設計されています。(この記事を執筆した2021年5月)現在のところ、MİUS計画はまだ設計段階にとどまっていますが、トルコの防衛産業が盛況していることを示すものです。 独自の解決策で困難を克服する素晴らしい能力のおかげで新しい計画が迅速に採用され、トルコは複数の防衛分野で技術革新の最前線に立っていると言っても過言ではありません注:「MİUS」は「クズルエルマ」と命名され、試作機が2022年12月に初飛行を記録しました

 しかし、多くの人に知られていないのは、「TF-X」も現在開発中の「MİUS」も、トルコが初めて国産戦闘機の設計に挑戦したものではないという事実です。このような航空機を実現させようと最初に挑戦したのは、実は1930年代まで遡ることができます。当時、トルコの航空機設計者であるヌリ・デミラー(1886~1957年)が型破りで革新的な双発単座戦闘機の設計に着手したのです。 残念なことに、ヌリ・デミラーの功績はトルコ国外ではほとんど注目されておらず、国内でも彼の斬新な飛行機が最近まで全く知られていませんでした。


 ヌリ・デミラーの功績と「Nu.D.40」そのものについて詳しく説明する前に、より富んだ洞察力を得るために第二次世界大戦勃発以前のトルコにおける航空産業史を簡単に説明します。1930年代にはヨーロッパの大部分の国が何らかの形で航空機産業を抱えていましたが、トルコでは武力衝突や(民間)輸送における航空機の役割が急速に拡大することを見越しており、すでに1925年2月にトルコ航空協会(Türk Hava Kurumu - THK)が設立されていました。そして、彼らは初期段階のサポートと専門知識を得るために外国のパートナーとの提携を求め、ドイツのユンカース社と契約を結び、1925年8月にTayyare and Motor Türk AnonimŞirketi(TOMTAŞ)が設立されるに至りました。[1]

 ユンカースとの契約では、小型機の生産とオーバーホールを行う工場をエスキシェヒルに、大型機の生産と整備を行うより大規模な施設をカイセリに設立することが定められました。当初はドイツが中心となって運営されていたものの、ドイツの関与は徐々に縮小して現地の部品や労働者による生産に置き換えられ、最終的には真の意味での国産化へと進んでいったのです。[1] 

 TOMTAŞで最初に生産されたのはユンカース「A20」偵察機と「F13」輸送機で、それぞれ30機と3機が生産されました。同社が最終的に年間約250機の航空機を生産することを計画していたことは、この設立が国産航空機産業を立ち上げるための形だけの試み以上のものであったことを示しています。

 ところが、設立直後からユンカース側の財政難を主因として、最終的にプロジェクト全体を崩壊に導くような問題が発生し始めました 。この時すでに倒産寸前であったユンカースに対するドイツ政府の支援が打ち切られた後、同社は1928年6月にトルコとの提携を正式に解消し、その数か月後にはTOMTAŞも閉鎖されてしまったのです。[1]

 工場についてはトルコ国防省へ移管後も整備・修理事業を継続し、1931年にカイセリ航空機工場と改称され、1942年まで航空機の組み立てを続けました。[2] 現在、カイセリにあるTOMTAŞの跡地にはトルコ空軍の主要な戦術輸送航空基地である(エルキレト空軍基地)があり、「A-400M」、「C-130」、「CN-235」輸送機が配備されています。

1930年代のカイセリ航空機工場で生産中のPZL「P.24」(ライセンス生産)

 トルコの国産航空機産業の役割が、いつの日か航空機を設計・製造するという当初の目標ではなく、組み立てに絞られるようになったことで、トルコの実業家ヌリ・デミラーは、この分野におけるトルコの取り組みを再始動させるという構想を抱き始めました。彼は技術革新や大規模な建設プロジェクトを全く知らなかったわけではありません。というのも、彼の会社が1920年代の時点でトルコ全土に約1.250kmの鉄道を敷設したことがあるからです。[3] 

 トルコ鉄道発展への貢献を称え、1934年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領は彼にデミラー(鉄の網)という姓を与えました。彼の次のプロジェクトはさらに野心的なスケールのもので、私財を投じて1936年にイスタンブールのベシクタシュ地区に航空機工場を設立したのです。すでに同年、デミラーと彼の技術チームが設計した最初の飛行機が形になり始めていました。「Nu.D.36」は2人乗りの初等練習機で、最終的に24機が生産されています。[3]

 まもなく、より野心的な設計の双発旅客機「Nu.D.38」が登場しました。試作機の製造は第二次世界大戦中も続き、1944年には初の試験飛行が行われたものの、試作で終わっています。成長と航空事業をより円滑に進めるため、デミラーはイスタンブールのイェシルキョイに土地を購入し、現在のアタテュルク空港がある場所に飛行場と飛行学校(1943年まで約290人のパイロットを養成)を設立しました。[3]

 彼の幅広い野心と分野を超えた多大な取り組みは、自身の目標が航空機の設計と製造だけにとどまらず、 トルコ全体の航空関連活動に対する大衆の参加と関心を高めるプロセスを立ちあげることも目指していたことを十分に証明していると言えるのではないでしょうか。

1942年、イェシルキョイ空港に並ぶ「Nu.D.36」




1940年代初頭、「Nu.D.38」の試作機が製造されている光景

 献身的な努力にもかかわらず、やがて彼は、自国の航空産業が繁栄するために必要な環境を提供できないばかりか、その存続そのものに積極的に反対する政府に直面することになります。THKは24機の「Nu.D.36」を発注していましたが、イスタンブールからエスキシェヒルへの試験飛行後に不時着した(パイロットのセラハッティン レシット・アランが死亡に至らせた)事故を受け、同機の発注をすべてキャンセルしたのです。[3]

 これに対し、デミラーは訴訟を開始しました。何年にもわたる長引いた裁判でしたが、航空機には何の欠陥もないことを証明する複数の専門家の報告にもかかわらず、裁判所は最終的にTHKを支持する判決を下しました。[3]

 同様に、待望の「Nu.D.38」は、(ターキッシュ エアラインズの前身である)トルコ国営航空やその他の政府機関からの注文を獲得することができませんでした。さらに追い打ちをかけるように、デミラーの飛行機を他国へ輸出することを禁止する法律が制定されたことで、スペインを含む「Nu.D.36」に関心を示していた数か国との交渉が打ち切られてしまったのです。[4]

 そして、トルコ空軍からの発注も得られなかったため、彼の工場は1943年に閉鎖を余儀なくされました。 この状況を覆すため、デミラーはイスメト・イノニュ大統領を含む政府高官に何度も陳情したものの、結局は効果が得られませんでした。[3]

 こうして、彼の多大な努力は実らず、国産航空産業の有望なスタートが途絶えてしまったのです。トルコ航空界への貢献を記念して、2010年にはスィヴァス空港に彼の名前が付けられました。彼の名前が認知されるのは遅くてもないよりはマシですが、トルコの歴史においてデミラーが十分に評価されていない人物であることは間違いないでしょう。

 ヌリ・デミラーと彼の航空機工場の物語はここで終わったと思われていました。数年前、研究者のエミール・オンギュネルがトルコとドイツの公式文書から、デミラーと彼の技術チームによる別のプロジェクト「Nu.D.40」の存在を発見するまでは。その型破りなデザインとドイツで風洞実験が行われた機体という事実を考えると、この飛行機の存在が長い間にわたって忘れ去られていたことは、実に驚くべきことと言えるでしょう。

 「Nu.D.40」に関する情報の多くは、1938年にドイツのゲッティンゲンにある空気力学研究所 (Aerodynamische Versuchsanstalt, AVAが実施した風洞試験に由来します。試験終了後、AVAはデミラーに、(試験で判明した事項を詳述した)110ページにも及ぶ包括的な報告書を送付しました。[5]

 ところが、度重なる連絡ミスにより、AVAは当初要求していた資金の一部しか集めることができず、1940年には「Nu.D.40」に関する機密報告書をドイツの航空会社2社に譲渡してしまったのでした。[6]

 「Nu.D.40」について、機体の構成やエンジンの種類、武装案等はほとんど知られていません。第二次世界大戦が勃発する前に設計されたため、国産化できない部品(特にエンジンと武装)は海外から調達する必要があったものの、ヨーロッパ全土で戦火が拡大する中での調達は不可能に近いものでした。この事実を無視して、仮に完成させた場合を考えてみますと、ドイツ製の航空機用エンジン2台と、機関砲または重機関銃2挺と軽機関銃2挺という武装の組み合わせが、もっとも妥当な機体の構成だったように思われます。


 やがて、エミール・オンギュネルは自分の発見をトルコ航空宇宙産業(TAI)のテメル・コティル会 長兼CEO(当時)に対し、興奮気味に『この飛行機を絶対に作るべきだ!』と伝えたとのことです。こうして、「Nu.D.40」復活チームが結成されたわけですが、まずは3Dのデジタルモデルが作成された後、1/24スケールの模型が製作されました。次のステップには、「Nu.D.40」のUAVモデル(1/8と1/5スケールが1機ずつ)の組み立てが含まれます。[7]

 最終的には、実物大の1/1レプリカモデルが製作され、デミラーの夢である「Nu.D.40」の飛行をついに実現させる予定です。


 計画されている1/1のレプリカモデルの機体構成の場合、「Nu.D.40」は同時代にフォッカーが設計したオランダの「D.23」単座戦闘機と驚くほどよく似た姿になるでしょう(実際のところ、ヘッダー画像は第二次世界大戦時のトルコ空軍の塗装が施された「Nu.D.40」に似せて修正された「D.23」なのです)。

 「D.23」計画は、最高速度約535km/h、13.2mm機関砲2挺と7.9mm機関砲2挺を装備する迎撃機として1937年に構想がスタートしたものです。実寸大のモックアップが1938年のパリ航空ショーで初公開され、翌年の1939年3月に試作機が完成しました。[8] 「D.23」はその2か月後に初飛行を実施しましたが、1940年4月の11回目の試験飛行中に機首車輪が損傷したため、分解して修理のために輸送しなければならない状態となりました。[8]

 1940年5月にドイツ軍がオランダに侵攻したとき、「D.23」はまだ機首の車輪を修理しておらず、格納庫に保管されたままだったため、ほとんど無傷で生き残ることができました。オランダ征服から僅か2週間後、ドイツ空軍がこの飛行機の視察と、ドイツへの輸送準備をしにやって来ました。有望なプロジェクトをそう簡単に敵に引き渡すわけにはいかなかったフォッカーは、ドイツの代表団に対し、「D.23」はオランダ空軍ではなくフォッカーの所有物であり、ドイツがこれを欲しいのであれば高額の買収費用を支払う必要があることを要求したことで、ドイツ側の関心が急速に失われていったのです。 [8] 

 結局、この機体は「記念品ハンター」によって次第に分解されていき、連合軍によるスキポール空襲で破壊されました。「D.23」が就役していれば、その時代で最も興味深い航空機の一つになっていたでしょう。しかしながら、第二次世界大戦の勃発によって、この飛行機は大きな期待に応えることができなかったのは言うまでもありません。






 長年にわたる綿密な調査を経て、エミール・オンギュネルは「Nu.D.40」に関する全ての知見を『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』という本にまとめました。この本は、ドイツとトルコの公文書館から収集した公文書を用いて、この航空機の設計史に焦点を当てています。現在はトルコ語版しかありませんが、将来的には英語版も出版されることを期待しています。『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』は、トルコの有名オンラインストアやトルコ科学技術研究会議(TÜBİTAK )で260トルコリラ(約943円)で注文可能です。


 トルコ初の(無人)国産戦闘攻撃機は、「Nu.D.40」の設計から約83年後の2021年に就役する予定です。「Nu.D.40」が当時革新的であったように、「アクンジュ」も革新的なものです。ヌリ・デミラーは今ではほとんど忘れ去られてしまいましたが、近代的な国産航空産業に対する彼のビジョンを受け継ぐ人々がいることは注目に値します。

 バイカル・テクノロジーのような企業は、非常に献身的な人々のチームが何を達成できるかを実証しています。 彼らはデミラーのようにリスクを恐れず、祖国と技術への愛を第一とし、多くの利益を得ることを二の次にしているのです。100年近く前にデミラーが知っていたように、これらの目標を達成するためには人々の関心を集めることが重要です。デネヤップテクノフェストといった技術ワークショップやイベントを通じて、バイカルは同社の工場や他のトルコの技術系企業に同じ志を持つ大勢の人々を引き寄せるに違いありません。未来を見据えるこれらの企業は、空における自国の運命のみならず、人々の心にも変革をもたらそうとしているのです。

 編訳者注:「アクンジュ」は2021年8月29日に就役し、対テロ作戦など実戦に投入されています。ムラドAESAレーダーの統合試験などが実施されています(この統合によって、BVRAAMなどの運用能力が付与され、本来想定していた能力が完全に発揮できることになります)。


[1] Turkey's First Aircraft Factory TOMTAŞ https://www.raillynews.com/2020/07/The-first-aircraft-factory-turkiyenin-tomtas/
[2] TOMTAS - Tayyare Otomobil ve Motor Türk Anonim Sirketi http://hugojunkers.bplaced.net/tomtas.html
[3] Aviation Facilities of Nuri Demirağ in Beşiktaş and Yeşilköy https://dergipark.org.tr/tr/download/article-file/404341
[4] The 24 Nu.D.36s that had been produced for the THK were donated by to the local flight school and later scrapped.
[5] Nuri Demirağ’ın Almanya’da kaybolan avcı uçağı: Nu.D.40 https://haber.aero/sivil-havacilik/nuri-demiragin-cok-az-bilinen-ucagi-nu-d-40/
[6] Nuri Demirağ’ın Bilinmeyen Uçağı: Nu.D.40 https://www.havayolu101.com/2019/01/10/nuri-demiragin-bilinmeyen-ucagi-nu-d-40/
[7] We’re very proud to realize Nuri Demirağ’s dream https://defensehere.com/eng/defense-industry/we-re-very-proud-to-realize-nuri-demirag-s-dream/75967
[8] Fokker D.23 https://geromybv.nl/home/fokker-d-23-willem-vredeling/



 2025年現在の情報にアップデートした改訂・分冊版が発売されました(英語のみ)

2024年9月7日土曜日

盛況な産業基盤に支えられて:セルビアの無人機飛行隊(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年1Ⅰ月6日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した ものであり、意訳などで僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 セルビアの兵器産業は盛況であり、小火器から高度な誘導兵器まで、セルビア軍用のみならずUAE・キプロス・トルクメニスタン・バングラデシュなど多くの海外顧客向けにも開発・生産されています。

 その中には、すでにセルビア陸軍でも少数が運用されている数多くの無人航空機も含まれるようになりました。また、「ペガズ011」無人戦闘航空機(UCAV)、「ガヴラン145」徘徊兵器、「X-01 "Strsljen"」ヘリコプター型UCAVといった、より意欲的なシステムの開発も進行中です。

 それにもかかわらず、セルビア軍で運用された初のUCAVは中国製となってしまいました。2020年に6機の「CH-92A」を導入した取引には、中国で国産の「ペガズ011」のさらなる開発と試験を実施するための支援も含まれているとのことです。[1]

 セルビア空軍にUCAVの運用経験を提供するために導入されたと思われるほかに「FT-8C」空対地ミサイル(AGM)用のハードポイントを2つだけしか装備していないことから、「CH-92A」はセルビアが大型のUCAVを獲得するための通過点に過ぎないことは確実でしょう。

 当初、セルビアは中国の「翼竜Ⅰ」に関心を示したと噂されていたものの、後にトルコの「バイラクタルTB2」を調達する意向が明らかとなりました。[2]セルビアのアレクサンダル・ヴチッチ大統領さえも自国がTB2の購入待ちの行列に加わったと報告し、2023年の納入開始を希望しています。ただし、セルビアが最終的に「バイラクタルTB2」を導入できるかは疑わしいようです。[3]

 現在は「セルビア・トルコ間の黄金時代」を迎えていますが、セルビアがTB2を導入した場合、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、特にセルビアが今でも領土と主張しているコソボといった近隣諸国とトルコの関係や販売の見通しを悪化させることになりかねません。こうした懸念が存在する限り、TB2を導入する可能性は厳しいと言えるでしょう。

セルビア空軍の中国製「CH-92A」UCAV

 セルビアでは、「CH-92A」UCAVと共にイスラエルの「オービター1」や国産の「ヴラバツ」無人偵察機も運用されており、この2機種は第72特殊作戦旅団と第63空挺旅団で使用されています。

 「ブラバツ」は情報収集・監視・偵察(ISR)任務用に、機首の下に小型の電子光学センサーを搭載していますが、2022年には6発の「M22」40mm無誘導爆弾(擲弾)を搭載した「ブラバツ」のUCAV型も公開されました。ただし、これが軍に採用されるどうかは現時点で不明です。[4]

国産の「ヴラバツ」無人偵察機は6発の40mm擲弾で武装可能

 セルビアにおける武装ドローンの開発で、さらに大胆な試みと言えるものが「シーラ750C」 UCAVでしょう。「シーラ750C」軽飛行機の無人機バージョンであるこの新型機は、高価なUCAVに代わる低コストの代替策として開発されました。

 警戒監視任務向けに最適化されたこのUCAVは、胴体下部から突き出ているスタブ・ウィングに二つの兵装用パイロンを装着することが可能で、これには「BR-7-57」57mmロケット弾ポッド2基か、射程が約10kmある「RALAS」空対地ミサイル2発を搭載することができます。

 残念ながら、この「シーラ750C」UCAVは2015年のプロジェクト発表から一度も顧客を得ることができませんでした(注:「ユーゴインポート」社のウェブカタログには今でも掲載され続けているため、売り込み自体を断念したわけではありません)。

「シーラ750C」 UCAV

 より一般的なドローンとしては、13kgの弾頭を145km圏内に飛ばすことができる(徘徊モードでは50km)徘徊兵器「ガヴラン(レイヴン)」という形で開発が進められています。

 当初の設計では、見た目は徘徊兵器に転用した無人偵察機そのものであり、普通の滑走路からの離陸を可能にする三輪式の降着装置さえ備えていましたが、今では地上のキャニスターから射出されるコンパクトなモデルに進化しました。

 専用のキャニスターは18発か27発用の箱型発射機を備えたトラックかトレーラーに搭載されます。

徘徊兵器「ガヴラン145」

 1995年、セルビアの領空は「MQ-1 "プレデター"」の実戦デビューが果たされた舞台でした。それからの約30年でセルビアは高度な無人機を独自に設計・生産・調達するまでに至っています。

 トルコからの「バイラクタルTB2」の導入は政治的な理由で実現しそうにありませんが、「ペガズ011」のさらなる開発を進めるほかに中国から「翼竜I」あるいは「CH-95」などのUCAVを追加調達することで、セルビアが求めるUCAVの要件をほぼ満たすことができるでしょう。

 その他の見込まれる展開には無人偵察機や徘徊兵器の導入も挙げられますが、これはセルビア国内に確立された無人機産業のおかげで現地調達が可能という利点があるためです。

  1. 各機及び兵装の名前をクリックすると、セルビアにおける当該装備の画像を見ることができます。


無人偵察機 - 運用中

無人偵察機 - 試作 / 未採用

無人戦闘航空機 - 運用中

無人戦闘航空機 - 試作

徘徊兵器 - 試作 / 未採用

[1] https://twitter.com/200_zoka/status/1395129230506217475
[2] Erdoğan promised Serbia Turkish Bayraktar TB2 drones: Vucic https://www.dailysabah.com/business/defense/erdogan-promised-serbia-turkish-bayraktar-tb2-drones-vucic
[3] Serbia Joins ‘Queue’ for Turkish Bayraktar Drones https://www.thedefensepost.com/2022/09/09/serbia-queue-turkish-bayraktar-drones/
[4] Serbian MoD develops armed version of Vrabac small UAV https://www.janes.com/defence-news/news-detail/serbian-mod-develops-armed-version-of-vrabac-small-uav


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2024年5月25日土曜日

空のように高い野望:アルメニアの無人機計画(一覧)


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2023年1月4日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 アゼルバイジャンが無人航空機(UAV)の導入に大規模な投資を行っていたことを考えると、アルメニアが初歩的な無人機による偵察能力しか持たず、ほぼ無人攻撃能力なしで2020年のナゴルノ・カラバフ戦争に挑んだことは意外だったかもしれません。[1]

 2020年7月に起こったアゼルバイジャンとの武力衝突の際に、アルメニア国防省は国産の徘徊兵器を使用してアゼルバイジャンの戦車3台を撃破したと自慢していましたが、2020年のナゴルノ・カラバフ戦争は(こうした熱心な主張があるにもかかわらず)当時のアルメニア軍にそのような戦力が本当に存在しないことを示してしまいました。[2]

 しかし、これは国内で入手可能なものが不足していたことが原因ではないと確実に言えるでしょう。なぜなら、アルメニアの防衛企業は過去4年間だけで23種類もの徘徊兵器を設計していたからです!同様に多数の無人偵察機も日の目を見ており、数多くの設計案が試作段階まで到達することに成功していました。

 ところが、アルメニア国防省はこうした無人兵器やその他の有望な国産兵器には投資するどころか、ロシアから4機の「Su-30SM」多目的戦闘機を調達するために僅かしか使えない予算を投じることを選んでしまったのです。[3] このことは、2020年の戦争でUAVが不足し、専用の兵装を購入する予算が無いために4機の「Su-30SM」を実戦に投入できなかったという悲惨な結果だけを残しました。

 アルメニアで実際に運用されたUAVの大部分が初歩的な性能しか備えていなかったようです。それらの中で最も多かったのはロシアのAFM製「プテロ-E5」をコピーした「X-55」であり、この機体は搭載されたGPS受信機を用いてウェイポイントを基準にあらかじめプログラミングされたルートを飛行し、一定の間隔で写真を撮影するという機能を有しています。これで撮影された画像は飛行後に人力で回収され、商業衛星の画像に匹敵する品質の最新情報を提供しますが、限界があることは言うまでもありません。

 「クルンク」のような高性能な機種は、2020年の戦争に影響を及ぼすには数があまりにも少なすぎました。このようなアルメニアの深刻な偵察能力の不足を補完するため、ロシアは2020年の戦争中に多数の「オルラン-10」を引き渡しました。[4] また、ロシア製のUAV「グリフォン-12」も軍で運用されています。

 さらに、ロシアはアルメニアの無人偵察機「UL-300 (ザラ"421-16E")」 と「UL-350 (スーパーカム"S350")」 の背後にある技術の供給源でもあり、後者はアルメニア陸軍で運用されていることが確認されています。[5]

 2020年後半に引き渡された「オルラン-10」は、「ダヴァロ・ディフェンス・システムズ」によって開発された新しい無人偵察機のベースとしても活用されています。[6]

 ロシアからのUAVの納入とそれに伴う技術移転は、アルメニアが比較的短期間で無人機による偵察能力を向上させることに役立ったものの、アルメニアの無人機メーカーと彼らが手掛けた国産機は再び隅に追いやられてしまいました。

 イスラエルの無人機が切れ目なく続いてアルメニア領内に不時着したおかげで、アルメニアの無人機メーカーはそれらの機能を模倣しようと試みたため、この国独自の無人機はますますイスラエル起源の技術をベースに設計されるようになっています。アルメニアのUAVメーカーである「ダヴァロ」社の取締役は、2020年にイスラエル製のUAVが研究のために自社に移管されていることを認めました。[6]

 そして、「UAVLAB」社の工場を撮影した画像はイスラエル製の「スカイストライカー」が分解されていることを明らかにしたほか、同社の「UL-450」「オービター3」をベースに設計されていることは見抜くには僅かな分析能力も必要としないでしょう。「ダヴァロ」社は次に「ハロップ」「DEV-3」徘徊兵器(LM)のベースとして活用し、同時にトルコの「STM」社の「カルグ」LMもコピーしています
 
「DEV-3」はイスラエルのIAI製「ハロップ」をベースに開発されたか、少なくともインスパイアを得ている徘徊兵器である:左下はより小型の「DEV-1」

「フレーシュ-7」 徘徊兵器:イスラエルの「ヒーロ-30」にインスパイアを受けたと思われるが、直にベースにして開発されたわけではないようだ

 2020年のナゴルノ・カラバフ戦争で無人戦闘航空機(UCAV)が主導的な役割を果たした姿を痛いほど直に目にしたアルメニアが、それ以降に同様のアセットを導入しようと試みたのは理にかなっているとしか言いようがありません。

 アルメニアが隣国のイランから武装ドローンの導入を模索しているという報道がなされましたが、アルメニア国防省はそれどころか国産システムの導入を検討しているようです。[7]

 最近、「ダヴァロ」社は最大で4発の「SMA A5」または「AGB-003」誘導爆弾を搭載できるUCAV「アラレズ」を開発しています。この「アラレズ」計画はまだ開発の初期段階にあることから、運用可能なシステムが誕生するのは数年先になるでしょう。
 
2022年3月に初披露された「アラレズ」UCAV(試作機):主翼下の「SMA A5」誘導爆弾に注目

 アルメニアで開発された無人機は見応えはありますが、それをさらに発展させ、いつか大量生産に入るための国防省からの(財政的な)支援がないことを考えると、なおさらそう思います(注:国防省の支援を受けないメーカーは国からの制約を受けない独創的な開発が可能である一方、資金難に苦しむことに変わりがない現状を皮肉ったもの)。

 2020年夏にはLMの量産が開始されるとの報道があったにもかかわらず、2020年のナゴルノ・カラバフ戦争ではアルメニアのLMによる攻撃はたった2回しか記録されていません。[8] [9] [10]

 とはいえ、アルメニアが軍事的な優位性を向上しつつあるアゼルバイジャンに対抗するために活用するべく、自国で開発された無人機に大きな期待をかけていることは極めて明白です。

 アルメニアの主要な無人機メーカーである「ダヴァロ」社は、ロシアの「STC:特別技術センター("オルラン-10"の製造者)」と「クロンシュタット("オリオン" UCAVの製造者)」社、そして2022年にはUAEの「エッジ」グループと協力協定を締結しました。同協定は、アルメニアの無人機分野におけるイノベーション率をさらに高めることに役立つ可能性を秘めているため、今後の展開にも目を離すことはできません。  

  1. 以下の一覧の目的は、アルメニアの無人航空機(UAV)及び無人戦闘航空機(UCAV)及びその兵装、徘徊兵器を包括的に網羅することにあります。
  2. アポストロフィー内の部分は、他の呼称や非公式な呼称です。
  3. 一覧の合理化と不必要な混乱を避けるため、ここには軍用レベルの無人機のみを掲載しています。
  4. 各機種及び兵装に続く角括弧内の年は、当該装備が最初に目撃または報じられた年を意味しています。
  5. 各機種及び兵装の名前をクリックすると、アルメニアにおける当該装備の画像を見ることができます。

無人偵察機 - 運用中

無人偵察機 - 試作/ 未採用

無人戦闘航空機 - 試作 / 未採用


徘徊兵器 - 運用中


徘徊兵器 - 試作 / 未採用


訓練用無人機など - 試作


[1] Death From Above - Azerbaijan’s Killer Drone Arsenal https://www.oryxspioenkop.com/2021/12/death-from-above-azerbaijans-killer.html
[2] https://twitter.com/ShStepanyan/status/1284549170892877831
[3] Knights Of Yerevan - Armenia’s Su-30 Flankers https://www.oryxspioenkop.com/2022/01/knights-of-yerevan-armenias-su-30sm.html
[4] https://twitter.com/Zinvor/status/1324073095490142209
[5] https://twitter.com/wwwmodgovaz/status/1574760539758202880
[6] https://twitter.com/ralee85/status/1284954167795159040
[7] Armenia Wants Iranian Drones, Says Top Iranian Military Official https://hetq.am/en/article/149460
[8] Artsakh to mass produce combat drones, trials successfully completed https://en.armradio.am/2020/05/20/artsakh-to-mass-produce-combat-drones-trials-successfully-completed/
[9] https://twitter.com/Karabakh_MoD/status/1320408314807812100
[10] https://twitter.com/Danspiun/status/1470844958085197832
[11] Davaro News https://davaro.am/News